表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
行喜名と守  作者: いせゆも
9/14

 結果として私は、「表向き」にはサッカー部のマネージャーをすることになった。……とはいったものの、実際は選手としての側面が強い。普通に、部員に混じって練習をしたりする。試合には出られないけれど、それが私のやりたいことだから。

 サッカー部員からは、特別異論が出なかった。神聖なるグラウンドに女が入ることに反感を示す、時代錯誤な硬派男も今時いない。そしてほとんどの部員が彼女いない歴イコール年齢のような集団だ。純粋に、女が入るのは歓迎らしい。……少しくらい、『ナンパ』な男がいてもいいと思う。私を口説けというのではなく、健全な男子校生ならそのくらいがっつけ、という意味合いで。

 びゅうと一陣の風が吹く。私はつい髪を押さえようとした。……が、私の手は空を切るばかりだった。ああ、もう何週間か経つのに、まだ直らないのかこの癖。

「そりゃ、長いのが当たり前になっていたからなあ……」

 私は、誰に宛てるでもなく呟いた。

 スポーツをするからには、長い髪はただそれだけでハンデを背負っている。入部して一週間、身体を動かす際には髪が長いことは煩わしいと感じた。

 理由があって伸ばしていたわけではないが、私とて女。気軽に切るにしては少々伸ばし過ぎた。躊躇いが生じる。

 しかし、私が髪を伸ばしていたのは、ある種の言い訳、自己暗示だったのかもしれない。サッカーをするのに長い髪は邪魔になる、だからサッカーはしない・できないと、無意識下で行っていた。そんな負の思想を断ち切るため、そしてそれ以上に、髪が短い方がサッカーをしやすいという常識が、私を強く動かした。

 行きつけの美容院で、美容師が「ばっさりいっていいの?」と仕切りに聴いてきたが、私の心はその程度で説得されるものではない。思いきりざっくりとやってもらった。

 ここまで短いのはそれこそ、小学生以来と言っていい。これほど頭が軽くなるのかと、新鮮な驚きが私を襲った。

 髪をショートにした翌日、登校して教室に入ると、奇異の目が私に集まる。表面だけでも仲良くしているクラスメイトは「折角綺麗な髪だったのに」などと残念がっていた。それと「失恋でもしたの?」と遠巻きに噂している生徒の話も私の耳に入った。

 今時、失恋したから髪を切るなんてことがあるものかと思った。同時に、なるほど確かに、頭が軽くなると心も幾分か軽くなった面持ちがする。だからこそ、失恋した女というものは、暗い鬱憤を髪と混じらわせて一緒に落とすのだろう。そういう意味で、私がサッカーに復帰するために髪を切ったことは、失恋のために髪を切ることとさして変わらないことに気が付く。両方ともに、今までの辛い記憶を少しでも洗い流そうと、前を向くために起こした第一歩だ。

「ほらそこ! ペースが落ちてます!」

 ほんの少しの間、髪のせいで意識が飛んでいると、その間に私の目の前を一人の部員が通り過ぎる。いけないいけない、ストップウォッチを見て、バインダーに挟まれている一人一人のタイムを記入している用紙に今のタイムを書き込んで、グラウンドを走り込む部員達を怒鳴る。

 現在、一周四百メートルのトラックを十二・五と半周させているところだ。合計、五〇〇〇メートル。

 一か月ほど様子を見て分かったことだが、ここの部員ときたら、まともにマラソンすらもしていないせいで、とかく体力がない。上昇志向はあってもお遊びに近い感覚でサッカーをやっているような連中だった(ちゃんと基礎が出来ているのは水城先輩くらい)。

 そんな男たちだから、このサッカー部で一番テクニックがあるのは私という体たらくだった。私がこんな口調で指示を出しても、誰も文句は言えないし、言わせない。もちろん、ちゃんとした試合形式だったら私が一番足を引っ張るのだろうが、一対一の状況だったら今のところ負けていない。何年もブランクがあったというのに。……それもどうかと。

「はっ、はっ、はっ、はっ、ふう、……はあ、はあ」

 水城先輩が周りに三周差以上をつけてゴールした。玉のような汗がびっしりと額に張り付いている。表情もなんだか苦しそう。

「お疲れ様です。十五分三十五秒。また速くなりましたね」

「……、……、……」

 声も出す余裕なぞなく、ひたすら呼吸だけをする機械となっている。

「記録更新のご褒美です。はい、アクエリアス」

「あ、……が…………う」

「呼吸を整えてから喋ってください。もしくはそもそも喋らないでください」

 私が粉末から溶かして調整したアクエリアスを差し出すと、水城先輩は一心不乱に飲み干す。できればもっとゆっくり飲んでほしいのだけれど、水城先輩の出したタイムは、あと十数秒も縮めれば、立派に日本記録を樹立できるほどの速さだ。さすがにここまで好記録を出されたとあっては多少の我儘は聴いてあげる。

「……う、寒い」

 もう十二月。風も大分冷たい。手はジャージの袖の中に籠らせて、そのまま両手を擦り合わせて少しでも熱を得る。寒さの方が耐性はあるとはいえ、二月とかになったらどうしようか。体育着の上にジャージだけだと寒さに堪え切れなくなりそうだ。……まあ、そんな先まで考えても仕方がないか。取りあえず今日の所は、別の方法で暖を取ることとする。

「水城先輩、頼めますか? 休憩するついでに」

 私は戻ってきた水城先輩にバインダーとストップウォッチを渡す。水城先輩は快く引き受けてくれた。それを確認してから、私はマイボールを持ってくる。

「行ってらっしゃい」

 水城先輩の送迎を受け、未だ走っている部員の背中へ向けて私はボールをリフティングしながら走り出す。最初のうちは身体が堅くても、少し走り込めば、少しずつ身体が順応してくれる。

 表向きの役職はマネージャー。裏向きの役職は選手兼監督。それが、私がサッカー部に入る条件。知識のある顧問もコーチも存在しないここのサッカー部は、客観的かつ的確に指示を出してくれる人材を欲していた。そこで私の登場だ。ボールを触らせる代わりに、一人一人の練習にアドバイスを与える。伸び悩んでいれば壁を乗り越えられるような方法を助言するし、新たな技術を開拓したければ、私も一緒になって練習してみる。

 ……と大仰に言ってみたが、別に私はそこまで優秀に監督をできるわけでもない。男と女では身体の作りかたはもちろんのこと、メンタル面まであまりに違うし、なにより、私がサッカーをやっていたのは小学生までだ。しかも当時培ってきた技術と知識を当てはめているに過ぎない。あとは見よう見まね、試行錯誤の毎日。本屋でサッカー関連の本を読んだり、効率のいい練習方法をネットで探したり。

 今のところは、全部いい方向へ向かっている。そんな気がする。

「ほら先輩方。女に抜かれてどうするんです」

 すでに一周四百メートルを十周はしてヒーヒー言っている二年生三人集団に鞭を打つように、リフティングしながら走っている私が容赦なく抜いていく。……私が速いのではなくて、周りが遅いという事実はどうかお間違いないように。

 私は学校外周をさせるのは嫌いだ。さぼっていてもばれないから。グラウンドでさせれば一目で全員の様子を確認することができるし、誰と誰がどのくらい体力に差があるのかを知ることもできる。

 ゴール地点を見ると、ぼちぼちと終わり始めていた。あちらは体力が多い集団だ。トラックに残っているのはあと六人ほど。計算が正しければ全員あと一周か。私は体力が有り余っているし、どうせなら全力で走る。最近の私は、血気にはやっている。

 マラソンを終えて一休憩した後にするのは、今日はシュート練習。基本こそ重要。小さい頃からサッカーをやっていた人間ほど、なんとなくの感覚でシュートを打っていたりする。それで活躍できていれば構わないのだけれど、だってこのサッカー部、活躍していないから。まずは矯正するしかない。

 ……しかし、

「だっせ何はずしてんだよ!」

「うるせえてめえだってミドル苦手じゃねえか!」

「関係ねえだろキーパーと一対一ではずすのはねえって!」

 私の指示を、よく楽しそうに受けるなあ、なんて、羨ましくもなったりする。

 そんなこんな仕込んでいるうちに、今日のところは終了時間を迎えた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ