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土曜日、私は朝の九時になっていても、ベッドに潜っていた。睡眠不足ではないけれど、徐々に夜明けが短くなってくるこの季節。眠りの時間日に日に長くなっていく。低血圧で朝に弱い私は、用事がない限り、十時ごろまでごろごろする。
十時という起床時間とは。
このままで居続ければ、私が起きる頃に試合開始。ねぼけまなこな身体に鞭を打って着替えて、完全に目覚める頃にはハーフタイム。ブランチ(とお洒落に言っただけの、生活リズムの乱れからくる朝食兼昼食)を作り、お父さんと一緒に食べる頃には試合終了。
普段通りの生活を送れば、もうあんなことに関わらないで済む。
付き纏われて気持ち悪いとまでは言わないまでも、迷惑をしているのは確かなこと。私がサッカーをしていたぐらいで、仲間意識を持たれても困る。もう私は、サッカーとは無縁に生きていくことに決めたのだ。
枕元に置いてあった、小説に手を掛ける。
我自権先という作者の小説。賛否両論になることが多いと言われる作者だが、私は否を掲げる。短編を読む限り、作品毎、テーマにすることがあまりにも反対すぎる。「永遠は絶対」を題材にした作品の次に書かれた作品が「刹那も信じぬ」。こんなものは序の口。人は愛さえあれば生きていけると主張した作品があったと思えば、人間という生物は憎悪を糧とする、なんて言っていたりする。一貫性がない。そこが好きだという人もいるらしいけれど、そんな人と私は相いれないと思う。
昨日の夜、半分くらいまで読んでから寝落ちしたから、三十分くらいで読み終わっていた。
携帯のアラームが鳴る。さすがに長く寝すぎると一日が勿体ない気がするから、休みの日の九時半には鳴るようにセットされてある。
……ああそうだ。本のストックはあと一冊なんだっけ。
昨日の放課後に図書室へ行こうとしたら、司書さんが出張とかで開いていなかった。次が最後の一冊だ。仕方がない。午後になったら、本屋に行こう。確か、追っているシリーズが発売されたはず。ファッション誌も確認しておきたい。あんまり仲のいい友達は少ないとは言っても、それなりにでも話題についていけないと辛いものがある。あ、でも、今月のお小遣いは残りどうだったっけ。二週間ぐらい前、突発的に出費があったから……帰りにスタバも寄りたいし……。
まあいい。なんにしろ、昼頃まではゆっくりしてよう。それまでに、じっくりと今日の予定でも立てればいい。
――ああ、それなのにどうして私は、
――制服に着替えているのだろう。
休日だから家で休んでいる父に「ちょっと図書委員の集まりがあるから」と断りを入れてから外に出る。携帯で時刻を確認すると、時刻は十時二分。学校まで電車で四十分だから、駅から学校につくまでの時間を差額に入れると、大体後半が始まるぐらいに到着する。
……何かに取り憑かれ、勢いのままに家を飛び出たとは言え、急ぎ足で学校に向かうのは癪。せめてなるべく、のんびりとした歩調を心がける。 そのせいなのかおかげなのか。学校についたのは、十一時ジャスト。さらに言えば、後半が始まるのもちょうどだった。
たかが練習試合に、観客なんているはずもない。校庭の隅に設けられている観客席は、私だけの特別席だった。
校庭で屋根がついているのはここしかない。この時期は真夏と違い、「日差しが強くないから大丈夫」とつい紫外線対策を怠りがちだから、屋根の有る無しは死活問題。
理由はそれだけ。ピッチが見渡せる場所だから選んだなんて、決してない。
持ってきていた小説を開く。私はここで読書をするために来た。それ以上の理由はない。
視界の隅に映る、スコアボート。0対0。
3―4―3。やや攻撃よりな布陣。私を何度も強く誘おうとした当の本人は、センターバック。あの性格で、守りの要なのか。ちゃんと指揮をとれるのかどうか。
試合の流れと言うと、ボールキープはこちらが上。ただまあ、とにかく、フォワードが弱い。そのせいで、何度もシュートチャンスがあるくせに、一回としてねじ込めない。敵のディフェンダーにいいようにされている。フォワードが当たりで負けてどうする。
反対に、守りに回ればこれが迅速で、ボランチも含めて七人が一斉に守る。この壁は結構大きいようで、向こうも攻めあぐねている。
総評としては、守りは悪くないのだけれど、攻めが弱いか。
……あ、こっちの弱点発見。そこに気が付かない敵も敵。ぱっと見た私だって見つけることができたのに。あまり両方とも上手くもない。
ロスタイム突入。未だに同点。もうこうなったら、負け覚悟でも特攻するしかないと判断したのか。我が菜瀧高校サッカー部は、とにかく前進。対する敵チームはカウンター狙い。
味方は一度後ろにパスを送る。そこにいるのは、水城先輩だった。
トラップをして、ピッチの状況を見極める。どこが穴なのか、どこに送るべきなのか。
悩んだ末に、水城先輩が起こした行動は――自らが進撃することだった。
ハーフラインを少し割った所からの、ロングシュート。見事な奇襲だ。
あわやネットを揺らす……と思われたボールの軌道はしかし、馬鹿正直なほどにど真ん中。キーパーが危うげなくキャッチ。
結局、同点のまま試合終了。見ててなんの面白みもなかった。
練習試合だとこんなものなのか、両チームとも早々に帰り仕度をする。十分程度ではい解散。せめて勝敗が分かち合えばもっと喜んだりするとしても、こんなにあっさりされていると、この程度の部活なんだなあ、なんて思う。
そんな中、水城先輩だけはピッチに残り続けていた。最後の場面で、決められなかたのが悔しかったのか、遠い位置から何度もシュートの練習をしている。
「…………」
私は自販機でアクエリアスを買った。私自身はポカリのが好きだけど、売っていないのだから仕方が無い。それに、運動した直後だとこちらの方が薄くていい。
必死にシュートの練習をしている水城先輩の背後へ近寄り、首筋に押し付けてあげた。
「うひゃあ!」
男にしては、随分と女々しい叫び声。私が同じことをされたら、「ぎゃ!」とか叫んでしまうの違いないのに。何故か少し嫉妬した私は、そのままぐりぐりと押し付ける。
「あ、だ、」
誰がそんなことをやったんだ! と怒るような表情を私に向けてきた。しかし、誰がそんなことをしたのかを確認してぴたりと止まる。私だと視認するのに数秒の時を有した。
「来て、くれたんだ」
途端、怒りがどこへ霧散したのか。もっと言えば、試合中の精悍な顔つきが嘘だったのか、と言いたくなるほど、締まりのない笑顔を見せる。
「後半からですけど。たまたま近くの本屋に寄る用事がありましたから。ちょっと覗いたら、やってたもので」
「……制服?」
「ええ。たまたま着てたんですよ」
図書館に寄ろうとした、とでも嘘をつけばいいのに、敢えてしない私。この段になって素直じゃないけれど、まだ認めたわけじゃないから、こんな中途半端な態度になっている。他人にはいくらでも偽っても、自分自身を偽るのは好きではない。
「どうだった、試合」
「なんというか、ある意味予想通り、ある意味失望ですね」
私の言葉を聞いて、途端にズンと重くなる水城先輩。
「折角見にきててあげたというのに、なんですかあの失態は」
「……面目、ない」
「別にいいですけど。強いサッカー部を期待していたわけではありませんし」
「…………」
「まあ、最後のあのロングシュート、あの判断だけは間違ってないと思いますよ。意表をつくという点においては、あれほどの奇襲もありませんし。成功しませんでしたけど」
褒められたのか、それとも貶されたのかよく分からない様子で、眉を寄せたまま、不思議な笑顔。
私はそれだけを先輩に伝えて、学校を去った。
残された水城先輩がどんな風に思ったのか、そんなことは知るよしもない。