1話 喪服の男
ここは東京都、渋谷区の裏通りにある喫茶店、リュミエール。午後七時のランチタイムに二人の女性がディナーに舌鼓を打ち、会話を楽しんでいる。高校の制服を身に纏う少女と、スーツ姿の女性。高校生の女子が先週末見に行った映画の話をしている。
「でね? ひかりさん。試合は主人公のチームが負けてて〇対三。で、いよいよ主人公が試合に出るわけ」
「それで? 成美ちゃん。どうなったの?」
「それがね、変なの。主人公の顔のアップと監督の顔のアップで、『出番だ、コウ』『はい』って重苦しいクラシックの音楽に合わせて主人公が歩くんだけど、その時に、主人公のふくらはぎのアップ、太もものアップ、腹筋のアップ、腕のアップ、胸板のアップと続くんだけど、なぜか全部服を着てないの」
「演出とかじゃなしに?」
「とかじゃなしに。で、会場が湧いて、選手交代するんだけど、交代するなり主人公にレッドカードが出て一発退場。でも主人公はドヤ顔で、でね、そのー、しゅ、主人公が、あーだめだ思い出し笑いしちゃう」
「教えてよー、成美ちゃん」
「主人公は、なんというか全裸に靴下をこ、股間に履かせてて、背番号はマジックで書いてあって、まあようはすっぽんぽんだったんだけど!」
「なにがしたいのそのアニメ……」
「で、ポカーンとしてたら、元子さんが『ここからが支倉真一郎の醍醐味だよ?』って言って、ちょいちょい下ネタとかギャグシーンとか挟むんだけど、だんだん話が重くなってきて--」
最上ひかりは、伊達ルナの嬉々とした笑顔に、魂が赦される喜びを、生きる喜びを感じていた。今の最上ひかりにとっての生きる意味の全ては、この伊達成美と共にいる喜びだった。伊達成美は伊達ルナという芸名で、ひかりが作った芸能事務所、シャインエンタープライズの売り出したアイドル歌手だった。アイドル戦国時代を生きる、次世代のスーパースターの卵。それが伊達成美だった。成美の夢を叶えることが、ひかりが自分に課した十字架だった。
夜も更け、九時半、二人は会計を済ませて渋谷駅に向かう。とある十字路を途中で通った。そこは豪雨でも降ったかのように一面濡れていて、不気味だった。そこを抜けてまた角を曲がると、また同じ十字路だった。
「あれ?」
成美はひかりと顔を見合わせる。ひかりはこの十字路にわずかな魔力の残滓を感じて言った。
「戻ろう。成美ちゃん。ここ、通っちゃだめな道だ」
ひかりは自分のセーフハウスの一つであるリュミエールまで戻ろうとする。だが、どこをどう曲がってもリュミエールにはたどり着けず、同じ十字路に出るのだった。
『あっちゃあ、成美ちゃんを巻き込んじゃったか。魔導迷彩が甘いのかな?』
魔導迷彩とは、圧倒的魔力を持つ魔導指定災害魔術師が、自身の魔力係数と魔力振動パターンを変化させ、その正体を覆い隠すための魔術である。最上ひかりとは世を忍ぶ仮の姿。最上ひかりこと、リュミエール・バルビエは、中世期、アラブ人の民族浄化作戦、十字軍の最後の戦い、バビロン防衛線において、十万以上の軍勢を一人で打ち破り、アラブ人を救ったSatan級魔導災害指定魔術師。アラブ人の英雄にして、フェイゲンバウム正教二十億の神の敵、それがリュミエール・バルビエという魔導士だった。
『よりにもよって成美ちゃんを巻き込んじゃうなんて。魔導迷彩の見直しが必要ね。強度が足りてないのかな』
「それは逆だよ? リュミエール・バルビエくん。君の魔導迷彩はね、あまりにも強固すぎるんだ。普通の一般人、WEED級魔導士ならば、その魔力振動は呼吸や運動に合わせて、0.5~1.8を推移する。だがね、君の魔力係数は常に1.8。こんなことはありえない。だからさ」
そういいながら黒い喪服に赤いワイシャツの男が十字路の角から顔を出す。男は水がしたたり落ちる日本刀を持ち、現れた。