2.2 風は憧れて
――突然ですが、彼女達妖精に性別と言う概念はありません。
しかし、他の生き物からは女の子の姿に見える様です。
これはエネルギーを分けて貰う相手が、男性に限られる事と関係があるのでは、との学説が“賢者”の間では有力ですが、確かな事は何一つ分かっていません。
けれど、分かってしまったらそれはそれで興醒めしてしまうかも知れませんね。
だって異性に憧れるのは、極自然な、当たり前の事なのですから――。
∞ ∞ ∞
「今日も平穏ですね」
「平和だねー」
水の妖精による連続通り雨事件が無事解決して一週間が経ちました。
その間、コロンが開いた妖精専門の診療所を訪れる患者は、一人も現れませんでした。
「人が来ない、と言う事は良い事なんでしょうか?」
「きっと病気の妖精さんが居ないんだよ」
言いながら、コロンは手元に草や葉っぱを並べています。
普段からこうやって、治療に使う薬等を、魔法を使って少しずつ用意するのが彼女の日課でした。
「それなら良いのですが……」
逆に、暇を持て余しているステラには、ある懸念材料がありました。
「皆さんがここの存在を知らない、と言う可能性は考えられませんか?」
「うん、だから宣伝を他の妖精さんにお願いしたよ」
「宣伝、ですか?」
コロンの話を聞いていたステラは『はて?』と首を傾げます。
実際にコロンと再会するまで、彼女が医者をやってるなんて聞いた事がなかったからです。
「コモモちゃんは色んな所にお出掛けしてて、妖精のお友達も多いんだよ」
「ああ、あの土竜妖精ですね」
ステラは土竜妖精と友達になった覚えはありませんでしたが、コロンがそう言うからには顔が広いのだろうと思いました。
「あともう一人、いつもビュンビュン飛んでる妖精さんにも頼んであるし……」
「ぅゎぁぁぁーーーん……」
コロンが言い終える前に、外から素っ頓狂な声と、立て続けに突風が診療所に入り込んで来ました。
「もう……。ここは開けっ放しだから、埃とか入り放題なんですよね」
「おぉぉぉいぉぃぉぃ……」
ステラは仕方なく、隅に立て掛けてあった木の枝を取ると、枝の先の葉っぱの部分ではたき掃除を始めました。
「今度ミナモさんに頼んで、扉を取り付けて貰いましょうよ、コロンさん」
「うおーーーーんおんおん」
「ねえステラちゃん、さっきから誰か泣いてるみたいな声が外から聞こえるけど、気のせいかな?」
風で飛び散った葉っぱを集め終えたコロンが、入口に目をやると確かに人影が見えます。
「用があるなら、向こうから入って来るんじゃないですか」
「私、様子を見てくるよ」
コロンは葉っぱを片付けると、掃き掃除中のステラの脇を通って診療所の外に出ました。
「うわー、おっきぃー」
驚きの声を上げたコロンに続いて、集めた塵を掃き捨てる為にステラも出てきます。
「……でかっ」
診療所の前では、一人の妖精が嗚咽を漏らしていました。
髪は青空をそのまま被ったかの様な水色で、その空に浮かぶ雲と同じ淡いグレーの瞳は、泣き過ぎたからか回りが少し赤くなっています。
そして何より目立つのは、背中に生えている蜻蛉似の半透明の翅が、片羽だけで彼女の身長を優に超えている事でした。
「こんな羽じゃ……俺、もう……飛べないのさぁ……」
大きな羽の持ち主はそれだけ言うと、また情けない声を上げて泣き出してしまいました。
「この人がさっき言ってた妖精さんだよ」
「ええと、ビュンビュン飛んでるって言う宣伝係の方ですか」
「うん。風の妖精で、ゼシアちゃんって言うの」
風の妖精だけあって、空を切る翼も象徴的……と言う訳ではありませんでした。
「ちょっと見ない間に随分大きくなったねー、ゼシアちゃん」
「うぐっ、聞いて欲しいのさ、コロン姫。こんな羽、無駄にでかいだけで、何の役にも立たないのさ。ううっ……」
「要するに、こんな立派な物のお持ちだったから入るに入れなかったと……あれ?」
ステラは自分で言っていて、奇妙な違和感を覚えます。
診療所の入口は幅が狭く、誰が見てもゼシアの長い羽が引っ掛かると、普通は思うでしょう。
しかし本来なら、それはあり得ない事なのです。
――ステラが熱射病になった時、コロンは問題なくステラをおぶっていました。
コロンの背中には他の妖精と比べて面積の大きな、蝶の翅があるにも拘わらずにです。
エネルギー体である妖精が色々な物を通り抜けるのはお話しましたが、実は妖精の身体の中でも、特に存在の曖昧な箇所が幾つかあるのです。
その部分は触れる身体と区別して“オーラ”と呼んでいます。
妖精の羽は正に“オーラ”の一つで、その部分は持ち主も含め、誰にも、何にも触れられない箇所なのでした。
「じゃあ、ちょっと触らせてねー」
仮にもしも、羽が体と同じ様に触れたら、妖精は普段から羽が何かにぶつからない様に気を付ける必要が出てきます。
診療所の入口位ならすり抜けられるかも知れませんが、中は妖精が作った物で散乱している為、羽を引っ掛けてしまう危険が常に付き纏う事になります。
「大きいだけじゃなくて、こんなに硬いんだ……」
「あ……、うっ……」
ステラが我に返ると、コロンがゼシアの羽を撫でて触診を行っていました。
やはり触れない筈の羽が実体化している様です。
つい確かめたくなって、ステラも長い羽に手を伸ばしました。
「……本当にカチカチなんですね。こんなの、初めてです……」
「ふぁっ……だめさぁ。そんなとこ、一杯触られたら……変な声、出ちゃうしさぁ……」
「あっ、すみません」
どうやら彼女に取ってデリケートな部分だった様です。
睫毛や目尻を濡らしているゼシアに言われ、ステラは慌て手を引っ込めました。
「コロン姫は医者なのさ、だから何とかして欲しいのさ」
「じゃあ、この羽を元の小さい羽に戻すって事で良いかな?」
「それで頼むのさ」
ゼシアの羽が急激に大きく、硬くなってしまったので、上手く扱えないと言う症状の様でした。
長い間開店休業状態だった診療所で、久し振りの治療が始まりそうです。
「あ、でも“翅硬化症”の治し方って二つあるんだけど、ゼシアちゃんはどっちが良いかな?」
「どう言うのがあるのさ?」
「一つは、羽を全部引っこ抜くの!」
「ひえっ!」
衝撃的な治療法に、ゼシアは思わず悲鳴を上げます。
「すぐ終わるし、新しい羽はその内生えてくるよ」
「……そっちじゃなくて、もう一つの方で頼むのさ」
引っこ抜かれるよりはマシだろうと思って、ゼシアは別の治療法に決めました。
「うん。じゃあ準備してくるから、ステラちゃんとお話しながら待っててね」
「え、私ですか?」
コロンが一人で小屋に戻り、その場に二人の妖精が残されます。
「そういやそちらのお姫様は見た事なかったのさ。えーっと、ステラ姫?」
「はい、何ですか」
「コロン姫の助手と言う事で良いわさ? やっぱり医者の相棒と言えばナースなのさ」
「……まあ、それ程ではありませんが……」
ステラは受け答えながら複雑な気持ちになりました。
母親の仕事振りを見てきたコロンと違って、ステラは医者の仕事と言う物を知りません。
自ら協力を申し出た物の、ステラの仕事と言ったら小屋のお掃除やコロンとの雑談、後はたまにお菓子を持って来るミナモと、これまたお話する位しかありませんでした。
因みにそのミナモですが、今日はちょっとしたお使いに出掛けています。
「良いねえ、俺も早く相棒となる王子様を見つけたいわさ」
「王子様ですか?」
「そうさ、俺はこの世界を飛び回って、理想の王子様と結ばれるのが夢なのさ」
「つまりそれは、マスターを探していると言う事ですか」
「それ以外に何があるのさ?」
パートナーからエネルギーを貰うと言うのが、あくまでも妖精の本分です。
ステラもその事は分かっているのですが、色々あってパートナーを探す気持ちには中々なれません。
「二人共お待たせー」
ステラが言い淀んでいると、丁度コロンが木製の器を持って出て来ました。
その中身をゼシアが覗くと、底には草色の液体が溜まっています。
「これはまた、独創的なスープなのさ……」
「もー、毒草じゃなくて、ちゃんとした薬草だもん!」
微妙に言葉を取り違えているコロンは、ぷくっと頬を膨らませます。
「それに、これは飲むんじゃなくて塗るんだよ」
これ以上ない簡潔な使用法の説明をして、コロンは薬が入った器をゼシアの背中側に置きました。
「じゃあ、ステラちゃんも手伝って」
「あっ、はい」
コロンが薬を少し手に取って、ゼシアの羽に塗り広げて行きます。
詳しいやり方の説明はありませんでしたが、見よう見真似でステラも反対側の羽へ、同じ様に薬を浸透させます。
珍しく、と言うより初めて医者の手伝いらしい仕事が貰えたので、ステラは俄然やる気になっていました。
「うんっ……ふっ、……あっ……、……はぁっ……」
二人分の手が、ゼシアの敏感になった所(羽)を、何度も何度も優しく撫でます。
――この際、ゼシアさんが何とも言い難い吐息を漏らしてるのは、聞かなかった事にしましょう――。
ステラはなるべく余計な事を考えない様にして、コロンと共に黙々と治療を続けました。
すると次第に、辺りに草や葉っぱ特有の青臭さが漂います。
「あのさ……これ、匂いとか付かないのさ?」
「そんなのはその内なくなると思うよ」
「その内、なのさ……」
コロンの返答を聞いて、ゼシアは段々不安を覚えて来ました。
とは言え、治して貰う為にわざわざコロンの元へやって来たのですから、今更キャンセルする訳にも行きません。
「あのコロンさん、一つ気になる事があるのですが」
「なあに、ステラちゃん?」
「ゼシアさんの羽は何故こうなってしまったのでしょうか?」
「うーんと、それはゼシアちゃんが一番良く分かってるんじゃないかな」
患者に原因があるのなら、今後の予防も考えて確認して置かないといけません。
「ゼシアさん、何かお心当たりはありますか?」
「うっ。……ありまくるのさ……」
繰り返しになりますが、妖精の身体は触れたり、そうでなかったりと、とても中途半端な状態にあります。
そんなどっちつかずの状態から羽を激しく使い続けると、身体はそれだけ重要なパーツと見なして、実体化や巨大化と言った方向に傾いて行ってしまいます。
人間で言えば、例えば腕を鍛えた分だけ力瘤が発達する、みたいな感覚です。
「だって、この大空の向こうには王子様がきっと俺を待ってるのさ!」
「で、居たんですか、マスターは?」
「それは…………うう……」
「そんなに飛び回らなくても、人間さんが沢山通る場所で待ってれば良いと思うよ」
人間のパートナーを探すのは確かに重要な事です。
でも羽を使い過ぎて飛べなくなり、パトーナー探しに支障を来したら元も子もなくなります。
「ご主人様を探したいのは分かるけど、あんまり無理しちゃ駄目だよ、ゼシアちゃん」
「うう、これからはなるべく気を付けるのさ。風の妖精なのに飛べないなんて、恥ずかしいったらありゃしないのさぁ……」
ゼシアの自己管理で再発を予防出来そうな目処が立った所で、大きな羽全体に薬を塗り込む処置もほぼ終わりました。
「コロンさんー、言われた通り実を採って来たのですよー」
丁度そのタイミングで、コロンにお使いを頼まれていたミナモが戻って来ました。
“しろゆり公園”とは別の場所に、薬になりそうな実のなる木があったので、ミナモに採って来て貰っていたのでした。
「ほわわー、患者さんなのですかー。何だか草みたいな匂いもするのです」
「ミナモちゃんありがとー。良い所に戻って来てくれたね」
コロンは木の実を受け取ると、ミナモに追加のお願いをします。
「この前ミナモちゃんが作った木ベラを、また貸して欲しいな」
「良いのですけど、また何か切るのですか?」
「うん、この羽を短くするのに使うよ」
「分かったのです。スパっと行っちゃうのですよー」
「ひいぃ!」
二人の会話を聞いたゼシアの表情が、明らかに引き攣りました。
そんな事とは露知らず、ミナモはヘラを取りに、コロンは実を仕舞いに、それぞれ事務所と診療所に戻ります。
「あの、ゼシアさん。大丈夫ですか?」
さっきから様子が可笑しいゼシアを心配して、ステラが尋ねると、思わぬ答えが返って来ました。
「ああああのさ、お、俺やっぱり帰るのさ!」
∞ ∞ ∞
「コロンさん、ゼシアさんをどうしようとしてたんですか」
「うん、そろそろ薬が効いて羽が柔らかくなる頃だから、ミナモちゃんのヘラで少しずつ削り取ろうと思って」
「はわわー、真っ二つにするのではなかったのです」
「これから一ヶ月位、毎日薬とヘラを使って治してあげるつもりだったんだけど……」
しかし、その治療対象となる患者は、もうここには居ません。
「ゼシアちゃん、何処へ行っちゃったのかな?」
人間のパートナーと暮らしていない妖精が帰る場所、それは――。
「元の世界で“賢者”様に診て貰う事にしたんでしょうね……」
∞ ∞ ∞
――それと余談になりますが、微かに草の色に染まった羽を持つ妖精は、こちらの世界でもコロンと同じ二つの治療法しか提示されなかったので、渋々羽を削られる方を選びました。
でも草色の羽もお洒落で似合ってると思いますよ?
ゼシア「飛べない妖精はただの妖精なのさ」
コモモ「地面に潜る妖精も居るでやんす」
ゼシア「ファッ!?」