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3rd day:動き出した心

 朝になって目覚めた時、私はもうパソコンが人の姿になったのは夢だったのだろうか、なんて思ってはいなかった。昨日の朝はてっきり夢だと思い込んでいたから、ぼさぼさの髪型にパジャマ姿でリビングへ行ってしまったけど、今日はきちんと着替えて、髪の毛にもブラシを通してから部屋を出た。

 リビングの扉を開けて、おはよう、と声を掛けようとパソコンデスクの上を見る。──そこには誰もおらず、昨夜私の買ってきたクッションだけがぽつん、と置かれていた。


「あれ?」


 どこへ行ったのだろう。そう思いながら、とりあえず顔を洗おうと洗面所へ向かう。すると、台所の方からふわりと良い匂いが漂ってきた。

 驚きながらも台所に顔を出すと、フライパンで何かを焼いていた彼が、振り返ってふわりと笑った。


「ああ、おはよう、舞」

「おは、よう」


 フライ返しを手にしたまま向けられた笑みに、昨日のことを思い出す。昨夜私が帰ってきた時も、彼はフライ返しを手にして、ハンバーグを焼いていた。私は彼の隣へ近寄り、フライパンの中を見下ろす。そこには、程良い焼け具合のフレンチトーストがあった。湯気と共にふわりと立ちのぼった甘い香りが、鼻腔を擽る。


「わあ、いい匂い。これ、フレンチトースト?」


 ふっと隣を見上げると、彼は穏やかな笑みを浮かべた。


「そう。ちょうど牛乳と卵があったから、作ってみたんだ。準備しておくから、顔を洗っておいでよ」

「うん、ありがとう」


 私は彼に笑みを返して、そのまま洗面所へと向かう。昨夜、晩御飯を作ってくれていたことにもびっくりしたのに、まさか朝御飯まで作ってくれるなんて思わなかった。

 顔を洗って、化粧水をしてから台所へ戻ると、ちょうど朝御飯がお皿に盛り付けられたところだった。


「どうぞ」


 彼は私をテーブルに促した。私は席について、目の前に並べられたお皿にびっくりする。焼きたてほかほかのフレンチトーストと、プチトマトの載ったグリーンサラダ。それから、湯気の立ち上るコーヒー。ご丁寧に、小さなミルクポットと、砂糖の瓶を隣に置いてくれている。このミルクポットは頂き物で、戸棚の奥に仕舞い込んであったやつだ。よく見つけたなあ。


「凄い、ホテルの朝食みたい」


 思わずそう声を上げると、彼はくすっと笑った。


「そんな大げさな。……味の保障は無いけど、どうぞ召し上がれ」

「ううん、絶対おいしいよ。良い匂いがするもん」


 私はいただきます、と手を合わせて、ナイフとフォークを手にした。小さく切ったトーストを口に運ぶと、じゅわっと柔らかく、口の中でとろけていく。まるで昨晩から漬け置きしていたかのように、シロップがよく染み込んでいる。


「ん~~、おいしい」


 思わず頬に手を添えてにやにやと笑う。ふっと視線を感じて正面を見ると、いつの間にか正面に座っていた彼が、頬杖をついて私を見つめていた。


「わっ」


 じろじろと見られていたことに気が付いて、頬が熱くなっていく。見られながら食べるのにも慣れてきたかも、なんて思っていたのは、気のせいだったのかな。落ち着かなくてそわそわする私を、彼はなんだか優しい目で見下ろしている。


「おいしいなら、良かった。俺には味見できないから、舞がおいしいって言ってくれるとほっとする」


 あ……、そっか。彼はパソコンだから、ご飯を食べたり出来ないんだよね。だから、料理は全部味見できないんだ。


「うん、凄くおいしい。ありがとう」


 私がぺこりと頭を下げると、彼は目を細めて優しく笑った。少し儚げなその笑みがとても綺麗で、私はしばし、食べるのも忘れて見とれてしまった。

 直後彼に、時間大丈夫?、と声を掛けられて我に返った私は、慌てて家を出たのだった。





 その日の帰り道、私はスーパーで買い物をしてから家に帰った。彼は、昨晩は晩御飯を作ってくれていたけれど、今日はもう冷蔵庫に食材が無かったはずだから、何も作ってくれてはいないだろう。

 そう思って、親子丼でも作ろうと鶏肉と三つ葉を買って帰った。


「ただいまー」


 玄関の扉を開けて、家の中が暗いことに気が付く。あれ、変だな。昨日は明るかったのに、今日はまるで誰もいないみたいだ。

 私はリビングの扉を開けて、電気をつけた。パソコンデスクの上に座って、ぼんやりと窓の外を見ていた彼が、私の方を振り返った。


「あ、おかえり」

「どうして電気つけないの? もう真っ暗なのに」


 昼間なら兎も角、夜になれば、電気がないと真っ暗で周りが殆ど見えない。


「いや、舞がいないのに電気をつけたら勿体無いだろ?」


 勿体無いってまさか、電気代のことを言っているのだろうか。


「そんなの気にしなくていいのに。こんな暗い部屋にいたら、気持ちも暗くなっちゃうよ」


 暗い部屋でじっと座っているだけだなんて、想像しただけでも気が触れそうだ。窓辺に寄ってカーテンを閉めた私は、視線を感じて振り返る。彼は、パソコンデスクの上から下りたところだった。


「舞、何を買ってきたの?」

「えーと、鶏肉と、三つ葉」


 彼はスーパーの袋を覗き込んで、ふわっと笑った。


「親子丼だね」


 料理に手馴れた主婦じゃあるまいし、どうして分かるんだろう……。




 俺がやるから、と言われ、何故だか彼が親子丼を作ってくれることになった。彼が調理してくれている間、私は洗濯物を取り込んで畳んだり、お風呂を沸かしたりしておいた。

 本当に、よく働くパソコンだ。ありがたいけれど、なんだか申し訳ない。彼自身は、ご飯を食べられないのに。


「──いただきます」


 例の如く、正面から視線を感じながら、私は親子丼に箸をつけた。卵はふわっふわのとろっとろで、つやつやに輝いている。


「あ~、おいしい……」


 誰かの作ってくれるご飯はおいしく感じられると言うけれど、実際に、彼は私よりも料理が上手いと思う。まるでお蕎麦屋さんのだしでも使っているのかと思うくらい、深みがあっておいしい味付け。ふわふわ卵の親子丼を口に運んで幸せに浸っていると、彼は頬杖をついたまま、目を細めて私を見つめていた。


「舞は本当においしそうに食べるね」

「だって、おいしいもん。本当に、料理上手だよね。パソコンなのに、不思議」


 おいしい、おいしいと食べる私を、彼は優しい表情で見つめている。


「本当においしいのに。一緒に食べられたらいいのになあ」


 ぽつり、とそう呟いたら、彼は驚いたように目を丸くした。そういう表情一つとっても、本当に人間にそっくりだ。彼がお風呂に入ることも出来ない、ご飯を食べることも出来ない、人の姿をしただけのパソコンだなんて、嘘のようだと思う。


「俺が?」

「うん」


 二人で一緒にご飯を食べられたら、きっと楽しいだろうな。


「折角ご飯を作ってくれても、こうやって一人で食べてるの、なんだか申し訳ない」

「そんなことないよ。俺、舞がご飯食べてるとこ見るの好きだよ」


 何気無く紡がれた「好き」という言葉に、どきりとする。勿論、変な意味じゃないって分かってはいるけれど、恋愛経験の乏しい私には、それだけでも刺激が強すぎる。


「あ、ありがとう」

「お礼を言うことじゃないと思うけど」


 彼は目を細めて、おかしそうに笑った。




 ご飯を食べた後、スマートフォンを操作しながらまったりとメールチェックをしていた私は、ふと顔を上げた。視線を感じて目線をずらすと、パソコンデスクの上に三角座りをしていた彼は、微かな笑みを浮かべて私を見下ろしていた。


「ど、どうかした?」


 見られていたことがなんだか少し恥ずかしくて、早口で問い掛けると、彼は小さく頭を振った。


「何もないよ。舞はにこにこしながら一体何を見ているのかなって考えてた」


 わ、私、にこにこしてたのかな。そんなつもりは無かったけれど、友達から送られてきたメールの文面が面白かったから、表情に出てしまっていたのかもしれない。


「友達から貰ったメールで笑って……。……あ」


 メールでふいに思い出した。


 そういえば、彼が初めて人の姿で私の目の前に現れたとき、彼は、メールチェックをしてくれた。昨日は、レシピを調べて晩御飯を作ってくれていた。ということは、人間のような姿をしている今でも、インターネットに接続することは可能と言うことだよね。


「あなたは、パソコンに戻ることも出来るの?」

「え?」


 彼は一瞬きょとんとしたように瞳を瞬いて、それからふっと微笑した。


「うん、戻ろうか? パソコン使う?」

「あっ、ううん、大丈夫、戻らないで」


 彼はそのままパソコンに戻ってしまいそうな勢いだったので、私は慌てて止めた。彼は不思議そうに私を見下ろした。


「べ、別に、パソコンがなくても、スマホがあれば事足りるから、大丈夫。戻らないで」


 私の言葉に、彼は苦笑を浮かべてみせる。


「なんかそんな風に言われると、俺って必要とされてないみたいでちょっとショックだな」


 その表情が少し寂しそうに見えたので、私は慌てて捲くし立てた。


「そ、そんなことないよ。不動産屋のサイトで家を探す時とか、画面大きい方が便利だし、キーボードの方が文字も入力しやすいし……、パソコンがないと、困るよ」

「そう? でも、だったら戻るよ? パソコンが無いと不便だろ?」


 私はぶんぶんと頭を振った。


「今のとこ、大丈夫だよ。また、どうしてもパソコンが使いたくなったら、お願いするね。……ありがとう」


 私はそう言って笑って見せたけれど、多分、彼にパソコンに戻って欲しいと頼み込むことは無いだろうな、と思った。

 だって、彼がパソコンに戻ってしまったら、もしかしたらもう二度と、人の姿にはなってくれないかもしれない。なんとなく、そんな風に思ったのだ。

 そして、それはとても嫌だと思った。

 彼がまた物言わぬパソコンに戻ってしまったら、私はまた一人ぼっちに戻ってしまう──。

 彼が人の形を取るようになって、まだ三日しか経っていないのに、彼のいる生活がもう当たり前のようになっている。もう、この広い家で一人ぼっちで過ごすなんてことには、耐えられないように思えた。




 お風呂を上がった後は、髪の毛をぐしぐしと拭きながら、彼と一緒にテレビを見た。一緒に、と言っても、彼はパソコンデスクの上に座ったままだ。テレビはパソコンデスクと殆ど水平の位置にあるので、彼は膝を抱えて、小首を傾げるようにしながらテレビを見つめていた。


「ねえ、見難くないの?」


 思わずそう声を掛けると、彼は不思議そうに私を見た。


「え?」

「こっちに来たらいいのに」


 私が隣をぽんぽん、と叩くと、彼は一瞬驚いたように目を丸くした。その顔を見て、私は変なことを言ったかな、と不安になる。

 やっぱり、なんでもない──。そう言おうと口を開いたとき、彼は嬉しそうにふわり、と笑った。


「うん」


 ぴょん、とパソコンデスクの上から飛び降りて、私の隣へと歩いてくる。彼はDVDの入った棚にもたれるようにして、私の隣で膝を抱えた。そのままテレビを見始めた横顔を、じっと見つめる。

 うわー、近くで見ると、肌綺麗だなあ。毛穴とか見えない。ファンデーションでも塗ってるみたい、なんて馬鹿なことを考える。

 いや、毛穴なんてものは、そもそも存在しないのかな。なんていったって、人間じゃないんだもんね。


「どうかした?」


 じっと見つめていたからか、彼が不思議そうに私を見た。至近距離で顔を見つめられて、どきん、と胸が跳ねる。


「な、なんでもない、けど……その座り方好きだね」


 私は慌てて目を逸らして、テレビの方を向きながら言った。


「え? ああ……そうか。ここだと、足を伸ばしてもいいんだね」


 彼はそう言って、膝を伸ばした。それでもしっくり来なかったのか、片膝だけを立てると、小さく笑った。


「舞」

「なに?」


 強い視線を感じるものだから、私はテレビを見つめたままで答える。正直、テレビの内容なんか全然頭に入ってこないけど、この至近距離で彼を見つめ返すのも恥ずかしい。


「ちょっとくらい、こっち向いてよ」


 その言葉と同時に、バスタオル越しに頭をがしっと掴まれる。


「わっ! ちょ、ちょっと、やめてよ」


 そのままぐしゃぐしゃと髪の毛を拭かれて、私は必死に身を捩った。そういえば、昨日もこんな風に乱暴に髪の毛を拭かれた気がする!


「早く乾かしておいでよ。かぴかぴになるよ」

「うん」


 いつものことなんだけれど、髪の毛を乾かすのって少し面倒で、いつもだらだらと先送りにしてしまう。


「ほら、乾かしてあげるから」


 彼は立ち上がると、すたすたと洗面所の方へと歩いていった。


「あ、ちょ……、待ってよ」


 私も立ち上がり、慌てて後を追いかける。パチッ、と洗面所の電気をつけた彼は、ドライヤーを手に持って振り返った。


「おいで」

「い、いいってば、自分で乾かすよ」


 ドライヤーを取ろうと手を伸ばすけれど、ドライヤーを遠ざけられる。


「まーい」


 まるで我儘な子どもを宥めるような口調で、名前を呼ばれる。私は悪くないのに、って思ったけれど、その甘い声音に胸がとくんと高鳴った。

 い、いやいやいや。だから相手は、パソコンなんだってば。電子機器! 無機物だよ、無機物。


 結局根負けして、私は昨日と同じように髪の毛を乾かしてもらうことになった。

 ドライヤーを当てながら、優しい手つきで髪を撫でられる。


「舞の髪って柔らかいよね」

「そうかな? みんなこんな感じじゃないの?」


 ドライヤーの音に負けないように大きな声で返すと、そんなことない、と大きな声で返事が返って来た。


「──ら──のに」


 彼が何かを呟いたけれど、ドライヤーの騒音でよく聞こえない。


「え、何?」


 あっという間に髪が乾いたようで、ドライヤーのスイッチが切られた。彼はドライヤーを元の位置に戻すと、私の頭にぽんと手を載せた。


「……なんでもないよ」


 振り返った私の頭を、彼は優しい手つきで撫でてくれた。

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