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第48話 さよなら、ぽよ美(後編)

     1


 ぽよ美はまだ戻ってきていない。

 いなくなってから、もう一週間近く経つ。

 オレは今、会社で仕事中。

 今日の仕事を終えれば、土日はもちろん休みだ。


 普段どおりであれば、楽しみな週末となる。

 しかし、ぽよ美がいない現状で、いったいなにを楽しめばいいというのか。


 土日はぽよ美たちの捜索に出かけてみるつもりだ。

 とはいえ、見つけられるあてなどなにもない。

 気持ち的には、平日にも会社を休んで探し回りたいところだが。

 冷華さんも大家さんもメリーさんも、誰もかれもがいない状態では、どこをどう探せばいいのか見当もつかない。


 このまま、永遠にぽよ美には会えないのかもしれない。

 そう思い始めてすらいた。


 それにしても、ぽよ美がいないと、オレは本当にダメダメなんだな。

 仕事すらまともに手につかない。

 ミスを連発し、上司に叱られるなど、新人の頃以来の出来事だ。


「はぁ~……」


 ぐったりとオフィスの机に突っ伏す。

 そんなオレに、海端が声をかけてきた。


「随分とお疲れみたいだね」


 言い返す気力もない状態ではあったが、無視するのも悪い。

 とりあえず、ツッコミを入れておく。


「お前のほうは、羽似さんがいなくなったってのに、結構元気そうにしてるよな」

「うん、まぁ、僕だしね。それに、羽似がいないことにも、なんかちょっと慣れてきちゃったかも」


 海端のこの言葉には、黙っていられなかった。


「そんなふうに言うなよ! お前の羽似さんへの愛情は、その程度だったのか!?」


 先日、中泉に対して激高したのと同じような状況。

 明らかに、情緒不安定だ。

 思わずつかみかかっていたオレを、困惑顔の海端がなだめる。


「やめろって、佐々藤。……周りの人が何事かと思って見てる」

「あ……ああ、すまない」


 慌てて手を離す。

 よくよく考えてみれば、海端は羽似さんと同棲し始めてからの時間も短い。

 1年以上ぽよ美と一緒に暮らしてきたオレとは、環境的に違うとも言える。

 だからといって、羽似さんがいなくてもいい、とも取れるさっきの発言には、やはり憤りを覚えるわけだが。


「べつに僕だって、羽似がいなくていいなんて思ってないよ。でも、これが現実なら、素直に受け入れないといけないんじゃないかな?」

「それは……そうかもしれなが……」

「僕たちは羽似やぽよ美さんたちが戻ってくる場所を守るためにも、いつもどおり働かなきゃダメだと思うんだ。そうじゃないと、羽似に笑われちゃいそうだしね」

「羽似さんだと、『さとるんは、やっぱり頼りない』とかって言いそうだよな」

「そうそう。もしこの先、ずっと羽似が帰ってこなかったとしても、僕は元気に生きていくよ。それが、羽似への恩返しにもなると思うんだ」


 普段はおちゃらけた印象が強いのに。

 今の海端は、オレなんかよりずっとしっかりしているようだ。


「おっと、まだ仕事の途中だった。じゃ、僕はこれで行くね。残業もあるし、今日は一緒に帰れそうもないけど、元気出しなよ?」

「ああ、ありがとな」


 同僚の気遣いに感謝する。

 だが、気力が回復したわけではなかった。

 それどころか、黙々と仕事をこなしているうちに、どんどんと暗くよどんだ空気に包み込まれてしまう。


 どんな場合であっても、時の流れは不変の速度で進んでいく。

 いつの間にやら、終業時間となっていた。

 オレは普段どおり電車に乗り、アパートの最寄り駅まで到着した。

 そこから、夜の町をひとり寂しく歩く。


 吹き抜けていく風が、やけに冷たく肌を刺す。

 そうか、川から来る風だからか。

 気づけばオレは橋の上にいた。


 オレたちの住む町を貫くように、そこそこ幅のある大きめの川が流れている。

 会社からの帰り際、毎日目にしているこの橋からの光景も、今日はオレの心を痛いほどに締めつけてくる。

 いつもどおりの帰り道なのに。

 家に帰っても、いつもどおりの日常はない。


「このまま帰らなくても、心配する妻はいないのか」


 橋の欄干に前のめりに寄りかかり、眼下の川の流れを眺める。

 上流のほうで雨でも降ったのか、やけに流れが速くなっているようだった。

 水かさも随分と増しているに違いない。


 この辺りは街灯も多い。夜でも周囲の景色はそれなりに見通せる。

 それでも、川の水はひたすら真っ黒く見えた。

 まるで、オレをいざなう深い闇がそこでうごめいているかのように。


「……ぽよ美がいないと、オレに生きている意味なんてないのかもしれない。いっそのこと、この川に身を投げるか……」


 自らのつぶやきに、自分自身が驚く。

 オレはいったい、なにを考えているんだ。

 頭を左右に振り、黒い思考を吹き飛ばす。


「帰ろう」


 オレは橋を渡りきり、アパートへと向かうことにしたのだが。

 足取りは自然と重くなり、たまに立ち止まったりしながらのトボトボ歩きとなってしまっていた。


「海端みたいに、オレも現実を受け入れないといけないのか……?」


 ぽよ美がいない現実。

 そんなの、受け入れたくなどない。

 受け入れたくはないが……この先何年も何十年も、こんな気持ちでいるわけにもいかない。


「ん」


 ぐっ……と、こぶしを握る。


 そうだな。

 ぽよ美のことは、すっぱり忘れよう。

 いや、忘れることなどできやしないが。

 楽しかったぽよ美との思い出を胸に、精いっぱい生きていこう。


 ぽよ美。

 お前と一緒に過ごした日々は、最高の宝物だったよ。

 これまでずっと、オレを幸せにしてくれてありがとう。

 さよなら……ぽよ美。


 オレはひとりきりで生きていく覚悟を決め、アパートまで戻った。



     2



 コーポ錠針の206号室にあるオレの部屋。

 そのドアをゆっくりと開けると……。


「あっ、ダーリン、お帰りっ!」


 ぽよ美の愛くるしい笑顔が、目の前にあった。


「え……? ぽよ美!?」


 これは、夢か幻か。

 あまりの寂しさに、脳が幻覚を創り出した?

 混乱しすぎて、現実を素直に受け取ることができなかった。


「えへへへ、ちょっと久しぶりになっちゃったね、ダーリン!」


 この甘ったるい声。

 ぽよ美の声だ。間違いない。


「ぽよ美っ!」


 オレはぽよ美に思いっきり抱きつく。

 愛する妻の存在を、からだ全体で確かめるように。

 ぷにょぷにょでベチョベチョのほっぺたを、必要以上に引っ張ったりまでしながら。


「ちょ……ちょっと、ダーリン! 痛いってば~!」


 ぽよ美がどんなに嫌がろうと、オレはひたすら、人間の姿になっていてもなおベタベタしている体を抱きしめ続けた。




 さて。

 ぽよ美がどこに行っていたのかというと。

 なにやら、物の怪の類が集まって戦うバトル大会に出場していたのだとか。


「大家さんとメリーさんが、お互いのアパートの威信をかけて戦ったのよ~!」


 ぽよ美の説明を聞いても、あまりよくはわからなかったのだが。

 少なくとも、コーポ錠針と女神ハイツの住人が消えていたのはそのバトル大会とやらに参加するためだったらしい、というのは理解できた。


「私が説明してやろうかね?」


 不意に、大家さんが背後から声をかけてきた。

 うわっ! この人、いつの間に!?


 まぁ、大家さんが神出鬼没なのは、今に始まったことでもない。

 ともかく、大家さんから詳しく話を聞く。


 特殊な大家を育成する学校、スペシウム学園の卒業生による、アパート対抗の魑魅魍魎バトル大会。

 それは毎年行われている、恒例のイベントなのだそうだ。

 大会の開催には、学園の教師だった麻穂お婆さんも関与していた。

 そういえば、「この分なら盛り上がるだろう」みたいなことをつぶやいていたっけな。あれは、この大会のことを言っていたのか。


 今年は、コーポ錠針VS女神ハイツでの団体戦となった。

 それぞれの住人が1対1だったり、タッグマッチだったり、集団での混戦だったり、様々な戦いを繰り広げた。

 異種格闘技戦の様相を呈するバトル以外に、趣向を凝らしたゲームなどを含めた勝敗でポイントが決まり、最終的にポイントの多いほうの勝ち、というシステムになっていたそうだ。


 ここ最近、メリーさんが次々と刺客を送り込んできていたのは、こちらのアパートの住人を減らすとか、戦力にならないようにするためとか、そういった意図があったからなのだろう。

 いつだったか、垢澤さんがぽよ美に対して「負けないから」などと言っていたことがあったが、あれはこのバトル大会に関する意気込みだったのだと考えられる。


 この大会に参加できるのは、物の怪やら妖怪やら神様やらだけで、人間は不可となっている。

 そのため、オレや中泉、海端、低橋さんは残された。


「そういうことなら、あらかじめ伝えておいてくれてもよかったんじゃないですか?」

「いや、それがね。開催前から話題にしていると負ける、ってジンクスがあるんだよね。それでみんな、知っていても口には出さなかったのさ」


 しかも、いつ開催されるかは、ぽよ美たちにもわかっていなかった。

 突然、大会の会場となる別の空間へと転送され、いきなりスタートする形式となっている。

 それが長年続いてきたこの大会の伝統なのだとか。


 期間中は問題にならないよう、人間の世界に紛れ込んで暮らしていた物の怪たちの記憶を、頭の中から消し去っていた。

 ただ、深く関わっていた人間に対しては、その効果も薄かったのだという。


「記憶消去に使った方法が古いタイプだったからねぇ。新たなタイプなら完璧なんだけど、費用面の問題もあってね」

「はぁ……」


 大家さんの説明を聞いても、生返事しか出てこない。


「今年はね、私の思惑どおりとも言えるけど、ぽよ美さんが大活躍だったんだよ」

「えへへへへ! あたし、頑張っちゃった!」


 大家さんの言葉に、ぽよ美が照れ笑いを浮かべる。


 どうやら、深い絆で結ばれた人間がいる場合、その想いの強さがバトル大会での戦力にも影響してくるらしい。

 オレがずっとぽよ美のことを考え続けていたことで、ぽよ美には想像を絶するパワーが宿っていたのだとか。

 ともあれ、一週間にわたる長く激しい戦いの末、ポイントはまったくの同点、引き分けに終わってしまったみたいなのだが。


「もう少しで、あのクソ女神にひと泡吹かせてやることができたんだけどねぇ。ま、負けなかっただけよかったと思っておこうかね」


 なお、ぽよ美は両親も観戦に誘っていた。秩父の実家にいなかったのは、そのせいだったのだ。

 羽似さんの両親やお兄さん、水好さんの両親も同様に、バトル大会の観戦に行っていたようだ。


「突然別の空間に転送されちゃったし、ケータイも通じない場所だったから、連絡もできなかったんだけどね。でも、すごく白熱した戦いだったの!」


 ぽよ美は満足そうに頬を上気させている。

 オレはまだ呆然とした状態ではあったが、ぽよ美が戻ってきたという事実は、徐々に頭の中に浸透してきていた。


「あとね、次回の開催からは、新シリーズとしてスタートするんだって! 規定が変わるから、ダーリンも連れていけるようになるんだよ! 来年だからまだ先の話だけど、楽しみに待っててね!」


 楽しみというか、怖いというか……。

 あまりおかしな事態には巻き込まないでもらいたい気もする。


 だが――。

 ぽよ美は今、オレの目の前にいる。

 それ以外にいったいなにを望もうか。


「ふぅ~~~~~~……」


 オレは大きく、安堵の息を吐き出した。



     3



「佐々藤! 水好、帰ってきたよ!」


 オレたちの声を聞きつけたのか、中泉が歓喜の表情で飛び込んできた。


「ああ、うん。ぽよ美も帰ってきたよ。大家さんもいるし……」


 さらに、


「ラララ~、マイスイート冷華~♪ 無事に帰還してくれた~♪」


 隣の部屋からは、低橋さんが嬉しそうにギターをかき鳴らしながら歌っている声が聞こえてくる。

 このアパートの住人たちは、みんな無事に帰ってきたのだろう。


 ケータイの着信音も鳴った。

 海端からの電話で、羽似さんが帰ってきた、との報告だった。

 少し話してみたところ、女神ハイツの他の住人たちも、ひとり残らず戻ってきていることが確認できた。


「あっし、ほんとにどうしようかと思ってたし! 水好が帰ってこなかったら、頼れるのは佐々藤しかいないし!」


 中泉の発言には、ぽよ美が食いつく。


「過去さん、どういうこと~? あっ! まさか、あたしがいない隙に、ダーリンとふたりっきりでイチャイチャしてたとか!?」

「イチャイチャはしてないよ~! 佐々藤とふたりで飲んだりはしてたけどさ~」

「うわっ! 妻がいないあいだに別の女を家に上げて飲んでたなんて! ダーリン、それって浮気だよね!?」

「ええっ!?」

「浮気だ浮気だ~! ダーリンを殺して、あたしも死ぬ~!」


 なにやら、いつもどおりの展開。


「そんなわけないから! オレはぽよ美ひと筋だから!」

「ほんと?」

「ほんとだ!」

「ほんとにほんと?」

「ほんとにほんとだ!」

「ほんとにほんとにほんと?」

「ほんとにほんとにほんとだって!」


 前にも似たようなやり取りをしたことがあったよな。

 無意識に苦笑が浮かぶ。


 どうでもいいが、一気に騒がしくなってしまった。

 これでこそ日常。

 これでこそ、ぽよ美だ。


 改めて、オレはぽよ美を真正面に見据える。


「とりあえず……ぽよ美、お帰り」

「うん、ただいま!」


 満面の笑み。

 ぽよ美はやっぱり、いなくなったりしないのだ。


「っていうか、あたしはダーリンから絶対に離れないもん♪」

「一週間も無断で離れてたくせに」

「それは仕方がなかったのよ~! 強制連行だったんだから~!」


 なんにしても。

 本当によかった。

 オレはじぃ~っと、愛する妻を見つめる。


「ダーリンったら、そんなに見つめちゃイヤン♪」


 恥ずかしがるぽよ美も、とってもラブリーだ。


「それじゃあ、ご期待に応えて、一週間ぶりのちゅ~~~~~~っ!」

「うわっ!?」


 ぽよ美はなにを勘違いしたのか、思いっきりオレの唇に吸いついてきた。


「えへへへへっ! しかも、スライム形態になっちゃう!」

「ぐおっ!?」


 人間の姿から本来のスライムの姿へと一瞬にして変貌するぽよ美。

 オレの頭部はぽよ美の口の中にすっぽりと包み込まれ、文字どおり溺れるほどのキスに襲われる。


 うん。

 これこそが、ぽよ美だ!

 ぽよ美は今、間違いなくオレの目の前に存在してくれている!


 嬉しさでいっぱいだった。

 ……同時に、窒息によってオレの命のともし火が消えかける寸前、という凄惨な状況でもあったりするのだが。


「ぷはっ!」


 ぽよ美がようやく、オレから唇を離す。

 唇を……というか、大きく伸びきった口を。


「こら、ぽよ美! いくらなんでも、今のはやりすぎだ! もうちょっと手加減しろ!」

「それは無理だよ~! だって、これがあたしなりの愛情表現なんだも~ん♪ というわけで、もう1回~♪」


 中泉と大家さんに加え、声を聞いて駆けつけた水好さんも見守る中。

 オレはぽよ美の強烈すぎる愛情を受け取り続けるのだった。



     4



 こうして、ぽよ美のいる日常が戻ってきた。

 当然ながら、水好さんも羽似さんも冷華さんも、他の物の怪やら妖怪やら神様やらもみんな戻ってきている。

 土日と連続で、コーポ錠針及び女神アパートの面々を集めての宴会も開催された。


 白熱したバトル大会の話題で盛り上がり、オレたち人間も参加できれば楽しかったのに、といった流れになり。

 次回からは新シリーズで規定が変わるため、強制参加決定だからね? と念を押されたりして。

 海端と中泉と低橋さんは、望むところ! と乗り気になっていて。

 オレもオレで、ぽよ美と離れるくらいなら一緒に大会を楽しむほうがいいだろうな、と思ったりして……。


 なんというか、人間以外の存在に囲まれて生活していることに、完全に順応していることを改めて実感する。

 だが、これはこれで構わないだろう。

 土日だけじゃなく、毎日のように宴会続きになりそうなのは、若干問題があるような気もするが。

 そんなの、今さらどうこう言うことでもない。


「ダーリン、大好き♪」


 人間の姿に変身しているぽよ美がオレに寄り添い、とろけたような笑顔を向けてくれる。

 本当に幸せだ。

 まぁ、アルコールによって半分以上スライム形態に戻り、ぽよ美の笑顔は文字どおりとろけているのだが。


 ぽよ美がそばにいてくれる。

 それだけでいいじゃないか。

 そもそも、ぽよ美がいてくれないと、オレはまともに生きてさえいけない。

 今回の件で、嫌というほどよくわかった。

 ……いや、そんなの前々からわかっていたことではあるのだが。


「ぽよ美」

「ん~?」

「これからもずっと、オレのそばにいてくれよ?」

「うん、もちろんだよ~!」


 そんなわけで。

 オレは今日も、妖怪やら物の怪やらモンスターやら神様やらに囲まれた幸せな生活を送っている。


以上で終了です。お疲れ様でした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


ユーザー登録されている方は、もしよろしければ評価していただけると嬉しいです。

宜しくお願い致しますm(_ _)m



キャラを増やすだけ増やして終わらせた感じですが……。

とりあえず、一旦ここまでで区切っておこうかと。

もしかしたら、そのうちひょろっと、第二部として再開するかもしれません。


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