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隣の女子は神話が好き

「おーはよっ」


「あっ、オハヨー!」


 教室に着いた俺は、自分の席に鞄を置きながら隣の席の夢野さんに挨拶をした。

 毎朝交わしている二人の挨拶は、初めての頃に比べれば、かなり明るいものになっていた。

 素っ気なかった俺と夢野さんの仲が近づくようになったきっかけは、図書室で同じ本を手に取るというベタなもの。

 けど、読書という趣味を二人で共有することで二人の距離が縮まったのは確かな事実だ。


「また新しい本、読んでるの?」


 俺より先に登校していた夢野さんは、自分の席で読書にふけっていた。

 表紙のタイトルを俺に見せながら、夢野さんはニコッと微笑んだ。


「これは二週目、『フェルマーの最終定理』」


「数学の本? こないだ貸してもらった『博士の愛した数式』は映画も観たことあったし、面白かったけど……」


「数学っていうより、数学史……歴史の本だからかなぁ? スイスイ読めて、面白いよ!」


 タイトルにもなってる『フェルマーの最終定理』は数学史に名前を残す難問だから、流石に知っている。

 その難問が解き明かされていく過程とか、確かに面白そうかな。


「けどさぁ……数式とか、たくさん出てくると眠くならない?」


「この本に載ってるのは簡単な問題ばかりだし、数式っていうよりパズルみたいで考えるの楽しいよ! でも『数式が一つ出るたびに売り上げが半減する』って言葉は確かみたい」


「何? ファインマンさんが言ってた?」


「車いすの天才・ホーキングの言葉だよ。鳴海君の場合は、数式が一つ出るたびにアクビが一つ出ちゃうんじゃない?」


「うーん……正解!」


「あははっ、今日は数学の授業が無くて良かったね!」


 冗談を交わしながら着席するが、憂鬱なのは数学の時間だけとは限らないんだよなぁ。

 鞄の中から取り出した教科書を見つめ、溜息を一つ。


「はぁー……でも、一時間目から英語なんだよなぁ~」


 木曜日って、一番かったるい日だよな。

 そんな日の一発目から嫌な授業じゃ、テンション上がらないよなぁ。


「サーズデーのイングリッシュなんて、みんな嫌じゃないか? あ~、早くサンデーが来ないかなぁ~」


 腹の底から上げた俺のうめき声に、隣からクスクスと笑う声がする。

 チラリと横目で窺えば、口元を隠しながら俺を見つめる視線と触れ合った。

 待ち受ける授業に対する抵抗感を宿しながらも、俺は口の端を少しだけ上げた。


「しっかし……何で木曜はサーズデーなんだろ? 日曜は太陽――サンだからサンデー、月曜はムーンでマンデーなのは分かるけど……」


「ふむふむ、じゃあ土曜日は?」


「サタデーか……何だろ? 土曜……土星……サターンだから?」


「正解! そうなると、他の曜日もそんな風に当てはめられそうじゃない?」


「えっ? う~ん……今日は木曜で、木星はジュピター……」


「ラテン語だと読みはユーピテル。ギリシア神話のゼウスに相当する、ローマ神話の神様だよ。じゃあ、北欧神話だと何になるかな? 鳴海君なら、分かるんじゃない?」


 何気ない俺のつぶやきから始まったが、すっかり夢野さんから出題されたクイズになっている。

 今の口ぶりだと、夢野さんは答えを知ってる感じだよな。それも、俺一人の知識でも導き出せるような。


「北欧神話なんて、詳しくないけど……」


 けど、夢野さんは俺なら分かると言う。

 そんな風に言える根拠があるとすれば……これまで二人が交わしてきた会話の中に、ヒントが隠されてるってことか?

 神話……神様に関する物語なら、夢野さんはよく『ニーベルングの指環』を持ち出すけど。


「待てよ、ゼウスは雷の神様……それに近いのはドンナー……トールか!」


「うん! トールは英語読みでソーって言うの。そこから“ソーの日”……“ソーズデー”……サーズデーになったんだよ!」


 む! 夢野先生の授業は分かりやすいぞ!

 それに、次の問題に対する意欲が自発的に湧いてきた!


「それじゃあ、水曜・ウェンズデーは……水星はマーキュリーだから……」


「ローマ神話のメルクリウス。ギリシア神話ならヘルメスで、発明の神様だよ」


「! ……ヴォータンか!」


「あったり~! 英語ではウォーデンって読むよ」


「そうか! ウォーデンズデーがなまってウェンズデーか! 綴りに出てくる“d”って何だよって、ずっと思ってたんだよな~」


 夢野さんが学校の先生だったら、授業もこうして楽しく受けられるのになー。

 ……熱心に教えてくれる先生に応えたい。そんな気持ちも湧いてくるし。


「火曜日……火星・マーズは軍神マルスだから……テュールだな! なるほど、それでチューズデーか! 後は金曜・フライデーだけど……」


「ウェヌスとかアプロディーテに相当する神様だけど……何かな?」


「何だろう? フライデーっていう響きからすると、フライアかフリッカっぽいけど……」


「より近いのはフライアかもねー。フリッカは、ジュノーとかヘーラーが近い気がする」


 なるほど、そうかもしれないな。

 ローマ神話のジュノーは聞いたことあるな。こっちは曜日じゃなくて、月だけど。


「結婚の神様……だよね? ジュノーは六月・ジューンの語源だから、ジューンブライドって言葉が出来たって聞くし」


「そうそう! 神様の祝福を受けた花嫁なんて、ステキだよね!」


 六月がジュノーってことは、こっちも曜日と同じく神様由来の命名っぽいな。

 三月・マーチはマルスで、五月・メイはメルクリウスってところか。


「七月はジュライ……八月はオーガスト……そんな神様、いたかな?」


「古代ローマ帝国の皇帝だよ。ジュライはユリウス、オーガストはアウグストゥスのことだから」※正確にはユリウス・カエサルの時代は帝政ではない。


「なるほどねー。さっすが、夢野さんは博学だ。それで九月は……」


「ここからは、実は二か月のズレがあるの。十月の方が想像しやすいと思うけど……オクトーバーに近い英語って知らない?」


 また新しいクイズかな?

 英語の授業が始まる前の肩慣らしに、俺のつたない英語力を総動員してやろう。


「オクトーバー……近いのは……オクトパス?」


「そう、タコを意味するオクトパス。でも、イカならともかくタコって八本足じゃない?」


「確かに……オクトって、どういう意味なんだ?」


「オクトは“八”。だからオクトーバーは、元々は“八番目の月”って意味なの。他にも十二月・ディセンバーは、“Dec”って省略するけど、語源についてイメージしやすそうなのは……単位でデシリットルって習ったでしょ?」


「あぁ、十分の一リットルだな……ってことは!」


「鳴海君が考えてるので、合ってるよ。十リットルのことはデカリットルって言って、デカは“十”の意味。ディセンバーは“十番目の月”のこと」


 そうやって考えてみると、セプテンバーは九月だけどセブンっぽい響きだし……元は“七番目の月”って意味か。


「語源は分かったけど、でも何で二か月もズレたんだろうな?」


「えっとねぇ……さっき挙げた二人の皇帝の名前を無理矢理入れたせいでズレたとか、昔は三月を一番目として数えてたからとか言われてるけど……詳しくは知らなーい」


 おどけて「えへへっ」なんて笑って見せてるけど、十分詳しいよ。

 タメにもなったし、また一歩、夢野さんに近づけた気がする。

 夢野さんが持ってる知識を共有することで、夢野さんの考えまで教えてもらったみたいな……そんな、あったかい気持ちになれる。


「ローマ神話の神様の名前とか覚えておくと、本を読んだ時の楽しみも増えるよ。ヨーロッパの文化ってローマ神話の影響が根付いているから、例えばお酒を飲むシーンに“バッカス”の名前が出てきたりとかね」


「そうだね。美術の教科書なんか見てても、西洋絵画は神話をモチーフにした絵がよく出てくるし」


「イコンも多いから、聖書を読んでおくと『あっ、あの場面を描いた絵だ!』ってなるもんねー」


「そう考えると日本の絵画って、あまり宗教画があるイメージ無いよなぁ」


「仏像はたくさんあるから、偶像崇拝がダメーって訳じゃなさそうだけどね」


 二人揃って、「何でだろうねー」と首をかしげる。

 俺はもちろん、夢野さんでも分からないことがある。

 それを先に俺が調べて得意満面、教えてあげようか。

 それとも、いつもみたいに夢野さんが瞳を輝かせながら語る姿に見惚れようか。

 いや、この場合はむしろ二人で協力して調べてみたい。


「ねぇねぇ、休み時間に図書室に行ってみない? そこで一緒に、神道の神様を描いた画集とか探してみようよ!」


「……いいね、それ! って言うか、俺も……同じこと考えてた」


 口にしてから、自分の顔が熱を帯びていくのを感じ出す。

 夢野さんの両頬も、ほんのり染まって見えるのは気のせいじゃない。

 クラスの連中に気付かれないよう、二人揃って壁の方を向いてしまう。


「……昼休み、こっそり抜け出そうか?」


「うん……私、『古事記』とか探してみる。鳴海君は、画集の方を探して」


「分かった。それで、後で一緒に答え合わせしようね」


 教室の隅で、二人だけの秘密の会話。

 少し風変りだけど、これもデートになるのかな?

 二人の関係が始まった場所で逢うのなら、二人の仲もより深まる気がする。

 夢野さんもきっと、そんな期待を胸に秘めているのだろう。

 同じような仕草を見せる彼女の姿に、願望ではない確信が生まれていた。

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