第7話 スライムと掃除・洗濯
1
ぽよ美は、家事は全部自分に任せろと言う。
スライムの姿でポンと自分の胸を叩きながら。どこが胸やら、よくわからないが。
料理に関しては、冷凍食品やお惣菜なんかをメインに使うことで、どうにか事なきを得ている。
冷凍食品だろうとお惣菜だろうと粘液でべちゃべちゃになるし、サラダくらいは作る~と言って生野菜を切れば、粘液どころか自らの体の一部まで切り落として混入させたりもするが……。
ま、そんな料理にも、もう慣れた。
買い物に関しても、なるべくオレが一緒に出かけることで、問題は随分と軽減できている。
オレには仕事があるため、絶対に一緒に行けるわけではないが、さすがに近所のスーパーに足を運ぶ程度ということで、ぽよ美も慣れてくれたようだ。
そこまではいいのだが。
ぽよ美の場合には、掃除や洗濯をしても、いろいろと困ったことが起こってしまう。
洗濯機からピーッ、ピーッ、といった音が鳴っている。脱水まで終わったのだろう。
いくらぽよ美でも、全自動洗濯機を使った洗濯ができない、ということはない。
まぁ、洗濯物や洗剤を入れる際に、粘液も一緒に洗濯機の中に入ってしまう、くらいは許容範囲と思って目をつぶるとしよう。
ちなみに洗濯物は、ほぼオレの衣類となる。
ぽよ美はスライム形態から人間の姿に変身するとき、イメージしたとおりの服装にできるので、基本的に衣類を買う必要がないからだ。
洗濯が必要なものは、衣類以外にタオル類なんかもあるし、すべてがオレの衣類のみというわけではないのだが。
洗濯物を洗濯機から取り出すときには、ぽよ美は人間の姿に変身する。
そのあと、洗濯物を干しに行く場所が、ベランダに設置されている物干し竿になるためだ。
ベランダに出るときにスライム形態では、ご近所から丸見えになってしまう。
なお、部屋の中にいる場合には、常時カーテンを閉めっぱなしにしてもらっている。
人間の姿で洗濯機から取り出したとしても、粘液は洗濯物に付着してしまう。
とはいえ、スライム形態のときと違い、人間の姿だと無色透明の粘液になるため、さほど問題はないと考えられる。
天日干しすれば、水分とともに粘液も蒸発してくれるだろう。
オレとぽよ美の住むアパートは1LDK。
リビングのソファーに座っていれば、家中のだいたいどこでも見渡せる間取りだ。
洗濯物をプラスチック製のカゴに移したぽよ美は、リビングに併設されたベランダのほうへと向かって歩いていった。
カーテンを開けてベランダに出るぽよ美の後ろ姿だけ見ていると、普通の人間の女性にしか見えないな……。
そんなふうに思いながら、妻が洗濯物を干している様子を眺める。
ぽよ美は洗濯物を引っ張ってシワを伸ばし、物干しハンガーにかけていく。
このときにも粘液が洗濯物に付着してしまうが、今さら問題にするわけもない。
直射日光が当たっているからか、滝のように粘液が流れ出て足もとは水溜り状態になっているが、それもべつに問題ない。
オレとしては、もしぽよ美が足を滑らせて転んでしまったら、すぐにでも駆けつけられるように身構えておくくらいでいい。
こうやって洗濯物を干すまでの工程には、べつにこれといって気にする部分はなかった。
だがもちろんぽよ美は、洗濯物を取り込み、たたんで収納するところまで、全部ひとりでやろうとする。
ほとんどがオレの衣類なのだから、オレが自分でたたんでもいいと思うのだが。
「愛するダーリンの衣類だもの、あたしがしっかりきっちり綺麗にたたんでおくよ!」なんて言われたら、任せるしかないだろう。
そして、洗濯物をたたむのは、もっぱら部屋の中になる。
ということは、人間の姿では疲れるというぽよ美は、当然ながら本来のスライム形態へと戻る。
その状態で洗濯物をたたんだらどうなるか、言うまでもなくわかってもらえるはずだ。
そんなわけで、クローゼットや収納ケースに仕舞い込まれたオレの衣類には、ぽよ美の粘液がべったりとついていることになる。
しかもスライム形態で付着したものだから、深緑色で粘着性の高い、ちょっと青汁のようなニオイもする粘液となる。
とはいえ、シャツを着たりパンツをはいたりしたときにベチョッとする、という感覚にも今ではもう慣れているため、オレはあまり気にしていない。
どうして取り込んでたたんだだけのシャツやパンツの内側にまで粘液が付着しているのやら、といった謎はあるが、その程度スルーできなければこの生活は続けられない。
粘液が付着した状態で仕舞われていたら、すぐにカビてしまいそうにも思うが、実際のところ、そんなことはない。
それどころか、ぽよ美の粘液には防虫効果でもあるのか、カビにも虫食いにも無縁だった。
ぽよ美がそれをわかった上でやっている、とは思えないが、とりあえずは結果オーライだろうか。
そう考えると、少々文句めいたことまで述べてしまった気はするが、洗濯に関してはオレ的にまったく問題なしと言えそうだ。
2
「ふんふんふ~ん♪」
ぽよ美が機嫌よく鼻歌を歌っている。今度は掃除を始めたらしい。
持ち手部分を抱え、リビングに掃除機をかけていく。
ぽよ美は掃除機の音が大好きらしく、いつもご機嫌で掃除機をかけるのだ。
ま、それはいいのだが。
掃除機をかけるのは無論、家の中。ということは、ぽよ美はスライム形態。
その状態で器用に掃除機の持ち手部分を持ち上げている姿には、素直に感心してしまうのだが。
少しくらいの粘液ならば問題ないだろうが、なにせぽよ美のまき散らす粘液の分量は驚くほど多い。
掃除機だって電化製品なのだから、粘液が内部に侵入して壊れたりしないか、心配になってしまう。
それに、掃除機をかけたそばから、自分のまき散らした粘液が床一面に広がったりしていることも、本人はまったく気にしていない。
だいたい粘液でべちゃべちゃしている場所に掃除機をかけて、意味なんてあるのだろうか?
疑問は浮かんでくるが、鼻歌まで歌ってご機嫌なぽよ美に余計なことを言って、わざわざ楽しそうな気分に水を差すのも悪い。
オレは少々苦笑まじりなものの、笑顔でぽよ美の様子を眺め続けていた。
「ちょっと、ダーリン邪魔だよ~! まったく、こっちは掃除してるんだから、気を遣って外に出るとかしてよね~」
「ぽよ美のことをずっと見ていたいんだよ」
「やだもう、ダーリンったら~♪ でも邪魔!」
「…………」
オレは黙ってベランダに出る。
空は突き抜けるように青かった。
強い日差しの中、空の青さのもとでブルーになるオレだった。
掃除機の音が聞こえなくなってから、オレは部屋の中に戻る。
ぽよ美は、今度は雑巾を片手に拭き掃除をしているようだ。
拭いたそばから粘液べちょべちょ。拭き掃除こそ、本当に意味がないように思うのだが。
もっとも、どうせ粘液だらけになるから、と言って掃除もしないような女性だったら、オレはぽよ美のことを好きになってはいなかっただろう。
苦手なことでも健気に頑張ってくれる。そういう姿をずっと見てきているからこそ、こんなにもオレはぽよ美に惹かれているのだ。
「あっ、ダーリン、ちょっと動かないでね!」
「おっ?」
キスでもしてくれるというのだろうか?
掃除中にまでそんなことするなよ。
などと笑顔をこぼしながら言うことになるのかな。
とかなんとか考えながらも、以前にあった窒息しかけるほどの突撃キッスを思い出して、若干身構えたりしていたのだが。
オレの顔面には、もっと別のものが襲いかかってくることになる。
「汚いところ、拭いちゃうね♪」
べちょ。
顔面に濡れた雑巾が押しつけられた。
「……ほほ~ぅ? オレの顔面が汚いとでも?」
「うん♪」
「…………」
「そんなダーリンが、だ~い好き♪」
「どういうことだ、こら!」
「いやぁ~ん! ダーリンが怒ったぁ~!」
こら待て~~~! あはははは、捕まらないもんね~♪
とまぁ、狭い室内で人様には見せられないようなおバカな追いかけっこを始めるオレとぽよ美。
「わっ!」
「ダーリン危ない!」
不意に足を滑らせたオレを、ぽよ美が自らの身を挺して守ってくれた。
スライム形態のぽよ美が、ぽよよんとオレを支える。
「ありがとう、ぽよ美」
「いえいえ、どういたしまして♪」
笑顔を返してくれるぽよ美だったが。
オレが足を滑らせたのも、もとはといえば、ぽよ美がまき散らした粘液のせいだ。
などとは当然ながら言えなかった。
3
「ぽよ美、洗濯も掃除も大変だな」
オレが手伝ってもいいんだぞ?
そういう意味合いを込めて、言ってみたのだが。
手伝うとかそれ以前に、続くぽよ美からの返事に、オレは思いっきり食いついていく結果となった。
「そうそう、大変なんだよ~! とくにね、お風呂掃除なんて命がけなんだよ~?」
なぬ?
掃除で、命がけ?
いまいち意味がわからない。
「ん~。じゃあ、見ててね~!」
スライム形態のぽよ美は、粘液を床に残しながらのそのそと風呂場まで歩いて……というか、うごめいていった。
ぽよ美は手早く、風呂場用の洗剤をシュッシュッと浴槽の内側にかけていく。
スライム形態なのに器用な……。というのは、他の掃除なんかでも思ったとおりだったのだが。
「浴槽の掃除~~~♪ ふんふんふ~ん♪」
大変だ、と言っていたはずだが、ぽよ美は鼻歌まじりに浴槽の内側を掃除し始める。
ブラシを器用に握って、キュッキュッと音を出しながら磨いていく様子を見る限り、とくに問題なんてなさそうに思えた。
「でも~、排水栓を外して掃除するでしょ~? そんで、洗い終わったら流すでしょ~?」
ぽよ美が鼻歌を止め、解説を加える。
ふむ。まぁ、そうだよな。
頷きながら見ていると……。
「そうするとね~。……きゃっ!」
浴槽の奥側を磨くため、身を乗り出す感じになった瞬間、足(?)を滑らせたのか、ぽよ美は誤って浴槽の中に落っこちてしまった。
普通ならば、すぐに立ち上がればいいだけなのだが。
スライム形態のぽよ美は、全身がゼリー状の物体なわけで……。
流しっぱなしにしてあった水の勢いも手伝ってか、そのままぽよ美の体は排水口の中へ……。
「って、吸い込まれてる!?」
体の半分以上が吸い込まれ、涙目状態の顔がこちらに向けられている。
「ダーリン、へるぷみぃ~~!」
「ぽよ美ぃぃぃぃぃ!」
慌てて手を伸ばす。
顔面を横から挟むように両手でつかむも、ぬるぬると滑りやすい。
それでも必死に指を食い込ませ、オレはどうにかこうにか、ぽよ美を引っ張り上げることに成功した。
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
驚きもあって、息も絶え絶えなオレ。
「ね~? だから、命がけ、なのよ~!」
ぽよ美のほうも息を切らしながらではあったが、そんな言葉が飛んでくる。
「アホか~~~! 本当に吸い込まれる再現なんてするな~~~! というか、それがわかってるなら、人間の姿に変身して掃除しろ~~~!」
「はうううっ!」
声を荒げるオレに、ぽよ美はしゅんと沈み込んでしまった。
スライム形態のぽよ美の場合、沈み込むとべちゃっと潰れた感じになるのが、妙に可愛らしい。
(ん? こんなふうに感じるオレの感覚は、ちょっとおかしいのか?)
そう思わなくもないが、オレは気にしないのだ。
しばらくすれば、呼吸も心も落ち着いてくる。
「はぁ、まったく……。妻が排水口の中に流されて死亡なんて、オレは嫌だからな!」
オレはため息と一緒に、文句の言葉も吐き出したのだが。
「ダーリン、あたしのこと心配してくれてるんだ! 嬉しい~♪」
ぽよ美はそう言って、満面の笑みを伴って抱きついてきた。
スライム形態のままだから、オレは全身粘液まみれになってしまう。
それはまぁ、いつものことだから、気にすることでもないだろう。
それにしても。
オレとしては、ちょっとニュアンスが違っていたのだが……。
ま、いいか。ぽよ美がこうして、喜んでくれたのだから。
そう考え、オレもぽよ美を抱きしめ返すのだった。
なお。
風呂掃除と同じ理由で、トイレ掃除もオレがいるとき以外は絶対に禁止、というルールを新たに作ったのは言うまでもない。