魔女の約束
何の前触れもなく、突風が吹いた。
ファンの肉体を焼き尽くすはずだった炎の矢は、その進路を大きく反らし、地面に叩きつけられて爆音とともに火柱が立った。
「な、何だ?」
「これは……」
ファンだけでなくソフィーも驚いた。さっきのは風を操る魔法だ。二人の対決に割って入った魔法使いがいるのだ。このカルチェ・ラタンでもう一人の魔法使いといえば――。
「私だよ。ファン、ソフィー」
腰を抜かしているナタンの横に、いつの間にかジャネットがいた。
ファンやソフィーと同じ蒼色の左目が光り瞬いている。
「風の魔法ね、ジャネット。もう片方の魔法は上手く使いこなせたのね」
「私と相性がいい魔法みたいなの。あなたが私から奪った火の魔法は、ソフィーに馴染んでいるみたいじゃない」
「気づいていたんだ。でも、奪った、と言われるのは少し心外だわ」
「うん。本音を言ったら、私からその厄介な魔法を取ってくれて感謝している。でも、私の弟をその魔法で殺すのはやめて欲しいのだけれど」
そう語りながらジャネットは歩き、ファンをかばうようにソフィーとファンの間に立った。
「いちおう、可愛いんだ。生き別れの弟のこと。同じ魔法使いだというのに、あなたは捨てられて、この子は大切に育てられたのに」
「大人のやったことは、私たち子どもには関係ないわ。……まあ、本当はちょっと根に持っているかもだけれど」
そう言って笑うと、ジャネットは微笑したままだが、強くはっきりした口調でこう告げた。
「私、ソフィーが友だち想いだということを知っている。だから、お願いがあるの。私が嫌がることをしないで」
「うん、いいよ」
何ともあっさりとした二人の魔女のやりとり。
ファンは、ジャネットとソフィーの会話をぼうぜんと聞いていた。
「……とはいっても、私のほうから手を出したわけではないのよ。ファンさんが、私からこの『すげ替えられた運命』を取り上げて、しかも、火の魔法まで奪おうとするから、自己防衛のために戦っていただけなの。だから、お姉さんのあなたから弟さんに言い聞かせてあげて? 姉の友人をいじめたらだめだって」
「分かった」
「ね、姉さん。何を勝手な……」
ファンがそう抗議しかけると、ジャネットは「お黙り」と言わんばかりにファンの額をペシンと叩いた。
「ソフィーのことは私に任せなさい。弟のあんたは黙っているの。いいわね」
そう言うと、ジャネットはソフィーに向き直った。
「今後、ファンにはあなたのやることを邪魔させたりはしないわ。でも、友人の私から一つだけ約束して欲しいの」
「約束? 何の?」
「私、リリーが死んで悲しかった。幼い頃に苦労を分かち合った仲間が、あんなにもあっけなく亡くなるなんて、夢にも思っていなかったわ。だから、ソフィーにも死んでもらいたくない。……でも、このままではあなたはいつか魔女として殺されてしまうわ。あれだけ派手に魔法を使っているのだもの。魔女と疑われて裁判にかけられ、火あぶりにされるソフィーの姿を私は見たくない。もう二度と大切な親友を失いたくない」
「…………」
ファンがあれだけ諌めても心動かされることのなかったソフィーの表情に変化があった。
何の邪気も感じられない笑顔のソフィーをファンは初めて見たような気がする。笑っているのに、いまにも泣き出しそうなのだ。ジャネットの諌めの言葉と自分がソフィーにかけた言葉に何か大きな違いがあるのだろうかとファンは疑問に思った。
自分を心から心配してくれる人間がいてくれて嬉しい。
それは、ナタンやバジルなど自分に仕えてその身を心配してくれる人間がいたファンには、頭では理解できても真には分かり得ない感情だったのである。同じ捨て子で施療院育ちのジャネットやリリーだけが、ソフィーの心の内に入ることができたのだ。
「死に急ぐような真似はもうやめて。お願いよ、ソフィー。私たち魔女は、キリスト教徒への復讐よりも、賢く生き抜くことを考えないと」
「……そうね。たしかに、私が死んでしまっては、魔法を未来に残すというジルダとの約束を果たせなくなるわ」
ソフィーは、ジルダとの約束はあくまでも守り抜くつもりらしい。殺人を犯しても何ら後悔の念を抱かない、たちの悪い魔女だが、一度交わした契約は決して破らない義理堅さも持ち合わせているのだろう。こんな複雑な精神構造を持った女、女性が苦手なファンの手におえるはずが最初からなかったのだ。
「おい! 火事だ! あっちの方角で火柱が立つのが見えたぞ!」
突然、複数の男たちの声が聞こえてきた。どうやら、見回りをしていた市民たちが、ソフィーが先ほど起こした大きな火柱を目撃し、この場に駆けつけようとしているのだ。
「ま、まずいですよ、ファン様。急いでここから離れなければ、私たちまで放火犯だと疑われてしまいます」
ナタンが慌ててそう叫ぶと、ファンは「分かっている」と頷き、
「姉さん、ソフィー。俺について来てくれ。見回りの人間たちと鉢合わせしない小路を通って、逃げるんだ」
そう言い、焦げてぼろぼろになった上着を拾った。何が原因で犯人だとされるか分からないから、物的証拠は残すまいと考えたのである。
「私のことも助けてくれるのですか?」
意外だと言わんばかりに、ソフィーが目を丸めた。ファンはため息をつき、「そうだよ」と答える。
「俺はあんたのことが苦手だが、嫌いにはなれないようだ。何というか、善行であろうが悪行であろうが、あまりにも迷いがなさすぎて、憎みきれない。……ほら、早く逃げるぞ」
「ありがとう、ファンさん」
ウフフとソフィーは笑った。
(まったく、女は苦手だ)
ファンは、心中でそう愚痴るのであった。




