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1見えない壁と焦り

結婚してからわかることっていつの時代でもあるのです。

結婚を後悔するのか、フレッド君。


本編では『スチーブンソン夫人』としか表記されてなかったフレッドの母ですが、マリサが結婚して嫁いだことでスチーブンソン夫人が二人もいることになり、面倒が生じたため、スチーブンソン夫人はハリエットという名前となります。

(最初から名前をつけておけばよかった……)


 1714年7月。ロンドン市にあるスチーブンソン家で、ごく普通に妻そして嫁として暮らしているマリサがいた。

 昨年までマリサは海賊団”青ザメ”の頭目を務め、連中を縛り首から救うため海軍に協力をしていた。自分の生い立ちもわからないまま血のつながらない大人たちに囲まれて成長をし、自分の存在価値を見出していた。伴侶となるフレッドや身分を隠して海軍で働いていたグリーン副長(テイラー子爵・マリサの実母の弟)とも出会い、国のために命を懸けて海戦に挑んだ。時代遅れの海賊の生き残りをかけての選択だったが、結果的に恩赦と引き換えに育ての親であるデイヴィス船長が過去の罪に対する犯罪人として自首をし、処刑場へ送り込まれることになった。

 マリサ自身もその後に囚われて処刑を待つ身となり、目の前で海賊船デイヴィージョーンズ号を沈められた。それはマリサの心を深く傷つけ、生きる力を奪ってしまった。廃人のようになったマリサを救ったのは他でもなく目の前にいる乳児、エリカであった。


 もしもこの子が宿っていなかったらマリサは審理の後処刑されただろう。懐妊の発覚によってそれは先送りにされ、その間に海賊であり後見人でもあるオルソン伯爵とマリサにとって叔父にあたるグリーン副長が議会や女王に働きかけた。おかげでマリサの罪は許され自由の身となった。

 こうした出来事はコーヒーハウスのいいネタとなり、マリサのことが噂にならない日はなかった。


 

 一般の市民と違い、船という限られた集団生活の場で長くいた船乗りたちは得手して社会情勢に疎い。

 戦争が終わり、町では失業した船乗りたちを見かけるようになった。どんなに立派な海軍様の船で腕を鳴らしていても、平和であると仕事はない。それは私掠船も同様だった。

 貴族(身分を伏せているが)のグリーン副長やフレッドのように海軍としての仕事があることは生活していく上でありがたいことだった。


 ”光の船”の収容所から逃げ延びたマリサは、同じく囚われていた海賊(pirates)や私掠船の連中も救い出した。彼らの中には再び海賊に戻ったものもいるし、マリサたちの商船アーティガル号の仲間として雇われたものもいる。

 仲間となった彼らは再び海賊行為をすることを希望しなかった。デイヴィスの処刑や目の前でデイヴィージョーンズ号を容赦なく沈め、自分たちを"光の船"から救い出したマリサを捕らえる海軍の冷たい仕打ちをみて海軍の怖さが身に染みていたからである。


 マリサはそんな連中のことを思いださないことがなかった。

 自分が海賊であったことは紛れもない事実であり、それはコーヒーハウスの客たちによって広められ、自分が知らないおヒレまでついて拡散されている。


(なんて世間は狭いんだ……。どこに行ってもあたしは元海賊のマリサだという目で見られてしまう。それに……)

 

 何度このように独り言を言っただろう。それだけではなく、フレッドと結婚をして気づいたことがあった。そしてそれはフレッドをも悩ませていた。


(あたしが誰と結婚をしようが、それが父であるウオルター総督の条件だったとしても世間には関係ないと思っていたのに、なぜこうもネタにしてくれるんだろう……)


 マリサはそう言って深くため息をついた。今朝もエリカを抱き、義母であるハリエットとともに港まで散歩をしていたら密かにこのような声が聞こえたのである。


 ―― スチーブンソン家の息子は身分違いの結婚をした。元海賊であっても貴族出身であることには変わらない ――


 マリサの実母であるマーガレットはテイラー子爵家からウオルター伯爵家(本土にいた当時)に嫁ぐと中でロバートと出会い、恋に落ちた。結婚前にマーガレットに宿った自分たちは婚外子とされ、実子と線引き(差別)されるはずだったが、産褥熱でマーガレットは亡くなり、ウオルターは実子のように(いつく)しんでくれた。マリサの双子の姉であるシャーロットは大切にお嬢様として育てられ、やがては婿を迎えて家を存続させるのだろう。

 婚外子であることを知るのは”青ザメ”の連中やオルソンの関係者ぐらいか。おかげで元海賊という肩書に加え、身分違いの結婚『貴賤結婚(きせんけっこん)』という言葉がマリサ達の耳に入らない日はなかった。


 マリサがどんなに関係ないと思っていても世間は甘くない。貴族と市民の結婚はつねにコーヒーハウスのネタだった。こんな陸のネタにされるぐらいなら狭い社会である船の方がどんなにましだろうかと何度思ったことだろう。

 エリカ生まれてから8か月たつのだが、相変わらず噂は絶えることがない。


「あーんあーん」


 布でぐるぐる巻きにされ(スウォドリングという育児法)籠の中で眠っていたエリカが泣き出す。マリサが布をほどくとエリカは排泄をしていた。


(おしっこがでちゃったんだね……)


 エリカが生まれてから洗濯物の量が半端なく多くなった。マリサ一人で子育てをやっていたら休む間もなかっただろう。マリサにそんな思いをさせないように義母であるハリエットは積極的に手伝ってくれてる。

「おしっこのでる時間が決まってきたわね。これからは寝起きや乳をのんだ後などおまるに座らせたらいいわよ」

 彼女はニコニコしながらエリカの着替えを手伝う。

「赤ちゃんを育てるのって想像以上に大変ですね。あたしもこんな感じだったのかな」

 手際よくエリカを着替えさせるハリエットを見てつぶやくマリサ。

「……私たちと違って貴族のあなたは乳母が面倒を見てくれたはずよ。その後にイライザが育てたとしても一番世話が大変な赤ちゃんのときのあなたは貴族のお嬢様として育てられた。例えあなたが覚えていなくてもね」

 ハリエットは言葉を選んでいる。やはりどこかで自分と彼女との間に壁がある。


 海岸の兄弟の誓いで結ばれた”青ザメ”は身分や宗教、立場を問わない社会だった。だからこそ貴族のオルソンや奴隷だったラビットも同じ船乗りとして船に乗っていた。カトリック教徒、清教徒、イングランド国教会員も混在していたが争いはほとんどなかった。陸で暮らしていると息が詰まるくらい人間が作り出した壁に囲まれ、船での生活が懐かしく思えてならなかった。


 オルソンの屋敷で息子たちの遊び相手として屋敷にいたころ、息子たちとどこかの街へ買い物に連れて行ってもらったことがあった。そこでマリサが見たものは貧しさで飢えた子供たちや文字が読めない人々だった。それまで誰もが食べ物を食べることができ、文字の読み書きができると思っていた。貧しき人々や読み書きができない人々の存在にマリサは社会の闇を垣間見ることになり、その後もどこかで気にかけていた。奴隷船への嫌悪はその現れでもあった。

 


「でもね、あなたがこうしてこの家へ来てくれたことをうれしく思っているのは本当だからね。……最初は身分違いの結婚で世間の噂話のネタになっても、フレッドの昇進の後押しになればいいと思っていた。そう思うのは親なら当然だと思うのよ……」

 ハリエットはエリカを抱き上げる。きれいにしてもらったせいか、エリカは二人に向かってほほ笑んだ。

「後押しになっているかは疑問だけどね」

 そうマリサが言うと彼女はクスッと笑った。事実、マリサと結婚したからと言ってフレッドの昇進に有利に何か働いたということはない。それだけではなく、マリサとフレッドとの結婚は一市民としての慎ましい結婚であり、ウオルター総督から持参金だのなんだのが来たわけではなかった。それを知らない市民たちがあれこれ尾ひれをつけて噂にするのである。

「さあ、タペストリーつくりの続きをしましょう。完成したらフレッドも驚くわよ」

 ハリエットに促され、エリカを籠に寝かせる。


 二人は大きなタペストリーを製作している途中だった。黒い布に薄紫の花をマリサが刺繍し、夫人はその周りに縫い付けるためのタティングレースを編んでいる。薄紫の花はヒース(エリカ)、誰もが知っている花だ。

 義母とエリカとの落ち着いた時間も船に乗るまでであり、限られた時間を大切にしていた。


 

 マリサ達がタペストリーの製作に(いそ)しんでいるころ、フレッドとグリーン副長の乗ったスパロウ号は任務を終え港へ帰還していた。

「スチーブンソン君、先日受けた昇進試験の結果についてエヴァンズ艦長から話があるそうだからすぐに行きたまえ」

 マリサの叔父であるテイラー子爵は身分を隠してグリーン副長として勤務している。こうして貴族が軍隊に入るのは珍しくない。彼は当初、憎むべき海賊として活動をしていたマリサを殺すつもりで”青ザメ”を海軍への協力に引き込んだ。その憎しみはお互いに死線を乗り越えたことで消え、今や良き叔父としてマリサを支えている。マリサにとって血のつながっている親族だった。


 フレッドは昇進試験を受けていた。子どもが生まれ、少しでも昇進したいと考え勉強をしていたのである。


 しばらくしてフレッドが艦長から結果をもらい、現れた。ひどく気落ちしている様子を見てグリーン副長は結果を悟る。

「……結果は不合格でした……力及ばずで申し訳ありません……」

「そうか……。でも君はよく勉強をしていたよ。今回は受験者が多かった、そういうことだ」

 そう言って慰めるグリーン副長。ただ、彼はあることに気付いていた。

「スチーブンソン君、自分に欠けているものは何か考えたことがあるか。教えてやろう……それは危機感だ」

「危機感……ですか」

「そうだ。海賊だったマリサ達は我々と協力したことで討伐と処刑が目の前にぶら下ががっていた。統率していたマリサはそのことについて危機感と緊張が常にあった。だが、残念なことに君は恵まれておりその危機感がない」

 グリーン副長の目が何かを見通している。

「……グリーン副長、僕は焦っています……。今の僕ではマリサを超えられていません。身分も違い、そのことも僕を苦しめています。だから昇進して何とかマリサに追いつきたいと思っているのに……今回も叶いませんでした。……僕は常にマリサの下にいます……」


 フレッドも噂話のネタどころか、ときには船内においても身分違いの結婚のことを陰で中傷されることがあった。エヴァンズ艦長とグリーン副長も乗組員の士気に乱れが生じたことから、そうした個人に対する好ましくない言動をした者を処罰の対象としていた。

 フレッドが結婚して今最も苦しめているのが『元海賊との結婚』ではなく『身分違いの結婚』をしたことの周囲の(ねた)みであった。


「身分だけはどうしようもならん。マリサを超えると言ったが、マリサを超える必要はないし、超える意味がないのではないか。君は君だ。マリサじゃない。海軍士官として地道に歩むことだ。次の昇進試験に向けて頑張ればいい」

 グリーン副長が声をかけてもフレッドはうつむいたままだ。

「たとえ昇進試験に受かっても今度は貴族と結婚したことが昇進の後ろ盾になったと言われるでしょう……それはもともと僕も母も望んでいたことなのに、今となってはそれが(かせ)となっています。僕はマリサと結婚してよかったのでしょうか」

 そう言ってフレッドが顔をあげると目の前で自分に銃口を向けているグリーン副長がいた。慌てて後ずさりするフレッド。


 

「君は何を迷っているのだ。今さらマリサとの結婚は間違いだったと言いたいのか?士官ならいつまでも悩むな。私は身分を隠している手前、マリサのことにあまり口を出したくはないが、今の君はマリサにとって失礼だ。私のマリサを悲しませるな」

 それは残された親族をかばう気持ちの表れでもあっただろう。あんなにマリサを長く憎しみ、殺そうとしていたはずなのに、マリサはあまりにも妹であるマーガレットに似ていた。そのマーガレットは身分という壁を乗り越えられなかった。しかしマリサは身分差をものともせず、スチーブンソン家に嫁いだ。それが海賊への恩赦というべきウオルター総督の命令の1つだったとしても、結婚することによってマリサは仲間の命を救ったのである。

 

「言葉が過ぎました……申し訳ありません……」

 我に返ったフレッドが謝罪するとグリーン副長はピストルを収めた。

「今となっては私にとって君は赤の他人じゃないのだよ。昇進試験合格へは私も勉強の手助けをする。わかったら持ち場へ付け」

 厳しさの中にも優しさがあるグリーン副長の言葉。フレッドは自分の焦りを打ち明けたことで少しは気が楽になり、持ち場へ急ぐ。


 満たされないフレッドの心はやがて何かにその代償を求めることになる。


 そしてイギリスとって時代の変化を告げる激震が起きるのである。

アーティガル号編、始まりました。よろしくお願いします。アーティガル号編は海賊共和国との絡みが出ます(本編では暴れるだけだったけど)。

ご意見ご感想突っ込みをいただくと励みになります。お待ちしています。


当時はトイレがなく、おまるに入れたものを窓から投げたという話があります。あのフランスのベルサイユ宮殿もあちこちの庭に垂れ流しだったそうです。

それ考えたら日本の家屋にはトイレがあり、まだましだったんですね。

赤ちゃんのトイレトレーニングはどうだったのかしら。


私自身は立つことができ、排せつの間隔があいたらおまるに座らせて、だいたい2歳誕生日にはトレーニング完全に終了し綿パンツをはかせていました。


最後までお読みいただきありがとうございます。

今週、二度めの目の手術なので今週末に更新できなかったらごめんなさい。

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