1.1 急患です!
いよいよ本編スタートです!
※会話形式は終わって普通の小説になります。
――貴方は、妖精を信じますか?
――貴方には、妖精が見えますか?
そんな妖精の日常を覗いて見られるとしたら?
これは妖精達が織り成す、小さくて大きな物語――。
∞ ∞ ∞
その日は季節を一足も二足も先取りした様な、暑い日でした。
大勢の人間が四角い建物の間を行き来していて、その中に私も居ました。
「キャッ!」
誰かがぶつかって、思わず私の身体が弾き飛ばされます。
そのまま人混みを避ける様にして、道路の脇にうずくまりました。
ぶつかった人は謝りもしないし、私を心配して声を掛ける人も居ません。
最近、人間同士の繋がりが昔より希薄になったと聞きますが、それはこの状況とは一切無関係です。
何故なら、私は見えていないからです。
私は、人間ではなく、遠い異世界からやって来た――人間から見れば小さな小さな――妖精だからです。
いつもならば高さ三メートルは飛んで、人間とはぶつからない様に出来るのですが、今の私は体調が思わしくありません。
「……不味いですね」
人の波が途切れたタイミングを見逃さず、反対側の日陰へよろよろと移動します。
少しだけ……、本当にほんの少しだけ、私は暑さに弱いのです。普段ならどうと言う事はないのですが。
「……ドウカ、シタ?」
ふとそんな声が聞こえて、顔を見上げました。
そこには、私の事が見える人間……ではなく、私と同じ位の人影がこちらを覗き込んでいました。
「ダイジョブ?」
この世界に来た妖精は私一人ではありませんが、頻繁にすれ違う程大勢押し寄せて居る訳でもありません。
そんな中で、別の妖精と出会ったのは不幸中の幸いでした。
「ええと、あまり具合が良くなくて……」
「ワカった。イシャ、ヨぶ」
そしてもう一つ幸運だったのは、この町には妖精のお医者様が居たと言う事です。
∞ ∞ ∞
――“しろゆり町”――。
住居・商店・工場がバランス良く整備された――人間にとっては――利便性の高い都市エリア。
そんな町の一角に、草木が生い茂り花が咲き乱れる、大き目の公園が在りました。
“しろゆり公園”と呼ばれるその場所には人知れず、ある妖精が居りました。
「ふわぁ~。暖かくて良い天気♪」
公園の管理事務所横の小さな小屋から出て来た妖精は、空を見上げながら言いました。
「今日も誰も来ないし、花畑の真ん中で日向ぼっこしようかな?」
この何処か頼りない暢気な妖精が、物語の主人公。
名前はコロンと言います。
陽気に釣られて、コロンが公園内の花壇に向かおうとしたその時。
彼女の首飾りにある小さな輝石が、強い反応を示しました。
これは妖精達の間で使われている、人間の携帯電話を模した、マジックアイテムの一種です。
コロンが右手で軽く輝石を握ると、体の中に直接メッセージが流れ込んで来ました。
どうやら何桁かの数字の様です。
先程電話と言いましたが、直接会話する機能は持たず、こうやって簡単なメッセージを送るだけなので、人間の世界で言ったら“ポケベル”に近いでしょうね。
「……うん。これは位置情報だね」
コロンは小屋に戻って支度をすると、これまたマジックアイテムの魔法鞄――可愛いポシェットタイプ――を肩から下げ、晴れ渡る空へと吸い込まれて……。
おや、戻って来ましたね……。何か忘れ物でしょうか?
「ミナモちゃーん! 四一〇の六二九って何処~っ?」
管理事務所の窓ガラスを突き破りながら、そんな事を訊いています。
妖精は人工物を通り抜けられるので、実際にガラスが割れる事はありませんでした。
「な、何事なのですか?」
「緊急出動要請だよ! 患者が私を呼んでるのっ!」
「それは一大事なのです!」
事務所にはもう一人の要請、ではなくて妖精のミナモが居ました。
「えっと、これ位の長さは人間の単位だとこうなので……、方角はこっちなのですか……?」
壁に貼られている“しろゆり町”の地図を見ながら、ミナモが場所を特定して行きます。
「あっ、分かったのです!」
「ミナモちゃん、本当!?」
「北口商店街の辺りなのです」
それを聞くや否や、コロンは入って来た窓をもう一度くぐり抜けます。勿論ガラスは無傷です。
「ミナモちゃん、お留守番お願ーい……!」
「お気を付けてなのですー」
今度こそコロンの姿はどんどん小さくなり、やがて空へと消えて行ったのでした――。
∞ ∞ ∞
元気良く公園を飛び出して行ったコロンが、現場の近くまで到着するのに時間は掛かりませんでした。
ただ、コロンは患者の容態を聞いていません。もしかすると一刻を争う事態の可能性もあります。
「人が一杯居る……」
上空から眺めた商店街の様子を、コロンが素直に表現しました。
ここは駅に近く、学校から帰宅する子供と、夕食の買い出しに来た主婦とで、丁度ごった返しています。
この混雑の中から、人間より体の小さい妖精を探すのは、イクラの山盛りからタラコ一粒を見付ける様な物でした――人間の肉眼なら。
コロンは何度も瞬きしながら、眼下の風景に神経を集中します。
すると四角い建物は透き通っていき、人間は形を失ってエネルギーだけの存在となりました。
本来、妖精とはエネルギーの塊であり、実体を持たないのです。そう言う意味では精霊や幽霊に近い存在かも知れません。
そして妖精から見た世界もまた、生き物が持つ生命エネルギーが闊歩するシンプルな光景だったのです。
「うーん、何処かな、何処かなー?」
ところが、今居る世界は妖精達が元居た世界とは大きな違いがありました。
魔力が、極めて薄いのです。
科学は非常に発達していますが、魔法は存在しない世界。
その世界で魔力を持つ者など、異世界の住人ぐらいしか居なかったのです。
「あそこだ!」
生命力とは別の、魔力と言うエネルギーをコロンが辿るのは、全く難しくありませんでした。
一直線にその場所へ急降下して行く妖精は、あたかも獲物を見定めた獰猛な鳥よりも素早く。
舞い降りたコロンの視界は、既に人間が目にするそれと変わらない物へ戻っています。
「ステラちゃん!?」
「……え、コロンさんですか?」
二人は、思わぬ形で再会を果たしました。
∞ ∞ ∞
暑い。否、熱い。
身体が燃える様に熱い。
じっとしていたら多少落ち着くかと思いましたが、今の私は寧ろ、じわじわと体力を奪われ続けているとしか考えられません。
もう考えるのも嫌になって来ました。
外は暑い。中は熱い。
こんなに苦しいのなら……、いっそ……。
――いっそ、意識なんて手離してしまえば良い。
「ステラちゃん!?」
私の名前を呼ぶ声が、消えてしまいそうな意識を繋ぎ止めました。
その声の主は、黄金色に煌めく髪と、真新しい萌芽色をした碧眼、そして花咲く様に笑う笑顔が眩しい、花の妖精でした。
「……え、コロンさんですか?」
気が付くと彼女の名を口にしていました。
忘れる筈はありません、大切な人の名前ですから。
「ステラちゃん久し振り!」
コロンさんは私の手を取ると、背中の羽をパタパタさせて嬉しそうにしています。
「こんな所で何してたの?」
「……気分が優れないので、少し休んでいました」
「ステラちゃんと会えるなんて本当にびっくりだよー。元気してた?」
「……元気だったら、この様な事にはならないと思います」
「わわっ、そうだった! ごめんねステラちゃん、私嬉しくてつい……」
ああ、もう何なんですか、このハイテンション妖精は。
ついさっきまで言葉を発する気力も失せていたのに、彼女の顔を見たら何処からともなくエネルギーが湧いて来ます。
それは微々たる量であり、決して弱った体力が全快する訳ではないのですが、少しだけ気が楽になったと言うのも事実です。
「そっかー、ステラちゃんが私を呼んでくれたんだ」
「あ、いえ。呼んだのそちらに居る方かと思いますが……」
「へ?」
私達の視線の先には、もう一人の妖精がまだ居ました。
「ウチ、カエってイイ?」
∞ ∞ ∞
すっかり蚊帳の外にされた片言の妖精に、コロンとステラは何度もお礼を言って別れました。
その後ろ姿が見えなくなると、すかさずコロンは魔法のポシェットから何かを取り出し、ステラに差し出しました。
「これ食べてね、美味しいよ」
一口大の瑞々しい果実です。
ステラが受け取った実を頬張ると、たちまち果汁が溢れ出します。
「ちょっとヒヤッとするよー」
次に取り出したのは少し大きな葉っぱ。
その表面は露で濡れていて、首に押し当てると火照りがすーっと引いて行きます。
「あと、ステラちゃんにはこれもあげるね」
宝石の様な半透明の粒でした。
「なんですか、これは……?」
ステラの指先で摘まめてしまう程の小さな粒です。
「飴だよ。早く食べて」
言われるままに口に含むと、やがて仄かな甘味が広がって行きます。
でも、コロンはゆっくり味わう余裕までは与えてくれませんでした。
「病院まで一緒に行くよ。ステラちゃん、飛べそう?」
「……高くは無理ですね」
「そっか。じゃあ私が下から支えるね」
まず、一メートルにも届かない高さをステラがふらふらすると、蝶の翅の形をしたコロンの背中が押し上げます。
二メートル半と言った所でしょうか。注意すれば大丈夫そうな高さです。
そのまま二人の妖精は商店街を進み始めました。
「ところで、コロンさん」
おぶられているステラが、おぶっているコロンに話し掛けます。
「なあに?」
「先程の飴ですが……、花の蜜ですか?」
「うん、そうだよ。美味しかった?」
ステラには味よりも気になる点がありました。
「どうやって固めたのですか?」
「うーん……。どうやってって言われると、難しいんだけど……」
「……魔法ですか?」
コロンの様な花の妖精は、草花に魔力を込めて色々な物を作るのが得意です。
一方ステラは氷の妖精なので、魔力で氷や冷気を操るのを得意としています。
この様に何かを作ったり出したりする“魔法”は、妖精なら必ず持っている能力ですが、出来る事には個人差があります。
また、生まれつきの才能や感覚に頼る部分が大きいので、異なる属性の妖精には説明が難しいのです。
「蜜は冷やしても固まり辛いので……。やはり花を扱う者でないと難しいんですね」
「うんうん、私も沢山練習したんだよ」
妖精の違いを論じてる間に、周りの景色も変化して行きます。
もう商店街は過ぎて、今は閑静な住宅地を通っています。
するとステラは景観に違和感を覚えました。
「重いですか、コロンさん?」
いつの間にか高度が、かなり落ちてしまっているのです。
今の高さは一メートルと半分位しかなく、近くに人は居ないとは言え、自転車等が飛び出して来る可能性も考えると安全とは言えません。
「う、うん? へーき、だよ? ステラちゃんに、比べたら、私、全然元気、だから……」
コロンは気丈に振る舞っているつもりですが、話し方からは結構しんどそうな感じしかしません。
ステラは急いでコロンから降りると、側に生えていた街路樹の根元へ腰を下ろしました。
「一旦休憩しましょう」
「えー? でももうすぐだよ?」
呼び出されて大急ぎで飛んで来た妖精のお医者さん。
しかもその体で患者をおぶって運んでいるのです。
考えてみれば、コロンが消耗しているのは当たり前でした。
「すぐって、何処にあるんですか、その病院は?」
「“しろゆり公園”って所だよ」
「……それ、全然遠いですよ」
今居るのは商店街と公園の丁度中間くらいの場所です。
道程はまだ半分残っていました。
「でも、下に落ちる前には着くと思うな」
スタートは二・五メートル、中間地点で一・五メートルですから、ゴールには五十センチの高さで到着する計算です。
「そんな低い所、危なくて飛べません。まだ地面に潜った方がマシです」
「その発想はなかったよー。ステラちゃん頭良いね」
「正気ですか?」
感心して隣へ座るコロンに、ステラはやや呆れています。
「兎に角、これはお返ししますから、コロンさんが食べて下さい」
ステラの手には例の粒が乗せられていました。
「ほえ? ステラちゃん、それお腹から出したの?」
「……珍しい物だから、一口舐めただけで取って置いたんです」
エネルギー体である妖精は、その気になれば食事の必要はないのですが、甘い物は別腹です。
実際の所、妖精にとって花の蜜とは、人間なら“栄養ドリンク”と同等の品と言えるでしょう。
「だけど、それは私がステラちゃんにあげたんだよ」
「でもコロンさんもお疲れですよね」
「だーかーらー、それは患者さんの為に私が作ったの!」
「それで医者が倒れたりしたら、誰が私を看てくれるんですか?」
「そこまでっす!!」
突然の声に、二人は同時にそちらを見ました。
「この喧嘩、オラっちが預かるでやんす」
そこには、もう一人の妖精の首が、地面からにょきっと生えていました。
コロン「モグラさん?」
ステラ(人面キノコ……?)