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隣の女子はギリシア神話が特に好き

 図書室の中でも奥の方、分厚い本が並ぶ棚。その中から俺は、白黒写真付きの時代劇の資料を読み漁っていた。


「そっかぁ……『素浪人月影兵庫』も『旗本退屈男』も、役者は親子二代にわたって主演を演じてたのかぁ」


 夢野さんは歴史小説はよく読むみたいだけど、映画やテレビドラマの時代劇は観ないのかな?

 これまで夢野さんと語らった本のジャンルは、多岐にわたる。ジャンルにこだわらず、やっぱり読書が好きみたいだ。

 その中で何が一番なのかとか、読書の次に好きなこととか……これだけ語り合いながら、分からないことだらけだ。


「俺が好きなことを知りたいって言ってくれたけど……好みの押し付け、独りよがりは嫌われるよな」


 そんなことを言い聞かせながら、俺は時代劇の資料を棚へと戻す。

 丁度そのタイミングで、夢野さんが俺の側にやってきた。別の棚から持ってきたと思われる、これまた分厚い本を胸に抱えて。

 俺と一緒に読もうと探してくれていたのだろうか、俺の姿を見付けると嬉しそうに微笑んだ。


「面白い本、見つかった?」


「うん。星座の本……そう言えば最近、プラネタリウムも観に行ってないなぁと思って」


 星座かぁ。俺が住んでるのは田舎の方だから、冬になるとオリオン座が綺麗に見えるんだよなー。

 今の季節だと、何座が見れるんだろう? 調べてみる、いい機会かもな。


「それじゃ、それ持って出ようか?」


「うん……!」


 静かな図書室では、少しの声量でも響いてしまう。

 俺たち二人は、声を潜めて笑い合う。その仕草が、二人の親密さを演出しているようだった。


「夜空を眺めてると、時間を忘れるよね。なーんて、俺は星座とかあまり詳しくないけど」


「私は少しは分かるんだぁ。ほらコレ、双子座!」


 空き教室に場所を移した俺たちは、借りてきた星座の本をさっそく広げた。

 他に誰もいない、本当に俺たちだけの秘密の場所。椅子を寄せ合い、並んで腰かけながら。


「双子座の頭の部分、大きく光ってる星が二つあるでしょ? お兄さんのカストールと、弟のポルックス。これが双子座だよ」


「なるほど、だから双子座かー」


「でも実はこの二人、兄弟だけど双子じゃないんだよねー」


「何それ、釣り?」


「二人とも、それぞれ別の双子がいるんだよ。カストールはお姉さんと、ポルックスは妹とそれぞれ双子なの。四人ともお母さんは同じなんだけど、それぞれの双子でお父さんが違うの」


 えっと……頭がこんがらがってくるな。混乱しないよう、ちゃんと聞いておこう。


「つまり……カストールとポルックスは、異父兄弟ってこと?」


「そっ。弟ポルックスのお父さんは神々の王ゼウスなんだけど、お兄さんカストールのお父さんは人間なの。だけど二人は、とっても仲良しなんだ」


「それで、空の上でも並んで光ってるんだね」


「それについては、もう少しお話があって……ポルックスはゼウスの血を引いているから不死身なんだけど、カストールは人間の子だから寿命がある。カストールが死んじゃった時、それを悲しんだポルックスは自分もカストールと一緒に天に昇ることを願って、それで双子座になったんだ」


 夢野さんの口から語られたのは、思いのほか切ない物語。

 それでいて美しく尊い、兄弟愛の話。


「そっか……二人は夜空で永遠に一緒なんだな」


 ふと呟いた自分の言葉が、何だか遠くに聞こえる。

 愛する人と離れたくないという、強い想い――それは兄弟愛であろうと、恋愛であろうと変わりはない。

 俺だって叶うことなら夢野さんと、いつまでも隣り合わせで過ごしていたい。


「夢野さん……」


 何を言おうとしたのか。彼女の方を向いて口を開いた俺の言葉は、同じように俺の方を向いた視線とぶつかって上手く出て来なかった。


「鳴海君……ね、鳴海君って何座?」


「えっ……あ、あぁ……俺、蟹座だけど?」


 思いがけない質問に、へどもどしながら何とか答える。

 俺のうろたえなど気にしていないかの如く、夢野さんは本のページをくっていく。


「蟹座ねー……蟹座は、っと……あったよ!」


 分厚い中から、夢野さんが俺の星座が載っているページを開いてくれる。

 と言っても、朝の占いコーナーくらいでしか自分の星座について気にしたこともない俺だ。

 散らばった星々の瞬きが、一体どうしたらカニの形になるのか見当もつかない。


「蟹座……素敵な星だよねぇ。私、好き」


 好き――その言葉の響きに、俺の左胸は高鳴った。

 俺自身のことを言われた訳でもないのに。

 何故か夢野さんの声色からは、単に星座のことを指しているだけではない気持ちが感じられた。


「蟹座の神話、知ってる? ギリシア神話の英雄にヘラクレスっているでしょう? そのヘラクレスが、沼地に住むヒュドラーを退治しに行った時の話なんだけど……」


「うん……?」


「同じ沼に棲むカニさんが、ヘラクレスとヒュドラーの間に入っていって……ヘラクレスは小さなカニの存在に気付かないまま、踏みつぶしちゃったの」


 それは、また可哀想な……と言うか、マヌケな話だな。

 今の話だけだと、ちっとも素敵じゃないぞ……という俺の視線に気づいた夢野さんが、続きを話す。


「カニさんにとってヒュドラーはね、同じ沼地に棲む義兄弟であり親友。その親友のピンチに、いても立ってもいられなくなったんだ。小さな体に大きな勇気を宿して、ヘラクレスに向かっていった……その勇気が認められて、星座の一つになったの」


 なるほど……そこまで聞けば、熱いドラマを感じられるな。

 親友が困っていたら、それが例え絶対に敵わない相手であろうとも挑んでいく。そこに理屈が介入する余地はない。

 それが、男の友情……男という不器用な生き物のサガってやつだな。


「俺は……そんな立派な男じゃないけど、今の話を聞いたら蟹座らしく生きなくっちゃって思えるな。友情に散った神話に恥じないように」


 側で俺を見つめる優し気な眼差しは、どんな想いを込めて注がれているのだろうか。

 自分の星座について考えさせられるのと同時に、別の星座についても気になった。


「それで、夢野さんは? 夢野さんの星座の話も聞かせてよ」


「私はねー……魚座」


 俺からの質問を待ちかねていたかのように、夢野さんが答える。

 魚座ってことは、早生まれか。確かウチの姉ちゃんも、三月生まれの魚座だったな。


「魚座の神話はね、ヴィーナスとキューピッドの親子の物語。ある日、二人が川で遊んでいると巨大な怪物が現れたの。二人は魚の姿に変身して、川を泳いで逃げようとしたんだけど……途中で離れ離れにならないように、それぞれの尾びれをリボンで結んだの。だから魚座は、二匹の魚がリボンで結ばれた姿で描かれてるんだぁ」


 自分の星座のことだからか、少し気恥ずかしそうに話してくれる。母と子の愛情に満ちた神話を


「それじゃあ夢野さんも将来、きっといいお母さんになれるね」


「そう……かな? そうだと……いい、かなぁ?」


 ちょっと歯切れが悪そうに、うつむきながら答える声は上ずって聞こえた。

 窓の外はまだ陽が高く、夕空になるには早い時間。なのに夢野さんの頬は、うっすら赤く染まっていた。


「……夢野さん、ギリシア神話も詳しいんだねー。神話の本とか、よく読むんだ?」


「う、うん! ほら、こないだ『古事記』を探したじゃない? あれは日本人の先祖が神道の神様だっていう系譜をまとめた話なんだけど……古代ギリシアにも『神統記』っていう、ギリシアの王様たちの祖先にあたる神様たちのことを書いた本があって、それを読んだから……」


 沈黙が続いたことで、俺も新しい話題を探した。

 夢野さんの返事は少し焦った様子だったが、これで会話が途切れる心配は無くなった。


「でも、スゴいよねぇ。どの国の神話も、神様が宇宙を誕生させるところから始まるでしょ? 生物を生んだのが地球で、その地球を生み出したのが宇宙……なら、宇宙を作りだしたのは神様以外にないって……宇宙論的証明だー!」


「えーっと……デカルトだっけ? 『コギト・エルゴ・スム』とかの?」


「ドイツのライプニッツだよ。デカルトのは、人間学的証明」


「人間は不完全な存在だからー、なんてろかんてろー、ってやつか」


 なーんて、神様とか哲学とか本気で考えたことなんか無いけどさ。

 どうせ、哲学なんかじゃ恋人(ジュリエット)は作れない。そんなもん、何らの権威(オーソリティ)にも値しない。

 俺にとって大事なのは、ただ一つ……目に映る微笑みを、いつまでも見続けていることだ。


「そそ。人間なんてどんなに勉強しても結局、神様の考えには行きつけないんだよ。そんな超人がいるとすれば、ツァラトゥストラただ一人……だけど、その最期はニーチェだって書き残してないんだから」


 小難しい弁論の先に、果たして俺への想いがどれだけ込められているのか。

 神様の思考はおろか、隣に座る女子の頭の中さえ正確には把握できていない。

 願うことなら、俺が彼女を想う気持ちと同じ分だけ、彼女にも俺への想いを秘めていてほしいもんだが。

 アレキサンドロス大王よ! このドストの青みどろよりも複雑な乱麻を断ち切りたまえ!

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