救出(2)
郁夫は思った。今度こそ、実験動物として一生を終えるのか。
強面の男達に連行され、郁夫は、ガラス張りの部屋に閉じ込められていた。正確な場所は分からないが、どうやら、どこかの研究施設のようだ。昨日まで閉じ込められていた部屋と同様、質素なベッドとトイレが設置されている。ただし、パーテーションなどの類は一切なく、プライバシー保護のレベルは前回よりも格段に低い。
憂鬱な気持ちでいると、防護服を着た二名の研究員らしき人物が部屋に入ってきた。
「タマネギ君、防護服を脱ぐんだ」
その声を聞いて思い出す。
「あ、あなたは、えっと、昨日の、えっと、ほら」
「鈴木だ。そして、隣にいるのは田中だ」
「ですです。思い出しました」
人差し指を振りながらそう言うと、鈴木は明るい声色で話しだした。
「昨日はガスマスクを外してくれて、ありがとう。お陰で体重が何キロも減り、今朝まで点滴を打ち続けていたんだ」
「そ、そうなんですね、無事で良かったです……」
鈴木は、声こそ明るいものの、怒っているようだ。
「タマネギ君には泣かされたので、今度はタマネギ君に泣いてもらうよ」
郁夫は愛想笑いを浮かべた。
「感動するドラマでも見せてもらえるんですか、ね」
もちろんそんなわけはない。鈴木と田中がいるということは、やはり研究が再開されるのだろう。しかも、泣きたくなるような研究、それこそ『非人道的な実験』が行なわれる可能性が高い。そして、それを指揮するのは。
「ところで鈴木さん、オヤジは?」
「長沢教授も間もなくいらっしゃる。それまでに準備を終えておきたいので、まずは早く防護服を脱いでくれ」
鈴木も田中も恐れるに足らない。しかし、部屋の外、ガラスの向こう側に、郁夫のことを拉致した強面の男達が控えている。郁夫は抵抗しても仕様がないと考え、嫌々ながらも防護服を脱ぎ、それを鈴木達に渡した。
「ここで研究を行なうんですか? っていうか、ここどこですか?」
「ここは多摩里大学の研究棟だ。今後しばらくは研究の中心地がここになる。古代タマネギの解析は各機関の枠を越えたプロジェクトなのでね」
多摩里大学。その単語を聞いて思う。図らずも目的地に連れてきてもらった。偶然か。もしくは、こちらの思惑が知られていたのか。
その疑問に答えるように、ガラスの向こう側から声がした。
「君達は、この多摩里大学に来たかったのだろう?」
見ると、そこには黒ずくめの服装をした男が、腕を組んで立っていた。
「いきなり会話に割り込んできたあなたは、一体どなたですか?」
丁寧かつ嫌味っぽく尋ねる。男は鼻で笑う仕草をして問いに答えた。
「私は神崎という者だ。プロジェクトのスポンサーとでも言っておこうか」
漂う雰囲気から、堅気の人間ではないということが分かる。郁夫は、更に質問をした。
「つまりタマネギの力を悪用したい張本人ですね?」
神崎が目を細める。
「機転が利くだけのことはあるな。さすがだ。察しが良い。私はタマネギの力を欲している。ただし、悪用という言い方は語弊があるな。タマネギガスは偉大だ」
「こんなの化学兵器にしかならないですよね」
「ただの化学兵器ではない。タマネギガスは極めて即効性が高く、敵を一瞬で鎮圧することが出来る。その上、環境中ですぐに分解されるため、使用後の処理が簡単だ。世界中のあらゆる組織が、有効活用してくれることだろう」
その話から、神崎の目的がおぼろげに読み取れた。
「なんだ、俺はてっきり、あなたは世界征服を目論む悪の首領かと思っていました。でも実際には姑息な武器商人だったんですね」
「嫌味を言う元気があるのは良いことだ。君の想像通り、私はビジネス的な観点でタマネギガスを求めている。タマネギガスは製造コストが掛からない。なにせ古代タマネギ、あるいは、タマネギ男の存在さえあれば、無尽蔵に生成できるのだからな」
「残念でしたね。タマネギの奥義は一子相伝みたいですよ」
「そう、そこが問題だ。だからこそ研究をしてもらっている。しかしながら、未だ不明な点が多い。先代のタマネギ男も、何も残さずタマネギそのものになってしまった」
先代、つまり根岸のことだろう。神崎は根岸のことを知っている。そして、この場所で待ち受けていたということは、根岸メモのことも把握しているのかもしれない。
「神崎さん、本当に先代のタマネギ男は、何も残さなかったんですか?」
そう尋ねると、神崎は嘲るように笑った。
「下手なカマかけだな。君が知りたいのは根岸メモのことだろ? 断っておくが、あんなもの、なんの役にも立たないぞ。どういうわけか長沢教授は急に興味を示して、まさにいまも内容を調べているようだがな」
「オヤジが?」
「詳しいことは、本人に確認してみると良いだろう」
神崎はそう言うと、強面の男達のことを見た。そのうちの一人が奥の扉を開ける。
「もうすぐ長沢教授もここに来るはずだ。それまで、くつろいでいたまえ」
第一実験室と書かれた扉から、黒服の男が出てくる。一瞬だけではあるが、開いた扉の向こうに頭の尖った人の姿も見えた。
間違いない、郁夫は、その部屋の中で監禁されている。
美佳は、研究所の中に侵入していた。管理が杜撰なのか、余裕をアピールしているのか知らないが、施設の入口には鍵が掛かっていなかったのだ。警備員の姿も見えず、いるのは、黒服の男と、その部下と思われる一団だけだ。
彼らの乗っていた車は横浜ナンバーだった。警察が所轄の外で活動することは基本ないので、道ですれ違った時から非合法組織とは思っていたが、間近で見てみると、想像以上に物々しい雰囲気をしている。ヤクザ、あるいはマフィア、そんなところだろう。テロリストという呼び名は、可愛らしい女子高生よりも彼らのほうが似つかわしい。
郁夫を放って一人で逃げることも出来た。しかし彼らにしてみれば、タマネギ男の存在を知られていることは望ましくないはずだ。どういった経緯で郁夫だけが捕縛されたのかは分からないが、いずれ自分もなんらかの形で口止めをされるだろう。最悪は殺害、良くても脅迫。どちらにしても明るい未来とは言い難い。ならば、選択肢は一択だ。
「さて、どうやって助けようかな……」
黒服の男は強面達に指示を出し、一人で他の部屋へ行ってしまった。部下にのみ監視を任せ、休みにでも行ったのだろう。彼を黒幕と断定して良さそうだ。黒服を除けば、あとはいかにも武闘派といった男達ばかり。ざっと見積もって、その人数は十人強。正面から戦いを挑むわけにはいかない。そうなると、必然的に隙を突いて逃げるしか方法がなくなる。いや違う。隙は、突くのではなく、作るのだ。
美佳は廊下の隅で、こめかみをいじりながら天井を見上げた。
「あれ? あれは開放型かな?」
一つの考えが閃き、屋外へと向かう。ここに来た時、周辺の施設は確認済みだ。
そうして美佳は、一つの小屋に辿り着くと、足を止めた。
小屋には鍵が掛かっている。ドアノブの中央にシンプルな鍵穴のあるタイプだ。ピッキングの技術さえあれば簡単に解錠できるのだろうが、あいにく、そんな技術も道具も持ち合わせていない。そこで美佳は、辺りを見渡し、近くにある花壇から大きな石を持ってきた。それを高く掲げ、一気に振り落とす。するとドアノブは根元から折れた。十徳ナイフを取り出し、露わになった内部を操作して扉を開く。
小屋の中の設備を見て、美佳は微笑みながら呟いた。
「思った通りだ」
郁夫が現在いる建物は、当たり前だが、監禁を目的に作られたものではないだろう。おそらく、元々は可燃性の薬品を扱っている施設だ。その為、他とは少し違う消火設備が備わっている。通常の建物では閉鎖型と呼ばれるスプリンクラーが設置されており、火災が発生してスプリンクラーヘッドの蓋が溶けることで、水が撒かれるという仕組みになっている。ところが、郁夫のいる建物では開放型のスプリンクラーヘッドが使われていた。これは、危険物を扱う工場など延焼速度の速い対象物に対して用いられるもので、火災を検知すると、広範囲に亘って一斉に放水を開始するのだ。
複雑な配管を目の前にし、学校で避難訓練が行われた時のことを思い出す。あの時、消防士が来校し、消火設備について詳しく説明をしてくれた。確か、放水用のポンプは中に空気が入ると正常に作動しないため、呼水槽という補給用タンクから、常に水が送り込まれるようになっている。
美佳はまず、その呼水槽の水抜きバルブを捻り、中身を空にした。次に、ポンプの点検用バルブを捻って中の水を少しだけ減らす。
そこまで作業が完了すると、美佳はリュックから一本のペットボトルを取り出した。ホテルで郁夫に渡された高濃度タマネギエキスだ。そのエキスを、呼水槽とポンプを繋ぐ管に流し込む。準備は完了。あとは警報器を作動させれば良いだけだ。
懐からオイルライターを取り出し、火が点くことを確認。オーケー、問題はない。これでセンサーを炙れば、スプリンクラーが起動する。
研究所に向かって歩きながらガスマスクを装着し、美佳は、独り言を口にした。
「わたしを捕まえなかったのは、失敗だったかもね」