8話 ペアの町の一人少女_5
俺は、風呂場に到着した。目的はもちろん、風呂に入るためだ。風呂は、孤高だ。孤高の絶対領域の1人空間である。……意味がわからない。が、とにかく。1人風呂ほど、1人でいることに幸せを感じる瞬間はない。
風呂場には、ふたのされている風呂、それにシャワー、タオルが設置されている。また、洗面器、あとは石鹸と、シャンプーやらなんやらなどの液体石鹸薬品が、一箇所にまとめて置いてある。壁や床や天井は、白をメインにした明るい色で彩られていて、落ち着かない。……俺は、体の一部ともいえる銃を、足元に置き、風呂のふたを開ける。……空だ!ところどころ濡れている風呂場に対して、風呂の中は乾ききっていて、お湯を入れた気配がない。……どうやら、今日の宿主の気分は、シャワーの日だったようだ。口惜しい。今から、お湯がたまるのを待つ気にもなれないので、俺は、シャワーからお湯を出す。温かいお湯が、俺の体を流れていく。だが、風呂の熱いお湯を、ざばーっとするつもりだった俺には、このシャワーのお湯は物足りなく感じられた。……こんなんじゃ、今日の俺は、孤高にはなりきれないな。俺が、どことなく物足りないような虚しさを感じていると、突如、俺の後ろにある風呂場のドアが開かれる。
「……イさーん、お邪魔しますね」
「な……!アメーのあぁっ!」
背後から聞こえた声は、アメーナのものだった。反射的に立ち上がり、振り返ろうとする俺。だが、足元に落ちていた銃を踏んでしまい、そのまま盛大に滑って、額と両手から、正面やや横あたりの壁に突っ込んでしまう。つるつるーっと、壁からずり落ち、地面にうつぶせ状態になる俺。当然ながら、1人風呂だったので、タオルを腰に巻いたりなどしてはいない。アメーナからは、俺のケツも背中も丸見えだろう。……か、格好悪い……!俺の足の向いているほうから、アメーナがなにかを言っている。
「だ、大丈夫ですか、シブイさん?なんかもう、孤高さとかクールさとか、粉微塵って感じの状態になってますけど」
「た、……頼むから、出てって……くれ。30秒ほどあれば、いつも通り、クールになるから……」
「シブイさん……。安心してください。私、シブイさんの醜態なんて、一切見ていませんから。誰にも言いませんよ。……では、30秒後に出直してきますね」
アメーナは、優しいような、哀れむような、どちらかわからないような感じの声と言葉で、俺を慰める。そして、すぐにドアを開く音が聞こえる。どうやら出て行ったようだ。……でも、30秒後に来るといっていたな。やはり、アメーナが、ダントツで頭おかしいと思う。明らかに、俺がいることをわかった上で、風呂に入ってきていたし。なぜ俺と一緒に風呂に入りたがるのだ?……いや、よく考えたら、俺はアメーナの姿を見ていない。俺は、正直、アメーナが一緒に風呂に入るためにやってきた、と思い込んでいた。だが、普通に用事かなにかがあってやってきたんじゃあないのか?というか、そっちのほうがごく自然だ。……恐らく俺は、さっき頭を、というか額をぶつけたときに、どこか思考がおかしくなっていたのだろう。とても冷静ではない。……しかし今の俺はどうだ?思考が非情にクリアーだ。何も考えていないかのような、ごく自然な発想ができている。これならば、一々アメーナがやってきた程度では、精神的動揺などするはずもないだろう。……俺が、立ち直ると同時に、風呂場のドアが開かれる。俺は、ひざを着いたまま、慌てて体を隠すためのタオルを取ろうとする。
「再入場しましたよ、シブイさん」
アメーナの声が、俺の背後やや上あたりから聞こえる。アメーナが、再び風呂場に現れ、俺のペア範囲にまで入ってきたようだ。タオルを取った俺は、体をひねって、アメーナを見上げる。
「あ、ああ。…………んっふ……!」
すると、なんということだろう。見上げた先には、全裸のアメーナが、特になにかを隠すでもなく、堂々とそこに立っていたのだ……っ!い、いや、実際はだな、首にバスタオルを巻きつけて、マントのようにしてはいるのだが。背中は多分隠れてはいるのだが。もう、そんな考えは一瞬で吹き飛ぶほど、全裸のアメーナは、俺のツボに入った。俺は、堂々としている全裸アメーナを前に、思わず、吹き出してしまう。
「くっぷ……ぐぉぁはははははははっ!てぇやははははははははははっ!」
「って、シブイさん。人の体見て笑うなんて、失礼じゃないです?」
「はははだっ……!ちっ、ちが…っはぁ!げっほ、んごっほ!お、お前くくふっ、お前、体を笑ってんじゃうげほっ!はぁ……はぁ……!」
俺は、腹を押さえ、顔を伏せて、なんとか呼吸を整える。そしてアメーナのほうを向いて、顔は伏せたまま座る。はあぁーっ、笑い死ぬかと思った……!人間、なんの説明もなしに、未知の体験をすると、笑ってしまうようだ。冷静になったからこそ思うのだが、アメーナのやつ、すでに正気ではないんじゃないか。……なんていうか、同じ世界の住人じゃないというか、こいつと居ると、別世界にでもいるんじゃないかと、錯覚してしまいそうになる。こいつ、本の世界かなにかの住人じゃないだろうか?ジョークとか比喩ではなくて、本当にそう感じさせる、神秘?そんなぶっとんだ気配を、このアメーナから感じるのだ。俺が、アメーナに見惚れていたためか、アメーナは左腕にマントとなったバスタオルをかぶせて言う。
「あのー。裸のお付き合いって、そんなにじっと見たりするのは違うと思いますよ?」
「ふぃー……。アメーナは、なんだ。お前は。一体どんなときに照れたりするんだ……?」
「あ、シブイさん。今、私の名前、呼びましたね。ふふ、ついにシブイさんにも仲間意識が……!」
アメーナは、バスタオルで口元を覆いながらも、にこにこと笑っている。たまに、アメーナが全裸だということに意識が行くが、なんかもう、ただの裸体でしかない。……そりゃそうか。アメーナのやばいところは、こいつが裸でいることではなく、裸になるこいつの思考なのだ。アメーナの行動原理の前では、胸や股なんかよりも、どうしても幻想的な、妖精かなにかと別世界に居るような、そんな気分が勝ってしまうのだ……!アメーナは、俺の考えを他所に話を続ける。
「あ、私が照れるときでしたっけ?……そうですねー、裸を見たとき、とかでしょうか」
「……目の前に、裸の男がいるが」
「あ、いえ。人の体はそんなに。ほら、人間って、異性でもほとんど同じような形状してますし。みんな自分みたいな感じだから、あまり恥ずかしくないんですよね」
「ん、んんん。……難しいな」
「あとは、人が脱がされてるのを見ると、ちょっと、恥ずかしいですね」
「……映画とか漫画とか?」
「そうです。あと漫画に出てくる裸って、人らしくないから凝視できないです。……あ、ちょっと寒くなってきたので、お湯出しますね」
アメーナが、俺の横に手を伸ばし、蛇口をひねってシャワーのお湯を出す。アメーナは、小気味よく揺れたり動いたりしながら、シャワーから放たれるお湯を浴び続ける。はじかれた水しぶきが、アメーナの足元に座る俺まで飛んできている。……アメーナを見てたら、なんか風呂に入りたくなってきた。俺は、蛇口をひねり、水道口から空風呂へおお湯をためていく。その間、アメーナは、シャワーを俺に浴びせたり、体を洗ったり、泡遊びをしたりと忙しそうだ。俺は、壁に背をつけたまま、アメーナの持つ神秘性について、ずっと考えているのだった。