第41話 キョンシーは飛び跳ねない
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性懲りもなく、また刺客が送り込まれてきた。
…………。
刺客……と言っていいのだろうか?
「女神ハイツから来ました、キョン子ですピョン!」
キラキラの笑顔を振りまきながら、しっかり自己紹介してペコリと頭を下げているこの女の子のことを。
「うわっ、可愛い~♪ いらっしゃい、大歓迎だよ~!」
ぽよ美が歓喜の表情で飛びつく。
「わわわっ! ボクは刺客ですピョン! 歓迎されるなんて、おかしいですピョン!」
「きゃ~~~~っ! 自分のことを、ボクって言うんだ~! ラブリ~~~~♪」
「はうううっ、頬ずりしないでほしいですピョン~~~! ペタペタするピョン~!」
ぽよ美の頬ずりを受けると、もれなく粘液がべっちょりとくっついてくる。
キョン子と名乗った女の子はそれらを手で拭い、身をよじって懸命に逃れようとしているものの、ぽよ美が離れる気配は一向にない。
愛するオレの妻は、とってもしつこいのだ。諦めろ、キョン子ちゃん。
さて。
たっぷり数分間、ねっとりべっちょりと頬ずりされ続けたあと、キョン子ちゃんは改めて自己紹介し直した。
「ボクはキョン子ですピョン! 大家さんに言われて、女神ハイツからはるばるやってきましたピョン!」
はるばる、ってほど遠くもないわけだが。
ただ、この子にとっては、結構大変なのかもしれない。
なぜなら……。
「こう見えて、実はキョンシーだったりしますピョン!」
本人がさらっと白状したとおり、この子は間違いなくキョンシーだからだ。
実は……などと言ってはいたが、両手を前方にまっすぐ平行に掲げ、両足を揃えてジャンプしている姿を見れば、他の可能性はまず考えられない。
そんな歩き方(?)しかできないのであれば、ここまで来るのもひと苦労だろう。
なお、キョン子ちゃんは中国風の衣装に身を包んだ上、それっぽい帽子までかぶっている。
ぱっと見で判断する限り、十歳前後くらいの子供のキョンシーのようだ。
「ねぇ、ダーリン。キョンシーって、なぁ~に?」
ぽよ美は首をかしげている。
無理もない。
オレたちの年齢では、ブームになったのは生まれた頃、ということになってしまうからな。
とりあえず、オレは知っている範囲で、ぽよ美に説明してやった。
キョンシーというのは1980年代後半に流行した、中国におけるゾンビのようなものだ。
噛みついて血を吸ったりする部分を考えると、吸血鬼的なイメージも兼ね備えているだろうか。
埋葬した死体が夜になると突然動き出す、といった伝承がもとになっているらしいが。
映画なんかでは、道士と呼ばれる人がキョンシーと戦ったり、額に御札のようなものを貼って操ったりしていたっけな。
物心ついた頃にはすでにブームは去っていたが、オレはテレビやビデオなんかで結構見ていた記憶がある。
う~ん、懐かしい。
思わず微笑ましい気持ちが芽生えてしまう。
普通に考えたら、時代遅れのコスプレ、と判断するところかもしれないが。
うちは隣の部屋に西洋の幽霊であるレイスの冷華さんが住んでいるような環境だ。
中国の幽霊であるキョンシーが訪ねてきたとしても、まったく不思議ではない。
……実際には幽霊じゃなくてゾンビ系だが、まぁ、似たようなものだろう。
「そっかぁ~。冷華さんと同類なんだね~!」
その言い方は、少々語弊があるような気もする。
「だったら、あたしとも同類ってことだよね! あっ、立ち話もなんだし、上がって上がって!」
スライムと同類、というのは明らかに違うと思うが。
ともかく、ぽよ美は満面の笑みをこぼし、キョン子ちゃんを家の中へ招き入れようとする。
相手は刺客だというのに……。
「あ、どうもありがとうですピョン! では遠慮なく、上がらせてもらいますピョン!」
……って、キョン子ちゃんのほうも、素直に招待を受けるのかよ。
「お菓子とかいろいろあるよ~? 食べる~?」
「はい! いただきますピョン!」
なんというか……自分が刺客だというのを完全に失念しているのではなかろうか。
いや、べつにいいか。むしろ好都合だ。
このままぽよ美のペースに巻き込んでいたほうが、平和に解決できそうだしな。
2
「さ、キョン子ちゃん! たくさん食べてね~!」
「わぁ~! ありがとうございますピョン! ゼリーのかかったサラダと、ゼリーのかかったピザ、美味しそうですピョン!」
それはゼリーじゃなくてぽよ美の粘液なのだが。
ま、わざわざ指摘しなくてもいいだろう。
サラダだけでなく冷凍食品にも容赦なく粘液を付着させるとは、ぽよ美はさすがだな。
刺客とはいえ、客人にぽよ美の粘液だらけの手料理を出すというのは、失礼極まりない気がしないでもないが。
上機嫌で誠心誠意もてなそうとしているぽよ美を、オレが止めることなどできるはずもなかった。
粘液のせいで青汁っぽい風味を多分に含んだ料理を、キョン子ちゃんは文句も言わずに食べ進めていく。
「美味しいですピョン! ゼリーが味のアクセントになっていて、とっても食欲をそそりますですピョン!」
それどころか、大満足、といった様子。
どうでもいいが、キョンシーは動く死体のはずだが、しっかり味覚はあるんだな。
もっとも、そんなことを直接本人に対して言えるはずもない。
……と思ったら。
「ねぇねぇ、キョン子ちゃん!」
「はい?」
「キョン子ちゃんって、こうやって食事もしてるけど、実際には死体なんだよね~?」
「そうですピョン!」
ぽよ美はまったく気にせず、質問をぶつける。ぽよ美は相変わらずだ。
対するキョン子ちゃんのほうも、とくに気にしている素振りは見せない。
なら、構わないか。
オレはそう考えていたのだが。
「そのわりには……」
ぽよ美は突然、キョン子ちゃんの頬や首筋に顔を寄せると、クンクンとニオイを嗅ぎ始めた。
「全然、腐敗臭とかってしないよね~?」
おいおい。
いくらなんでも、それは失礼すぎるだろ!
相手の気持ちを考えない無遠慮なぽよ美。
そんなの、今に始まったことではないが。
それでも、ここは夫として咎めておくべきだろう。
「ぽよ美、お前な……」
オレが叱責の言葉を口にするより早く、キョン子ちゃんが苦笑まじりに真実を語ってくれた。
「いやぁ~、実はボク、結構ニオイがきついんですピョン! だから、香水を愛用してますピョン! エチケットですピョン!」
そう言いながら、たくさんの香水のビンを取り出すキョン子ちゃん。
……バッグやポーチなど、持っていなかったはずだが、いったいどこから取り出したんだ……?
「きゃ~~~っ! いろいろ持ってるんだね~! あっ、これ、すごくいい匂い~!」
「それ、お気に入りの香水ですピョン! 他にも、ほら、これなんて……」
「あ~~~っ、これもいい~! お花の香りが多いね~! あっ、こっちのはフルーツ系だ~!」
「気に入ったのがあったら、少しお分けしますですピョン!」
「わっ、いいの!? やったぁ~! やっぱり、香りって重要だよね~!」
オレの疑問など完全に無視。
ぽよ美とキョン子ちゃんは、香水談義に花を咲かせ始めていた。
しかし、少々腑に落ちない。
ぽよ美は香水など使っていなかったと思うのだが。
……いや、よくよく考えてみれば、ぽよ美は普段から粘液だらけなのに、ほのかに花のような爽やかな香りを漂わせていた気もする。
あれってもしかして、香水の匂いだったのか?
その考えは、どうやら間違っていたらしい。
「あたし、香水とかって使ってないけど、これでダーリンをメロメロにできるかも~?」
「うふふ、そうですピョン! 悩殺しちゃうといいですピョン!」
悩殺って。
本人を目の前にして。
この場にいるオレは、どんな顔をしていればいいのやら。
それに。
香水なんてなくても、オレはぽよ美にメロメロだがな。
…………。
自分自身の思考で恥ずかしさが爆発したオレは、真っ赤な顔を隠しながらぽよ美の手料理を黙々と食べ続けた。
「食後の運動~!」
「逃げるですピョン~!」
「が……がお~~~っ!」
食事が終わると、なぜか鬼ごっこをする羽目になった。
「きゃ~~~っ! ダーリン、あたしを捕まえないで~!」
ぽよ美は全身粘液だらけだから、ツルッと滑って、そう簡単に捕まえられないと思うが。
「きゃ~きゃ~! 逃げるですピョン! 人間が来るですピョン! 人間が感染るですピョン!」
キョン子ちゃんは両手を前方に伸ばしたお決まりの体勢のまま、両足を揃えてピョンピョン飛び跳ねて部屋の中を逃げ回る。
相手は十歳前後の女の子だから、こっちはこっちで、捕まえるのを躊躇してしまう。
それにしても、これでは追いかけるのと逃げるのが逆なのではないだろうか?
あと、人間が感染るとか言われるのは、ちょっと心外というか、嫌な気分になる。
とはいえ、ふたりとも随分と楽しそうだ。
キョン子ちゃんは刺客として送り込まれてきたはずだが、完全に役目を忘れ去っているように思える。
このまま適当に遊んでいれば、何事もなく済みそうだな。
そう考え、気が緩んでいたせいで、オレは不意打ちを食らってしまうことになる。
といっても、キョン子ちゃんからではない。
「ここは、私に任せてもらおうかね!」
突然、乱入者が現れた。
オレを突き飛ばし、キョン子ちゃんの目の前に立つ。
颯爽と登場して構えを取る、中国風の衣装に身を包んだ人物。
まさにキョンシーを操ったり退治したりする、道士のような格好をしている。
それは誰あろう、我がアパートの大家さんその人だった。
3
「大家さん、どうして!?」
「ふっ……。あるときは大家、あるときは閻魔。そしてさらに私は、キョンシーを含むあの世の者たちを御する、有能な道士でもあるのさ!」
言うが早いか、年齢に似合わない華麗な身のこなしで、大家さんはキョン子ちゃんの額に御札らしきものを貼りつける。
「佐々藤さん。なんだか、ちょっと失礼な思念を感じたような気がするんだけどねぇ?」
「き……気のせいですよ!」
大家さんに睨みつけられ、慌ててごまかす。
それはいいとして。
額に御札が貼りつけられた瞬間、キョン子ちゃんの動きが止まる。
黄色い紙になにやら文字が書かれてある御札。
あれも見たことがあるな。キョンシーを題材とした映画やテレビ番組なんかで。
「うぎゃ~~~っ! 動けないですピョン~!」
焦りの声を響かせるキョン子ちゃん。
「この御札があれば、道士はキョンシーを思いどおりに動かすことができるんだよ!」
大家さんはそう言って、右手をくるくると回転させる。
それに合わせるかのように、キョン子ちゃんがくるくるとその場で回転する。
実際に、大家さんがキョン子ちゃんを操っているのだろう。
「はうううう~~~、やめでくださいですピョン~~~~! 酔うですピョン~~~~! 吐いちゃいますピョン~~~~!」
キョンシーでも目を回したり吐いたりするものなのだろうか。
それはそれで見てみたいような気もするが。
いや、ここはオレの住んでいる部屋なのだから、目を回すのはともかく、吐かれるのは困るか。
「きひひひひ、やめはしないよ! このまま回したり飛び跳ねたりさせ続けて、完全に体力を失わせてやるからね! 覚悟しな!」
「ひぃぃぃぃぃ~~~! 鬼ですピョン! 悪魔ですピョン!」
「まぁ、私は閻魔だからね!」
閻魔様というのは、悪魔ではなくて神様カテゴリーに入る存在のはずだが。
目の前で展開されている光景を見ている限りでは、本当に鬼か悪魔としか思えない。
そもそも、和気あいあいと楽しんでいただけだったのに、ここまでするのはキョン子ちゃんに悪いのでは……。
オレの心を読んだのか、大家さんが弁明を加える。
「随分と和んでいたようだけど、それこそがこのキョンシーの作戦だったんだよ。なにせ刺客だからね、この子は」
「くっ……!」
その言葉に、キョン子ちゃんは悔しげな表情を隠せない。
どうやら図星だったようだ。
仮に刺客としてオレたちをたばかっていたとしても、相手がキョン子ちゃんでは、さほどひどい状況にはなりえなかった気もするが。
ともあれ、閻魔様で道士でもあるという大家さんに任せておけば、万事解決してもらえるだろう。
状況をすべて大家さんに委ね、オレは傍観者に徹する構えに入る。
だが、大家さんの勢いもここまでだった。
「や……やめろって言ってますピョン!」
なんと。
小さな女の子とは思えないほどの大きな怒鳴り声を響かせ、キョン子ちゃんは額に貼られた御札を自らの手で引き剥がすと、それを床に叩きつけたではないか。
「ええっ!? 御札を自分で剥がすなんて、そんなの反則だ!」
驚いたオレは、思わず叫んでしまったが。
「反則ってなんですピョン!? 御札で体の自由を奪って思いどおりに動かすことのほうが、よっぽど反則的ですピョン!」
キョン子ちゃんから反論が返ってくる。
なるほど。言われてみれば確かに……。
「それに、今どきのキョンシーには、御札なんて効かないんですピョン! キョンシーだって進化してるんですピョン!」
とすると、大家さんの手の動きに合わせてくるくる回転していたのは演技だった、ということか。
キョン子ちゃんは肩を怒らせ、のっしのっしと大家さんへと迫っていく。
お決まりの飛び跳ね方ではなく、両足をしっかりと交互に踏みしめながら。
「今どきのキョンシーは、あんな飛び跳ね方もしないんですピョン!」
そこまで喋ってから、キョン子ちゃんはハッと我に返る。
「しまったですピョン! キョンシーのイメージどおりに行動して油断させて、不意を突いて任務を遂行するつもりでしたのに、バラしてしまったですピョン!」
自分からバラしてしまったのはともかくとして。
そんなことを考えて行動していたなんて。
小さな女の子っぽいのに、意外と策士……?
メリーさん、今回は結構まともな作戦を指示していたようだな。
そう思って感心していると、大家さんからツッコミが飛んできた。
「いや、あのクソ女神の指示じゃなくて、この子が自分で考えた作戦だと思うよ?」
「そうですピョン! ボクが考えたですピョン! うちの大家さんには、刺客として行ってきなさい、としか言われてないですピョン!」
う~む。
メリーさんはやっぱりメリーさんだったか。
とりあえず、現状を整理してみよう。
キョン子ちゃんは刺客としてオレたちの前に現れたが、油断させて隙を突く作戦は失敗に終わった。
一方、オレたちには道士でもある大家さんがいる。
ただ、こちらが優位に立っているとも言いがたい。
なにせ、キョン子ちゃんには御札の効果がないと、実証されてしまったのだから。
人数の上ではオレたちに分があるとはいっても、相手はキョンシー。
すでに死んでいる刺客に対して、どう戦えばいいというのか。
危機感を覚えるオレだったのだが。
「ま、だからこうして、私がわざわざ来たんだけどね」
大家さんはそう言うと、再び御札を取り出し、またしてもキョン子ちゃんの額に貼りつけた。
「だから、無意味だって言ってるですピョ……あれ?」
余裕しゃくしゃくの表情で、さっきと同じように御札を引き剥がそうとしたキョン子ちゃんの手が、途中でピタリと止まる。
「こっちのは私が直々に改良を施した特別製の御札だからね。道士の力だけじゃなく、閻魔としての力も込めてある。あんたの意思なんて、簡単に封じることができるのさ!」
「ぎゃ~~~~っ! ほんとに動けないですピョン! 一旦喜ばせておいて地獄に落とすなんて、人でなしですピョン~~~~!」
「ふっ。私は閻魔だからね。地獄に落とすのが仕事だし、最初から人ではないよ! さて、どうしてくれようかねぇ~?」
「はいはいはいっ! あたしがオモチャにする~!」
「ちょっ……!? やめてくださいですピョン! 抱きついてこないで~~! 粘液が絡みついてくるピョン~! ばっちぃ~~~~!」
「ばっちぃって、ひどぉ~~~い! こうなったら、スライム化した状態で包み込んじゃう!」
「ぴぎゃ~~~~~っ! ほんとに、堪忍してくださいですピョン~~~~! 溶かされるですピョン~~~~~!」
こうして。
刺客のキョンシーであるキョン子ちゃんは、大家さんとぽよ美によって散々オモチャにされ、帰る頃にはぐったりと力尽きていた。
「お……覚えてろですピョン~~~~!」
最後に悪役っぽい捨てゼリフを吐き出せる気力が残っていたのは、賞賛に値すると言っていいのかもしれない。
敵ながら、あっぱれだ。
もっとも、
「あ~、楽しかった♪ また遊びに来てくれるかな~♪」
ぽよ美の頭の中では、刺客やら敵といった認識ではなく、完全にお友達枠に入っているみたいだったが。




