まだ小説が書けなかったころの私 ~未来の自分を全否定~
どうも! 物書きジャンキーのたらこくちびる毛です!
最近エッセイを書き始めて以来、完全にはまってしまいました!
いぇーい!
連載作品の方もちゃんと続きを書いてるけど、エッセイを書くのが楽しすぎて止められなくてヤベーです。以前にも書いたけど、自分語り最高すぎてやめ時がわかんね。
自分の思ってることや考えてることを文章にすると最高にハイって気分になって楽しすぎる。
最近は深夜とかに思い立って、その時の気分で独白を書きなぐることもある。書いた後でちょっぴり後悔するのだけど、共感する感想もらったら後悔なんてすっ飛ぶぜ。
ふぅー! こんなの止められるはずねーじゃんか!
でもまぁ……気を付けていることもある。
安易に他の人を否定したり、文句を言ったりしないようにしている。
単純に返って来る言葉が怖いというのもある。だがそれよりも、未来の自分を攻撃することになる可能性……それを危惧する方が理由としては大きい。
自分で言うのもなんだが私は割と素直な方で、人からの意見を聞いてあっさり考えを変えてしまうことがよくある。
ぶっちゃけ、コロコロと意見を変えるのって人としてどうかと思うけど、いろんな意見を聞いて自分の価値感を柔軟に変えるのって大事やん?
私はエッセイを書いて感想をもらい、他の人のエッセイを読んで色んな意見に触れ、自分の価値観が日々アップデートされていくのを感じる。
なろうに小説を投稿し始めて一か月と少ししか経っていないが、得られた経験値はあまりに膨大。一人で小説を書き続けていた時とは比べ物にならない。
一か月前の私と今の私とでは創作への姿勢が全く違う。
とまぁ、こんな風に変化を続ける私だが、かつての私はそんな今の私を批判的に見ていたことがある。
「馴れ合いなんてするもんじゃねーよ。小説は一人で書くもんだろ」
いつのころだったか……ずっと昔に、そんなことを思ったことがある。無論、未来の自分ではなく他人に対して思ったことだが。
それは小説家になろうでのことではなく、もっと昔のケータイでネットを見ていた時代のこと。
ケータイと聞いて首を傾げた若人に一応説明しておく。ケータイとは携帯電話の略称で、スマートホンよりも前の時代に普及していた端末の総称だ。今の端末と違ってボタンがついており、それで文字を打ち込んでいたのだ。画面も今よりずっと小さかった。
ケータイでネットをしていた私は、自作小説を上げているサイトをいくつか巡っていた。
その頃から既にネットで小説を発表している人たちがいて、当時その作品群はケータイ小説と呼ばれていた。ケータイで読むからケータイ小説。分かりやすくていいね。
ケータイ小説の作家の中には掲示板で意見交換をする人たちもいた。掲示板を覗いてみると、複数の作者たちが熱心に議論していた。それはまるで、かつての文豪たちが繰り広げた討論会のようで、純文学に傾倒していた私にはとても魅力的に見えた。
しかし……私がその中へ入っていくことはできなかった。当時の私には小説が書けなかったからだ。
彼らは曲がりなりにも、自分で自分の作品を書き上げた立派なクリエイター。対して私は小説を読むだけのワナビーにすらなれない存在。そんな私が彼らの中へ入って議論に参加できるはずもない。
そう思った私は、そっとボタンを押してネットを切断。
掲示板のことなど忘れようと思った。
しかし……何故か黒い物が次第に膨れ上がっていく。まるで自分が世界から置き去りにされたような、漠然とした不安感。そして……あまりに理不尽な感情。何も言われていないのに、仲間外れにされたと被害妄想のような意識が芽生える。
当時の私は無限に湧き出るエネルギーのやり場に困っていた。その力をすべて創作にぶつけられれば良かったのだが、その時はまだ長編小説を書くだけの実力がなかった。
やり場のない感情にさいなまれた私は、馴れ合いなんてするもんじゃないと結論付け、小説なんて一人で書けと虚空に向けて文句を放つ。
今思うと随分むなしい。
幸いにも、当時の私はその感情について、ネットに書き記すことはなかった。もしどこかに作品として発表して周囲の人間に見せたりしたら、確実に黒歴史として残っていただろう。
そんなことをしなくて本当によかったと思っている。
あれから十数年が経ち、私は大人になった。そして、小説だけでなくエッセイまで執筆している。様々な人と意見を交換して成長を続ける今の私を見て、過去の私はどう思うのだろうか?
あの時と同じように否定するのだろうか?
もし、本当に過去の自分が目の前に現れ、今の私を真っ向から否定したら……なんと返せばいいか分からない。
かつて他人へ向けた言葉が、今の自分へと向けられている。こんな経験をした人は私の他にいないだろうか?
人は成長するし、考え方も変わる。
他人を否定することで未来の自分を否定してしまう可能性はゼロではない。
とある漫画の主人公の名言に「何が嫌いかではなく、何が好きかで自分を語れ」と言うのがある。打ち切り漫画のセリフではあるが、私はあのセリフが大好きだ。
エッセイで扱う題材も自分が好きなものを選ぶようにしている。
大好きな事柄について肯定的に述べた言葉は、きっと未来の私を応援してくれるだろう。
今はそう信じている。