第6話 奥様のご両親も、もちろんスライム
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ふと、ぽよ美のご両親に挨拶に伺ったときのことを思い出した。
たった数ヶ月前の出来事なのに、ずっと昔のことのように思えてしまう。
当たり前といえば当たり前だが、オレは随分と緊張していた。
目的地であるぽよ美の実家は、秩父の山奥にあった。
寂れた村の片隅で農業を営んでいる、古くから続く家系なのだそうだ。
ぽよ美はあまり自分のことを話してくれなかった。
自分のことすら語らないのだから、実家について話を聞くなんてありえるはずもなかった。
2年間の交際を経て結婚を決め、ぽよ美にプロポーズ。
ぽよ美のほうも了承してくれて、晴れて結婚する運びとなった。
その時点まで、一度もぽよ美の実家を訪問したことはなかった。
それどころか、その頃のオレはまだ、ぽよ美の正体がスライムだということにも気づいていなかった。
実際のところ、プロポーズに関しても、ひと波乱あったわけだが。
そのあたりについては、機会があれば語るとして……。
ともかく、ぽよ美のご両親への挨拶だ。
ただでさえ、娘さんを僕にください! という、男にとって最大級に緊張する一大イベント。
ましてやそれが初めての顔合わせとなれば、緊張の度合いが半端ではなかったのも頷いてもらえるだろう。
手土産として持参する菓子折りも、あまり高級すぎないほうがいいのかもしれないが、安っぽすぎるのは問題だろうしと、悩みに悩みまくって決めたものだった。
「そんなの、適当でいいのに~」
ぽよ美は気楽に微笑んでいたが。
自分の実家に帰るだけのぽよ美とは、立場が全然違う。
「いきなり結婚だなんて言い出して、殴られたりしないかな?」
「もう、ダーリンは心配性ね~♪ ふんふんふ~ん♪」
緊張で全身がガチガチのオレとは対照的に、楽しそうにスキップしながら鼻歌まで飛び出すぽよ美。
オレとの結婚を喜んでくれているようだから、それはそれで嬉しいことなのだが。
その前に、オレには最大の試練が待ち構えている。心配にもなろうというものだ。
「まぁ、もしお父さんに殴り飛ばされるようなら……」
「ぽよ美が身を挺して守ってくれるっていうのか?」
「惜しい! 正解は、骨くらいは拾ってあげる、でした~!」
「全然惜しくなんてない!」
というか、殴られただけで死亡確定!?
ぽよ美の父親は、熊みたいな大男なのか!?
失礼な想像をして、恐怖で青ざめる。
だいたい、小柄なぽよ美の父親なのだから、そんな大男のはずはなかったのだ。
……もっとも、熊みたいな大男よりも、もっと厄介な相手だった、と言えなくもないのだが……。
2
ぽよ美のご両親は、とても気のいい、優しげな感じの夫婦だった。
2人とも、人間の姿。言うまでもなく、ぽよ美同様、変身していたわけだが。
「こんな山奥へ、よく来なさったねぇ」
「さあさあ、疲れたろう? 早く上がって上がって」
ご両親はオレを快く家に招き入れ、お茶やお菓子を用意してくれた。
それ自体はよかったのだが。
なんというか、家全体がやけに湿気っているというか、べちゃべちゃしているのが、少々気になった。
とはいえ、さすがに「べちゃべちゃしてますね」などと言えるはずもない。
木造でかなり年季の入ったたたずまい。
雨漏りなんかがひどいのかもしれない。
天気予報ではこの辺りも今日一日晴れだった気がするが、それでも山の天候は変わりやすいものだろう。
自分なりに結論づけ、あまり気にしないようにしていた。
ともあれ、雨漏りで深い緑色をした粘液が付着するなんてありえないのだから、この時点でご両親と、そしてぽよ美も、実は普通の人間ではないということに気づくべきだったのかもしれない。
ぽよ美のご両親を前にして緊張の一途を遂げていたオレには、そんな余裕なんてありはしなかったのだが。
いや、ぽよ美にまで鈍いと言われているオレだから、たとえリラックスしていたとしても、真実にたどり着くことはなかったか……。
「ぽよ美が彼氏さんを連れてくるなんて、初めてのことだね~」
「えへへ~!」
ぽよ美は両親と久しぶりに会えてご満悦の様子。
かなり子供っぽい印象はあるが、そういった部分も含めて、オレは彼女のすべてを愛している。
迷いなんて、ひとカケラもなかった。
オレたちが通されたのは、畳敷きの和室だった。
そこに丸いテーブルが置かれ、お菓子類の入った木製の入れ物が乗せられていた。
用意されていたお菓子は、濡れせんべいというやつだろうか、水分でぐにゃっとした感じだった。
なぜ濡れせんべいに、ゼリー状のタレみたいなものがつけられているのか。
怪訝に思いながらも、オレはそのせんべいを口に運ぶ。
味なんて、緊張でよくわからなかった。
いつまでもこんな気持ちでいるのはつらい。
お茶を飲んで喉を潤し、オレはご両親に伝えようとする。
「あの、オレ……いや、僕は――」
「あ~、そうそう。山道で体力を使って、おなかもすいているでしょう? すぐにご飯も用意するからね。食べて行きなさい!」
そう言ってお義母さんは席を立ってしまった。
「おっと、私もちょっと用事があってねぇ。少しだけ席を外させてもらうよ」
続いてお義父さんまでもが、居間から出ていってしまう。
残されたオレとぽよ美は、お茶を飲みながら、食事の準備が整うのを待った。
「ささ、できましたよ」
「ありがとうございます。うわぁ~…………美味しそうですね!」
「ふふ、ありがとうね~。たんと、召し上がれ!」
オレが一瞬、言葉を失ったのは、並べられた料理がことごとく、あんかけ風だったからだ。
いやもちろん、あんかけの品が多くても、それだけでは言葉を失ったりはしない。
だが、それらがすべて、なにやら緑色がかったあんかけだったら、誰でも思わず固まってしまうのではなかろうか。
「いただきます」
口へと運ぶのに勇気の必要な料理を食べるのは、はたしてどれくらいぶりだろう。
オレが独り暮らしをし始めた頃に、料理なんて食えればいいだろ、などと考えて作った、おかしな色の鍋料理以来かもしれない。
……あのときは頑張って半分くらいまで食べたが、完食できなかったんだっけな。
「おかわりもあるから、遠慮しないでね~」
「あっ、はい、どうも……」
あまり長く躊躇していると、不快に思われてしまう。
オレは覚悟を決め、あんかけ料理を口に運んだ。
味は、まぁ、問題なかった。
それどころか、新鮮な野菜がふんだんに使われているらしく、充分に美味しい。
見た目で引いてしまうという欠点を除けば、かなりのレベルと言えるのではないだろうか。
……それなのに、どうしてぽよ美の料理の腕はあんななのか。
今となっては不思議に思うが。
当時はまだぽよ美の手料理を食べたことがなかったため、この人の娘なら料理の腕も心配ないな、と勝手に考えてしまっていた気がする。
「おっ、もう出来ていたか。どれ、私もいただくとするか」
お義父さんも戻ってきて、あんかけ料理を食べ始めた。
「あの……なにをなさってたんですか?」
「いやぁ~、ちょっと粘液を落としに……」
「え……?」
「あ~、いやいや、なんでもない! うん、母さんの料理は今日も上手いな~」
なにやら、話をはぐらかされた気もするが……。
とりあえず、お義父さんも戻ってきてくれた。
そろそろ、ぽよ美との結婚を申し出ようと、オレは呼吸を整えた。
「あのっ! ぼ、僕……」
「そうそう、ぽよ美! これ、採れたての野菜よ~。ぽよ美のところに送っておくから、彼氏さんにもおすそ分けしてあげなさいね?」
若干どもりながら話し始めた途端、またしてもオレの言葉を遮って、お義母さんが大声で喋り出す。
「私もまたちょっと、野暮用が……」
続けて、お義父さんも再び退席。
お義母さんは、段ボール箱に詰め込まれた野菜をぽよ美に見せていたが、その野菜にも、なにやらべちゃべちゃと粘液状の物体がびっしりと付着していた。
野菜そのものはすごく新鮮そうだったものの、どうして粘液が……。
田舎の畑で採れた野菜というのは、こういうものなのだろうか?
かなり失礼かもしれない考えを、このときのオレは思い浮かべていた。
そんなことより、お義母さんはオレの言葉を明らかに遮っていた。
オレの名前だって伝えたはずなのに、彼氏さんとしか呼んでくれないし……。
それにお義父さんだって、タイミングを見計らって席を外しているように思える。
これはつまり、わざと邪魔をしている……?
オレとぽよ美の結婚に、反対しているということだろうか。
そう思い至って、正直少しばかりヘコんだ。
歓迎ムードで優しく招き入れてもらえたのに、やはり困難が待ち受けていたか。
だが、ここでくじけるわけにはいかない!
オレのぽよ美への想いは、本物なのだ!
気合いを入れ直し、次なるチャンスをうかがう。
自分用の料理も準備し終えたお義母さんが食卓に着く。
と同時に、お義父さんも戻ってきた。
お義父さんも再び腰を下ろす。
その瞬間、オレは意を決して声を張り上げた。
「あのっ! お話があります!」
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「改まってなんだね?」
ギロリ。
先ほどまでの優しくてほがらかな雰囲気から一転、お義父さんが鋭く冷たい視線で睨みつけてくる。
オレは一瞬で怖気づいてしまった。
「お父さん、怒ったら怖いからねぇ~」
お義母さんも、そんなことを言って不安をあおってくる。
さらに、
「本気で怒ったら、溶かされちゃうかも~」
と、ぽよ美まで余計な言葉を添える。
溶かされるってなんだ!?
今だったらツッコミを入れるところだが。
このときのオレには、そんな余裕なんてなかった。
ふ~……。
深呼吸。
息を整え、思いきってお願いの言葉を口にする。
「ぽよ美さんを僕にください!」
沈黙の時間が流れる。
それは、おそらく数秒でしかなかっただろう。
だがこのときのオレにとっては、永遠にも近いほど長い時間のように思えた。
「……なんだと? もう一度言ってみろ!」
お義父さんはさらに鋭い目つきに変わり、凄まじい形相で怒鳴りつけてきた。
「あ~……。こりゃあ、骨の2~3本は覚悟しないとダメかねぇ~」
「丸呑みにされちゃうかも~」
お義母さんとぽよ美の会話が聞こえてはいたが、もうあとには引けない!
「僕たちは、真剣につき合っているんです! ぽよ美さんと結婚させてください!」
鋭い目つきを崩さないまま、お義父さんはずずいっと顔を寄せてきた。
ヤバい! 溶かされる? 骨を折られる?? 丸呑み???
血の気が引くオレだったのだが。
結果として、溶かされることも、骨を折られることも、丸呑みにされることもなかった。
代わりに、お義父さんからの質問攻めが始まる。
「こんな娘だが、覚悟はいいんだな?」
「はい!」
「異常に汗っかきなのも、知った上でか?」
「はい、それはそれで、可愛らしいと思ってます!」
「料理は正直、まったくできないぞ? それでもいいのか?」
「う……。でも、僕が頑張ります! それに、ぽよ美さんにも教えます!」
「かなり常識が足りないぞ?」
「知ってます!」
「……それは少々、失礼じゃないか?」
「あ……すみません! でも、一緒にいて楽しいのは確かです!」
「ぽよ美は嫉妬深いぞ?」
「大丈夫です! 僕はぽよ美さんを愛しています!」
「ふむ……。なにがあっても、ぽよ美を幸せにしてくれるんだな?」
「もちろんです!」
一気にまくし立てられ、それらすべてにオレは素直に答えを返した。
沈黙の時間が流れる。
このときの沈黙も、永遠かと思えるような長い時間だった。
そして――。
お義父さんは表情を緩め、オレの手を力強く握ってきた。
「認めてもらえるんですね!?」
「うむ!」
「ありがとうございます!」
オレは嬉しさで胸がいっぱいだった。
「いやぁ、まさかぽよ美が人間の男性と結婚できるとはな!」
「え……?」
「いや、なんでもない! ぽよ美をよろしく頼むぞ、泉夢くん!」
「は……はい!」
このとき、ちゃんと追求しておくべきだったのかもしれない。
そうすれば、実はスライムなのだということなんて、すぐに白状させられただろうに。
もっとも、ぽよ美がスライムだろうともっと別の物の怪やら妖怪やら魑魅魍魎やらだろうと、オレの愛は変わったりしないのだが。