問診~症状をしっかり聴く~
しばらく診察室のやり取りが続きます。
「問診票は確認させていただきました。症状について詳しく教えてください。」
私のその問いに、彼女はすうっと息を吸うと、たどたどしく答え始めた。
「・・・ステージで歌っていると、初めは歌えているのに、最後のころになると声が出なくなります。」
「声が出なくなるのですね。かすれる感じですか?それとも高音が出なくなる感じでしょうか?」
私の問いに彼女は眼を大きく開いて、どう答えようかと悩んでいる様子だった。
「うまく、声が出せなくなる感じです。喉がつまっているような感じというか・・・。?」
喉がつまる・・・、歌い方が悪くて、声がかすれるわけではない?
彼女は声が出なくことについて、自分でもその症状がどんな感覚か、つかみかねているようだった。この訴えでは、他の病院ではよく分からない、とか、診断できないです、とか言われてきただろう。
「つまっている感じ、なのですね。・・・初めてそうなったのはいつ、何をしていた時ですか。」
「去年の今頃です。アンコールの時に急に声が出なくなりました。それから、時々・・・ありました。始まる前はちゃんと声が出ているのに、途中で声が出なくなります。」
彼女は困ったような感じで、後ろのマネージャーを時々振り返りながら答えている。
未成年の診療には親権者の同席が必要だが、10代後半の芸能人やアイドルは、地方に住む親と離れて東京に出てきている子も多く、マネージャーやプロダクションの社長が親権者の代理をしていることが多い。
問診票にマネージャーの名前は書かれていなかったため、診療に立ち会ってもらうため立場を確認する。
「失礼ですが、お名前と林田さんとのご関係を確認させていただけますか。」
「U.Iプロダクションの牧野です。ゆきの・・・林田のマネージャーです。」
彼女はそう名乗り、黒いバーキンもどきのビジネスバックから名刺入れを取り出した。流れるような動作、美しく整った顔立ち、ポージングのような立ち姿。牧野マネージャーは多分元タレントなのだろう。彼女が整った爪を添えて名刺を差し出したので、私はそれを両手で受け取った。
「林田は、大きなステージになると、声が出なくなることが多くて。まあ、緊張しているかなと思うのですが。今まで診てもらった病院では、声帯には特に異常がないと言われています。」
まるで場の空気を制するように、断定的な話し方だった。林田さんが声が出なくなるのは精神的な問題や気のせい、とでもいいたいのだろうか。
「他の病院でも診てもらったのですね。」
一度マネージャーの話を受けてから、改めて林田さんに向けて声をかける。
「どういう時に声が出なくなると思いますか?。」
林田さんはマネージャーの様子を気にしながらも、私の目を見て話してきた。
「どういう時に・・・。始めて症状が出たときも、当日は練習ではよく声も出ていて、本番前までは普通でした。本番中は歌よりもダンスが激しいのて、かなり喉は渇いていました。でもアンコールの前までは、普通に声は出てたのです・・・。」
「緊張していましたか?。」
「もう、アンコールの時間で終わりに近い状況だったから特に緊張はしなかったです。もともとステージでは緊張しないタイプなので、たけど・・・。」
「だけど?」
「今は、また急に声が出なくなったらと思うと、・・・怖いです。」
数秒間沈黙が訪れる。
「声がでないというのは具体的にどんな感覚・・・どんな状態になってしまうのかもう一度よく教えてください。」
私は、意識しておだやかにゆっくりと話しかけた。
「・・・急に喉がつまるような感じがして、声が出なくなります。」
彼女はまるで、今がその時のような真剣なまなざしで、答えてくれた。その症状に苦しんでいるのであろうことがわかる。
「喉がつまって、声が出なくなるのですね。それはステージ上だけですか?。」
私の問いかけに答えたのはマネージャーだった。
「先週の水曜日、練習後にもそうなったので・・・おかしいと思い、ボーカルトレーナーの須藤さんに相談しました。須藤さんからこちらを紹介されました。」
そういえば先週末、ボーカルトレーニングに行ったとき、須藤に、『近々私の生徒がお世話になると思う、よろしくね。』と言われていたことを思い出した。
「先週の水曜日、ステージではないところで症状がでたということですね。」
私は林田さんとマネージャーを交互に見て、もう一度問診票を確認した。
「何回か、症状を繰り返しているのですね。」
「はい、だんだんひどくなっている気がします。」
・・・ひどくなっている・・・。では先週の症状はもっとひどかったのだろうか。
「先週はどんな感じだったのですが?」
「新曲の練習をしていて、休憩後に歌い始めたら、声が出なくなって、その時は息苦しいというか、のどが絞まるような感じがしました。」
・・・休憩後に歌い始めたら・・・。歌い続けていて、声が出なくなったわけではないということか・・・。息苦しさもある・・・?
今の段階では鑑別疾患が絞り込めないが、何らかの異変があったことは間違いないだろう。須藤が私を紹介してくれたのは、適切な対応だと思った。しっかりした診察による診断が必要だ。
「症状が出た時の状況をできるだけ詳しく思い出して、教えてください。」
読んでいただきありがとうございます。