2
「さっきのすごかったですよね。あれですか、サッカーのスライディングの要領ですか」
つい今しがたまでだんまりを決め込んでいたから、質問されるなんて思っていなかったのか。狼狽した水城先輩は、「そうなるのか、な、……、……? なんで、スライディングって?」と返してくれた。私の発した単語に引っかかったみたいだ。
「……俺のこと、見て、くれてるの?」
「そもそも、身長が高いだけで注目されるの、自覚した方がいいですよ」
水城先輩を知る人は、その身長を知っている、というのも多い。百九十を越える大男は、町中を一日中歩き回っても見つかるものではない。
もっとも。
向こうは私を知らないだろうけれど、私は水城先輩を以前から知っていた。
私は用がない放課後、図書室で本を読んで過ごす。たまに集中できない時は、ぼーっと外を眺めることがある。図書室からは校庭が一望できて、よくサッカー部が練習しているのを見つめる。その集団の中に、一際身体の大きい選手がいた。
「練習してる姿はよく見ます。スライディング練習、一人でやってるの、見たことありますよ。グラウンドの上は痛いですし、普段から練習なんて気が起きないでしょう? うちの学校、芝生なんて大層なものはありませんし。普段から恐れず、ちゃんと練習している証拠です」
私は正直に答えた。経験があるから、こんなことが言えるのだ。小学生と高校生ではまた違うけれど、共通点はあるはず。
「凄い。サッカー、詳しいの?」
「その昔にやってました。小学生の頃の話ですけれど」
女がサッカーをやっていたなんて珍しいと思っているな、と私は感じた。私の身体を舐めるように見ていたからだ。やらしいとかそういう行動ではなく、無意識の行動だったのだろう。その証拠に水城先輩は、はっとなにかに気づいた表情になり、「ごめん」と謝った。じろじろ見たことに罪悪感を覚えたのか、顔がどんどん赤らんでいった。私は水城先輩の一連の行動を、特別気にしていないような素振りをした。
「昔は、年齢にしては身体が大きかったんですけどね。止めた途端、すっかり成長が止まってしまいました」
現在の私の身長は、四捨五入して百五十センチ。まだ現役だった頃が百四十五センチジャストだから、四年間で数センチも伸びていない計算になる。やっぱり女だって運動はしないと身体の成長には影響があるのだなあ、などとたまに考える。
「先輩はどこのポジションですか? 私は昔、センターフォワードをしてたんですけど」
「……女なのに?」
「よく言われました。これでも、攻撃的な性格だったんですよ。あの頃、は」
気分が憂鬱気味からなのか。普段は忘れている、あの一番楽しかったけれど、何も知らなかった当時のことを思い出してしまう。湿っぽい話になると、水城先輩がまた狼狽することが分かっていたから、頭を横に揺り動かして、「なんでもないです」と言った。
「はあ……」
身体の重みのせいもあるしこの機嫌の悪さのせいもある。少し、泣きたくなっていた。
「……泣いて、いるのか?」
デリカシーがあるのかないのか、水城先輩はそんなことをずけずけ訊いてくる。
「だからなんでもありませんと言っているでしょう」
我ながら驚くほど、邪険に扱う声が口から出た。
ちょうど、私の言葉に演出を加えるかのように、チャイムがそのタイミングで鳴った。気がつかないうちに、随分と時間が経っていたようだ。
「先輩。私に付き合ってないで、授業に出てください。私、ちょっと眠くなってしまって、このまま寝ることにしますから」
本当は眠くなんてなかった。でもまた貧血がおこりそうと、逐一世話をやかれてはたまらない。ちゃんとした理由をつけて、先に帰らせようとする。
水城先輩は、やはり心配そうな眼をしながらこう言った。
「また、今度、会ったら、サッカーの話とか、しないか?」
何に恐れているのか、とてもおどろおどろした調子の声だった。だったら、誘わなければいいのに。私は訳が分からなかった。
「機会がありましたら。それでは、お休みなさい」
私は水城先輩が保健室から出て行くのを見届けてから、ブラウスが皺になるのも気にせず、毛布を頭まですっぽりと覆うようにかぶせた。