第5話 同僚の恋人もスライム!?
1
「おっ、佐々藤は今日も愛妻弁当なんだね!」
同僚の海端が声をかけてくる。
いや、声をかけてきただけでなく、そのまま隣の席に座る。
「……相変わらず、ご飯にゼリーっぽいのがかかってるみたいだけど……」
「うむ。ぽよ美特製、青汁風味弁当だ。お前も食うか?」
「いらない」
即答が返ってくる。
もちろん、愛するぽよ美の手作り弁当を、海端なんぞに食わせるつもりなどないが。
……前にも似たようなことがあったな、そういえば。
海端は同期入社の同僚ではあるが、今では別の部署の所属となっている。
もっとも、広い同じフロア内に海端の机もあるのだが。
ともかく、海端は隣の席――今現在オレと同じ部署の女子社員の席に座っている状態だ。
その手には、コンビニで買ってきたのだろう、パンやオニギリの入ったビニール袋が握られている。
この場所で食べる気満々ということか。
天気が激しく悪いときを除いて、昼食は基本的に外へ食べに行く奴なのだが、珍しいこともあるもんだ。
……隣の席の主は潔癖な女子社員だから、パンくずやオニギリの海苔を机の上にこぼしたりしようものなら、こっぴどく叱られるだろう。
海端には充分に注意してもらわないとな。オレまで連帯責任で怒鳴りつけられる結果になりかねない。
「しっかし、佐々藤は新婚でラブラブそうでいいよな!」
「うむ、いいもんだぞ。家に帰ったときに、待っていてくれる人がいるというのは」
「ぽよ美さんは、専業主婦なんだね。今どきだと、共働きってことが多そうなのに」
「まぁな」
ま、ぽよ美が働きに出るなんて、ありえないわけだが。
人間に変身できるとはいえ、あんな無防備に粘液をまき散らしたりしていたら、すぐにスライムだとバレてしまう。
「お前のほうは、そういう相手はいないのか?」
今度はこちらから質問を飛ばしてみる。
すると海端は、待ってましたとばかりに身を乗り出してきた。
「あっ、気になる? いやぁ~、実はね、結婚を前提につき合ってる彼女がいるんだよ~!」
なるほど。それを話したくて、わざわざ来たってわけか。
若干呆れを含みつつではあったが、同僚が幸せになることに対して否定的になるつもりなど毛頭ない。
こちらが乗り気でなかったとしても、自分からベラベラと喋りそうな勢いではあったが、オレはせっかくだから、いろいろと話を聞いてみることにした。
「なんかさ、すごくおっとりした雰囲気で、お嬢様みたいなんだよね! ほんと、可愛いんだよ~!」
「……お前なんかじゃ、つり合わないんじゃないのか?」
「そ……そんなこと言うなよ~! 僕は本気なんだから!」
「わかったわかった、そんなに興奮するなよ」
海端は同期入社でオレと同い年の27歳。
そのわりに、自分のことを「僕」と言ったりして喋り方も落ち着いていないし、どうも子供っぽい印象がある。
上司からの人気は高いが、こいつが結婚すると考えると、オレと同い年であるにもかかわらず、まだ早いだろうという結論に達してしまう。
給与レベルも同等くらいのオレ自身が結婚して、共働きすることなく生活できているのだから、とても失礼な感想なのかもしれないが。
「結構デートもしてるんだけどさ、肌が弱いらしくて暑くても長袖を着てるんだよ! そんなところもお嬢様らしいだろ~?」
「ああ、そうだな」
「たださ……その、なんていうか……」
「ん……?」
「女の子って、みんな汗っかきなものなのかな~? すごくびちゃびちゃになってるんだよね~」
「ほ……ほう……」
こ……これは……。
「暑いのに袖まくりもできないなんて、かわいそうだよね~」
「ま、まぁ、そうだな……」
もしかして……。
「ただ、手を握ったら、すごくべたべたねちゃねちゃしててさ……」
「そ、そうなのか……」
もしかすると……。
「あと、手作りのお弁当を作ってくれたんだけど、なんかべちゃっとした液体が全体にかかったりしてて……。ぽよ美さんのお弁当に、なんとなく似てるかも、とか思ったり……」
というか、確実か……!?
海端の彼女は、ぽよ美と同じで、スライムなんじゃないのか!?
「一緒にいて楽しいし、べつにいいんだけどさ~。佐々藤はどう思う?」
そうか。海端はこのことを相談するために話しかけてきたのか。
さて、どうしたものか。
実際にスライムと結婚しているオレが言うのもなんだが、相当な覚悟が必要だと思うし……。
いや、待て。相手が本当にスライムなのか、今の話だけでは断定できない。
もし違っていたら、さすがに失礼すぎるだろう。
だったら、ここは……。
「よし、海端! 今度の日曜は空いてるか? お前の恋人も!」
「え? うん、とりあえず僕は大丈夫だけど。彼女は確認してみないと……」
「大丈夫そうなら、オレたち夫婦と一緒に、ダブルデートするぞ!」
「ええっ!? 今どき、ダブルデートって……。それに、そっちは夫婦なのに!?」
「うるさい! わかったか!?」
「わ……わかったよ」
というわけで、オレはぽよ美と一緒に、海端の彼女を観察することにした。
ぽよ美にも確認しなければならないが……まぁ、あいつなら大丈夫だろう。
そして――、
「どうでもいいですけど、そろそろどいてもらえません? もうすぐお昼休みも終わりますよ? あと、机の上にパンくずを落としてます。ちゃんと掃除してくださいね!」
戻ってきた女子社員から、冷ややかな視線を向けられながら怒られてしまう、オレと海端だった。
2
日曜日、オレはぽよ美とふたり、遊園地の入り口前で待っていた。
「佐々藤、ごめん、遅れた! ぽよ美さんも、待たせてしまってすみません!」
「遅いぞ、海端!」
遅れてやってきた海端。その隣には、可愛らしい女の子が並んでいる。
ぽよ美より年下の23歳という話だったか。
「この子が僕の恋人だよ!」
「初めまして。さとるんとおつき合いしてます、巨島羽似です。よろしくお願いします」
羽似さんというのか。巨島という名字も含めて、少々変わってはいるが、なかなか可愛らしい名前だ。
丁寧に頭を下げる仕草も、実に上品だ。
さとるん、というのは海端のことだろう。海端の下の名前は、確か聡留だったはずだ。今まですっかり忘れていたが。
今日も随分と暖かい陽気だというのに、羽似さんの上着は長袖。下はスカートではあるものの、丈が長くて肌なんてほとんど見えていない。
ツバの広い真っ白な帽子もかぶっていて、見るからにお嬢様としか思えないようないでたちだった。
それでも今のところ、全然汗をかいているようには見えなかった。
汗っかき、という話を聞いていたが、どうやらぽよ美ほどではなさそうだ。
「こちらこそ、よろしく。えっと、こっちがオレの妻のぽよ美だ」
「よろしくね、羽似ちゃん!」
初対面なのに、とても馴れ馴れしいぽよ美。キラキラと笑顔を輝かせ、羽似さんの手を握る。
言うまでもなく、ぽよ美の手はすでに汗――というか粘液でべっとりになっている状態で……。
「あ……はい、よろしく……」
羽似さんはそう言葉を返しつつも、べたつく手に少々戸惑い気味の様子だった。
ともかく、今日はダブルデートだ。
オレもぽよ美と一緒の時間を楽しみながら、海端の彼女である羽似さんの様子をさりげなく観察する。
彼女がスライムである証拠をつかむのだ!
ま、オレが海端から話を聞いて、スライムかもしれないと思っただけのこと。
もし勘違いだったとしても、それはそれで構わないだろう。
むしろ、スライムであった場合のほうが大変だ。海端に覚悟を迫らなければならないのだから。
そんなことを考えながら、ダブルデートに臨んだオレだったのだが――。
結論から言えば、結局まともに羽似さんの観察をすることはできなかった。
実際には、カップルふたりずつに分かれたりはせず、ずっと4人でまとまって行動してはいた。
ただ、主にぽよ美のせいで、観察どころではなくなってしまったのだ。
例えば、ジェットコースター。
上手い具合に、海端・羽似さんペアが前、オレとぽよ美ペアが後ろという席順で乗ることはできたのだが。
当たり前かもしれないが、ぽよ美が思った以上に大はしゃぎ。
きゃーきゃーと悲鳴を上げながら、オレに抱きついてきた。
ジェットコースターには当然ながら、体を固定する安全バーがついている。しかも、ふたりまとめて固定するタイプではなく、ひとりひとり個別に固定するタイプだ。
その状態から、ぽよ美は両手を伸ばしてオレに抱きつき、頬にキスする勢いで顔まで寄せてきていた。
うわっ、バカ! 腕が異常に長くなってる! 関節もおかしな方向に曲がってる! 首がろくろっ首みたいに伸びてる!
ぽよ美がスライムだって、バレてしまう!
知り合いである海端たちが前の席に座っていたのが、不幸中の幸いだろうか……。
とはいえ、オレたちの後ろには、他の客もいたはずで……。
オレはジェットコースターで普通に感じるものとは完全に違った、別の意味の恐怖を感じる羽目になってしまった。
それから、コーヒーカップ。
サイズ的には小さめだったため、これは4人で一緒には乗れなかった。
というわけで、それぞれのカップル同士で分かれて乗ったわけだが。
ここでもぽよ美は、はしゃぎまくった。
真ん中にあるハンドルをひたすら回し、超高速回転状態にしてしまったのだ。
周囲の景色がぐるぐる回る。
すぐ隣のカップに乗っている海端たちの姿すら、まともに見ることができない。
ぽよ美はきゃーきゃーとわめきながら、飛び跳ねるほどの勢い。
実際に飛び跳ねたら危険だが、さすがにそこまでバカではなかったようだ。
遠心力で放り投げられそうなほどの速度ではあったものの、どうにか耐えきった。
カップから降りたあと、足もとがふらついて思わず抱きついてきたり、といったお約束も忘れないぽよ美。
だが、さらなるお約束も忘れなかった。
あまりにも激しい回転で、酔ってしまったのだ。
植え込みの辺りを探してぽよ美の口から吐き出されたのは、普段のスライム形態のときにまき散らされる粘液と同じような、緑色のゼリー状の物体だったのだが。
一緒に乗っていたオレまでもが気持ち悪くなり、仲よく隣に並んで吐き出す結果となってしまった。
さらには、お化け屋敷。
まぁ、もともと薄暗い中を進むわけで、ターゲットを観察するには不向きなアトラクションだったとも言えるのだが。
ぽよ美はオレの腕にべっとりとくっつき、粘液をべたべたをまとわりつかせる。
きゃーきゃー言いながらも、怖がるというより楽しんでいる様子が充分にうかがえた。
それはべつによかったのだが。
少々うるさすぎた。
しかもその内容が……。
「きゃあ~~~~! ゾンビ~~~~~~! 怖い~~~~! 美味しそう~~~~!」
「きゃあ~~~~! ミイラ~~~~~~! 怖い~~~~! 美味しそう~~~~!」
「きゃあ~~~~! 吸血鬼~~~~~~! 怖い~~~~! 美味しそう~~~~!」
「きゃあ~~~~! ダーリンの顔~~~! 怖い~~~~! 美味しそう~~~~!」
「きゃあ~~~~! のっぺらぼう~~~! 怖い~~~~! 美味しそう~~~~!」
といった、動物園での一件を思い出させる内容のもので。
……どさくさに紛れて、なにやらおかしなことまで口走っていたような気もするが、聞き間違いだと思っておこう。
他にもいくつか乗り物には乗ったのだが。
そんなこんなで、結局、羽似さんの観察はまともにできずじまいとなってしまった。
3
小腹もすいたし、さすがに疲れも溜まってきたため、休憩を挟むことにした。
売店でピザとフライドポテトを購入し、4人分の飲み物も頼む。
それらはトレイに乗せて自分で運ぶ必要があった。
食べ物は海端、飲み物はオレの担当となった。荷物運びは男の仕事だ。大した重さではないが。
オレも海端も手ぶらで来たが、ぽよ美や羽似さんはバッグを持ってきている、というのも、荷物運びがオレたち男性陣担当になる理由になっていたかもしれない。
休憩スペースのテーブルまでトレイを運び、席に着く。
オレは飲み物を手に取り、羽似さんに手渡した。
羽似さんは落とさないための配慮か、両手を差し出し、包み込むようにして受け取った。
そこで、手が触れる。
その程度でドキドキするような年齢でもないし、相手は同僚の彼女だし、しかも今は愛するぽよ美もいるわけだし。
少しでもおかしな気になるなんてことは、あるはずもなかったのだが。
別の意味では、どうしても気になってしまっていた。
じっと自分の手を――羽似さんの手が触れた部分を見つめる。
「ちょっと、ダーリン?」
ぽよ美が服の裾を引っ張り、鬼のような形相で睨んでいた。
なにが言いたいのか、そんなものは一瞬にして伝わってくる。
つまり、羽似さんの手に触れて喜んでるんじゃないか、と不満に思っているのだ。
「いや、そういうのじゃないから!」
「どーだか」
ぽよ美は完璧に機嫌を損ねてしまったようだ。
あとでフォローを入れるべきだな。具体的には、なにか好きな食べ物を腹いっぱい食べさせてやることになるだろうか。
ともかく、オレが気になっていたこと。
それは、羽似さんと触れた部分が、やけにべたべたねばねばしていたことだ。
汗……と考えれば普通だとは思うのだが。しかし明らかに、茶色っぽく濁っていた。
羽似さんの様子をじっくり観察するという当初の目的は果たせなかったが、これは紛れもない物的証拠……。
よくよく見れば、羽似さんは長袖を着ていることもあってか、今はもう、かなり汗びっしょりの状態だった。
汗が流れ落ちて床を濡らしている足もとの辺りにも、随分と粘液状の物質が広がっているようだ。
ぽよ美と比べたら、量的には少ない。なにせぽよ美は、滝のように汗を流しているのだから。
ともあれ、本人は全然気にしている様子もなく、粘液をまき散らしているのが現状。
羽似さんはおそらく、ぽよ美同様、スライムに違いない。
人間の姿をしている場合のぽよ美の粘液は粘り気も少なく透明なのだが、羽似さんの粘液は茶色っぽく濁った上に粘性も少々高い。
性質的に違いはある。だが、それはスライムとしての種類の違いとか、そういったものなのだろう。
オレは意を決し、ピザを口もとに運び始めている羽似さんに向けて話しかけた。
「羽似さん」
「ふぁい?」
すでにピザが口に入っていたため、返事の声もこもる。
それでも返事をしてくれたのは、無視するのはもっと失礼だと考えたからだろう。
「オレの妻、ぽよ美は……実はスライムなんだ」
衝撃の告白。
目を丸くする羽似さん。
いや、それは海端も同様だった。
「な……なにバカなこと言ってんだ!? ぽよ美さんが、スライム!? そんなの、あるはずないだろ!?」
海端はまったく信じられない、といった様子だった。
それに対し、
「そ……そうなんですか……」
羽似さんは、小さく答えながらも、視線を逸らす。
これは、どうやらビンゴみたいだな。
オレは一気にたたみかける。
「羽似さん、もう隠さなくてもいいよ。キミもスライムなんだろ?」
「ええええええっ!?」
海端が大げさに驚きの声を上げる。
当の本人である羽似さんは、うつむいたまま、微かに震えていた。
「佐々藤、お前どうしちゃったんだよ!? そんなバカなことが……。羽似、反論しなよ! それにぽよ美さんも……」
「あたしはスライムだよ~」
ぽよ美は素直に答え、にっこり微笑む。
海端は返す言葉も見つけられない様子だった。
しばらくの沈黙。
やがて羽似さんはその重い口を開いた。
だが――消え入りそうな声で語られた内容は、オレの指摘を肯定するものではなかった。
「違います……私はスライムじゃありません……」
この期に及んで、まだしらをきるつもりか。そう考えたオレは、刑事のように少々語気を強めて詰め寄る。
「ほうほう。だったら、なんだっていうんだ?」
「私は……泥田坊なんです……」
羽似さんの口から吐き出され答えは、オレが想像すらしていなかったものだった。
「つまり、その……妖怪……なんです……」
「妖怪だったのか!」
話を聞いてみると、羽似さんは泥田坊という妖怪で、正体はほとんど泥の塊のようなものなのだという。
手に触れたときについたドロドロの物質、あれはぽよ美のような粘液ではなく、泥だったのだ。
人間の姿に変身して、世間に紛れ込んでいるというのは、昔のぽよ美とまったく同じ。
もちろん、しっかりとした自我を持って行動している。
オレとしては、スライムがいたりレイスがいたりするのを、身をもって知っているわけだから、なるほど、妖怪くらいいてもおかしくはないか、といった程度だったのだが。
問題は海端か……。
スライムだったら覚悟が必要だ、と思ってはいたが、妖怪だって同様に覚悟が必要だろう。
ぽよ美という前例がないことを考えれば、スライムだった場合よりもよほど強い覚悟が必要とも言える。
「さとるん、ごめんね……。こんな私、嫌だよね……? 私のことなんて、嫌いになっちゃうよね……?」
羽似さんは涙をぽろぽろと流しながら、震える声をしぼり出す。
かわいそうだが……。オレには声をかけてあげられない。
今の彼女に答えてあげられるのは、彼氏である海端だけだ。
海端は深く考え込んでいるのか、うつむいたままなにも言わない。
「おい、海端……」
しばらく沈黙の時間が続き、堪えきれなくなったオレが呼びかけると、海端はこれまでの沈黙が嘘のように勢いよく喋り始めた。
「はぁ……。まったく、そういう重要なことはちゃんと話してよ。これからは隠し事は無しにしてよね。僕のほうも、羽似にはなにも隠さない。……これからずっと一緒に、暮らしていくんだから」
「さ……さとるん……! 嬉しい~!」
海端の言葉に、感極まった羽似さんは思いっきり抱きついた。
泥田坊という妖怪の彼女だから、海端の全身は泥まみれでドロドロになってはいたが。
しかし、それを笑ってはいられなかった。
「あ……あたしも負けないもん!」
なにやら対抗心を燃やしたぽよ美が抱きついてきたせいで、オレもべちゃべちゃのねちゃねちゃになってしまったからだ。
後日談。
あんなことを言っていたし、海端と羽似さんの仲は進展して、すぐに結婚まで到達するかと思いきや。
実際には、そうはならなかった。
羽似さんいわく、まだつき合い出して間もない上、今の海端の給料では将来的な不安もあるため、じっくりと時間をかけて見極めるつもりだとのこと。
ふ~む、泥田坊というのは相当慎重な性質も持っているみたいだな。