対峙
静寂な夜。
古き歴史を持つサン・ジェルマン・デ・プレ教会。
その教会の門の内側で身をひそめながら、一人の修道女が、通りを練り歩く市民たちを苛立たしげに睨んでいた。
昨夜の大火事によって市民たちも警戒しているのである。第二の放火がないかと。
「これでは、外に出て行くこともできないわ。やはり、昨夜のうちにすべての仕事を終わらせておくべきだった。あの剣士にやられた左肩の傷さえなければ……」
ソフィーは口惜しそうにそう呟く。
最初の計画では、まず『薔薇の家』を焼き、続いてその夜のうちにリリーをペストだと嘘の診断をした藪医者を殺しに行く予定だったのである。
しかし、バジルに襲撃され、返り討ちにはしたものの、ソフィーも肩に傷を負ってしまった。早く止血しなければ、出血多量で命に危険が及ぶと考え、やむなく藪医者殺しは明日にすることにしたのだ。だが……。
「夜中に女が一人で歩いているのをあの市民たちに目撃されたら、怪しまれて声をかけられるに違いないわ。この地区の人間は修道女である私のことを知っている。迂闊な真似はできない」
黒マントで身を覆って変装していても、ソフィーのことをよく知っている人間が見たら、(あれはもしかしてソフィーでは?)と疑う。人間というものは、一度疑念を生じさせたら、「そうに違いない」と決めつけてしまうものだ。そして、夜中に一人歩きをしていたソフィーが放火犯だと証拠もなく断罪しようとするだろう。
「まぁ、実際に私が放火魔なのだけれどね。……それにしても、悔しいわ。友だちの敵討ちを早く終わらせたいのに」
ソフィーがそう独り言を言った時、がさがさと葉ずれの音が、虫の声ひとつしていなかった教会の庭に響いたのである。
「リリーは、人殺しなんて望んでいない」
ソフィーが暗闇に目をこらすと、どうやって侵入したのか、ファンが庭の木陰から現れた。
「あら、不良学生さん。ここは売春宿ではありませんよ」
「そうか。でも、俺の馴染みの娼婦がいた売春宿は焼けてしまったものでね。……その娼婦もこの世の人ではないが。そういうわけで、娼婦のかわりに修道女のあなたをお誘いに来たのさ」
「罰当たりな人」
「魔女のあんたにだけは言われたくない。話があるから表に出よう」
「外はこんなにも巡回の人間がいるんですよ。迂闊に外をうろうろしていたら、あなたも放火魔だと疑われますが、いいのですか?」
「俺の左目は透視ができる。どこの道を行けば人に遭遇せずに済むか探るのはお手の物だ。……ついて来な」
「…………」
しばし考えるそぶりを見せたソフィーだが、すぐに微笑を見せ、「いいですよ」と答えるのであった。
* * *
ファンは、教会の裏手から石塀をよじ登って侵入したが、ソフィーと一緒のいまはそんなこともできないので、正門の前を誰も通っていないすきをついて教会から出た。
「ソフィー、こっちだ。あそこの路地へ行けば、誰も人はいない」
「ファンさん。あなたのお話とやらには後で付き合いますから、いまは私の行きたい場所まで連れて行ってはくれませんか」
ファンはソフィーに返事をせず、人気のない路地裏へとソフィーを誘導していく。誰も邪魔の入らない場所へと。
ソフィーも途中でファンの意図に気づき、危険を感じたようだ。
「私、やはり帰ります」
そう言って、ソフィーは踵を返そうとした。しかし、
「そうはいかないぜ!」
ナタンが立ちはだかり、ソフィーの退路を断った。謀られたと悟ったソフィーは、一瞬、動揺を見せたが、すぐに冷静な彼女に戻り、
「ファンさん。この人はあなたのお友だちですか。邪魔だから、燃やしてしまってもいいですか」
「それはちょっとやめてもらえるとありがたいな。ナタンは、頼り甲斐はないが、いちおう大切な従者だからさ」
「ファン様。いちおう、は余計です」
ナタンは、ファンに抗議したが、その声は若干震えている。あれだけ強かったバジルを殺したかも知れない魔女と相対しているのだと思うと、武術の心得がほとんどないナタンには恐ろしくてたまらないのだ。しかし、主人であるファンの助けにならなければと、こうして命を張っているのである。
「ファンさん。私、失望しました」
心底がっかりしたらしい口ぶりで、ソフィーは大きくため息をついた。
「同じ魔法使いであるファンさんならば、私のことを理解してくれると思ったのに……。昨夜私を襲った剣士と同じように、私を殺す気なんですね」
「……そのバジルを……あんたは逆に殺したな」
やはり、バジルはソフィーと戦ったのだ。ファンの悪い予感はすでに確信へと変わりつつある。
ファンの問いに対し、ソフィーはしばし無表情でいたが、やがて、くすりと笑った。
「私は何もしていません。ただ、あの人が勝手に死んだだけです。放火魔だと疑われて遺体を暴行され、セーヌ川に投げ捨てられた男の話、ファンさんは聞きましたか? その遺体というのが、バジルという剣士の成れの果てですよ」
「……バジルは誇り高い剣士だった。そんなバジルが、そのような不名誉な死を迎えるなんて……あっていいことではない」
「誇り高いですって? か弱い女を殺そうとした男が、名誉ある死を迎えられるはずがないではないですか」
何を馬鹿なことを言っているのだという軽蔑がこもった瞳でソフィーはファンを見つめる。そして、「私を殺そうとするのですか。あなたも」とわずかに悲しみを帯びた声で問うた。
「俺は……ソフィーを殺さない。死ねばすべての罪が消えるわけではないのだ。あんたがこれまでの悪しき行ないを悔いて、おのれの人生を改めるか。それとも、世の中に対する憎しみを抱き続けるか。それは、あんたの心の問題だから、俺は干渉するまい。……本当は説得するつもりだったが、人間はどこまでいっても愚かさを捨てきれないのだろう。ただ、二度と人殺しも放火もできないようにする。つまり――」
ソフィー、あんたの魔法を奪う。
ファンは、そう言った。
ソフィーの瞳孔が異様に大きく開き、そして、彼女は哄笑した。
腹を抱え、心底愉快そうに、修道女としてはあまりにも下卑た笑いだった。その笑い声は路地裏に響き、どこからか聞こえる犬の遠吠えと混ざり合って夜の静寂をかき消す。
ひとしきり笑い終えると、ソフィーは「いいですよ」と言った。
「やれるものならね。あなたみたいな魔法の力が中途半端な人間に何ができるのか、見せてください」
「いいだろう。見せてやる。俺は、これでも歴戦の勇士を輩出したガスコーニュ出身の男だ。粘り強さならば、誰にも負けない」
そう啖呵を切ったファンは、地を蹴り、ソフィーへと突進するのであった。




