決戦(2)
こちらを見上げる繁幸の周りには神崎の部下もいた。これではロープでの脱出は不可能。ハイスペックな美佳であっても代案をすぐに考えることは出来ないらしく、悔しそうな顔をしている。
そこで郁夫は、優しく声を掛けた。
「美佳ちゃん、ここは先生に任せろ。だから、ガスマスクを着けて」
そして防護服を脱ぎ始める。美佳は慌ててマスクを装着した。
「先生。敵は漏れなく防護服を着てるんだよ? そんなことしても意味ないよ」
「実は美佳ちゃんにはずっと黙っていたんだけど……」
「なに?」
「防護服を着ていると……とても、動き辛いんだ」
「はい?」
防護服を脱ぎ終えた郁夫は、屈伸運動をしながら美佳に告げた。
「いいか? 敵は動き辛い上に視界も悪い。それに対して、俺は身軽な上に銃の攻撃も効かないんだ。このアドバンテージは圧倒的に有効だ。ガスマスクを外すだけで良いんだから、接近戦になれば俺は必ず、勝つ!」
「わざわざ勿体ぶってから披露した戦略が物理攻撃?」
「八方塞がりなんだから仕方ないだろ。幸い敵は分散してる。やるならいまだ。美佳ちゃんは俺のすぐ後ろを走ってくれ。行くぞ!」
「ちょっと待ってよ」
部屋を飛び出し、右折して走り始める。その時、正面の階段から二人の敵が上がってくるのが見えた。郁夫は更に加速し、頭から、敵に向かって突撃した。
「くらえ! 必殺クラッシュオニオン!」
尖った頭頂部が一人の胸に刺さり、敵達は二人揃って尻もちをついて倒れた。すかさず美佳がガスマスクを奪い取る。
「グハァァァ」
「ゴベェェェ」
まずは二体撃墜。
「どやっ!」
「先生、クラッシュオニオンだと、オニオンのほうがクラッシュしちゃってない?」
「細かいことは良いんだよ。この調子で倒していこう」
そんなやり取りをしていると、反対側の階段からも敵がやってきた。
郁夫はすぐさま再び走り出そうとした。ところが、美佳が倒れた敵のことを見下ろしたまま固まっている。何かあったのかと少し気に掛かる。だが、のんびりしていては敵がこのフロアに集合してしまう。
「美佳ちゃん、クラッシュオニオンの二発目いくぜ」
郁夫はそう言い、美佳を置きざりにして駆け出した。
すると敵が柄の長い武器を構え、引き金を絞った。重たい銃声が轟く。放たれた弾丸はすぐ横の壁面に当たり、コンクリートを深く抉った。
「先生! 逃げて!」
その叫びを聞いて、危機を察した郁夫は咄嗟に踵を返した。
美佳と合流し、共に走りながら会話をする。
「美佳ちゃん、あの銃、強力じゃない?」
「あの人達が持ってたのは特殊作戦用二十三ミリカービン」
「なにそれ?」
「詳しい説明は省くけど、ようは散弾銃。弾はたぶんスラッグ弾」
「当たったら?」
「本当にクラッシュオニオンになっちゃうよ」
郁夫は唾を飲み込み、急いで階段を下った。しかし、階下から足音が聞こえてきた。
このままでは別の敵とぶつかる。かといって三階に戻るわけにもいかない。二人は、その場しのぎであることは承知しながらも、致し方なく屋上へと逃げた。
鉄の扉を開けると、そこは、柵も何もない、ただのひらけたスペースだった。
迎え撃つ準備も出来ないまま、敵が一人、また一人とやって来る。やがて、郁夫と美佳は、取り囲まれてしまった。幾つもの銃口がこちらを向く。
「美佳ちゃん、ひょっとして詰んだ?」
「ひょっとしなくても詰んでるよ」
勝負はついたに等しい。だが、敵達はどのようにして捕縛すれば良いのかを考えあぐねているようで、銃を構えたまま一定の距離を保って静止している。
そうしてしばらくすると、扉から、黒い防護服を着た人物が、マントをはためかせながら現れた。
「手間を掛けさせてくれたな、タマネギ男よ」
その声を聞いて確信する。やはり黒服は神崎だった。
郁夫は、引きつった笑顔を見せ、軽口を叩いた。
「上司自ら実務に携わるなんて働き者ですね」
「仕上げは自分の手で行ないたい性分なのだよ」
神崎は手で部下に指示を出した。白い防護服姿の敵達が、銃を下ろす。
「素直に投降しろ。そうすれば穏便に済ませてやる。両手を上げ、ゆっくりとこちらに後ろ向きで歩いてこい。まずはタマネギ男、お前からだ」
詭弁だ。大目に見る気なんてあるはずがない。特に美佳に関しては武器商人達にとって必要のない存在だ、この場で即射殺ということもあり得る。
郁夫は不安そうな目をしている美佳の手を引き、自らの背後にかくまった。
「投降なんかしねえよ……」
「では仕方がないな」
そう言うと、神崎は銃を構えた。
「俺は貴重な研究材料だろ? 撃てるのか?」
「安心しろ。射撃には自信がある。手足を吹き飛ばすだけだ」
声色で分かる。あいつは本気だ。
美佳もそれを察したのか、弱々しい声を発した。
「先生、もういいよ。命令に従おう」
郁夫は、目を閉じて首を横に振った。
「俺は絶対に諦めねえよ」
呟いた時、頭の中に声が響いた。
――タマネギに不可能はない。
同時に、タマネギの知識が脳内を駆け巡る。
「俺に、不可能はない」
そう言って郁夫は、懐から鉄串を抜き、それを強く握り締めた。
「惨めだなタマネギ男。そんな武器が最後の頼みの綱か」
その嫌味を聞き流して身構える。
神崎が引き金に指を掛ける。
そのタイミングで郁夫は腕を振って鉄串を投げた。
「痛っ」
鉄串が左腕に刺さり、神崎は体勢を崩した。しかし、銃を取り落とすまでには至らなかった。彼は冷静に串を抜き去ると、再び射撃の構えを取って銃口をこちらに向けた。
「くだらない悪あがきだ。こんなもの痛くも痒くもない」
「痛がってたじゃねえかよ」
「黙れ!」
今度こそ撃たれてしまう。郁夫は慌てて両手を振った。
「ちょっ、ちょっとタンマ! 大事な話がある!」
「なんだ?」
軽く咳払いをし、落ち着いた口調で話を始める。
「神崎さんは知らないと思うけど、タマネギには抗血栓作用により血の巡りを良くする働きがあるんだ。反面、摂取し過ぎると赤血球が破壊されて貧血を引き起こす」
「それがどうした」
「さっき投げた鉄串、あれには俺の高濃度タマネギエキスを染み込ませておいた」
「なんだと……」
郁夫は見下すように顎を上げ、人差し指を突き出した。
「お前の血は、もう、サラサラだ」
言い放った瞬間、神崎は、手を付くこともなく、うつ伏せに倒れた。
勝利だ。だが酔いしれる暇はない。司令塔を失った部下達が、あからさまに動揺している。その隙を突いて郁夫は美佳に小声で話し掛けた。
「俺の身体は丈夫だ」
「知ってるよ。わたしの盾にでもなってくれるの?」
「いや。俺に抱き付いてくれ」
「え?」
戸惑っている美佳を強引に抱き抱え、フロアの端まで一気に走る。
そして、郁夫は、屋上から飛び降りた。




