2nd day:いじわるな優しさ
朝起きた時、彼はもういなくなっているんじゃないだろうかと思っていた。目が覚めてみたら昨夜のことは全部夢だった、というのが一番自然な展開だと思ったのだ。私はクマ柄のパジャマ姿のまま、大きなあくびをしながらリビングへの扉を開けた。
その瞬間、パソコンデスクの上で膝を抱えて座っていた彼が、私を見てふっと笑った。
「おはよう」
「おは、よう」
彼は昨日と同じように、人間の姿でそこにいた。私はびっくりして、ぎこちない挨拶を返す。彼は柔らかい笑みを浮かべたまま、自らの右手で頭を撫でた。
「髪、凄いことになってるよ」
「え?」
私はふ、とテレビに目を遣った。電源の入っていない真っ黒なテレビに、寝ぼけ眼の私の姿が映し出される。大きく跳ねたかなり野生的な髪型を見て、私は思わず両手で髪を抑えた。
彼はそんな私を、穏やかな目で見つめている。
「ぬ、濡らしてくる……」
「うん、いってらっしゃい」
彼は三角座りをしたまま、そう言った。私はすぐに洗面所へ行き、髪を濡らして寝癖を直した。着替えを済ませてリビングへ戻ると、彼はまだパソコンデスクの上に座っていた。
そういえば、夜眠る時からあそこに座っていたけれど、本当に一晩中、あの恰好でいたのだろうか。
「ずっとそこに座ってたの?」
私の問い掛けに、彼は不思議そうな目を向けた。
「ずっとって?」
「夜通し、ずっとそこに座ってたの?」
彼は不思議そうな表情のままで頷いた。
「うん、そうだけど?」
「おしり痛くならない?」
私の問いに、彼は小さく笑う。
「ならないよ」
本当かなあ……。あんな固い場所に一晩中座っていて、お尻が痛くならないなんてこと、ありえるのかな。私なら絶対に痛くなると思うけれど、彼はパソコンだから平気なのだろうか。
彼は、やっぱり今日も向かいに座って、私が朝御飯を食べる姿をじっと見つめていた。
「朝御飯、これだけなの?」
バターを塗ったトーストを齧る私を見つめて、彼が心なしか心配そうに言う。
「うん。朝は、時間が無いから」
「ちゃんと食べた方がいいよ。体に悪い」
「お父さんが生きていた時は、ちゃんとお味噌汁作ったり、お魚焼いたりしてたんだよ」
私は言い訳がましくそう口にしていた。
「でも、ほら。今は自分だけだし、わざわざ自分のために朝御飯作るのって、結構面倒くさいから」
小さく笑いながらそう言う私に、彼は困ったような笑顔を浮かべただけだった。
喋っていた所為かいつもより時間がなくなってしまって、私は慌てて着替えて化粧をして、家を出た。
「鍵、閉めとくよ」
玄関まで見送りに出てきてくれた彼の言葉に、私はびっくりして瞳をしばたたいた。
「え?」
「ほら、時間無いよ」
忘れてたよ、とスマートフォンを手渡されて、私は慌てて靴を履く。玄関の扉を開けて振り返ると、彼は小さく手を振っていた。
「いってらっしゃい」
「……いってきます」
私はこの一年、ずっと一人ぼっちで暮らしていた。誰かに見送られるということは、とても不思議に思えたけれど──、その"いってらっしゃい"という言葉は、私の心をほうっと温かくしてくれた。
*
仕事を終えて、私はいつものように駅までの道のりを歩いていた。会社から駅までへは、商店街の中を通っていく必要がある。見るとも無しに通りすがりに店先を見ていると、ふと雑貨屋の前に置かれたワゴンに目がいった。店の前に置かれたワゴンにはクッションが山のように積んであり、大特価と書かれた紙が、ワゴンに紐で括りつけられている。私はクッションに吸い寄せられるように、ふらふらとワゴンに近付いていった。
カラフルなクッションから真っ黒なクッションまで、色々なクッションが乱雑に積まれている。その中でも、鮮やかな黄緑色と白の水玉模様のクッションが私の目を引いた。
「あ、これ可愛い……」
思わず手に取ったとき、ふいに、パソコンデスクの上に膝を抱えて座る彼の姿が頭に思い浮かんだ。今朝、お尻が痛くならないのかと聞いたとき、彼は痛くならないと言っていた。だけど、本当に痛くならないのかな。
そのクッションはふわふわしていて、柔らかくて気持ち良さそうだった。これを敷けば、固くて平坦なパソコンデスクの座り心地もぐっと良くなるだろう。私はそのクッションを手に、雑貨屋の店内へと歩き出した。
雑貨屋でクッションを購入した後、クッションの入った紙袋を抱えて、私はいつものように帰路を辿った。
最寄り駅で電車を下り、歩いて自宅まで向かう。鍵を開けて玄関の扉を開くと、家の中が明るかった。台所の電気が点いていて、それが玄関まで漏れているのだと気付く。どうして台所の電気が点いているのだろう。消し忘れたのかな……。とりあえず真っ先に台所へと向かうと、シンクの前に彼が立っていた。振り返った彼は、私の姿を認めるとふわっと笑った。
「あ、おかえり」
「た、ただいま。……何してるの?」
なんだか、いい匂いがする。……まるで、ハンバーグのような匂いだ。
「晩御飯を作ろうと思って。冷蔵庫にあった食材、勝手に使ったよ」
「それは、いいけど」
そんなことはいいんだけれど、晩御飯を作ろうと思って、とはどういうことだろう。私は呆然としたまま彼の傍に近寄って、その手元を何気無く覗く。彼はフライパンとフライ返しを使って、ハンバーグを焼いていた。
「え、これ……あなたが作ったの!?」
型で抜いたように綺麗な楕円形のハンバーグは、ふっくらしていてとてもおいしそうだ。だけど、まさかパソコンである彼がハンバーグを焼いているとは思ってもみなかった。驚きのあまり口をぽかんと開けたままの私を見てくすっと笑うと、フライ返しでハンバーグをひっくり返しながら、彼は頷いた。
「うん。料理って難しいのかと思ってたけど、そんなことないね。レシピに従えばいいだけだから簡単だったよ」
「レシピ、って?」
私、レシピ本なんか持っていたっけ? 私が頭上に疑問符を浮かべていると、フライ返しを置いた彼は、私に顔を向けた。
「ネットで調べたんだ」
彼の長い人差し指が、こめかみを指す。なるほど、彼はパソコンだもんね。言ってみれば、脳みそがインターネットに繋がってるような状態なのかな? それって、凄く便利。
「自分で好きなことを調べられるの?」
私が問い掛けると、彼はうん、と頷いた。
そうなんだ。……そういえば、昨晩も"いただきます"はネットで得た知識だとか言ってたっけ。私が起動してない時も、色々調べてたのか。冷静に考えると、変なパソコンだなあ。
まあ、人型になってる時点でおかしいんだけど。
「でも、どうしてご飯作ってるの? おなかすいちゃった?」
私の問い掛けに、彼はきょとんとしたように私を見た。
「俺はご飯は食べないよ。知ってるだろ? これは、舞のご飯」
「え? 私の?」
どうして私の晩御飯なんて、作ってくれているんだろう?
「昨日、仕事から帰ったらゆっくり料理する時間が無い、みたいなことを言っていたから。俺はどうせ暇だし」
手洗っといでよと促され、私は慌てて洗面所へ行って手を洗った。台所に戻ってくると、ハンバーグはお皿に綺麗に盛り付けられていた。上には目玉焼きが乗っている。隣には、お茶碗に入ったほかほかの白ご飯。ご飯まで炊いてくれたんだ。──あれ?
「ご飯、炊いてくれたの? 水なんか使って大丈夫?」
繊細な電子機器なのに、水に触っても大丈夫なのかな。思わず問い掛けると、彼は私を振り返って目を細めた。
「大丈夫。ちゃんと濡れても大丈夫な腕にしたから」
大丈夫な腕にしたって、なんだろう。手袋でもしたのかな。
「あと、これ」
机の上にはわかめと豆腐のお味噌汁と、ポテトサラダ、きんぴらごぼうが次々と並べられた。
「舞って、買い貯めするタイプの人間だったんだ? 豆腐の賞味期限昨日だったよ。ごぼうも、洗いごぼうを買ったんなら早く使わなきゃ、直ぐに痛んじゃうよ。乾燥わかめなんか、賞味期限切れてたし」
買い貯めをしているつもりはないのだけれど、安いときにはついつい買ってしまって、そのまま使うのを忘れてしまう残念なタイプなんだよね。
「わかめも豆腐も、一応食べれそうだったから味噌汁にしたけど、味が変わってたら捨てて」
滅相も無い。賞味期限を過ぎたって、一日くらいどうってことないだろう。乾燥わかめに至っては、私の中では賞味期限なんて有って無いようなものだし。
「ううん。ありがとう。こんなに色々作ってくれたんだね」
まさか、パソコンが私に一汁三菜の晩御飯を作ってくれるとは……。
「時間が有ったから。……喜んでくれた?」
首を傾げて問い掛けられて、私は何度も頷いた。
「うん、凄く嬉しい」
誰かに晩御飯を作ってもらったのなんて、何年振りだろう。お父さんは料理をしない人だったから、お母さんの亡くなった中学生の時以来かもしれない。
「良かった」
彼はふわりと笑った。
「どうぞ」
彼はそう言うと、椅子を引いて私を促した。どこでそんな動作を覚えてくるんだろうと思うとなんだかおかしくなって、私は笑いながら、お礼を言って椅子に座った。
「いただきます」
食事の間中、彼は向かいの席に座ってずっと私のことを見つめていたけれど、早くも慣れてきたのかあまり気にはならなかった。彼の作ってくれた料理はとてもおいしくて、私は味噌汁のおかわりまで綺麗に平らげたのだった。
お風呂から上がった後、私はパソコンデスクの上に座っている彼を見て、クッションのことを思い出した。紙袋に入れたままのそれを手に取り、立ち上がって彼に差し出す。彼はその紙袋を見て、不思議そうに私を見上げた。
「これ、なに?」
「プレゼント。開けてみて?」
彼は怪訝そうな表情を浮かべながらも、紙袋の上を留めていたテープを外した。中から取り出したクッションを見て、驚いたように瞳を瞬いている。
「お尻、痛くないって言ってたけど、やっぱり痛いんじゃないかなって思って。それ、柔らかくて気持ち良さそうだなって思って、買ったの。良かったら敷いてみて?」
彼は無表情で、手にしたクッションをじっと見つめている。私の発言にも何の反応も示さないので、私は段々と不安になってきた。もしかして、気に入らなかったのかな。彼は人の姿をしているとはいえパソコンなのだし、余計なお世話だっただろうか。
内心おろおろしながら彼の様子を見ていると、クッションから目を離した彼が、私を見上げて柔らかく笑んだ。
「……ありがとう」
その優しい陽だまりのような笑顔に、心がほうっと暖かくなる。彼は本当に嬉しそうに、目を細めてクッションを見つめていた。細く長い指先が、クッションを愛しむようにさすっている。
彼はやがて、お尻を少し浮かせて、クッションをその下に敷いた。クッションの上に身を置くと、彼は私を見上げて笑った。
「うん、確かに柔らかい」
「良かった」
いくら人間じゃないとは言っても、やっぱりお尻は痛かったのかもしれない。嬉しそうに笑う彼を見て、私も嬉しくなって笑った。余計なお世話かなって悩んだけれど、やっぱりクッションをあげて良かったな。
その後、頭を拭きながら、私は見るともなしにテレビを見ていた。彼は相変わらず、パソコンデスクの上に膝を抱えて座ったままだ。その体制のままで、見下ろすようにテレビを見つめている。
「お昼、何してたの?」
一日中、ぼんやりと座っていたのだろうか。そう思って問い掛けると、彼は不思議そうに私を見下ろした。
「何してたの、って? ここに座ってたよ」
「一日ずっと? 退屈じゃなかった?」
問いを重ねると、彼は尚不思議そうに小首を傾げる。
「ずっとじゃないよ。夜は舞の晩御飯を作ったし、楽しかったよ」
そうか。人型になる前は、彼は一日中パソコンデスクの上に静かに座っているだけだったんだもんね。私の晩御飯を作ってくれた今日は、寧ろいつもより変化のある一日だったのかな。
それでも、一日膝を抱えて座りっぱなしだなんて、やっぱり退屈だと思う。
「あの、お昼間、テレビとか見てくれていいよ? 知ってると思うけど、DVDとかも後ろの棚にあるから」
我が家にはDVDが沢山ある。いい暇つぶしになるだろうと思ってそう言ったら、彼は何故かくすくすと笑い出した。
「パソコンが、テレビでDVD見てるのって変じゃない?」
確かに、そう言われたらすごく不自然だ。人の姿で、普通に流暢な日本語を使って会話できるものだから、彼が人間でないことを時々忘れそうになる。
「まあでも、今度時間を持て余したら、見せてもらおうかな」
「うん。好きなの見て。アニメ映画からホラーまで何でもあるから」
私がそう答えると、彼は驚いたように瞳を瞬いた。
「ホラーもあるの? 舞、怖い話は苦手じゃなかった?」
「うん、私は苦手だけど……、この棚の奥に、お父さんの好きだったホラー映画がいっぱい入ってるの」
お父さんの持っていたホラー映画たちは、パッケージが目に付いただけでも怖くて、捨てることさえ出来ずに、棚の奥にしまいこんである。パソコンデスクの上からでは棚の奥までは見えないから、彼は気付いていなかったんだろう。
「だけど、怖い話が苦手だってこと、どうして知ってるの?」
「テレビを見ていても、怪談話が始まった瞬間にチャンネルを変えるだろ?」
彼は笑みを浮かべながら言った。確かにそうなのだけれど、なんだか恥ずかしくなって、私は目を逸らしてテレビ画面を見つめた。
「あなたは、怖い話は平気なの?」
「うーん、別に見たいとも思わないけど、怖いとも思わないかな。あれは、何を楽しむためのものなの?」
彼は不思議そうに言った。本気で、楽しみ方が分からない、という口ぶりだった。
「怖いな、と思って、ひやっとして、その恐怖が楽しいんじゃない? 私は苦手だから、よく分からないけど……っていうか、怖い話はやめない?」
何だかそんな話をしているだけで背筋が冷えてきたような気がして、私はバスタオルで頭を拭きながら言った。彼は、え、とまたも不思議そうだ。
「怖い話について話しているだけでも怖いの? 怖い話の内容については一切触れていないのに?」
ちらりとパソコンデスクの上を見上げると、心なしか、表情が少し笑っている。
「もう、やめてってば」
思い出さないようにしようとすると、何故か思い出してしまうのが人間というものだ。過去にうっかり見てしまった怖い話の内容が、次々と脳裏に蘇ってくる。
ああ、最悪だ。これが嫌だから、怖い話には触れないように生きているのだというのに……。
そろそろ髪を乾かすために洗面所へ行こうと思っていたのに、移動するのが怖くなってしまった。うう……。どうしよう。この一年、ずっと一人暮らしをしていたというのに、未だに怖がりは治らないままだ。
もう、いいや。今日くらい、自然乾燥したって。私は髪を乾かすことを早々に諦めた。
「明日、何かDVDを見させて貰おうかな。舞のおすすめはなに?」
彼はパソコンデスクの上から身軽に飛び降りると、私の方へと寄って来た。DVDの入っている棚の前に座っていた私は、彼と反対方向に少し退いた。彼は棚に入っているDVDをじっと見つめている。私も棚の方を振り返った。
「何が好きなの? ……って聞いても、分からないか」
映画なんか見たことないはずだもんね。そう考えて付け足すと、彼は笑った。
「舞がリビングで見てた映画は、一通り一緒に見たよ」
「え!?」
パソコンの存在なんて私は意識していなかったのに、私が一人で映画を見ているとき、彼はパソコンデスクの上から一緒に見ていたというの? 私はびっくりして顔を上げた。彼は穏やかな笑顔を浮かべて、私を見下ろしている。
不思議と、気持ち悪いとか怖いとか、そういう風には思わなかった。寧ろ、一人じゃなかったんだということに、奇妙な安堵のようなものを覚えていた。嬉しかった、というか……。自分でも、変だとは思うのだけれど。
「じゃあ、もう全部見ちゃったんじゃない?」
棚の中のタイトルを見回しながらそう言うと、不意に、バスタオル越しに頭をがしっと掴まれた。
「きゃあ!!」
びっくりして思わず大きな声を上げると、彼はおかしそうに笑った。
「舞、とりあえず先に髪を乾かしておいでよ」
そのまま、頭を掴んでいる手を、わしゃわしゃと動かされる。まるで小さい子にするように乱暴に髪の毛を拭かれて、私は驚きながらも身を捩った。
「ちょ、やめてよ、ぼさぼさになっちゃう」
「じゃあ早く乾かしておいで」
最後に軽く、ふわりと私の頭を叩いて、そのまま彼の手が私の頭から離れる。私は視界を遮るバスタオルを後ろへずらして、彼を見上げた。彼は不思議そうな表情で私を見下ろしていた。どうかしたの、早く乾かしておいでよ、とでも言いたげだ。
私だって、このまま自然乾燥だなんて本当は嫌だ。髪の毛は痛むし臭くなるし、良いことなんて何一つないのだから。だけど、やっぱり、洗面所に行くのはちょっと怖い。ドライヤーは音が大きくて、周りの音が聞こえなくなるから尚怖いのだ。ドライヤーだけ持って帰ってこようかな。そんなことを頭の中でぐるぐると考えていると、彼がおもむろに言った。
「ちょっとトイレ行って来る」
え!? この状況でトイレに行かれたら、一人になってしまう!
今まで、この一年ずっと一人で暮らしてきた。怖いと思うことがあっても、何とか乗り切ってきたのだ。それなのに、一人にしないで、と思ってしまうのは、誰かがいることに対して甘えてしまっていたのかもしれない。
私は思わず立ち上がって、彼の顔を見上げた。
「ん?」
彼は不思議そうに小首を傾げたものの、そのまま私に背を向けて、洗面所の方へと歩いていってしまった。私は慌てて後を追いかける。トイレへ行くと言っているのについていくのはどうかと思ったけれど、せめてトイレの見える場所にいて、安心したかった。
彼はそのままトイレを素通りして、洗面所へ向かった。私は不思議に思いながらも、その後をそろそろと追いかける。
「あれ? トイレ、は……?」
彼は洗面所に着いて、ドライヤーを手に取ると私を手招きした。私はびっくりして、立ち尽くしたままで呆然と彼を見上げる。
「俺がトイレなんか、行く訳ないだろ?」
笑いを堪えるように言われて、そこで漸く、彼は人間ではなくパソコンなのだということを思い出した。
「舞は本当に怖がりだね」
小さく笑われて、顔が熱くなるのを感じる。
「も、元はと言えば、あなたが怖い話をするから悪いんだよ」
「怖い話をした覚えはないんだけど」
彼は笑いながらそう言うと、目を細めて優しい表情を浮かべた。
「おいで、乾かしてあげる」
その柔らかい表情と甘い声に、思わず心臓がとくん、と跳ねる。いやいやいや、相手はパソコンだというのに、どきどきしてどうするの。そうは思うけれど、一度持った頬の熱は、すぐには冷めてくれない。
「いや、あの、自分で乾かすよ」
躊躇いながらも近寄って行き、そう言って手を伸ばすと、彼はドライヤーを持った手をすっと遠ざけた。
「だーめ。俺にやらせて」
彼は悪戯っ子のように目を細める。
「一回、やってみたかったんだ。髪の毛を乾かすの」
そっか。彼はお風呂に入ることもないし、髪の毛を乾かしたこともないのか。当然なんだけど、なんだか不思議。
「だけど、大丈夫? 水が飛んで、ショートしたりしない? それに、あんまり熱いのは、よくないんじゃないの?」
忘れがちになっているけど、彼は精密な電子機器なのだ。私の髪の毛から水が飛んで、ショートしてしまったりでもしたら困る。確か熱を加えるのも、パソコンを傷めてしまうことになるんだよね。
「大丈夫、大丈夫。俺そんなにヤワじゃないよ」
彼は私の頭を覆っていたバスタオルを掴むと、ぺいっと脱衣所の籠に放り込んだ。下着類を籠の底の方へ押し込んでおいて良かった、なんてちょっとずれたことを思いながら、私は彼を見上げた。
「やらせて。ね?」
にっこり笑ってそう言われて、私は思わずこくりと頷いた。
彼は私の肩を押して反対を向かせると、そのままドライヤーで私の髪を乾かし始めた。
立ったまま眠りそうになるくらいに、その手つきは優しかった。私は目を瞑ったまま、彼のその優しい手つきを心地よく感じていた。
彼はちょっぴり意地悪だけど、優しい。私が一人で洗面所へ行くのを怖がっていることを見抜いて、一緒に来てくれたんだ。そして、こうやって頭を乾かしてくれている。
「……ありがとう」
きっとドライヤーの音にかき消されて、彼の耳には届かないだろう。そうは思いながらも、私は囁くように言った。