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行喜名と守  作者: いせゆも
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 結局、水城先輩は私に勝てなかった。それは特別変わったことではない。

 けれど……

「ん、だよこの女の強さは……」

「マジありえねえ……」

 サッカー部全体を巻き込んでしまった。これが私がここ最近で犯した、最大のミスだ。

 ――そしてその後にも続く、大きな転換点でもある。

「おい水城ぉ……。こいつか、その例のサッカー女は」

「あ、お、おお」

「聞いてねえぞ、こんなに強えなんて……」

 練習前の時間というのが祟ったのか、三回目辺りが終わったぐらいで、続々とサッカー部員が集まってきた。最初は「あん? 女がサッカー?」と馬鹿にしたように(というより、嘲笑しながら)私のことをじろじろと見回し、「俺が相手になってやるよ」と余裕をかまして私に勝負を挑んできた。ルールは、水城先輩としたものと同様。

 ……このサッカー部は弱点の克服というものをなんだと思っているのか。皆々同様の弱点を持っていた。そこを突くだけで簡単に抜ける。細かい弱点は、その場でアドリブに判断。勘は鈍っていなかったのか、かなりの確率で的中した。頭と体と直感。最後に頼れるのはこの三つだけ。

 そう何度も挑戦されたら困るので、私の体力の都合上、勝負は一人一回までとしておいた。逆に言えば、サッカー部は十二人いるから、十二回は本気で動かなければいけなかった。なのにどこでどう間違ったのか、全員に勝ってしまった。

 二人に勝った辺りではまだ、部員たちは「なに女に負けてんだよ」と囃したてた。半分に勝った辺りで「ま、まあマグレもあるよな」と引き笑いを始めた。最後の一人になった辺りで「……勝てるよな、俺?」となったのは、いっそのこと愉快であった。

 さらには最終的に、守備七人プラスキーパー一人との戦いで、私は点をもぎ取った。我ながら、どうしてあんな鬼人のような働きをできたのか。現役時代にやりたかったものだ。

「はあ、はあ……情けない男どもめ……」

 私とて、長年運動不足だから体力はない。そのはずなのに勝ち続けた理由は、一重に、

 ――負けたくなかった。

 単純な、原始的ともいえる衝動。相手を捩じ伏せる制圧欲。そういったものが私を突き動かしていた。はっと我に返るまで、私は自分がサッカー嫌いであることを忘れてしまっていたほどだ。

「はあ、はあ……水城先輩、取りあえず、ドクターペッパーをおごってください。そのぐらはいいですよね? 騒動を起こした張本人なんですから」

「…………」

「なにか? 嫌とでも?」

「いや、それは別にいいんだけど……ドクターペッパー、好き、なのか?」

「コーラとかサイダーじゃなく、ドクターペッパーです。好きなんですよ」

「…………。……分かった」

 皆、ドクターペッパーは嫌いだとか言うけれど、あのスパイシーさがいいのに。薬っぽいというか。どうして誰もこの感覚を理解してくれないのだろう。聞く人全員が私を変人扱いする。水城先輩は、それにしたってやけに注意深く聞いてきたけれど。

 走れば三分以内に自販機まで行って帰ってこれる距離。買いに走った水城先輩はすぐに戻ってきて、私にドクターペッパーを差しだした。受け取った私はタブを起こして、カシュッと蓋を開ける。しゅわーと広がる、炭酸の弾ける雨音。缶を傾け、喉へ流す。味の濁流。このなんとも言えない、舌を槍のように刺激する痛み。そう言えばドクターペッパーを人前で飲むのは久しぶりだ。飲んでる最中の私の顔を、奇異の目で見られるのが嫌だった。存在は確認しておいたものの、この学校では買ったことがない。

 私に負けて意気消沈しているサッカー部員を肴に、ドクターペッパーを飲み干す。

 掻いた汗を潤す一筋の冷風。本当に、ドクターペッパーは良い。

「……ふう」

 体力的にも気分的にも、やっと落ち着いた。

 そして同時に、私が犯してしまったことも、夜が突然昼間になってしまったかのように、はっきりと見えてきた。

「一つ訊きたい。その……川西は、どうしてそんなにサッカーが嫌いなのに、楽しそうにプレイするんだ?」

 水城先輩の言葉がトドメとなった。

 ――頭から、血がさあっと抜けていく。

 そうだ。どうして私はサッカーを楽しんだ?

 あれほど忌避していたサッカー。あの碌でもない女との血の繋がりを示してしまうもの。もう私はもうサッカーを楽しまないようにしておこうとした。それなのに、なんだこれは。

 どうして、なにもかも、忘れていた?

 せっかく人前で堂々とドクターペッパーを飲めるというのに、気分が悪い。血が抜け過ぎて、いっそ貧血になってしまう。吐き気まで催す。

「ど、どうしたんだ川西」

「いえ、その、大丈夫ですから。少し、疲れすぎたんで……保健室に、行ってきます」

 返事を待たず、私はグラウンドを飛び出し、保健室まで一目散に走り抜ける。

 気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い。あいつの遺伝子で熱くなるなんて。

 目頭が熱い。視界が滲む。こうならないように、サッカーを嫌いでいたのに。

 サッカーをしたことはまだ許す。そうでもしなければ、水城先輩は引き剥がせなかっただろうから。それよりも、熱中したこと。何故私は流された。ちょっとぐらいなら平気だとでも思ったのか私は。一回でもアウトだというのに。薬物と同じだそんなもの。

 そうして私が校舎に入ると……水城先輩が、私を追い掛けてきた。

「待って……川西」

「…………」

 水城先輩は私の腕を掴む。私は必至に振りほどこうとしたが。ぴくりともしない。先ほどのサッカーでは簡単に翻弄できたのに、力勝負になるとすぐこれか。私がまだサッカーをやっていた頃よりも、男女の力の差がずっと大きくなっているのだと、この瞬間に私は知覚した。

「……なんなんですか、あなたは。サッカーをやりたくないって言ってるのに、私を引きずり込んで……。やったら楽しいっていうのは分かりきってることなのに……」

 サッカーは楽しい。昔の私はサッカーを中心として世界が周っていた。そんな世界を、私は自らの手で押さえつけたのに。水城先輩が私の心の護摩札を剥がしてしまった。

 ――もうすでに私は、サッカーを嫌いと発言するのは、苦痛となっていた。

「それでも、……楽しいって分かってんのに、嫌いだなんて、言わないでほしい。俺、そういうの聴くと、悲しい」

「どうして水城先輩は、そこまでして私を勧誘しようとするのですか。別に私は選手として活躍できるわけでもありません。戦力にもならない女を、何故そこまで執拗に……」

「それが、俺の、役目だから」

 訳が分からない。どんな役目なのだろう。

「……そうだ。もしよければ、マネとしてじゃなくて、選手として、俺たちと一緒に練習をしないか?」

「……は?」

 水城先輩が、名案を思いついた、とでも言いたいかのように、きらきらとした目で私のことを見つめる。

「だから、選手。川西ほどの実力だったら、俺達だって、いい刺激に、なるから」

 唐突に投げ出された蜘蛛の糸。

 私は水城先輩の言葉に、絡めとられてしまう。

「…………!」

 涙があふれそうになったが、我慢する。都合のいい時に武器として使用するような女にはなりたくない。

「そんなの……そんな甘い誘惑……断りきれるはずがないじゃありませんか……」

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