第45話 スライムと平穏な一日
1
まだ7月の前半なのに、やけに暑い日が続いている。
そんな中ではあるが、オレはぽよ美を連れて散歩に出かけることにした。
今日は日差しもそれほど強くはないし、川原の歩道であれば少しは涼しい風が吹いているだろう、と考えたからだ。
暑いのであれば、ドライブに繰り出すほうがよさそうにも思える。
しかし、ぽよ美はあまり車が好きではないらしい。
車は独特のニオイがするため、人によっては酔いやすい、といった弊害が出るのは仕方がないのかもしれない。
もっとも、ぽよ美自身が粘液によって独特なニオイを放っているのだから、車のニオイを気にするなんておかしな話だと言わざるを得ないのだが。
それはともかく。
オレとぽよ美は、暑い中でも腕を組み、仲よく会話しながら川原の道を歩いていた。
「それにしても、このあいだの宴会は楽しかったよな」
大人数ではしゃいだ先週末の宴会を思い出し、オレは頬を緩める。
一方のぽよ美は、なぜか不満顔。
「でもダーリン、垢澤さんから告られて、鼻の下を伸ばしてた~」
「おいっ! 鼻の下なんて伸ばしてない! だいたいあれは、酔っ払ってわけがわからなくなってただけだろ!」
「酔っ払ってても、ハッキリ好きだとか言ってたよ~? 不倫だって宣言までしてたし~! 垢澤さんって、会社でダーリンの隣の席なんだよね~? もしかしたら、本当に毎日不倫してるんじゃないの~?」
「そんなわけあるか! だいたい、席でイチャイチャしてたら、他の人にだって見られるだろ!」
「だったら、隠れてオフィスラブしてるんだ! ダーリン、いやらしい~!」
「だから、そんなことないっての!」
うん。
仲よく会話しながら、と表現したのは訂正しておこう。
「あとさ~、ダーリンってば、過去さんとも仲がよすぎる感じだし~!」
「中泉はお隣さんだからな。中学時代の同級生でもあるし、気兼ねなく会話できるのも当然だろ?」
「それだけじゃないでしょ~? なんたって過去さんは、ダーリンの初恋相手だったんだから~」
「まぁ、そうだけどな。そんなの、過去のことだよ」
再会したときには、美人になってるな~と思ったが。
性格的には少々微妙な部分もあるし、今はオレも中泉もお互いに結婚して夫婦になっている身だ。
今さらどうこう思うはずもない。
ただ、ぽよ美は怒りを静めない。
「あ~~~~っ! 過去さんのこと、下の名前で呼び捨てにしてる~! やっぱり怪しい関係なんだ~!」
「おいおい! 今のは、現在過去未来の過去だよ! 話の流れからわかるだろ!?」
「現在さんと未来さんって、過去さんのお兄さんとお姉さんだし! 家族ぐるみで呼び捨て!? 怪しすぎる~!」
「違うって! 無理矢理おかしな方向で考えるな!」
中泉は過去という名前で、現在さんと未来さんという兄と姉がいるのは確かなのだが。
オレは現在さんにも未来さんにも会ったことはない。
だが、ぽよ美の妄想は、さらに別方面へと突き進んでいく。
「あっ! 未来ってのは、ミイラの未来さんのほうかも!? いつの間に、そんな関係になってたの~!?」
「どうしてそうなるんだ!?」
「ダーリン、乾燥したカサカサの肌が好きだったんだ~!」
論理展開が突飛すぎる。
さすがは、ぽよ美だ。
「なに言ってるんだよ、お前は! オレが好きなのは、これまでもこの先もずっと、ぽよ美だけだ!」
「あら……!」
オレの言葉に、ぽっと頬を染める。
ちなみに、言い争いをしているあいだも、オレとぽよ美はずっと腕を絡め、寄り添い合ったままだった。
ケンカするほど仲がいい。
熱くなっても、離れたりなどしない。
それがオレとぽよ美の関係だ。
改めて、愛する我が妻を見つめ直す。
素直で正直。
やっぱり、ぽよ美は可愛いな。
結婚して1年以上経っても、そう思える。
可愛い、以外に、おかしい、という感想もあったりするわけだが。
ぽよ美がいるおかげで、絶対に退屈しない楽しい毎日を送ることができている。
本当に幸せだ。
腕を組んだまま河川敷の道を歩いている現状。
暑さのせいで、ぽよ美の腕からは汗……というか粘液が異常なほど溢れ出てきて、べたべたねちゃねちゃするのだが。
オレの腕だって汗まみれなのだから、それはお相子だろう。
……と思ったら。
「ダーリン、汗が気持ち悪い~」
よもや、ぽよ美にそんな文句を言われるとは。
「汗、止めてよ~」
「無理だっての! だったらお前こそ、粘液を止めろよ!」
「そんなの無理よ~、あたしはスライムだもん~」
なんとも不条理。
これでこそ、ぽよ美だ。
妙な部分に幸せを感じつつ、オレは愛する妻との散歩を続けた。
2
「あれ? 佐々藤じゃんか! こんなところで会うなんて、珍しいな!」
ばったりと、海端に出会った。
その隣には当然のように羽似さんも並んでいる。
「そっちも散歩か?」
「そうだよ! 僕ひとりで出かけようかと思ったんだけど、羽似が離してくれなくてね!」
「というか、言うまでもなく監視です。さとるんは可能な限り、私の監視下にいる義務があるんですから」
同棲を始めてしばらく経っても、ふたりの状況は変わっていないらしい。
ま、会社にまで押しかけて監視していないだけマシ、と考えるべきか。
「羽似ちゃん、幸せそう~♪」
ぽよ美が実に楽しげな顔で言う。
オレたちと同様、海端と羽似さんも腕を組んで仲よく散歩中だったみたいなのだから、それは見るからに明らかだ。
「逃げないように捕まえてるだけですけどね」
羽似さんは素直じゃなかったが。
海端のほうは心底嬉しそうな表情をしていた。
羽似さんと組んでいる腕は、汗やらなにやらでドロドロになっているのだが。
「これがいいんだよ! 羽似だと普通の汗と違って泥も混じってる感じだから、ちょっと泥遊びしてる感覚にもなれて、なんだかお得なんだよね!」
なにがお得なのやら、よくわからない。
ともあれ、本人が満足しているのだから、余計なツッコミを入れるのは野暮というものだろう。
「そろそろ籍を入れてもいいのに」
オレのつぶやきに、羽似さんが猛反発してくる。
「ダメですよ! さとるんってば、まだまだ頼りないですし! 籍を入れるなんて、十年どころか百年くらい早いです!」
「羽似さん、キミは何歳まで生きるつもりだ?」
「数千歳くらい?」
「真顔で答えないでもらいたいな……」
「ふふっ、冗談ですよ!」
本当に冗談なのか、確信を持てないのがなんとも……。
ただ、なんだかんだ言っても、海端と羽似さんの仲がいいのは間違いないようだ。
そんなふたりと別れ、オレたちは夫婦水入らずの散歩を再開したのだが。
その後すぐ、またしても知人と顔を合わせることになった。
「あら? 佐々藤さんとぽよ美さん、こんなところで偶然ね」
「あっ、雪子さんだ~! ぽよ太郎もいる~! うわ~、腕を組んで歩いてるなんて、ラブラブだ~!」
川原の道の向こうから歩いて来たのは、ぽよ美が言ったとおり、雪子さんとぽよ太郎の夫妻だった。
オレとぽよ美だって、しっかりと腕を組んだラブラブ状態で歩いているわけだが。
どうでもいいが、こんな暑い気候の中で雪女と遭遇するなんて、とても不思議な気分だな。
「雪女なのに、こんな暑い日に出歩いて大丈夫なんですか? 夏の日差しとか、苦手そうに思えるのですが」
「ふふっ、レイレイには負けていられないから」
オレの指摘に、雪子さんは平然と答えを返してきた。
どうやら冷やし中華好きな冷華さんは、夏こそ最大の活動期、と言っているらしい。
つまり、それに対抗しての行動なのだと考えられる。
雪子さんは若干、無理しているようにも見受けられたが。
溶けたり体調を崩したりはしていないみたいだし、とくに問題はないのだろう。
「雪子は冷たいから、腕を組んでいると涼しくなれていいんですよ!」
ぽよ太郎は満足そうだ。
なるほど。雪子さんが絶好の清涼剤になっている、ということか。
雪子さんは真っ赤な髪の毛を逆立て、真っ赤で度派手な暑苦しい服を着ている、ありえないような雪女ではあるが。
う~む。
粘液やら泥やらでベチョベチョになるオレや海端に比べたら、随分と恵まれた環境にも思えるな。
ついつい、うらやましそうに見つめてしまっていたオレに、ぽよ美が文句をぶつけてくる。
「ちょっとダーリン! どうして雪子さんを見つめてるの~? そっか、雪子さんも美人だから、見惚れちゃってるんだ~! ダーリンの浮気者~!」
「浮気じゃないって! それに、美人だから見つめてたってわけでもない!」
「じゃあ、なんで見つめてたのよ~!? 絶対にやましい気持ちがあったに決まってるよ~! がるるるるるっ!」
「そんなのないから! うなり声を上げるな! っていうか、噛みつくな! 余計にべちゃべちゃになる!」
またしても口ゲンカを始めるオレたち。
その様子を見ていた雪子さんとぽよ太郎は、とても温かな表情を浮かべていた。
「そちらも相変わらずみたいね」
「そうですね。オレたちは変わりませんよ」
「うん、変わらない~!」
どんなに激しいケンカをしていても、すぐに熱が冷めて仲直りする。
それも、オレたち夫婦の日常だ。
たまにネチネチねちょねちょと、しつこく同じことを言われ続けたりする場合もあるのだが。
3
雪子さん・ぽよ太郎夫妻と別れたあとも、オレたちは当然ながら、腕を組んだラブラブ状態での散歩を続けていた。
そこでさらに、別の人と出会うことになった。
いや、正確には人ではないのだが。
それを言ったら、さっき会ったメンバーにしても、海端以外は人間じゃなかったか。
「おや……。あなたは佐々藤さん、でしたでしょうか……。そちらは奥様のぽよ美さんでしたよね……?」
声をかけてきたのは、『カフェ・ブラッド』のマスターだった。
一度会ったきりではあるが、覚えていてくれたようだ。
職業柄、顔を覚えるのは得意なのかもしれない。
「あ、どうも」
挨拶をするも、ふと違和感を覚える。
休日だからといって、カフェは休みにはならないはずだからだ。
「えっと、お店はいいんですか?」
「ええ……。今日は月に一度の定休日なんですよ……。今は買い出しに向かう途中です……。保存の利くものを、まとめて購入しておくために……」
どうやら、通販なども利用してはいるものの、なるべく自ら足を運んで選ぶようにしている、ということらしい。
それ自体はいい心構えだと思うのだが。
真っ黒いマントを羽織った、全身黒ずくめの格好で出かけるのは、いかがなものか……。
「あっ、買い出しに行く場所って、物の怪がやってる店とかなんですね?」
「え……? いえ、そうとも限りませんよ……? 物の怪の店にも足は運びますが、人間たちの店のほうが品揃えも豊富ですからね……」
それでよく、騒ぎになったりしないものだな。
まぁ、ぽよ美たちと同様、人間社会に紛れ込んで生きている身だとすれば、問題にならないのも頷けるか。
しかし……。
改めて、マスターの姿を観察し直してみる。
黒いマントを羽織り、黒い帽子をかぶった、怪しげな人物。
顔は青白く、口を開けば二本の長い牙が生えていることも確認できる。
この人、吸血鬼なんだよな……。
太陽の光で灰になったりはしないみたいだが。
人間の血を吸う怪物、と考えると、ちょっと怖い気もする。
オレが若干身構えていると、マスターが静かに口を開く。
「今どきの吸血鬼は、むやみやたらに血を吸ったりなんてしませんから、安心してください……」
完全に心を読まれていた。
安心してください、と言われても、余計に身構えたくなってしまう。
とはいえ、ここで逃げるのは失礼だし、あまり気にしないように心がけ、会話を続ける覚悟を決める。
「垢澤さんはあのあとも、カフェに行ってるんですか?」
「ええ、何度か来店していますね……。あの方は、常連さんですから……。おふたりも、是非いらしてください……」
「そう……ですね、気が向いたらお伺いします」
少々どもり気味だったのは、垢澤さんと鉢合わせするのは避けたい、という思いからだ。
会社では隣の席だから毎日会っているし、垢澤さん本人は以前と変わった様子もないのだが。
先日の宴会の件以来、オレのほうが気まずく感じてしまっている。
カフェ・ブラッドでの件でも、垢澤さんはぽよ美に対して、宣戦布告とも取れるような発言をしていたし。
オレとは対照的に、ぽよ美は結構乗り気みたいだ。
「うん、絶対に行くよ~! ダーリンとカフェに出かけるなんて、なかなかないもんね~! ダーリン、たまにはいいでしょ~?」
「あ……ああ、そうだな」
垢澤さんのことは、なにも気にしていないのだろうか?
散歩中にも告られていただのなんだのと騒いでいたのだから、気になっていないわけでもないと思うのだが。
「アルコール類もあるもんね、カフェ・ブラッドは! カクテルとか、普段はあまり手を出さないお酒が飲めるってのは、とってもいいわよね~!」
……なるほど、酒が目当てだったか。
ぽよ美らしいな。
「いつでも来てくださって結構ですよ……。今日のように、定休日もありますけどね……。あ、それと、近いうちに長めの休暇を取ることになるかもしれませんが……」
「え? 長めの休暇?」
お店をやっているのに、長期休暇を取るというのも珍しい。
「どこか旅行にでも行くんですか?」
「旅行……まぁ、そんなもんですかね……」
微妙に、曖昧な答え。
不審に思いはしたものの、プライベートなことを深く追求するのも悪いだろう。
「おっと、あまり邪魔をしてはいけませんよね……。夫婦水入らずで、お散歩中だったんでしょう……?」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
「仲がいいのは素晴らしいことです……。それが大いなる力にもなりますからね……。それでは、また……」
「はい、また。そちらも、お気をつけて」
そんな会話を残し、吸血鬼であるマスターは去っていった。
4
オレとぽよ美の散歩は続く。
「この界隈、やっぱり物の怪とか妖怪とかが多いよな。散歩中の数時間のあいだに、泥田坊やら雪女やらスライムやら吸血鬼やらに会うし」
「あたしもスライムだしね~!」
四六時中、物の怪たちに囲まれているせいで、オレは全然気にしなくなっていたが、考えてみたらすごい生活なのかもしれないな。
「ふふっ、ダーリン! 大好き♪」
唐突に、愛する妻が抱きついて、キスしてくる。
絵に描いたようなラブラブ状態。
オレは今、幸せいっぱいだ。
全身が汗と粘液でべちゃべちゃになっているとか。
ぽよ美にキスされると口の中がゼリー状の物体だらけになり、青汁っぽい味がしばらく残ってしまうとか。
そんなところも含めて、ぽよ美のすべてを愛している。
そもそも、スライム形態のぽよ美に本気のキスをされると、頭部全体を吸い込まれたりまでするのだから、これくらいはごくごく普通と言える。
スライム形態での熱烈なキスだって、オレとしては大歓迎だしな。
その場合、下手をすれば窒息死してしまう可能性もある、というのは考えものだと思うが。
どちらにしても。
ぽよ美と一緒に過ごす日常は、オレにとってかけがえのない大切な時間となっている。
ぽよ美はオレのすべてなのだ。
再びお互いの腕を組んだ状態で、会話をしながら川原の道を歩く。
「ねぇ、ダーリン。もしあたしが突然いなくなったら、どうする~?」
不意に、そんな質問が飛んできた。
「ぽよ美がいない生活なんて、想像もできないな」
「あたしもそうだけど。でも、いつどうなるかなんて、わからないものだよ~?」
いつになく、真剣な面持ち。
こんなぽよ美の表情は、初めて見たかもしれない。
「お前、もしかして……スライムの国に帰る、とか言い出したりするのか?」
「そんなわけないじゃない! っていうか、あたしはもともとこの世界の住人だよ?」
それもそうか。
「両親だって秩父にいるわけだし、こっちに出てきて独り暮らしを始めてからだって、人間の姿に変身して生きてきたんだから~」
「そういえば、そうだったな」
ぽよ美と会えて、そして結婚して、こうして一緒に日々の生活を送れている現状に感謝したいところだ。
「神様、ありがとう」
オレは天に向かってお礼の言葉を口にする。
「神様って、誰に感謝してるの? メリーさんとか弁財天様とか? もしそうだったら、浮気だよ!」
「おいおい。神様に祈っただけで浮気を疑われる生活ってのは、いくらなんでも異常だろ!」
こんな嫉妬深いところも、ぽよ美らしくて微笑ましく思えるのだが。
それだけオレのことを愛してくれている、ってことだしな。
「ぽよ美。これからも末永く、よろしくな」
「なによ、ダーリン、改まって。あたしは絶対、ダーリンから離れないもん!」
その言葉どおり、ぽよ美はまたしても抱きついてきた。
無論、全身が粘液にまみれ、ぐっちょぐちょのねっちゃねちゃな状態になってしまうのだが。
ぽよ美とともに生きていることをこれでもかと実感できて、むしろ嬉しく思える。
オレのほうも、愛するぽよ美を強く抱きしめ返してやった。
「う~~~。やっぱり、ダーリンの汗は気持ち悪いな~」
そんな文句を言われたって、離したりするわけがない。
オレとぽよ美は一心同体。
ずっとこうして、一緒に生きていく。
絶対に。確実に。必然的に。
川からの湿った風が周囲の暑さを吹き飛ばす中、オレとぽよ美はいつまでも、抱き合い続けた。
お互いの存在を確かめ合うかのように。
お互いの温もりを混ぜ合わせるかのように。
なお。
河川敷の道には、多くはないものの、それなりの人通りがある。
すれ違う人たちから白い目で見られたりはしていただろうが、オレもぽよ美も、そんなのまったく気にしなかった。
なにせ、ぽよ美はスライムで、オレはそのスライムを妻に持つ身なのだから。




