リバース
「‥‥父さんは、腕のいい漁師だったけれど、ある日海に出て行ったきり、戻らなかった。それからは、母さんが、仕立て物をしながら、年の離れた姉さんと私を育ててくれたんだ」
──ふるさとを持たないクエストは、どんな気持ちで聞くのだろう。けれども、今は、無性に話したい。
圧倒的な自然の姿を目の当たりにすると、人は、小さな秘密を、心のうちに抱え込んでなどいられなくなるのかもしれない、
「手先の器用な姉さんは、母さんのそばで、みるみる腕を上げたよ。私も、見よう見まねでやってはみたんだけど‥‥」
「──人には、向き不向きがあるからね」
「──やっぱり、そう来る?」
「‥‥私が十になる前に、母さんも逝ってしまった‥‥。それからは、姉さんが母さん代わりになってくれたんだ。得意の縫い物の腕に磨きをかけてね‥‥」
クエストは、頷きながら聞いていてくれた。
「‥‥その大好きな姉さんが、ある時、男に手ひどくフラれたんだ。一晩泣き明かしたけれど、その男の名前は絶対に明かさなかった。それからは、ただ黙々と針を動かし続けた‥‥。私はまだ小さくて、人を好きになるっていうことはよく分からなかったけれど、とにかく、悔しくて、悔しくて‥‥」
「──それで、やっぱり、男嫌いになっちゃったってわけか」
「だから、それは‥‥」
「大丈夫、大丈夫!」
クエストは、わざとおどけた振りをして、ゆっくりと立ち上がった。
「人を好きになるってどういうことなのか、本当は、誰も知らないんじゃないのかな。‥‥その時が来るまでは、誰にも分からない。‥‥でも、いくら抑えようと思っても、あとからあとから沸き上がって来る──そういうものなんじゃないだろうか‥‥」
「‥‥‥‥‥‥」
「ごめん! 年下の分際で‥‥」
「‥‥歳の話は、なしでしょ」
それから、クエストは、珍しく強い声で言った。
「優しい人間は‥‥必ず分かるよ」
うかつなことに、スカイフォールに見とれている間に、私達は、重大な事実を見逃していた。
トコハルの国へ至る道は、巨大な滝の真裏を通るルートしか存在していないのだった。
愛についての考察に、少々時間をかけ過ぎたかもしれない!
私達は、一本のロープで繋がったまま、崖の縁に手を当てながら、そろそろと進む。
真ん中あたりで、どちらからともなく立ち止まって、息をのんだ。
滝の真裏は、明と暗が反転した世界だ。薄暗くひんやりとしたドームの中に、ほの白く浮かび上がる千条の水は、鋼のように強力で美しい。
「karahanwa-yasashii-otokodayo」
全ての音は、かき消される。
「ashitawa-karahanto-kumundane」
そして、滝の裏側からも虹が見えた。




