ただ、上手く歌いたい
私も歌が上手になりたいです。
私が活動を休止させたのは医師になるための勉強と、その後は仕事の忙しさからだ。医学部時代はサークル活動をやっていなかったので、その合間になんとか歌手活動はできていた。しかし、医学部の病院実習は出席と課題とレポートが厳しく、徐々に活動は縮小し23歳の夏フェス以降はステージには立っていない。
公式には。
「ここのサビの表現が難しいよね。」
私がつぶやくと、
「声張らなくていいよ、ささやく感じのほうが、KANAらしい。」
私のささやかな迷いにも、須藤はボーカルトレーナーとして的確なアドバイスをくれる。
ここ数年のKANA3001の音楽活動は半年に1度程度カバー曲の動画をネット上にUPしていることくらいだった。
医師になってからの7年間は、想像していたのよりはるかに激務だった。
大学病院で研修医として働いて、それからは診療と研究と、専門医取得の勉強に追われていた。月に何度も当直をやっていたため、喉の状態をベストを保つことが難しかった。活動休止(遅延)の前は、医師になってから5年くらいたてば、時々はライブハウスで歌うくらいの時間が作れると思っていた。しかしそれは、学生ゆえの医師の仕事に対する見積もりの甘さがあったと思う。
私がKANA3001と知っている、葉山先生に声をかけてもらって、今のクリニックに移ってから、勤務環境が改善し時間ができたため、まともに歌うことができるようになった。歌の質を保つためには、指導者のもとでのトレーニングが欠かせない。自分なりに練習はしていたが、もともと私の患者さんの一人だった須藤に、ボーカルトレーニングをお願いした。彼女は歌手時代の私を知っていて、私に気が付き、そして私のファンだった。
彼女は私にまた昔のようにステージで歌わせたいのだろう。KANA3001として。
私自身は、今はただ歌いたい、もっとうまくなりたいだけ。
「KANAの歌はいいよね。」
須藤はうっとりするように言う。
「新しい曲歌ってほしい、今の時代の空気感ある曲。私のつてで、誰かに作曲頼んでもいい?」
須藤の申し出は心底ありがたいと思う。でも、
「今の私に、誰か曲を書いてくれると思う?」
今更だ。私が歌手としてショービジネスの世界にいたのは20代の前半、もう7年以上のブランクがある。自分の中では未練はなかった。
それよりも医師として、singerを支える側でありたい。スポーツ選手に寄り添うスポーツドクターのように。
新川先生は歌手としても優秀ですが、医師としてもとても優秀です。