はじまりの日
旅の起点には、まだ誰もいなかった。
峠から見わたす世界は厚い雲におおわれ、見通しは全くきかない。
私の人生と同じか? 茫洋たる景色、‥‥そして茫洋たる未来‥‥。
ここで、ちょこっとひと休みでもするか。
私は、背中の麻袋を下ろし、まるで峠の主ででもあるかのようにどっかりとおさまり返っている、大きな木の切り株にもたれかかった。
村の酒場で見た張り紙には、『峠の切り株に集まれ』と書いてあったはずだ。
『求む、運び人!
‥‥年齢、性別を問わず。特技は、あってもなくても良し。ただし、脚力と胆力のあるものに限る』
──どうせ今の私には、脚力ぐらいしか自慢できるものはないしなぁ‥‥。 胆力? たんりょく? ‥‥そんなものは、おいおいどっかで拾っていくさ‥‥。
もわもわっとした雲の塊を眺めているうちに、うかつにも、ぐっすり眠り込んでしまったらしい。
「おい! そこの!」
汗と埃の臭いに混じった、野太い声で目が覚めた。
「いい加減目を覚まさないと、定員オーバーになっちまうぜ。」
なんてこったい! この私が一番乗りだったのに!
むさ苦しいやつのでかい声に腹が立つやら、一等最初から、間抜けな姿をさらしてしまった自分に腹が立つやら‥‥。
なんとかして気のきいた言い訳をしようと頭をひねっているところへ、横からいきなり、細い腕がぬくっと出てきた。
「‥‥ここ、サイン。」
小柄な若者が差し出したた羊皮紙の巻物は、どうやらこの旅の契約書らしい。末尾には、三つの違う文字で書かれた、三つの名前が並んでいた。
──は、はーん。ここにサインしろっていうことか。
私が、羽根ペンで『サライ』と書こうとした時だ。またしても、一本の腕が私を遮った。
ご丁寧に、横を向いたままで、約款の一行をトントンと指さしている。
「そんなものいちいち読んでたら、日が暮れちまうだろう。」
名前を書きながら、とりあえずその一行に目をやってみた。
『一旦契約完了の後は、理由のいかんに拘わらず、途中解約無効につき要注意!』
──もしかして、私は、やらかしちまったんだろうか?
とにかく、サイは振られてしまった。