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タマネギ男  作者: gojo
第八章  昇天、タマネギ男
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昇天(4)


 橋のような板の幅は一メートル強。郁夫が先頭になって屋外へ向けて歩き始める。眼下の炎が勢いを増しているので、早く渡らなければ燻製になってしまう。明らかに順番を間違えた。板を渡ってから火を点ければ良かったのだ。急がなければ、と馬鹿は思う。


 かといって足を滑らせれば大惨事。急ぎながらも慎重に歩む。

 すると、三分の一ほど進んだ辺りで、動く影が見えた。板の端、目的とする屋外へと通ずる地点で、それは、すくと立ち上がった。


「待ちくたびれたぞ。タマネギ男」


「どうしてここにいるんだ……神崎……」


 影の正体、神崎は、下卑た笑みを浮かべた。


「外には建築用の重機がある。それらを使えば、ここまで来るのは造作もない」


「そうじゃない! いや、それも気になったけど、そうじゃなくて、どうして俺達がここから脱出するって分かったんだ」


 尋ねると、神崎は誇らしげに両腕を広げた。


「時折、声がするんだ。頭の奥のほう、深い闇の中から声が。その声が、お前が何をしようとしているのかを教えてくれたよ」


 おそらく根岸の声だ。根岸は夢に現れなくなったものの、未だ精神が繋がっていて、タマネギ男の考えを読み取ることが出来るのだろう。タマネギーホールへの侵入作戦がバレたのも、そのせいに違いない。


 神崎が銃を構える。それは完璧な射撃スタイル。本気で撃つ気だ。


「今更俺達を殺したって意味がないだろ。呪いのタマネギは全て燃えたんだ」


「呪いのタマネギならまだ一つあるじゃないか、私の目の前に。言っただろ。私はお前を殺しはしない。私はお前が必要だ。お前のことを、まるごと生きたまま喰らえば、私はタマネギ男になれる。食べやすいサイズになるまでお前を育ててやろう。ただしもちろん自ら死を選ぶことさえ出来ない状態でな」


 背後で美佳が呟く。


「狂ってる……」


 その言葉が耳に届いたのか、神崎は顔を歪ませて声を強めた。


「狂ってるだあ? なぜタマネギの力の凄さを理解しようとしない! タマネギは素晴らしい! タマネギはヤバイ! 私はタマネギになりたい。頭を尖らせたい。身体を丸くしたい。催涙ガスを放ちたい。立派なタマネギになりたい! 私こそタマネギ男になるべきだ。力が欲しいなあ! 力が、欲しいなあぁぁぁぁぁ!」


 元々の神崎が持っていた、破壊的な人格と、タマネギガスを崇める考え、その二つとタマネギ達の思考がシンクロでもしたのだろうか、洗脳は急速に進行していた。もはや神崎は、ただのタマネギ達の傀儡。話は通じないだろう。説得などもってのほかだ。

 だからといって実力行使での現状打開も難しい。ここは細い板の上。左右に避けられず直進することしか出来ないのでは、当て放題の射撃の的になるだけだ。


 どうすれば良い。早く何かを決断しなければ炎に巻かれる危険性だってある。


 考えを巡らせていると、頭上から光が降ってきた。サーチライトだ。それは消防ヘリによるものだった。思うにこちらの姿は捕捉されただろう。炎にあぶられるよりも先に、救助隊員達が撃たれるという可能性も出てきた。ますます時間がない。


 それは、神崎にとっても同じだったようだ。彼は数歩前に進み出て口を開いた。


「邪魔が入りそうだな。出来れば無駄な騒ぎを起こしたくないので、幕引きとしようじゃないか。身動きを取れなくしてやる。それとも、自分の足で私についてくるか?」


 美佳に視線が注がれる。

 郁夫は、目を閉じて、深呼吸をした。


「分かった。俺のことを食いたいのなら、食わせてやるよ」


「先生!」


 神崎が銃を下ろし、ほくそ笑む。


「観念したか。では私についてこい。外に高所作業車のカゴを用意してある」


「いや、ここで食わせてやるよ」


 郁夫はそう言うと、左腕の袖をたくし上げ、皮膚の捲れている部分に指を差し込んで一気に肉を剥いだ。まだ剥けるには早かったらしく、沁みるような痛みが走る。しかしそんなことは気にせず、体液の滴る肉を速やかに丸めて神崎に投げつける。

 神崎はそれを手で防いだ。ただし、柔らかな肉塊から多量のエキスが弾け飛び、彼は服を濡らした。そして、苛立たしげな表情をした。


「この程度の肉片では、タマネギ男にはなれないんだよ!」


「浴びたな?」


「ああ?」


「俺の高濃度タマネギエキスを浴びたな?」


「お前は馬鹿か? 私にはタマネギの毒は効かな……」


 そこで神崎は言葉を詰まらせ、わなわなと身体を震わせた。

 郁夫はポケットから取り出した物を握り締め、そんな彼を睨み付けた。


「頭の中の声が教えてくれたみたいだな。そうだよ。タマネギの催涙成分、硫黄化合物硫化アリルは、可燃性だ!」


 郁夫は叫びながら火の点いたオイルライターを投げた。

 神崎は既に銃を構えていた。だが引き金を搾るより早く、その身体は炎に包まれた。


「グギャァァァァァ!」


 奇声を発し、神崎が炎を振り払おうと暴れる。しかし、猛炎は消えることなく広がり続け、やがて板の上をも燃やしだした。


「美佳ちゃん、退がって」


「う、うん」


 板の横断は無理と判断し、二人は足場のある場所まで戻ることにした。ホール内は既に炎に占拠されているため降りることは不可能。ただし、頭上でヘリコプターがホバリング体勢に入ろうとしているので、間もなく梯子が降ろされて救助されることだろう。


 足早に美佳の後を追い、壁際に向かう。

 その時、声が聞こえ、郁夫は足を止めて振り返った。


『お、おのれぇぇぇ……』


 巻き上がる炎の中、神崎が、いや、タマネギの権化が、銃口をこちらに向けて立っていた。その身体は焼け焦げ、いまにも倒れようとしている。最期の悪あがきだ。

 郁夫は両腕を広げて立ちはだかった。

 銃声が鳴り響く。神崎の身体が発射の際の反動を受け止め切れず、グルグルと回転しながら落ちていく。眼下の炎はその身体を、同朋を抱くように、優しく絡め取った。


 これで本当に終わりた。そう思う郁夫の背後から、ドサリッと、不穏な音がする。

 恐る恐る音のしたほうを向くと、そこには膝をつく美佳の姿があった。神崎の最期に放った一発が美佳に被弾したようだ。


「嘘だろ。美佳ちゃん! 頼むよ、死なないでくれ!」


 ところが、美佳は何事もなかったかのように顔を上げた。


「わたしのことを勝手に殺さないでよ」


「美佳ちゃぁぁぁん、大丈夫だったんだな?」


「ギリギリね……弾がマスクをかすめて少し脳震盪を起こしただけで済んだよ。ただ、これはもう役に立たなくなったけど」


 そう言うと美佳は、ガスマスクを外して、それを炎の中に投げ捨てた。


「ガスマスク系美少女は卒業だな。とにかく、無事で良かったよ」


 軽口を叩きながら板の中央まで後ずさる。


「先生、救助が来るよ。そこは炎があってヘリが近付けないから、こっちに来て」


「無茶言うなよ。そんなことしたら、美佳ちゃんがタマネギガスでぶっ倒れちまう」


「我慢するよ。だから……」


 郁夫は、救助のヘリを見た時から決断していた。


「どのみち俺の身体から出るガスを救助の人が浴びたら大変なことになる。それこそヘリのパイロットが気を失ったら墜落だ。だから美佳ちゃん、ここでお別れだ」


「先生……その冗談、笑えないよ」


 催涙成分が美佳のもとまで届いているのか、彼女はポロポロと涙を落とした。


「美佳ちゃん、呪いのタマネギ達は燃えた。でも神崎さんが言ってただろ、まだ一つ残ってるんだ。こんな力、世の中にあったらいけない。こんな物があったら常識が壊れる。知らないかもしれないけど、タマネギは、人を攻撃する物じゃないんだ。タマネギは、食べる物なんだよ」


「先生、わたしとの約束は? わたしとの約束はどうするの」


「約束? ああ、そういえば美佳ちゃんのことを守るって約束したな。悪い。これが俺の精一杯だ。美佳ちゃんは有能だし、俺がいなくても平気だろ。受験、頑張れよ」


「そっちじゃない! 先生の服も靴も、わたしが買ったものでしょ! まだお金を返してもらってない!」


 そっちかよ、というツッコミを飲み込んで、郁夫は黙ったまま眼下の炎を見つめた。

 呪いのタマネギは燃やす。そうだ。そういう作戦だったじゃないか。


「ちょっと、先生! 無視しないでよ! 誤魔化してるつもり? 先生は馬鹿なんだからさ、勝手に物事を決めないでよ! ちょっと待って。本当に待って」


 美佳はますます涙を零していた。

 郁夫はなおも言葉を発さないまま、背筋を伸ばし、息を深く吸い込んだ。


「先生、待ってよ。いかないで……待てよ! 長沢郁夫ぉ!」


 横目で視線を送り、落ち着いた声色で告げる。


「じゃあな美佳ちゃん。なんだかんだ二人の逃避行、楽しかったよ」


 そして郁夫は、炎に向けて、飛び降りた。


「先生ぇぇぇぇぇぇ……」


 美佳の叫び声が聞こえる。


 それは次第に遠退いていき、やがて、全ての音が、聞こえなくなった。


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