☆16話 人気女優の隠れたい理由、ツボ押しの姉御女子
※2022/1/8文末に渚景奈のイラストを追加しました!
※イラストが苦手な方はスルーで!
まさか今目の前にいる方が、怪演新人女優の凪景さんだったなんて、一体誰が予想できただろう。
僕自身、こうして初めて芸能人と会ったのだけど、凪景さんがここまで隠れたい理由を聞いても平気なんだろうか。
ダメもとで聞いてみて、もし拒絶されたら素直に引き下がって謝罪しよう。
「あの……どうして北高近くに?」
「ここらで夏ドラマの撮影してんのよ。その北高ってとこも、撮影現場になる筈よ」
「ほんとですか?! 凪景さんが北高に……」
「あほ面ね……それに、凪景は芸名よ。本名は渚景奈」
世間一般で本名公表していないのに、ここで軽々しくカミングアウトしてるよ、この人。
「い、いいんですか? 色々と一般人の僕に教えて?」
「君、そんな言いふらす感じしないし。そもそも、この芸名って好きじゃないから、渚って呼んで頂戴」
軽く不機嫌になった渚さんは、まっすぐ遠い目で頬杖をついた。
もしかして今こうして隠れてるのも、凪景であることに関連してるのかも。
僕なんかが聞いても相手にされなさそうだけど、話を聞くぐらいは出来る。
「……あ、あの……現場で何かあったんですか?」
「なんでそう思う訳」
「げ、芸名呼びされたくなさそうですし、あの高い塀を飛び越えてましたし……ここにいる理由もあるんで、なんとなくです」
「ふーん……まぁ、そうかもね」
決して視線を合わせず、小さな溜息をついた渚さんは、肩の力が少し抜けているようにも見えた。
「……君は、私が芸能界に入った理由を知ってるかしら」
「り、理由ですか? んー……知らないです」
「まぁ、そんなものよね」
気付いた時には渚さんが芸能界で活躍してたから、わざわざ理由を遡らなくても、僕はいいと思ってる。
でも、今の渚さんがこうなってるのは、芸能界に入ったのが原因なのかもしれない。
「その……知らないんで、どんな風に入ったか教えくれますか?」
「えぇ……私がアナタぐらいの時、1人でブラブラしてるところを事務所にスカウトされたのよ。軽い気持ちで入ってからはオーディションも運良く合格し続けたわ。色んな媒体での露出も増えて、その度注目されて今があるわ……怖いぐらいに、とんとん拍子よね」
「そうですね」
話を聞く限りだと、成功者の道をまっしぐらに進んで、人生謳歌してる感じだ。
「でも、それって私じゃなくて、凪景の人生なのよ」
そうか、そういうことなんだ。
渚さんはどんな時でも凪景を演じなければいけない、凪景が切っても切り離せない中で過ごしているんだ。
SNSやテレビで皆が見ているのは、当たり前だけど怪演新人女優の凪景だ。
そんな一般人の僕らの期待にずっと応え続けるのって、とても大変で重荷だ。
しかも一つ間違えれば、皆が敵に回ってしまうのが芸能界だろうから、余計に神経をすり減らしてる筈。
「何をしてもどこにいても、凪景が私に纏わりついて……もう凪景でいたくないのよ!」
声を張り上げる程、渚さんは凪景と離れたい、それが本心なんだ。
一度芸能界に入れば、引退してもどこかで指を刺されて芸名呼びをされ続ける、それは確かに苦しくて呪いみたいになってる。
どうにかプライベートとハッキリ区切りを付けたとしても、必ずどこかで凪景が姿を見せるのだから、拒絶したくなるのも無理はないと思う。
僕の今までの渚さんの認識は、当たり前だけど凪景という女優として見えていた。
こうして話を聞けた今は、渚さんには本当に悪いことしてしまったと、痛感している。
「ごめんなさい、感情的になり過ぎたわ……こんなこと、芸能界目指してる人が聞いたら、非難に罵詈雑言が殺到しそうね」
「そんなことないです」
「……何でかしら」
「良い所だけしか見ないで、中身までは知ろうとしない人が世の中の大半ですから。そのことを改めて渚さんが教えてくれました」
さっきまでの僕がそうだったんだ、ちゃんと反省しないといけない。
勝手な印象でその人を決めつけてしまう、それを多くの人が無自覚でやっている。
芸能人なら人一倍、そんな外面だけの印象付けの格差が激しくなっているんだ。
だから保身的になるのも無理はないんだ。
結局のところ自分は自分で守るしかない、そんな思いが渚さんや芸能人は強い筈だ。
「……君って変な人ね。私がこんな女だって、ガッカリはしてるでしょ? それに良い所は見つからなかったわよね」
「あります。沢山の人を笑顔にしてくれている事実には、変わりないと思ってます」
「笑顔……」
「演技も表情も渚さんにしか出せませんし、凪景の代わりもいません」
切り離せなくても、いくら否定しても、人を幸せにしてくれる事実は確かなんだ。
愛実さんも凪景の話をしてる時、とてもウキウキで楽しそうで、幸せな笑顔だったんだ。
僕の妹の空も、画面越しで凪景に憧れて、自分磨きをするようになって毎日が笑顔で楽しそうなんだ。
結局女優の凪景も、渚さんがいなくては成り立たない理想の人物に過ぎないんだ。
「はぁー……私が休憩時間に逃げ出したのが馬鹿馬鹿しいみたいじゃない……」
「す、すみません」
「何で謝るのよ。たく……現場に戻るわ」
ひょいっと身軽に降り、スカートを手で払う渚さん。
よくよく改めても数歳年上なのに、僕ら高校生と違和感ないぐらいに制服姿が馴染んでいる。
ツインテールのウィッグを被り直した渚さんは、僕に大きな目を向けながら距離を縮めてきた。
まじまじと見て思う、きめ細かな綺麗な肌に、それぞれバランスの取れている顔のパーツが、この渚さんであり凪景なのだと。
それにしても美しすぎて、逆に目が離せなくて、目に焼き付いてしまう。
「アンタの名前」
「……え?」
「一応感謝してんだから、名前ぐらい教えなさいよ」
渚さんが僕の名前を知りたがってるだと。
ただ隠れ場所まで連れてきて、率直な意見を伝えてただけなのに、こんな機会は滅多にないだろうし名前ぐらい別に大丈夫か。
「つ、積木洋です」
「つみきよう……積木洋……覚えたわ。いい、積木洋」
「は、はい」
「くれぐれも本名で私の事、呼ぶんじゃないわよ」
「肝に銘じておきます」
「そ……じゃあ、ありがと」
渚さんは来た道を戻り、後ろ姿のまま軽く手を振ってくれていた。
朝から濃密な時間を過ごしたけれども、時間を確認したら校門の閉まるギリギリの時間帯だった。
駆け足で北高へと向かい、校門の閉じる数分前までには着く事が出来た。
軽く息を整えながら二階まで上がり、1-Bクラスの教室の扉を静かに開くと、教室内は僕以外の生徒が全員揃い、ちょっと恥ずかしかった。
それはそうと、いつもなら自分の机に突っ伏している愛実さんが、今日は起きていた。
僕が来たのにもすぐ気付いて、わざわざ後ろ向きに座り直して、満面の笑顔見せてくれた。
「よ! おはようーさん! 積っち!」
「お、おはようございます、愛実さん」
「今日は随分と遅かったな? 寝坊か?」
「まぁ、ちょっと色々ありまして」
いくら愛実さんであっても、渚さんと出会ったことは口外できない。
ドラマ撮影のネタバレにでもなれば、瞬く間に校内中に広がってパニックになるかもしれない。
口を滑らせたのが僕だってバレるのも時間の問題だし、バレれば今後顰蹙を買って高校生活を送るだろうから、余計に言えない。
そんな僕の曖昧な態度が気に食わなかったのか、愛実さんは頬を膨らませて拗ね顔になった。
「むぅ……」
「洋、遅刻ギリギリなんてらしくないな。昨日は眠れなかったのか?」
「峰子さん。別にそうではないんですけど……」
「……その自覚がないだけかもしれない。洋、少し手を借りるからな」
峰子さんに手を取られ、僕より大きな手でツボ押しを始めた。
絶妙な押し加減に、じわじわと体が温まるのを実感できてる。
「ほぁ……じょ、上手ですね」
「よく両親にやってるんだ。今のは睡眠の質を高めるツボなんだ」
流石峰子さんだ、こんな僕にでも平等に接してくれる姉御肌に感服の一言だ。
ツボ押しを終えてからはツボの位置を丁寧に教えてくれ、アフターフォローも抜かりなかった。
「ありがとうございます、峰子さん」
「私がしたかっただけだから。ただ授業中に寝たらダメだからな」
「了解です」
惚れ惚れする性格に浸りながら、椅子の向きを直し、正面を向いた。
愛実さんが僕の机で突っ伏したまま、うずうずと視線を向けて、何か思い立った顔に。
「そうだ!」
「?」
「積っち積っち! 私、ストレッチなら一緒に出来るぞ!」
「いいですねストレッチ。でも予鈴鳴ったので、またの機会で」
「そ、そうだな。くぅ……」
キュッと目を閉じて、なんだか悔しそうなまま正面を向いて戻った愛実さん。
ストレッチは運動に効果的だし、眠る前にしてもいいって聞くから是非とも教えて貰いたいな。
朝から色んな事があるなと、ツボ押し効果も相まって眠くなってきた束の間。
重く突き刺さる視線が、右斜め上の席から感じ、恐る恐る確認した。
「ひぃ?!」
思わず声を上げてしまったのも無理はない。
だって来亥さんが凄まじい眼力で僕を見ながら、シャーペンを握り潰そうとしていたんだ。
間違いなく僕に向けられてるし、この握っているシャーペンはお前だ、と無言で訴えているようにも見える。
何もしていないのに、どうして睨まれるのかが分からない。
理由が分からないままモヤモヤ状態でホームルームが始まり、授業中もモヤモヤが消える事は無かった。




