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猿ヶ辻の獅子

作者: 丸屋嗣也

 いわゆるペリー来航から始まる幕末において、姉小路公知という一公家が果たした役割は大きい。

 ペリー来航の折、公知はいまだ冠を授けられていない若者だった。しかし、修好通商条約を米国と結ぶ際、幕府が朝廷からの勅許を得ようと根回しを始めた頃、この男は歴史の表舞台に立つことになる。岩倉具視や大原重徳らと図り、幕府に勅許を与えるべく動き回っていた親幕派公卿たちを掣肘しようと実力行使に出た。すなわち、勅許を幕府に与えてはならないと主張する公卿たちで徒党を為し、宮中に参内したのであった。この効果は絶大であった。親幕であった往時の関白九条尚忠は、八十八人もの徒党に対抗するすべがなく沈黙を余儀なくされ、幕府との協調を心中に秘めておられた帝すらも、勅許授与を諦めざるを得なくなってしまったのである。

 この事件をのちに「延臣八十八卿列参事件」と呼ぶが、曲がるはずのなかった帝の御深慮すらも曲げさせるに至ったこの事件は、公家たちの発言権を大きなものにしたのである。

 そういった中にあって雄飛したのが姉小路公知である。

 八十八延臣の中にあっても、この公家の言葉は実に歯切れがよかった。

「勅許を得ていない日米修好通商条約は無効である」

「国を閉ざすは我邦の国是にして曲げるを赦さず」

「夷狄を打ち払うべし」

「もしも夷狄を打ち払えぬというのならば、幕府は大政委任の権を禁裏に返上すべし」

 時は折しも、尊王攘夷論の高まりとともに、弱腰外交に終始した徳川幕府への異議申し立てが盛んに行われた時代である。公知の言葉は他の公家たちのどんな言葉よりも広く広がり、その若さとも相まってあれよあれよの間に尊王攘夷の志士たちに奉られる公家の一人となった。年の近い三条実美と共に、幕府に対して攘夷を迫っていったのである。尊王攘夷派志士たちは、「尊攘の獅子」と彼を誉め讃えた。

 しかし、文久二年、いつまで経っても攘夷を為そうとしない幕府に督促を出すべく三条実美と共に江戸に下向した際、この若き尊攘の獅子は気付いてしまったのであった。夷狄、否、西洋列強の大きさに。

 姉小路公知を案内したのは、勝麟太郎・後の海舟であった。麟太郎は幕府きっての外国通であり、また西洋技術の精通者である。当然、海舟は現在の日本の国力と西洋列強との力の差を逐一説明しただろう。この男らしく、皮肉げに口もとを吊り上げながら。そして、漠然とした国力差ばかりではなく、たとえば大砲の性能や銃の命中精度など、細に渡った説明をも重ねたことだろう。

 江戸湾に浮かぶ異国船。たった四杯で夜も眠れず。そう狂歌は囃し立てたが、恐らく公知はこの狂歌を笑うことなど出来なかったであろう。事実、四杯の大砲が火を噴いた時点で、夜も眠れないこととなることは容易に想像が出来た。異国船の実物を見てしまったがだけに、公知の翻意は揺るがなかった。 

 そして、青く輝く江戸湾に浮かぶ異国船を目を細めて見遣ったその日から、公知は「尊攘の獅子」ではなくなったのであった。


 文久三年五月。

 姉小路公知は禁裏を辞去しようとしていた。

 朝議が長引いてしまった。当然といえば当然で、この頃の朝議は喧々諤々の大論争の中にあった。そもそも帝からして攘夷論者でありながら幕府に対する委任を是認しているという、一種捻じれた深慮をお持ちであられた。公卿たちの中にも様々な立場があって当たり前である。昔はなおざり程度に行なわれていた朝議が夜にまで至るのが常態化していた。

 その日、姉小路公知は数えるほどの供周りに守刀を持たせ、帰途についた。

 不用心であったが、これには公知なりの読みがあったことだろう。この頃、京の都では尊王攘夷の志士たちが暗躍していた。その中の一つ、武智半平太率いる土佐勤王党などは、田中新兵衛、岡田以蔵らを用いて親幕府的な立場を取る人士たちを暗殺していた。尊王攘夷派の旗頭と目されていた公知にとっては、味方ばかりだったのである。

 しかし、あくまでこの公家の肚の内は別のところにある。

(いかにして麻呂の思う世を描き出すか)

 その算用をしていたことだろう。

 方違えの関係で西の宜秋門から禁裏を出た公知は、禁裏を北周りに周り、東側にある自邸を目指した。禁裏周りとはいえど、夜はひどく暗い。供周りの一人に行燈を持たせ、暗い通りをしずしずと歩む。そして、一行が、幣を掲げた猿の像が鎮座されている禁裏東北の朔平門は猿ヶ辻に至った頃、変事が起こった。

 突然、暗がりがきらりと光った。

 その変事に気づいたのは、供周りの一人、吉村某であった。慌てて公知の前に立った。闇の中でひょうど音を立てて迫るそれが吉村の足に刺さる。匕首であった。

 そして猿ヶ辻の物影、暗いところから這い出るようにして現れたのは、覆面をした体格の良い男であった。既に鞘から刀を払っていたその男は、

 キェエェェェェ!

 と、さながら猿の叫びのような甲高い声を上げて公知に駆け寄り、振りかぶっていた刀を脳天に向かい振り下ろした。暗がりの中とはいえ、一瞬のことであった。それがゆえ、公知はその一撃をよけることが叶わなかった。

 が――。公知は死ななかった。

 次の瞬間、公知は甲高く鋭い音を聞いた。慌てて己の頭を触り、その手を自分の眼前にかざす。血は出ているようであったが、脳漿までは飛び出していない。恐らくは、かぶっていた烏帽子の金輪があの稲妻のような必殺の一撃を必殺たらしめなかったのであろう。

 公知は供の一人に叫んだ。

「刀を寄こせ!」

 しかし、既に公知の佩刀を持たせていた太刀持ちは逃げてしまったあとだった。残っているのは、足を怪我してうずくまる吉村某だけであった。

 舌打ちをした公知は、帯に挟んでいた笏を引き抜いた。

 が、それよりも、刺客の放った第二撃の方が早かった。剣先を翻した刺客は袈裟に振り下ろした。それが公知の左肩に大きな傷を作った。

 うめきを上げながらも、公知は倒れなかった。とめどなく血が流れ、左腕はだらりと下がり、その指先から血が滴り落ちる。本来ならば気絶してもおかしくないほど、それどころかここで落命していてもおかしくないほどの深手である。

 公知は、ひゅうひゅうと浅い呼吸を繰り返し、刺客を睨みつけて叫んだ。

「吉村、こやつらを斬るぞ」

 そう言い放つや、公知は笏を振り上げ、前に立つ刺客に振るった。

 覆面の奥の目の色に、畏れの色が浮かぶ。しかし、刺客もさる者、すんでのところでその笏をかわした。

 しかし、公知の次の手は止まっていなかった。

 だらりと下がった左腕を腰から振り回して刺客にぶつけて虚を誘った。不意打ちに一瞬動きを止めた刺客に次なる笏を振り下ろすと、その一撃が刺客の頭を直撃した。そうして一瞬意識が遠のいた刺客の首を右腕で抱き抱えるようにして後ろから締め上げた。

 ぐご、と声を上げる刺客に、公知は声を掛けた。

「おい、なぜ麻呂が命を狙うか」

 すると、苦しげな声で刺客は答えた。

「――おまんさあが裏切るが悪い」

 薩摩訛りであった。

「裏切る?」

「公知公は尊攘の公家様にして、我らを裏切りもした」

「ふざけるな」公知は声を上げた。「麻呂が願うはただ尊攘に非ず、この邦の安寧である。安寧のために最善手を打つのが我ら公家の御役目であろうが」

 すると、刺客は公知の腕を振り払い、乱暴に剣閃を放った。風切りと共に、剣先は公知の胸を裂いた。

「公知、貴様は俺が殺しもす」

 剣先を公知に向ける刺客。

 公知は胸からも流れる鮮血を一瞬見やり、冷笑した。

「やってみい、この天下に何の責も負わぬ野良犬が」

 とっと距離を置いた刺客は、履いていた下駄を脱ぎ棄てた。そして、八相とも上段ともつかない奇妙な構えで、公知に向いた。

 そして、刺客が前に飛び出さんと足を踏み出した、その瞬間であった。

 ぐお、と刺客が悲鳴を上げた。

 見れば、吉村であった。吉村が合い口の刺さったままの足を引きずりながら、その刺客に斬りつけていたのである。さほどの深手ではない様子であったが、刺客は刀を取り落とした。

 刺客の覆面から隠れない目に、陰りが見えた。

「去ね」

 その公知の一言が、闇の中に響き渡り、消えた。

 刺客はしばらく瞬きを繰り返していた。まるで、目の奥の陰りを瞬きで取ろうとしているかのように。しかし、いつまで経ってもその陰りは消えなかった。それどころか、刺客の目の陰りはさらに度が深くなっていくばかりだった。

 そして――。

「た、田中殿」

 物影の奥から声がした。この刺客の仲間であろう。

 すると、刺客は舌打ちをひとつして、

「退け」

 刺客は言葉を放つ。そうして刺客たちはまた、闇の中に消えていった。


 この変事を受けた後の公知も、極めて従容としていたと伝わる。

 奪った刀を杖代わりにして吉村に肩を借り、自邸にまで戻った。そして、血だるまとなる己の姿に顔面蒼白となる家人に、

「水!」

「枕!」

「短冊と筆、墨!」

と短く命じた。

 そうしてやってきた水で口をすすぎ枕に頭を預けるや、公知は短冊に何かを書きつけようと筆に墨を浸した。しかし、その筆先が何かを描き出すその前に、手から筆が落ちた。何度取り上げようとしても上手くいかない。おのれ、おのれ、おのれ、と何度も繰り返し、すっかり血でべとべとになる短冊を恨めしげに睨んだ。

 そして一言、

「無念ッ!」

と叫び、血だまりに抱かれながら死んだ。享年二十と五である。

 この姉小路公知の死によって、公知らを推戴していた過激尊攘派はその勢いを失くしていくことになる。その中で、武智半平太ら土佐勤王党も京における発言力を失くしていくに至り、後の政変により尊攘派が京から一掃されてからは凋落の一途をたどった。

 「尊攘の獅子」がどのように変節したのか、それは誰も知らない。

 そして、歴史にもしもはないが、もしも公知がこの難を切り抜けて新たな時代を生きたとしたのなら、もう少し、明治という時代は違った様相を見せていたのではないか。そんな気にさせる最期の姿ではある。


(個人的に)新しい叙述を試してみた。

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