第一幕:朝、変態の目覚め
「おはようさくら。あと汚点息子」
五十嵐家の大黒柱、御眼我は、台所に入るなり、とんでもないことを口にした。その暴言の矛先は、台所に立って妹のさくらと一緒に朝食を作っている御天に向けられている。
「おはようクソ親父」
味噌汁に入れる葱を刻んでいた御天は包丁片手に振り向き、今にもその包丁で父親を刺し殺そうとしているかのような異常なまでに冷ややかな表情で御眼我を一瞥し、そして華麗な暴言返しを行って、再び葱を刻む作業に戻った。
「おはようお父さん」
小学校四年生のさくらは、同時に目玉焼きを三個焼きながら振り向き、少し眠そうな表情で御眼我の方を見ながらいたって普通に返事をして、再びフライパンに向き直る。
「お兄ちゃん。もうちょっと丁寧に細かく切ってよ。あと味噌汁沸騰してる」
「む……。スマン」
器用な小学生の妹が、不器用な高校生の兄に料理を教えるその姿は、何とも微笑ましい光景である。普段は朝ごはんはさくらが作る約束になっているのだが、今日は御天の気まぐれで料理を手伝うことになったのである。が、やはり普段料理をしない御天が足を引っ張っている感は否めない。
一人蚊帳の外に置かれている事を不服に感じた御眼我は、頬を軽く掻いた後、二人のほうへと近寄っていく。なによりもさくらと御天が親しそうにしていることが気に入らない。
「貸してみろ汚点息子よ。さくらの横という聖域はお前には似合わない」
「黙れ刺し殺すぞ変態親父」
「刺せるものなら刺してみろ汚点息子。お前が逮捕されていなくなったら私はさくらと共にラヴラヴ生活を満喫できる」
「小学校四年生の血の繋がった娘を性的な対象として見るなペドフィリアめ」
こんな罵り合い、この五十嵐家においては日常茶飯事である。
御天と御眼我の不仲は、傍から見るとまるで二人が親子なのに遺伝子レベルで嫌悪し合っているというレベルのものである。最初は一方的に御眼我が御天を罵り、そして御天は自己防衛として父親を罵るようになった。
と言っても、表面上は険悪でも内面はお互いに友達同士でふざけてどつき合い罵り合いをするような感覚であるゆえ、ある意味ではなかなか良い関係なのではないだろうか。
またいつもの恒例行事が始まった、と、さくらは二人のほうを見向きもせずに黙々と朝食を作り続ける。
「あたっ、指切った」
「ふはははーーーーっはははは! ざまぁ見やがれ! ついでに手首あたりを切ってそのまま死んでしまえいーっ!」
「……お兄ちゃん。邪魔するならどっか行ってて。煩いからお父さんも消えて」
小学生ながらこんな環境で育ち、しかも非常にたくましく大人な精神を持つさくらは、二人を軽くあしらった。
この家の財布はさくらが握っている。つまり、この家の実質的な支配者はさくらである。御目我も御天も、さくらには逆らえない。
「す、スマン……やはり俺には料理は向かないらしい」
御天は、大人しく包丁を置いて離れてしまった。御眼我もそれに同じく。
「ククク、無能め。有能でアインシュタインの生まれ変わりとさえ言われている大天才の私の血が入っているのに何故お前はそんなに無能なのだ。そうかあれか、ロクデナシだった私の父から隔世遺伝したな?」
「何とでも言えこのサムい大人」
尋常じゃないほど常にハイテンションの御眼我の言葉を聞き流しつつ、御天は居間に移動してソファーに座り、朝の情報番組を見始めた。ごく自然に、御眼我も隣へ。
「……」
「……」
「七時半か。幼女だらけのハァハァな教育番組『お母様といっしょ』をケダモノのような眼で見ようと思うのだが」
「勝手に見ろよ」
と言いつつ、テレビのリモコンは離そうとしない御天。当然、チャンネルを回す気にはなれない。御眼我にチャンネル権を与えるととんでもないことになってしまうのは目に見えている。
微妙な空気が漂う。台所からの料理をする音とテレビからの音が静寂を破っている。
「歌のお兄さんとお姉さんが変わってから何だか違和感を感じるんだ」
「知るか」
「……最近冷たいな息子よ。昔はもっとムキになって向かってきてくれたのに」
「十年くらいこんな生活してたらマンネリ化するのは当然だろ、親父」
実は御天自身、ちょっと楽しんでいる風もあったりする。そんなことを外に出したら、御眼我がつけあがるのは目に見えているので、あくまでも冷静であるが。
「そうか……。新しい罵りを真剣に考えてみようかと思う。……リモコン貸して?」
「駄目だ」
「キエェエエエエイ! 早くしないと幼女のパンチラを見逃すではないかあぁぁああーっ! MHK教育は合法的に幼女のエロが見れる唯一の局なんだぞーっ!」
「うおっ! 暴力反対だコノヤロウ!」
五十嵐家では珍しい、御天と御眼我による、リモコンを巡る取っ組み合いが始まる。
結果は、インドア派の御眼我が完膚なきまでに叩きのめされることとなるのであるが。
その後、さくらの裁量により、喧嘩両成敗で二人とも今月のお小遣い抜きが言い渡された。