1.2 モグリとモグラ
私達の前に、突如として見知らぬ妖精が出て来ました。地面から。
「やあやあやあ。仲間同士で仲違いとは、例えお天道様が許しても、オラっちは決して許さないでやんす!」
妖精は大抵の物なら通り抜けられるので、まあ地面の中から出て来たとしても、何ら不思議ではないですが。
「戦争反対っす! 妖精皆家族っす! 愛は世界を救うでやんす!!」
それにしても、今日はやたら妖精に会う日ですね。
これで三人目ですから、こちらの世界に来てからの自己最高記録一歩手前になりますね。
「……エー、コホン。つまりオラっちが何を言いたいかと言うと、妖精同士で手を取り合って、仲良くしようと言う事を言いたいでやんす」
どうでも良いですが、話が長い方ですね。そんな一度に沢山の事を言われても、コロンさんの理解が追い付くか若干の不安が残ります。
「わあ、コモモちゃんだー」
お知り合いでした。
「おんや、良く見たらコロンっちじゃないっすか。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花の、温和なコロンっちが言い争いとは珍しいでやんす」
「コロンさん。行きましょう」
馴れ馴れしい土竜(仮)は無視して、私はコロンさんの腕を掴んで立ち上がりました。
「え? でも、コモモちゃんが……」
「そっちは知らない顔でやんすねぇ。……あっ、もしかして、そう言う事っすか?」
そう言う事とはどう言う事ですか。
「コロンっちもお年頃だし、そう言うステディが一人や二人や三人居ても可笑しくないでやんすねぇ」
「変な誤解は止めて下さい」
あ、やってしまいました。
面倒臭そうな相手だから今までツッコミを我慢していたのに、不覚です。
「一つ教えて差し上げますが、二人以上居る時点でそれはステディとは呼べません。私は認めません」
長話はしたくないので、それだけ言い残して立ち去るつもりでした。
――不意に、世界が傾きました。
「ステラちゃん危ないっ!」
次の瞬間、この気候で焼けたアスファルトに、私が文字通りの熱い接吻を交わす寸前の所で、コロンさんに支えられていました。
「およよ、病人っすか? そう言う事なら早く言って欲しいでやんす」
私が顔を上げた先には、土竜(仮)がアスファルトに胸まで浸かっていました。
これ、何て露天風呂ですか?
∞ ∞ ∞
「あ、コロンさんが帰って来たのです」
コモモの助太刀もあって、三人で無事公園に到着しました。
その様子は管理事務所の窓からも、はっきりと確認出来ました。
「ほわわー、患者さんが千客万来なのです。お手伝いさんが必要なのです」
コロンの他に二人居る事に気付いて、ミナモは窓から飛び出します。
その内の一人、ホワイトスノウの銀髪を纏う妖精は、この時間の西日を浴びてプラチナブロンドの輝きを放っていました。
本来なら彼女が背負う氷の羽根も、光を反射する水晶の様に輝く所なのですが、魔力が枯渇してる影響で今は長い髪の中に大半が隠れてしまう程小さくなっています。
「あわわっ、良く見たらステラさんだったのです!」
「ミナモさんも居るんですか?」
ステラの瑠璃色の瞳に飛び込んで来たのは、またもやかつての知り合いの姿です。
この瞬間、ステラの自己最高記録に並びました。
「残念ながら健康優良児なオラっちの出番はここまでっす。何かあったらお世話になるでやんす」
「患者さんではなかったのです」
「コモモちゃんありがとー。またねー」
土竜妖精と別れ、残ったコロン、ステラ、ミナモの三人の妖精達。
以前共に暮らした仲間に囲まれ、ステラは知らず知らずの内に安堵の表情が浮かんでいました。
病院を見るまでは。
「じゃーん! 私の病院へようこそー!」
木と花が生い茂る公園の片隅に、妖精の専門医院が在りました。
“しろゆり妖精クリニック”。
犬小屋を思わせる外観から、ドアのない開けっ放しの玄関をくぐると――。
何と言う事でしょう、建物の中は椅子やベッド、医療器具が雑多に並び、待合室と診療室の区別もありません。
「コロンさんは、片付けられないタイプの方だったんですね……」
尤もこれは一概にコロンが悪い訳ではありません。
コロンが慕う人物、つまり母親の自宅兼診療所を参考にしているので、この様な部屋の仕切りが殆どない構造になっているのです。
決して母娘揃って整理整頓も出来ないずぼらな性格などではありませんからね?
そこの所を履き違えない様にお願いしますね。
「ステラちゃんはここのベッド使ってね」
「ベッドですか?」
ステラがベッドの敷き布団に手を伸ばすと、ふわふわとした感触が返って来ます。
「柔らかい……。と言うか、ちゃんと触れます」
実体のない妖精にも触れるベッド、すなわちそれは妖精が作ったベッドです。
「土台は干し草なんだけど、上だけは綿毛を植え込んであるの。本当は全部綿に出来れば良かったんだけど、どうしてもそこまでは用意出来なくて……」
「いえ、これでも十分ですよ」
試しにステラが横になってみると、少し硬めですが悪くはありません。
ベッドの上から改めて見回すと、茸の椅子や切り株の机、小枝を組んで作った籠等があちこちに置かれています。
「これは全部コロンさんが作ったんですか?」
「ううん、ミナモちゃんと一緒にやったよ」
その言葉にステラは納得しました。ミナモは森の妖精だからです。
草花に長けたコロンと、木々を扱うミナモが協力して作った家具や小物の数々は、正に大自然と共に暮らす小さな妖精の家その物を想起させます。
「……そう言えば、ミナモさんは?」
気が付くと、外に居る時は三人だった妖精が、小屋の中には二人しか見当たりません。
「ミナモちゃんはここじゃなくて、隣に住んでるんだよ」
ステラはコロンから、ミナモが“しろゆり公園”の管理事務所に居る事や、時々やって来る管理人のお爺さんと一緒に、公園内の植物の世話をしている事等を教えて貰いました。
「甘い物を持って来たのですよー」
噂をすれば何とやら、ミナモが三人分のおやつを両腕に抱えて現れました。
ゼリービーンズが三粒。
人間サイズのお菓子はこれだけでも、小さな妖精にとってはかなりの量です。
でも、甘い物は別腹です。
「それで、ステラさんは何の病気なのですか?」
ミナモがおやつを配り終えると、ステラはベッドに腰掛け、後の二人は椅子に座りました。
「軽い熱射病だったみたい」
「熱射病なんですか、私は」
ついステラは訊き返します。ただの魔力の使い過ぎだと思っていたからです。
「私が診た時、ステラちゃんの魔力が少なくなってたんだけど、その隙間に余分な熱エネルギーが体に溜まっちゃったのかな」
「言われてみれば、今日はとても暖かかったのです」
「確かに、急激な気温の変化が起こると体調を崩し易いと言いますね」
「それと、ステラちゃんの手を握ったら私より熱かったからね」
氷の妖精であるステラは、普段はコロンより体温が低いのです。
と言ってもステラ自身が氷の様に冷たい訳ではなく、ほんの少し平熱が低い程度の些細な差しかありません。
「それだけで病気が分かるのですかー。コロンさんは凄いのです」
「ううん、偶々だよ。ステラちゃんは前に一緒だったから、知ってる事も多いし」
コロンがステラ達と共に過ごしていた頃は良く、母親の様な存在――つまり妖精の医者――になりたいと言っていました。
その時はもっと知識や経験を積んだ上で、故郷の元の世界で開業したいのだと、ステラは解釈していました。
「本当にお医者様になったんですね、コロンさん」
「えへへ♪」
誉められたつもりになって、コロンは照れ隠しする様にゼリービーンズを一口齧りました。
「でも良く許可が降りましたね。私達がバラバラになって一年位しか経ってないのに」
妖精は何も観光や興味本意、ましてや起業する為に世界を越えて来るのではありません。
きちんとした別の目的があるのです。
「……きょか??」
お菓子で頬っぺたを膨らませたコロンは小首を傾げました。
賢いステラはそのリアクションから、おおよその事を察してしまいます。
――この人、無許可医だと。
実の所、元居た世界で医師になるのに、特別な申請や許可は要りません。
決まった試験や訓練も特にありません。
しかしコロンはまだ小さな妖精に過ぎません。
医師である母親の手伝いをした経験が多少はありますが、充分な医学知識を本当に備えているかは疑問が残ります。
「一応、お母さんには言ったよ。びっくりしてた」
「それはそうでしょうね……」
妖精の身体に何か異常が起きたら、本来ならすぐ元の世界に帰って治療を受けるか、軽度の不調なら自然治癒に任せると言うのが決まりです。
『別世界で』『妖精が』『妖精を治す』なんて聞いた事がないし、思い付きもしません。
しかも『無許可』と聞いたら、驚くなと言う方が無理でしょう。
「……ミナモは、妖精のお医者さんが居ても、良いと思うのです」
ステラの不安を打ち消すかの様に、ミナモが言いました。
「魔力を沢山使うから、世界を気軽に行ったり来たり出来ないのです。だから、病気を治してくれたり、体の事を相談出来るお医者さんが、こっちに居てくれたら凄く助かるのです」
そう語るミナモのゼリービーンズは、まだ殆ど減っていません。
……いいえ。ゼリービーンズを持つミナモが、他の妖精より一回り小柄だから、そう見えるだけでした。
生まれつき身体の弱かったミナモは成長が遅く、今でも華奢な体格です。
そんな彼女に医者の必要性を訴えられたら、無下にする事なんて誰にも出来ません。
「大丈夫だよー。ミナモちゃんは私が守ってあげるからねー」
「きゃっ、コロンさんくすぐったいのです」
――まあ、コロンさんのお母様はご存知の様ですし、手に負えない症状なら元の世界で診て貰えば問題なさそうですね――。
じゃれ合う二人を眺めながら、ステラはそう考え直していました。
∞ ∞ ∞
コロン達がそんな談笑を暫く続けていると、やがて外が夕闇に覆われて行きます。
「あれ、もうこんな時間なんだね」
窓から見える茜色が、もうじきお日様の仕事上がりだと告げていました。
「それじゃあ、そろそろ私も帰ろうかな」
それを聞いて一瞬呆気に取られるのは、ステラです。
「ここに住んで居るのではないんですか?」
「コロンさんはお日様と一緒にやって来て、一緒に帰るのです」
「そうなんですね」
「それで、夜はご主人様と一緒なんだー」
更なる事実が明かされます。
「えっ……。コロンさんもマスターが居るんですか?」
人間と妖精が共に暮らす事――。
これが、妖精達がわざわざこちらの世界へ来た理由です。
この世界には妖精が見える人間も稀に居ます。
その人から協力を得てエネルギーを分けて貰う、それが彼女達の本来の使命なのです。
「ステラちゃんは、新しいご主人様が居るのかな?」
「あ……、ええ、まあ……」
逆に自分の事を訊かれて、ステラは歯切れ悪い返事をしてしまいます。
「じゃあ、ステラちゃんも早く帰らないと心配させちゃうね?」
「……いえ、あの方は私の事なんて気にも掛けないと思います」
妖精が見えるのは極少数の人間だけですが、だからと言ってその人が必ず協力してくれるとは限らないのです。
「そっか。だったら一日位ここで休んでも平気かな?」
「……問題ありません」
「なら今晩はここに泊まっていくと良いよ。熱射病は大分落ち着いたけど、魔力はまだ――あっ!」
何か思い出したコロンが、机の上に置かれていたポシェットを掴みました。
「今度こそちゃんと食べてね」
コロンが手渡したのは、ステラが昼間に見たのと同じ物です。
ここに来る途中でコモモに会った時、倒れそうになってステラの手を離れて行った――。
「あの時に私が落としたんですね」
「コモモちゃんがナイスキャッチしてくれたんだよ」
「それは、お花の蜜で作った飴なのです。一粒で元気百パーセントになるのです」
「ええ、コロンさんに聞きました」
「はわわ~、もう知ってたのですか~」
ミナモの説明をステラがかわす間に、コロンは小屋の出口へ向かいます。
「じゃあねー。明日はなるべく早く来る様にするから」
「また明日なのですー」
「お疲れ様でした」
昼は妖精の医者として、夜は人間のパートナーとして。
二つの顔と蝶の翅を持つ妖精は、今宵の町へと消えて行きました。
……と、コロンを見送った後で、ミナモがステラをじっと見ています。
「おや? 私の顔に何か付いていますか、ミナモさん」
「ミナモは、もう少しステラさんとお話ししたいのです」
妖精達の一日は、まだちょっとだけ続きそうでした。
コロン「スーパードクターコロンだよっ!」
ミナモ「何か格好良いのです」
ステラ(闇医者の間違いでは……)