43話 昔馴染み女性のと模擬実践、引け腰な怪我の功名
早見さんの攣ったふくらはぎマッサージをしている内に、筋トレ三種が終わっていた。
「3分間休憩だよ。休憩後は護身術をレクチャーしていくから頑張りなさい」
若干気の緩んだ声が道場内に広がり、早見さんもすっかりリラックスモードに。
新陳代謝自体は良いのか、開始10分ぐらいで汗をサラッと掻いている。
見栄えだけなら運動のできる美人さんだけど、現実は美人要素だけしかない。
「何か私の顔に付いてますか?」
「え? あ、いえ。何でもないです」
「?」
タオルで汗拭う早見さんに思わず見入ってしまったが、当の本人は不思議そうな顔だった。
3分間の休憩はあっという間に終わり、宮内のお婆さんが手をパンパン鳴らしていた。
「さぁ、休憩終了だよ。護身術レクチャーを始めるから、アンタらは前に来なさい」
体験者さん達がぞろぞろと前に集まると、宮内のお婆さんが僕にボクサーヘルメットを被せてくれた。
「洋坊や。宇津音の前に立ちなさい」
「あ、はい」
手ぶらの宇津姉と対面し、お互いに何となく軽く頭を下げあった。
「いいかいアンタら。男が正面から襲い掛かってきたら、まず急所を狙いなさい。宇津音、実践」
「了解! それ!」
空気が一瞬にして変わり、目潰しに金蹴り、喉元突きを寸止めで実践した宇津姉。
キュッと肝が冷え、尻餅を着きそうになったけど、宇津姉が腕を掴んでくれて事なきを得た。
圧巻の実践に皆さんから関心の拍手が沸き上がる。
「きっと相手に躊躇してしまう筈ですが自分の命が優先です! 勇気を出してやりましょう!」
「それでも尚、襲い掛かってこようものなら肘で顎を狙いなさい」
身構える暇もなく宇津姉の肘が動き、顎に触れないギリギリで止まった。
急なやる気スイッチのオンオフに対応するので精一杯です。
その後も武器で襲い掛かって来た時、背後から襲われた時などなど、女性の為になる護身術が披露された。
「これから二人一組で今までの護身術の模擬実践をするよ」
「ボクサーヘルメットと安全サポーターをお貸しするので取りに来て下さい! あ、たぶん数が足りないのでシェアできる方はシェアでお願いします!」
譲り合い精神の下で無事に貸し出しを終え、二人一組の模擬実践が始まった。
それとなく動きは形になっているけど、どこか不格好な動きの体験者さん達。
何種類もの護身術を一度しか見てないから無理もないと、小休憩を取りながら眺めていた。
「洋坊や。休憩終わったら皆の相手してやんな」
「はい」
そう言い残した宮内のお婆さんは目にも止まらぬ速さで、次々にサポートしていた。
宇津姉も休憩なしに動いて底なしのスタミナに驚きを隠せない。
ちゃっちゃと水分補給を済ませ早速相手して欲しい人を探すと、手を上げている人を見つけた。
この時、何も違和感がなかったけれども、その人へと近付くにつれて違和感が明らかになった。
「力壁です! お願いします!」
「お、お願いします」
僕よりもガタイが数段も良く、背丈も2mを超えている力壁さん。
体の厚みも筋量も段違い、模擬実践でさえも敗北が確定している。
案の定、スポンジナイフで襲われる護身術を軽くこなしてしまう人だった。
どんな男も力壁さんを前にしたら、相手は襲う以前に逃げだすに違いない。
「ありがとうございました! うっす!」
「う、うっす……」
赤子の手をひねるが如く、一瞬で無力化された事が若干精神的に来ていた。
体格差で相性も悪く、そもそもが模擬実践の悪役なのだから無力化させられて同然だと、自分自身にどうにか言い聞かせて立ち直った。
それからもサポートを次々にこなしていると、早見さんが模擬実践してるのが丁度視界に入った。
どうやらスポンジナイフを持った早見さんが男役を実践するみたいだが、プルプル震えながら完全に引け腰だった。
「へ、へりゃあ~!」
「えい!」
「にゃ!? いてて……」
「だ、大丈夫ですか?!」
相手のハンドバックで身を守る護身術で、軽く突き飛ばされた早見さんが盛大に尻餅を着いた。
涙目でお相手さんに手を借りかけた時、僕と目線が合い、みるみる顔が赤らんで恥ずかしそうに立ち上がった。
「あ、ありがとうございます……つ、次は私の番ですね!」
役と道具を交換し、チラッとこちらを見てから護身術を始めた早見さん。
さっきの失敗を無かった事にしたい、視線でそう訴えているようにも見えた。
周りの皆さんもサポートは大丈夫そうだから、早見さんがちゃんと出来るかを見守ろう。
「行きますよ! えりゃ!」
「ふにゃ?!」
「わ?! ご、ごめんなさい!? 頭大丈夫ですか?!」
「うぅ……へ、平気です……あたー……」
当たりに行くのも弱ければ守るのも弱いのかと、しっかりと見守らせて貰った。
けど、軽く吹き飛んで後頭部を打つとは想像していなかった。
万が一もあるから早見さんに近付いて、大丈夫そうか確認してみた。
「後頭部以外に痛む個所はあります?」
「か、軽く手首が……でも、大丈夫です!」
「念の為、治療するので来て下さい。宇津姉! この人の模擬実践サポートをお願い!」
「ハーイ!」
宇津姉が来てくれるから、これでお相手さんは引き続き模擬実践が出来る。
「さ、行きましょう」
「あ!」
早見さんの痛んでない方の手を取り、道場の端へと連れて行き座らせた。
何故か痛んでない方の手を擦って顔が若干赤いのだけど、僕の手汗が酷かったのかも。
とりあえず謝るのは後にして、手の様子を見てみないと。
「早見さん。手、いいですか?」
「は、はい! 好き勝手にして下さい! じゃ、じゃなくてお願いします!」
「あ、はい」
そっと痛みのない様に触れ、手の状態を目視と触診してみると、腫れてもないし熱もない感じだ。
後々に腫れる前に冷却スプレーを噴き付かせてから、テーピングをさせて貰った。
前に愛実さんからテーピング方法を手解きして貰った甲斐があった。
あの時の愛実さんは終始口元が緩んでいて、ちょくちょく変な声が漏れていたのを覚えてる。
「出来ました。どうですか?」
「あ、あまり痛くないです! 積木君はヒーラーみたいですね!」
「ぷっ……サバブラで例えるのが早見さんらしいですね」
「はぅ?! し、私生活にも影響が……ガックシ……」
空気の抜けた風船みたいに、くったりと女の子座りのまま後ろへ倒れてしまった。
体は柔らかいんだなと、そっちに関心が行きながらも残り時間を確認してみた。
「残り20分ぐらいですけど、早見さんはここまでですね」
「はぇ? あ……そうですね。無理して悪化したら積木君にも申し訳ありませんもんね」
「いえ。僕の事より早見さんの方が心配ですから、あまり動かさないで下さいね」
「……はみゅ……」
足をバタバタしながら両手で顔を覆い隠した早見さん。
急にどうしたんだろうか、手が少し痛んでしまったのかな。
大丈夫かどうか聞こうとした時、宮内のお婆さんがやってきて早見さんの手にすぐ気づいた。
「この子、怪我したのかい?」
「倒れた時ちょっとだけって感じですね」
「そうかい。時間は残ってるけど今回はもうやめときなさい」
「ですね。だそうですよ、早見さ……聞こえてませんね」
どうしてこんな風になったのか、急な事だったから止めようにも止められない。
宮内のお婆さんも軽く困惑気味だったけど、何かハッとして話し掛けてきた。
「そうだ洋坊や。このままサポートは終わっていいから、宇津音と一緒に少し頼まれごとに付き合ってくれるかい?」
「はい。何すればいいんですか?」
「今、宇津音にバトンタッチするから聞いておくれ。宇津音!」
「ハーイ!」
入れ替わりで駆け寄って来た宇津姉に、謎の頼まれごとに付き合うことを話させて貰った。
「そっか! 洋が手伝ってくれるんだ! 助かるよ! 準備の時間考えたら人手は多い方がいいもんね!」
「準備? この後って何かあるの?」
「あれ? 洋、知らないの? 家の庭で皆と焼肉するんだよ! 体験会の参加費込みだから食べなきゃ損損だからね! あ、早く準備しないとだから駆け足で行こうか!」
「わ!? ちょ?!」
問答無用で手を掴まれ道場をダッシュで去り、宇津姉の行くままに連れられる。
早見さんに何も言い残せなかったけど大丈夫だろうか。
台所でようやく立ち止まってくれ、息一つ乱れない宇津姉を見て、宮内のお婆さんの血筋だなと改めて知らしめられた。
「洋は野菜を食べやすい大きさに切っといて! お皿は棚のヤツを適当に使っていいから! あと、これエプロンね! 私が普段使ってるやつだけど我慢してね! じゃ、私はお肉と飲み物を運ぶから、あとはよろしくね!」
花柄とチェックの斬新エプロンを渡され、山盛りの野菜達を目の前に思わず固唾を飲んだ。
残り20分で数十人前の野菜を全て切れるかどうか思わず悩んでしまう。
けれど、すぐに頬を叩いて気合いを入れ直し、山盛りの野菜と向き合った。




