第38話 竜宮城の復活
1
休日の昼間、いつものように家でだらだらと過ごしていると。
不意に海端から電話がかかってきた。
「どうした? 海端」
『うん、あのさ。これから、うちに遊びに来ないか? ぽよ美さんも一緒に』
またか。
オレは正直、ちょっとうんざり気味な感想を浮かべていた。
前回、女神ハイツにある海端の家にお邪魔した際は、羽似さんと同棲し始めたばかりだった。
あれから二週間ほど経ち、さらにラブラブとなった僕たちを見てくれ、とでも言いたいのだろうか。
そういった意味のうんざりも、まぁ、含まれてはいたのだが。
それよりもむしろ、また性懲りもなく、メリーさんが刺客として海端たちを使ったのではないか、という懸念のほうが強かったと言える。
「またメリーさんになにか頼まれていて、オレたちを罠にはめようとか、そんな感じじゃないのか?」
オレはまったく遠慮もせず、素直に問いかけていた。
相手は同期入社で同い年の同僚だ。少々失礼な内容だったとしても、気楽に話すことができる。
『えっ? なに言ってんだよ! 普通に友人を家に招いてるだけだって!』
「ほんとか?」
『本当だよ! 嘘ついてどうするってのさ?』
それもそうか。
そもそも、海端に巧妙な嘘などつけるはずもない。
まぁ、前のときだって、海端たちには刺客というつもりなどなかったはずだが。
とりあえず、メリーさんの刺客というわけではなさそうだな。
その点については安堵する。
ただ、海端がオレたちを招こうとした本当の理由を語り始めると、若干雲行きが怪しくなってきた。
『いや~、羽似と同棲できて幸せではあるんだけどさ、ずっと一緒にいると、意外と間が持たないんだよね!』
「それはわかるな。でも、羽似さんもぽよ美と同じで、かなり喋りまくる人って印象があるんだが」
『前に言ってたように、ほんとに試されてるのかも!』
と、ここまではよかったのだが。
『なんかさ、沈黙したままずっと見つめられてるようなことも多くてさ~』
「…………」
それって会話が続かないとかではなく、別の意味の沈黙なのでは……。
そのとき、羽似さんの顔が真っ赤だったりすれば確実かもしれない。
なんというか、海端が幸せになるには、まだまだ困難で長い道のりが待ち構えているような気がする。
オレもあまり人のことは言えないが、相手の気持ちをちゃんとわかってやれよ、と言ってやりたいところだ。
とはいえ、わざわざ忠告まではしない。
人に言われて行動しても、そのうちボロが出るだけだ。
だいたい、こういう鈍感な部分も海端のいいところになるわけだし、オレが余計な口出しをするのは筋違いというものだろう。
……などと言いつつ、苦労する同僚の様子を見て楽しみたいだけだったりしてな。
それはともかく。
オレは素直に申し出を受け入れ、ぽよ美とともに海端の家まで遊びに行くことにした。
同じ町内にはあるが、そこそこ歩く必要のある距離に建っていて、なぜかこのところ頻繁に訪れることになっているアパート。
メリーさんが大家をしている女神ハイツ。
外観は綺麗なのに、最近の刺客問題なんかのせいで、やけに禍々しいオーラに包まれているように感じてしまう。
オーラの原因は、泥田坊やら乙姫さんやら座敷童子やら貧乏神やら女神やら、といった住人がいることにあるのかもしれないが。
「さ、上がって上がって!」
海端の部屋、105号室に着くと、チャイムを押すまでもなく海端が玄関から顔を出してきた。
遠慮せずに上がらせてもらう。
リビングのテーブルには、オレたちの分も含めた食事が並べられていた。
先日と比べると少々質素な気もするが、こうして用意してもらっているのだから文句などあるはずもない。
「羽似さん、こんにちは。今回もまた手料理を作ってくれていたなんて。押しかけてしまって、悪かったね」
「いえいえ。というか、昨日の残りですから。さとるんが急に呼ぶって言い出すから、まともに準備してなくて。こんなものしかなくて、申し訳ないくらいです」
「いやいや、それでも嬉しいよ。な? ぽよ美!」
「うん! あたし、食べられればなんでもいいし!」
ぽよ美、お前は正直すぎだ! もっと礼儀ってものをだな……。
そんな注意をぽよ美にしたところで、完全な無駄にしかならない。
興味の向いていない状態で聞いた話など、三歩で忘れる。それがぽよ美だ。
……スライムでも一歩二歩三歩……という数え方でいいのかは謎だが。
2
とにかく、和気あいあいと会話をしながら、食事を楽しんでいたオレたちだったのだが。
突然、チャイムの音が鳴り響いた。
「はぁ~い!」
羽似さんが応対に出る。
と、すぐに、
「ちょ……ちょっと! あなたたち、誰ですか!?」
慌てた様子の声が、リビングのほうまで聞こえてきた。
「ん? なんだ?」
「行ってみよう!」
海端に促され、オレとぽよ美も玄関へと駆けつける。
そこには、羽似さんの他に、ふたりの女性が立っていた。
やけに露出部分の多い、サンバでも踊るのか? とツッコミを入れたくなるような衣装を身にまとった女性が……。
ぱっと見、日本人っぽい雰囲気ではあるが、なんとなく不思議な印象を受ける。
「さとるん! この女たち、誰よ!? さとるんを呼びに来た、とか言ってるんだけど!」
「えっ? いや、でも、僕、こんな人たち知らないよ?」
「嘘っ! なんか怪しいお店で知り合った女の子たち、とか言うんじゃないの!?」
「そんなわけないだろ!? 僕は羽似ひと筋なんだから!」
海端のやつ、恥ずかしげもなく、よくあんなことを言えるよな。
……いや、オレも以前、ぽよ美に対して似たようなことを言っていたっけか。
と、それよりも。
今はこのふたりの女性のほうが問題だ。
とても露出度が高く、ヒラヒラした部分の多い服を着た、スタイルも抜群のふたりの女性……。
男のサガといったところか、ついつい胸やら腰やらに視線が行ってしまう。
「ちょっと、ダーリン!?」
「さとるん、どこ見てるのよ!?」
ぽよ美と羽似さんの顔が、赤鬼と化している。
この反応を見るに、海端のほうも同じように女性をまじまじと見つめていたのだろう。
で、訪問してきたふたりの女性はというと。
「踊ります」
唐突に、なんの脈絡もなく、その場でいきなり踊り始めた。
「は?」
目を丸くするオレたちの前で、ふたりの女性は一心不乱に舞い踊る。
激しさとしなやかさを兼ね備えた、なんとも言えない神秘的な踊り。
オレの目は完全に釘付けになっていた。
またぽよ美に怒られてしまうか……。
そう考えてチラリと視線を送ってみると、ぽよ美もまた、女性の踊りに目を奪われているようだった。
海端と羽似さんも、うっとりとした表情で女性たちを凝視している状態だ。
視線をふたりの女性に戻す。
全身を激しく動かすのに合わせて、ヒラヒラした衣装の先端が優雅に宙を舞う。
本当に、目も心も引きつける、素晴らしい踊りだ。
体中がほのかに温かくなり、まさに夢を見ているかのような感覚に陥ってしまう。
いや……そうじゃない。
実際に、意識が薄れていっている?
そこに思い至ったときにはもう遅かった。
次の瞬間、オレは完全に眠りの世界へと入り込んでいた。
気がつくと、そこは海の底だった。
な……なんだこれは!?
というか、溺れるっ!
焦ってもがきまくるオレだったが、すぐに息ができることを認識する。
しかし、状況は理解できない。
海の底にいる。それは間違いなさそうだ。
少なくとも、水の中にいるのは疑いようがない。
水の対流なんかの影響か、視界が微かに揺らいだりしているし、気泡らしきものが地面から湧き出しては、ゆらゆらと上がっていくのも見える。
腕を動かしてみると、水の抵抗もハッキリと感じられた。
「ようこそ、竜宮城へ!」
女性の声が響き渡ったのは、そんなときだった。
「あれ? 乙姫さん? カメ子ちゃんも!」
そう、そこには乙姫さんとカメ子ちゃんがいた。
先ほど玄関先で舞い踊っていたふたりの女性もいる。
それに、状況変化に対する驚きのせいですっかり忘れていたが、ぽよ美や海端、羽似さんの姿もしっかりとあった。
「というか、竜宮城って……」
よく見てみれば、乙姫さんの背後には確かに、荘厳な雰囲気漂う立派な城が建っていた。
お話の中などに出てくる竜宮城そのもの、といった感じの外観。
いや、実際にこれが、竜宮城なのだろう。
乙姫さんはとても幻想的で綺麗な衣装に身を包み、隣に控えるカメ子ちゃんも可愛らしい衣装を身にまとっている。
先日お邪魔したときには、かなりラフな格好をしていたのだが、こうやって着飾ると随分と見違える。
散財して落ちぶれたと聞かされていたが、以前はこんなにも豪華絢爛な生活をしていたんだな。
自らの思考に、ふと疑問を浮かべる。
以前……なのか?
これは過去のことで、単なる幻なのか?
よくわからない。
よくわからなかったが、オレたちは乙姫さんに勧められるがまま、竜宮城の中へと足を踏み入れた。
「かつての仲間たちが戻ってきてくれたので、竜宮城を復活させることができたんですよ!」
乙姫さんが嬉しそうに語る。
さっきのふたりの女性は、その仲間だったようだ。
竜宮城を復活させることができた。
とすると、これは夢や幻ではなく現実ということになるのか。
まだ少々頭がぼやけている気がするのは、目を覚ましたばかりだからなのだろう。
「こちらがタイ子さんで、こっちがヒラメ子さんです!」
乙姫さんの紹介で、ふたりは頭をペコリと下げる。
なるほど。タイとヒラメの舞い踊りだったわけだ、あれは。
「今日は竜宮城復活を記念して、大々的にパーティーを開催する運びとなりましたので、みなさんをお呼びしたんです! 遠慮なさらず、存分に楽しんでいってくださいね!」
オレたちはその後、タイ子さんとヒラメ子さんの他、たくさんの魚たち(なぜか全員、人間の女性の姿をしている)による踊りを楽しんだ。
豪勢な食事が用意され、酒まで振舞われ、飲めや歌えの大騒ぎ。
冷華さんたちも来たかっただろうな。いたら大騒ぎどころか、大騒動になるとは思うが。
「どうでもいいけど、乙姫さん」
「はい?」
「この食事、海の幸がふんだんに使われてますけど、これも仲間たちなのでは……」
恐る恐る尋ねてみる。
戻ってきてくれた仲間たちを切り捌いてテーブルに並べていたとしたら、軽くホラーだ。
「いやですわ! そんなことありませんから! 気にしないでたくさん食べてください!」
「あっ、そうですよね! いや~、ちょっと気になったもので! それじゃあ、遠慮なくいただきます!」
料理はこの世のものとは思えないくらい美味しかった。
ただなんとなく、微妙な苦味なんかも感じられるような気はしたが。
ま、細かいことは言いっこなしだな。せっかくの宴の席なんだから。
そして、そんなこんなの楽しい時間は、あっという間に過ぎていった。
3
どれくらいの時間が経っただろうか。
不意に、女性のものと思われる大声が響き渡った。
「あなたたち、なにをしているんですか!?」
ハッとして視線を向けてみると、そこにいたのはメリーさんだった。
腰に手を当てる格好で仁王立ち状態のメリーさん。
背後には、リビングのドアも見える。
……って、おや?
オレたちは海の底にある竜宮城にいたはずでは?
疑問を浮かべた途端、すべての景色が霧散するように消え去り、ごくごく普通のリビングといった光景に変わった。
見回してみると、乙姫さんの姿があった。
さっきまでとは打って変わって、Tシャツにスカートというラフな格好になってはいたが。
おそらくここは、女神ハイツにある乙姫さんの部屋なのだろう。
乙姫さんの同居人であるカメ子ちゃんだけでなく、タイ子さんとヒラメ子さんもいる。
ただ、他にもたくさんいたはずの人間の女性の姿をした魚たちは、ここにはいないようだ。
代わりにひとりだけ、知らない女性が控えめにたたずんでいるのが確認できた。
「どういうことか、説明してもらいましょうか? 乙姫さん」
メリーさんに促され、乙姫さんが真相を語り始める。
まず、かつての仲間たちが戻ってきた、というのは本当だった。
それが、タイ子さんとヒラメ子さん、そしてもうひとりの女性だった。
「私は、リュウグウノツカイ子と申します」
「長いな!」
思わずツッコミを入れる。
そんなことはお構いなしに、リュウグウノツカイ子さんは言葉を続ける。
「その名が示すとおり、私は竜宮城で乙姫様の使者として働いていました。一応補足しておきますと、リュウグウノツカイは幻の深海魚です」
自ら『幻』と名乗るとは。微妙にうさんくささを感じてしまう。
「そんなわけで、幻覚を操る能力を持ってまして……」
結論から言えば。
さっきオレたちが見ていた竜宮城やたくさんいた魚たちはみんな、リュウグウノツカイ子さんが見せた幻だった。
乙姫さんたちがまとっていた豪華な衣装なんかも含めて、全部が全部、幻でしかなかったのだ。
「全部が全部、幻……」
だとすると……。
オレは視線をある一点へと向ける。
そこは、リビングの中央に置かれたテーブル。
その上には、豪勢な料理の数々が並べられていたのだが……。
「うわっ!? なんだ、この真っ黒いのは!?」
海端が叫ぶ。
皿に乗っていたのは、まるで消し炭のように黒く焼け焦げた物体だった。
うっ……。
オレたち、竜宮城で料理を腹いっぱい食べていたが、まさかあれを……?
そういえば、ちょっと苦味を感じたような記憶はあるな……。
「実は私、タイ子さんたちが戻ってきてくれて、嬉しくてつい、食べきれないほどたくさんの料理を作ってしまったのですが、ちょっと失敗しちゃいまして。全部焦がしてしまったんですよね。でも捨てるのはもったいないので、誰かに食べてもらおうかと……」
「ひどいな! というか、どうしてオレたちに……」
「いえ、本当は海端さんと羽似さんだけのつもりだったのですが、その場にいたので、あなたたちもついでに連れてきだけだったんです」
「オレたちは巻き添いかよ!」
納得がいかない。
「海端だけが被害に遭うなら、なにも問題などなかったのに!」
「いやいやいや、僕だけだって充分に問題だよ! アパートの住人は他にもいるのに、どうして僕たちだったのさ!?」
不満をぶつける海端に、乙姫さんは淡々と言い返す。
「あなたなら、羽似さんから頻繁に泥団子を食べさせられてるし、これくらい平気かな~って思いまして……」
「なるほど」
「なるほど、じゃないよ、佐々藤! 羽似はちゃんと、泥団子に味付けして食べさせてくれるし!」
……泥団子を食ってるのは事実なのか。
まぁ、それはともかく。
オレたちが呼ばれた事情はわかったが、メリーさんの怒りが静まったわけではない。
もともとメリーさんは、この部屋にタイ子さん、ヒラメ子さん、リュウグウノツカイ子さんが転がり込んできたことは知っていた。
行くあてがないとのことなので、一緒に住むことも許可していたという。
5人で住むには手狭だと思うのだが、本人たちが構わないと言っていたため、特別に認めることにしたのだとか。
メリーさんは女神ハイツの101号室に住んでいる。
今日は紅茶を飲みながら、ゆったりとした休日を過ごしていたようなのだが。
なにか、おかしな気配がする。
アパートのどこかの部屋から。
怪訝に思ったメリーさんは、気配のもととなっている場所を突き止め、この部屋を訪れた。
しかし、チャイムを押しても誰も出てこない。
そこで玄関のドアを開けてみると、中は海の底になっていて、竜宮城があって、タイやヒラメが舞い踊っている状況だった。
これは幻だ。
一瞬で見抜いたメリーさんは、大声のパワーでそれらを吹き飛ばした、ということだったらしい。
「すみません、メリーさん。謝りますので、どうか、追い出したりだけはしないでください! 私たちには、ここしか居場所がないんです!」
乙姫さんは必死に懇願する。
「……はぁ……わかりました。とりあえず、今日のことは大目に見ることにします。今後はもう少し、静かに生活してくださいね?」
ため息まじりではあったものの、メリーさんには許してもらえたようだ。
「オレたちは、焦げた料理を食わされただけだったということか」
「そちらのみなさんも、すみませんでした」
乙姫さんはオレたちにも頭を下げる。
悪気はなかった……わけでもないような気はするが、これくらいで目くじらを立てていたら、ぽよ美や冷華さんを含めた異形のモノたちとともに暮らしていくことなどできない。
「べつにいいですよ。メリーさんが首謀者というわけじゃなかった、ってだけでも、今回はよかったと思っておきます」
オレが冗談めかしてそんな発言をこぼすと、当のメリーさんが頬を膨らまして反論してきた。
「あら。わたくしだって、そこまで暇じゃありませんよ?」
ま、そりゃそうだよな。
と思ったのも束の間。
「わたくしは最近、次の刺客をどうするか考えるのに大忙しなんですから」
「………………」
結局、メリーさんからの刺客攻勢はまだまだ続くことになりそうだ。




