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カルチェ・ラタンの魔女  作者: 青星明良
二章 放火魔
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三人の少女

 翌日から、ファンは、ダミアン、エドモン、そして、従者のナタンとともに放火魔を見つけるためにカルチェ・ラタンの街を調査し始めた。放火事件のほとんどがカルチェ・ラタンかその周辺で起きていたからである。


 しかし、放火魔の捜査は、昼食後、午後三時から始まる午後の授業までの間のわずかな時間しか行なえないため、なかなか進まなかった。


 放火事件があった現場をいくつか訪れ、聞きこみをしたのだが、有力な手がかりや目撃談を入手することはできなかったのである。放火魔の捜査は開始からわずか三日目で暗礁に乗り上げていた。


 あまりぐずぐずしていると、モンテーギュ学院が聖バルブ学院の学生に放火犯がいると訴え、裁判沙汰になるかも知れない。現在、グベア博士がモンテーギュ学院側と交渉を行ない、誤解を解こうと必死になっているが、普段から仲の悪い学院同士、話し合いは難航していた。


「腹減ったなぁ」


「エドモンさん。昼食を食べてまだ一時間も経っていませんよ。ちょっとは我慢してください」


 三歩歩くたびに空腹を訴えるエドモンに対して、温和なダミアンが珍しく苛立った口調でそう言った。


 午後の授業が始まるまでの昼食後の時間は、ダミアンにとって神聖なる読書の時間だったのだ。それが放火魔の捜査に時間を奪われ、しかも、いっさいの成果もないままだらだらとカルチェ・ラタンの街を歩いているのである。イライラしてしまうのも当然だとファンは思った。


「今日の捜査は、ここらへんでやめにしようか。いまから自由時間だ」


 ファンが思い切ってそう言うと、エドモンがよだれをたらして「どこかの料理屋に行ってもいいのか?」と聞いてきた。


「たらふく食ってこいよ。俺も行きたいところに行く。ただし、午後の授業までには学院へ戻って来るんだぞ」


「い、いいんですか? そんなずるをしても。僕たちは放火魔を捜すために外出許可をもらっているんですよ?」


 真面目なダミアンが心配そうな顔をしている。ファンはダミアンの肩をぽんぽんと叩き、


「ガノレス助教授みたいになれとは言わないが、ちょっとぐらいの息抜きをしても怒られないさ。それに、どこで放火魔に関する情報を手に入れるか分からない。だから、これも調査の一環だよ」


 そう言って、ダミアンをしぶしぶ納得させるのであった。


「じゃあ、俺、飯食ってくる!」


 エドモンは嬉々としてどこかへ行ってしまい、ダミアンも本屋を何軒か見て回ると言ってファンと別れた。カルチェ・ラタンは学生の街だけあって、あちこちに本屋があるのだ。


「さて、俺たちも行くか」


 ファンがナタンに言うと、


「サン・テスプリ施療院ですね。今回はあらかじめ地図を見て調べておきましたから、迷子になる心配はありませんよ」


 と、得意げにナタンは答えるのであった。



            *   *   *



 プティ・ボンの橋を渡ってセーヌ川の中州であるシテ島へ、そして、ノートルダム橋をさらに渡り、グレーヴ広場のサン・テスプリ施療院にたどり着いた。だが……。


「これは……」


「大変なことになっていますね……」


 ファンとナタンは困惑のあまり言葉を失った。ペストや重い病気にかかった貧民たちが施療院に助けを求めて列をなし、とても入れるような状態ではなかったのである。


「カルチェ・ラタンのあたりはまだいいほうなのだな。こんなにもペストが蔓延しているなんて……」


「これでは、病気でもない私たちが訪ねても、相手なんてしてもらえそうにないですね……。どうしましょう、ファン様」


「むぅ。そうだな……」


 ファンとナタンが施療院の様子を少し離れた場所から観察していると、


「これ、あんたたち。こんなところに突っ立って何をしとる。病気に苦しむ人たちを見物して、そんなに楽しいか」


 後ろから怒鳴り声がして、ファンとナタンは尻を棒のようなもので突かれた。


「わっ、何をする」


 ナタンが振り向き、怒鳴り返すと、そこには腰が曲がった七十歳ぐらいの老翁がほうきを杖がわりにして立っていた。


「ナタン、やめろ。お年寄りだ。……すまない、俺たちは施療院に用があって来てみたのだが、あの有様を見て驚いていたのだ」


「どう見てもピンピンしていて血色のよいあんたらが、施療院に何の用じゃ。あっ、子どもはだめだ。これ以上、孤児や捨て子の面倒は見られん。絶対に連れて来るなよ」


「違う、違う。……あなたはこの施療院の責任者なのか?」


「いんや、そんな偉いもんではない。わしは二十年ほど前に借金で家を失ってな。施療院に住まわせてもらうかわりに、ここで預かっている孤児たちの面倒を見ておるんじゃよ」


 二十年前からと聞いて、この老人は昔ここにいた姉のことを知っているかも知れないとファンは考えた。……老人がボケていなかったらの話だが。


 意を決したファンは、老人に、十三年前に施療院で保護された六歳の女の子のことを記憶していないかとたずねてみた。


「十三年前に六歳……ということは、いまは十九歳になっている娘じゃな。知っとるぞ」


「ほ、本当ですか?」


「ああ。三人いた。どれも印象的な子じゃったから、三人ともはっきり覚えておるぞ」


「えっ、三人?」


 予想外の答えにファンは少し驚き、ナタンと顔を見合わせた。


「その子たちが、いったいどうしたというのだ」


「彼女たちのうちの一人が、俺の姉かも知れないのです」


「ふぅん……?」


 老人は、胡散臭そうにファンを見つめ、こう言った。


「生き別れの姉を見つけて、どうする気じゃ。あんた、見たところ、なまりはひどいが育ちの良さを感じるから、田舎の貴族の息子か何かだろう。天涯孤独の身として生き、あんたとは別世界で生きている姉といまさら会っても、何もいいことはないと思うぞ。向こうは自分を捨てた家の人間と関わり合いを持ちたくないと思うかも知れん」


「母が、どうしても会いたがっているんです。心の病に侵された母が唯一、いまも昔も変わらず願い続けている悲願なのです。だから、俺は母のためにも姉を連れて帰りたい。……お願いします。彼女たち三人がいまどこにいるのか教えてください。面倒を見てきたあなたなら、知っているのではないですか?」


「…………見かけによらず強情な若者じゃな」


 老人はあきれたようにそう言うと、施療院に数年前までいたという三人の名前をファンに告げるのであった。そして、その三人のうちの一人に、『薔薇の家』の娼婦であるリリーの名が出てきて、ファンは驚いた。

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