1.3 側に居るよ
コロンが立ち去った後、彼女を追う様にして夕日も四角い建物の裏へ沈み、いよいよ小屋の中は闇夜に包まれます。
「ミナモさんは帰らなくて良いんですか?」
光の届かない室内では、卵型をしている青葉の様な四枚の羽も、淡い桜色に染まったロングヘアも、そして深い蜂蜜色を孕んだ双瞳も、その色味を視認する事は出来ません。
それでも、目の前にミナモのエネルギーが存在する事は妖精の感覚で分かります。
「事務所に帰っても誰も居ないのです。主様はいつも明るい内に、お家へ帰るのです」
「マスターの家には行かないんですか?」
「公園には自然が多いから、お家よりもこっちに居た方が良いと、主様が言ってくれたのです」
理由は、人間からの気遣いだけではありません。
「それと、主様はお爺さんだから……」
――エネルギーを分けて貰うのは難しい。
ミナモが皆まで言わなくても、ステラには伝わります。
人間からエネルギーを得るには、その人が歳を取り過ぎていても、逆に幼過ぎてもいけないのです。
「あ、でもその事は全然気にしてないのです。それにコロンさんが病院に居ない時は、ミナモが留守番を任されているのです」
「ミナモさん……」
こんな時どう声を掛ければ良いのでしょうか。ステラには分かりません。
端から見ればミナモが割を食っている様な印象を受けます。
しかし、ステラには確信がありました。
これはミナモが自ら望んだ事だと。
「……やっぱり、妖精が一人でお医者さんになるのは、大変だと思うのです」
「私もそう思います」
元の世界で医療を担っているのは、妖精よりも上位の存在――“賢者”――なのです。
いや、医療だけではありません。
数多もの妖精達を導く存在として、何十人もの“賢者”が日々研究と議論を重ねています。
そして、世界を越えてエネルギーを集めると言う突飛な発想も、“賢者”の話し合いによってもたらされた物の一つでした。
「この公園には、色んな子が居るのですよ」
ミナモはそう言って、“しろゆり公園”の花壇に植えられている、植物の話を始めました。
「その中には、お薬に使うお花や薬草も一杯なのです」
「妖精を治す為の薬ですね?」
「ステラさんの言う通りなのです。でも、数が沢山あるから、一人ではお世話し切れないのです」
ミナモの話を聞いて行く内に、この場所がどうやって存在しているのか、ステラは分かって来ました。
医者に憧れる妖精と、それを応援する妖精。
二つの想いが重なり合って、“しろゆり妖精クリニック”はここに在ります。
∞ ∞ ∞
「ミナモさんは、そろそろ休んだ方が良いですよ」
時が経つのも忘れ、大分話し込んでいた事に気付いたステラが言いました。
「はわわ、ステラさんに心配されてしまったのです」
「だってミナモさんは、朝から水やりをするんですよね?」
「いつもやってる事なのです。だから、心配ないのです」
夜の病室で、妖精の気配が近寄って来ます。
「忘れちゃったのですか? ステラさんは病人なのですよ」
妖精の囁きは、更に続きます。
「ステラさんの方こそ、しっかり休むと良いのです」
身体が二つ、ベッドに沈みました。
決して広くはないベッドの上で、二人の妖精は距離を詰める他になく――。
「――って、一緒に寝る気ですか、ミナモさん」
「何かあっても、すぐコロンさんを呼んであげられるのです」
「何もないですし、どうやって呼ぶつもりですか?」
すると突然、ミナモが動かした腕が、ステラの体を撫でました。
「ひゃぁ! ……変な所触らないで下さい」
「これを使うのです」
見るとミナモは自分の胸元に手をやっている……様な気がしますが、暗くて良く分かりません。
「見えないのですか?」
「見えません」
「なら、明かりを点けるのです」
そう言ってミナモはベッドから飛び退くと、壁際へ向かいました。
「ポチっとなのです」
その瞬間、室内が暖かい光に照らされました。
天井を見上げると、真ん中で豆電球が発光しています。
「こんな物まで作っていたんですね……」
「違うのです。ミナモもコロンさんも電気を使う物なんて作れないのです」
「それでは一体誰が……」
「それは、永遠の謎なのですよ。ほわわー」
何故かミナモはにっこり微笑みました。
「まあ照明の件は置いておくとして、連絡手段の説明をお願いします」
ステラが話を戻します。
「連絡手段……あ、これなのです」
ミナモがもう一度胸元に手をやると、その指先には宝石の様な首飾りが、部屋の明かりを反射して輝きを放っていました。
「これを持ってる人同士で、短いメッセージを送れるのです」
「……ああ、成程」
言われてみれば、昼間に声を掛けてくれた片言妖精が、同じ物を使っていた様な気がする――。
と、朧気な意識の中で見た光景をステラは思い返しました。
「それで、なのです」
ミナモの話が続きます。
「なんと、このマジックアイテムは……」
そして少し勿体振ってから、更に続けました。
「ミナモが最初にゲットした妖精第一号なのです!」
――元々は“賢者”がこの世界の人間が使う携帯電話を模倣しようと試みたのが始まりでした。
と言っても“賢者”が居る世界は、この世界ほど科学が進んでいないので、まずは必要な技術を全て魔法で賄おうとしました。
結果、魔力の消費量が膨大過ぎて使い物になりませんでした。
後の開発で、不要な機能は削除され、残りの機能も限界まで簡略化したのが、今の“ポケベル”もどきです。
しかしそれでも必要な魔力がまだ多い為、緊急時の連絡以外の使用は推奨されていません。
そんな代物が何故ミナモの手に渡ったかと言うと、やはり彼女の身体を心配する声が上がったからでした。
言わば、二つの世界を跨ぐ直通ナースコールです。
その後、コロンが医師を始めるに当たって、妖精だけでは対処出来ない事態も考えられる事から、コロンにも持たされました。
この時点では異世界間通信しか想定されていなかったのですが、もっと単純に妖精同士の通信手段として使えるのではないか、と言う話になり、現在は妖精本人が希望すれば誰にでも支給される様になりました――。
「――と言う事らしいのです」
「長々とご説明ありがとうございます」
このままだと延々と説明回が続きそうで、寝る間もなくなりそうな雰囲気だったのでそろそろお開きです。
「患者さんの身体が第一なのです。消灯なのです。ポチっとなのです」
因みにミナモの添い寝に関しては、ステラが丁重にお断りして事務所に戻って頂きました。
ステラは、一人になりたい気分でした。
綿毛のベッドに四肢を投げ出したステラは、コロンから貰った飴を手に取りました。
暗いので色や形は良く見えませんが、昼間に一口舐めた時の濃厚な味ははっきりと覚えています。
ステラは、コロンが花の蜜を魔法で濃縮している様子を想像しながら、飴を口に放り込みました。
じわじわ口溶けて行く蜜に合わせて、ステラの意識も暗闇に溶けて行く様でした。
∞ ∞ ∞
――その夜、私は以前の出来事を夢に見ていました。
コロンさんと初めて出会った時の事。
瀕死だった私を助けてくれた時の事。
そして心配そうに見つめるコロンさんとそのマスターに、意識を取り戻した私が放った言葉。
「何で助けたんですか。……私なんか、このまま消えてしまえば良かったのに……」
それからと言うもの、コロンさんは色々と私の事を質問責めにしました。
私は、一言も返事をしませんでした。
やがて二日も経つと、コロンさんは何も訊いて来なくなりました。
私は良い加減に諦めたのだろうと思いましたが、少し違っていました。
コロンさんは黙って、私の隣に並びました。
その日は言葉を交わす事もなく、ただ時間が流れて行きました。
次の日も、コロンさんは私の横にやって来ました。
そして、その温かい掌をそっと、私の手に重ねて置きました。
「良いよね?」
突然の事に驚いている私に、コロンさんが優しい表情で問い掛けます。
私も自分の事を根掘り葉掘り訊かれる位なら……と思い、了承しました。
――いえ、本当は、コロンさんの顔を見た瞬間、反射的に頷いていたんです。
その次の日は、コロンさんが私の手を軽く取って握り、そのまま一日を過ごしました。
明くる日も手を繋ぐのは一緒でしたが、今度はしっかり指まで絡められ、簡単には離れられない状態にされてしまいました。
そしてその翌日、さも当たり前の様に私達が手と手を繋ぐと、コロンさんがもう一方の腕を伸ばして来て、私の片手は彼女の温もりでサンドイッチされてしまいました。
私が驚いてコロンさんを見ても、返って来るのは嬉しそうな微笑みばかり。
何を考えてこんな事をするのか、私にはさっぱり分かりませんでした。
気付けば、助けられてから一週間が経っていました。
この日も私の手は裏表からしっかりと押さえられていましたが、それよりも大きな変化が起こりました。
コロンさんが手を繋ぐ時、腕組みもして来たのです。
それはあたかも、私の腕に抱き付く様でもありました。
今までは手しか触れていなかった私達の体は、いよいよ距離がなくなって来ました。
ついでに私の余裕もなくなって来ました。
「……一体何なんですか?」
どうにも堪らなくなって久し振りの言葉を掛けると、やはり彼女は嬉しそうにしました。
「君の事、少しでも知れたら良いなって」
――知りたいから、手を繋ぐ?
冷静に考えたら全く意味が分からない事なのに、その時の私にはコロンさんの意図が少し理解出来ました。
「……ステラです」
「ふぇ?」
「……私の名前です」
一瞬戸惑った彼女の表情は、ぱあーっと本当に花開く様に華やぎました。
「ステラちゃんて言うんだ、素敵なお名前だね」
「……どうも」
「私はコロンだよっ!」
「それは最初に聞きました」
「あれ? そうだっけ?」
「……私が目覚めた時に、色々言って来たじゃないですか。忘れたんですか?」
「そっか。ちゃんと聞こえて……たん……だっ……」
「な、何でそこで泣くんですか?」
突然大粒の雫を溢し出したコロンさんに、私は酷く動揺しました。
「だって、何……言っても、反応……しないし、他に……悪いとこ、あるの……かも……て……」
「私は大丈夫ですよ、もう何ともないですから!」
「ほんと……? 良かったあ……!」
その時になって漸く、私がどれだけコロンさんに心配を掛けていたのか、気付きました。
私の為に泣いてくれる人が居る事に、気付きました。
凍て付いた氷に閉ざされていた私の心が、緩やかに融け出して行くのを感じました。
私達の心の距離も、いつしかなくなって行きました――。
∞ ∞ ∞
コロンの病院(?)で一夜を明かしたステラは、翌朝にはすっかり回復しました。
そしてステラが玄関先で待って居ると……。
「ごめーん! 遅くなったー」
唯一の妖精のお医者さんは、社長出勤ならぬ院長出勤して来ました。
「コロンさん、早く来るって昨日言いましたよね?」
「うぅ……。そのつもりだったけど、その、ご主人様と色々あって……」
「そうですか。上手く行ってるんですね」
昨夜はお楽しみでしたね。
「私よりも、ステラちゃんの体調はどうなのかな?」
「お陰様で、元通りです」
「そっか。じゃあ退院だね、おめでとう」
復調したステラに、コロンは笑顔を作って見せました。
しかしそれに対して、ステラは真剣な表情で話を切り出します。
「実はその件でお話があります」
「ほえ? なになに?」
「私をもう少しここに居させて貰えませんか?」
「ステラちゃん、どっか悪いの?」
コロンはステラの身を案じてくれます。
そんな彼女の為に、ステラは意を決して本心を伝えました。
「そうではないんです。私は、コロンさんのお手伝いがしたいんです」
その告白は、コロンを驚かせるには十分過ぎました。
「いけませんか?」
「……大歓迎だよっ!」
コロンは思わずステラの両手を掴み取ってしまいました。
パタパタと羽を震わせ、丸で飛び跳ねる様にその身を上下させています。
「あ、あの、一つだけ良いですか?」
「なあに?」
「クリニックと言うのは、病院ではなくて診療所って意味ですよ」
それを聞いた瞬間、コロンの動きがピタッと止まりました。
「……そうなんだ……」
コロンの顔がみるみる赤くなります。
「いや、まあ、病院でも診療所でも実質的な差はないと思いますよ。妖精の医者なんてコロンさん一人しか居ないでしょうし……」
すぐにステラは取り繕いますが、コロンもすかさずグイっと身を寄せます。
「あのね、ステラちゃん!」
「な、何でしょうか……?」
ステラを真っ直ぐ見つめるコロンの目は、真剣その物です。
「これからも私の知らない事、色々教えてね……?」
「……分かりました」
こうして二人の妖精は、再び手を取り合う事になったのでした。
ミナモ「さっきから二人共何してるのですか?」
ステラ「あの、これは、いや、その……」
コロン「新人歓迎会だよ!」