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第36話 同僚と泥田坊の決断

     1



 とくに予定のない週末の朝。

 とりあえず午前中はゴロゴロして、もしぽよ美がどこか出かけたいと言い出したら、そのときは改めて考えればいいだろう。

 まだぼやけたままの頭でそんなことを考えつつ、あくびをしたところでケータイが鳴った。


 表示を見ると、かけてきたのは海端のようだ。

 珍しい。

 会社でも頻繁に顔を合わせているのに、わざわざ電話で話すことなんて、そうそうないと思うのだが。


 あるとすれば……仕事関係のトラブルか?

 いや、今は海端とは配属されている部署が違う。

 仕事でオレに電話をしてくる理由など、まずないだろう。


 とすると……恋人の羽似さん絡みか。

 まさか、別れたとか?

 嫌な想像を振り払い、電話に出る。


「もしもし。海端、どうした?」

『ついにやったよ!』


 第一声がそれか。

 喜びを思いっきり口調に乗せていることから察するに、別れたという話ではなさそうだ。

 この感じからすると、むしろその逆。つまり……。


「おおっ! 羽似さん、ようやく結婚することに同意してくれたのか!」

『いや、それはまだだけど……』


 一瞬にして沈んだ声に変わる海端。

 オレの予想は、残念ながら外れていたみたいだな。


「じゃあ、どうしたんだ?」

『ふっふっふ! 羽似と同棲することになったんだよ! っていうか、今日からすでに一緒に住んでる!』

「おお~っ! おめでとう!」


 なんだ。ちゃんと進展してるんじゃないか。

 もっと年収が増えないと、とかいろいろと条件をつけられていたから、同棲やら結婚やらなんて何年も先になりそうだと考えていたのだが。


『ありがとう! でもまぁ、試される身、って感じなんだけどね』

「試される身?」

『ちゃんと生活できる相手かどうか、しっかりチェックするためには、一緒に住んで観察するのがいい、って話になったんだよ』

「そうなのか」


 ということは、一緒に住んでみてダメそうだったら恋人関係も解消、といった展開もありえるわけか。

 正直、海端は性格的に適当すぎるやつだからな。

 その可能性が高い、と言っても過言ではないのかもしれない。


 とはいえ、電話の声を聞く限り、海端は心から喜んでいる。

 その気分に水を差す必要もあるまい。


「だとしても、一歩前に進んだのは間違いないだろ。ほんと、よかったな」

『うん、そうだね! 新しい部屋を見つけて引っ越したから、すごく新鮮でもあるし!』

「ほほう。でもそれなら、結構前から決まってたんじゃないのか? 会社で顔を合わせたときにでも話してくれればよかったのに。水臭いやつだな」

『あははは、佐々藤を驚かせようと思ってね! 実際に同棲を始めるまで黙ってたんだよ!』


 笑い声が返ってきたが、もしかしたら海端本人も羽似さんと同棲できることを信じきれていなかったのかもしれない。


 と、ここでぽよ美が口を挟んできた。


「なになに? 海端さんがどうかしたの?」

「ああ、羽似さんと同棲を始めたんだとさ」

「わぁ~っ! 羽似ちゃん、ついに決めたのね~! よかった~! あたし、せっかく正体を知っても逃げない人を見つけたんだから、絶対食らいついて離れないようにって、ずっと助言してたのよ~!」


 オレに言うだけでなく、直接、羽似さんにも言っていたのか。


「そうだ! お祝いしないと~♪ これから押しかけちゃうとか!」

「いや、今日から同棲を始めたところみたいだし、まだ部屋が片づいてないだろ。迷惑になるって」

「だったら、うちに呼べばいいんだよ~!」


 言うが早いか、ぽよ美はオレの手からケータイを奪い取る。


「ってことで、海端さん! これから羽似ちゃんと一緒にうちに来てね~! お祝いするよ~! それじゃあ、待ってるから~!」


 一方的に伝えると、ぽよ美のやつ、勝手に電話を切りやがった。


「お……お前なぁ!」

「いいじゃない! お祝いお祝い~♪」

「どう考えても、飲みたいだけだろ!」

「お祝いしたいって気持ちはホントだも~ん! それに、久しぶりに羽似ちゃんにも会いたいし~!」


 ま、ぽよ美の暴走は今に始まったことでもない。

 勝手に電話を切ってすまん、といった謝罪の電話も、海端相手ならとくに必要ないだろう。

 ぽよ美の声だというのはわかったはずだから、きっと察してくれているに違いない。


 そういえば、羽似さんと会うのは正月以来になる。

 元気でやっているのは間違いないだろうが、会えるのは楽しみではあるな。


 そもそも、うちでお祝いするのは悪い案ではない。

 どこかの店を予約してお祝いするとなると、遠慮なく会話することができなくなってしまう。

 なにせ、ぽよ美はスライムで、羽似さんは泥田坊なのだから。

 人間の姿に変身していたとしても、アルコールが入ったら半分以上、スライムやら泥田坊やらに戻ってしまう危険性もあるしな。


 それからしばらくして、海端と羽似さんが我が家を訪れた。

 一方的に呼び出した感じだったが、素直に応じてくれたようだ。

 ふたりを快く迎え入れ、オレたちはお祝いと称した飲み会をスタートさせる。


「羽似さん、久しぶりだね。でも、同棲を決めるなんて驚きだったよ」

「まぁ、仕方なくです。さとるんは、収入的にも性格的にもまだまだで、不安だらけですけど。そろそろちゃんと見極めておくべきかと思いまして。もしダメだったら、次の相手を探さないといけませんし」

「そっか。相変わらずだ」


 オレは苦笑をこぼしつつ、ビールを喉に流し込む。

 羽似さんの反応はこんな感じではあるが、ふたりは結構上手くやっているみたいだな。

 文句を言いながらも笑顔を崩さない羽似さんの様子から、そう結論づける。


 そして宴会は、夜通し続いた。

 ……となるのが、オレたちのあいだでは基本パターンとも言えるわけだが。

 今日は違っていた。

 海端と羽似さんは、夕方には宴会を切り上げると、新居に帰っていったのだ。


 同棲を始めたばかりの身だし、ふたりきりでイチャイチャしたいとでも考えたのだろう。

 それ以前に、引っ越しの後片づけがまだ終わっていない、というのもあるか。


 ちなみに。

 ぽよ美はすでに、ソファーにぐっちょりと寝っ転がり、半分スライム化どころか、100%スライムに戻って眠っていることを、ここに追記しておこう。



     2



 翌日の日曜日。

 オレはうららかな陽気の中、ぽよ美とふたりで歩いていた。


 今朝、海端から電話があって、新居に呼ばれたのだ。

 昨日のお祝いと称した宴会のお礼に、羽似さんが手料理をご馳走してくれるのだとか。

 こうして招待するくらいだから、引っ越しの片づけなんかは滞りなく終わったのだろう。


「ま、新居っていっても、アパートなんだけどね」


 海端はそう言っていたが、場所は教えてもらっていない。

 待ち合わせ場所を指定され、そこまで海端が迎えに来る手はずになっている。

 徒歩で向かっているのは、オレたちの住むアパートからさほど遠くない距離にあるという話だからだ。


 それにしても。

 うちの近所にあるアパート……か。

 なんというか……嫌な予感がひしひしと……。


「ん? ダーリン、どうしたの?」

「いや、べつに……」


 ぽよ美はいつもどおり、なにも考えていないみたいだが。


 ともかく、待ち合わせ場所に到着。

 周囲の風景を見渡しつつ待っていると、すぐに海端が現れる。

 てっきり海端ひとりで来るものとばかり思っていたが、羽似さんも一緒だった。


「いや~、ほんとは僕ひとりで来るつもりだったんだけど、羽似が離れたがらなくて!」

「というか、監視です。片時も離れることなく、一挙手一投足まで、つぶさに観察し続ける予定ですから」

「そ……そうなのか……」


 意外と重たい愛情なのかもしれない。

 実際には仕事もあるわけだし、片時も離れず監視するのは不可能だと思うが。

 海端はこの先、これまで以上に苦労しそうだな。

 もっとも、今の羽似さんの発言を聞いても笑顔のままなのだから、海端としてはそれはそれで幸せなのだろう。


 オレたちは会話を続けながらも、近所にあるという新居のアパートを目指して歩き始める。


「ねぇねぇ、羽似ちゃん! 同棲して初めての夜はどうだったの?」


 ぽよ美……臆面もなくそういうことを訊くか。

 まぁ、オレも興味はあったのだが。


「それがね、聞いてくださいよ、ぽよ美さん!」


 対する羽似さん、まさかのノリノリ!?

 積極的に赤裸々に事細かに、夜の営みに関して語る気なのか!?

 こんな住宅地の真っただ中にある往来で!


 と、一瞬慌てたのだが。

 さすがにそういうわけではなかった。


「さとるん、昨日の夜は疲れたって言って、すぐに寝ちゃったんですよ? せっかく夜も一緒にいられる生活になったっていうのに、ありえませんよね?」

「だってさ、昨日は引っ越しの荷物を取り出して配置したりで大変だったから! 昼間に佐々藤の家で飲んで、力仕事までしたんだから、ぐっすり眠るのも当然だろ!?」

「それはそうかもしれないけど、9時前に寝ちゃうってどういうことよ。思わず、お子様か! ってツッコミを入れたくなったわ!」

「う……うるさいっての!」

「はぁ……。さとるんってば、やっぱり頼りない」


 ため息をつく羽似さん。


 ははは。

 なんだかんだ文句を言いながらも、仲よくやっているのは確かなようだな。


 微笑ましい気分に包まれていたオレだったのだが。

 アパートが近づくにつれて、その気持ちも徐々に薄れていく。


 この道筋……。

 ということは、目指すアパートはやはり……。


「ほら、このアパートだよ! すごく綺麗な外観だよね! 名前もなかなか思い切った感じだし!」


 海端が嬉しそうに指差した先にたたずんでいたのは、案の定、女神ハイツだった。


 メリーさんが大家をしているアパート。

 そこに、海端たちが入居した。

 となると……。


 海端と羽似さんは、メリーさんが放った新たな刺客だったのか!?

 場所を教えなかったのは、俺とぽよ美を罠にはめるため!?


 オレは身構えながら、「さあ、この部屋だよ。遠慮せず上がって!」といざなう海端の背中を追って、女神ハイツの102号室へと足を踏み入れた。



     3



 女神ハイツの102号室に入るのは初めてだが。

 ぽよ太郎と雪子さんの住む207号室や、乙姫さんの住む105号室にはお邪魔したことがある。

 家具の配置なんかは違うものの、当然ながら間取りは同じ。

 新居と言われても、あまり新鮮味はない、というのが正直な感想だった。


「結構いい部屋だろ? 羽似もそばにいてくれるし、ほんと最高の気分だよ!」


 海端の頬は緩みっぱなしだ。


「随分と可愛らしい部屋だね~! ピンク色で統一してるのがとってもいい感じ~!」

「羽似の趣味に合わせてますから!」


 まぁ、そうだろうな。

 これが海端の趣味だったら、ちょっと引いてしまう。


 それはいいとして……。

 オレは腑に落ちない思いだった。


 部屋の中が綺麗すぎるのだ。


 羽似さんはハーフとはいえ、泥田坊。

 ぽよ美がいると粘液だらけになるのと同様に、羽似さんがいたら部屋中泥だらけ、といった状況を想像していたのだが。

 そうか。羽似さんの場合、そんなふうにはならないのか。


 なんだか、不公平さを感じる。

 いや、べつに海端が困る姿を見たかったとか、意地悪な気持ちがあるわけじゃない。

 ただ、苦労を分かち合ってくれる仲間が増えなかったことに、少々落胆しているだけだ。


「料理、すぐに準備しますね。といっても、もうほとんど出来上がってるんですけど」


 そう言い残し、羽似さんはキッチンへと向かう。


「あたしも手伝うね!」


 と、ぽよ美まで同行したことには、不安を覚えずにいられなかったが。


 ほどなくして、リビングのテーブルに料理の乗せられた皿が運ばれてくる。

 運ぶ手伝いくらいはしようかと思ったのだが、キッチンは男子禁制だと、ぽよ美からいつものように言われて断られてしまった。


 さて、テーブルに並べられた料理は、とても綺麗に盛りつけられていた。

 メニューはハンバーグ。ポテトやホウレンソウのソテーなど、つけ合わせも充実している。

 サラダには妙に緑色がかった液体がかかっているように見えるが、あれはおそらくドレッシングなどではなく、ぽよ美の粘液だろう。

 オレとぽよ美本人の分にしか混入していないことを切に願う……。


「昼からハンバーグなんて、ちょっと重いかもしれませんけど。朝早く起きて、こねこねしたんですよ」

「へ~。羽似さんって、料理上手なんだね」

「えっと、それなりに自信はあります。ハンバーグをこねるのって、泥団子を作ってるみたいで楽しいですし」


 ……一瞬にして、このハンバーグが別の物体に見えてくる。

 まさか、肉ではなく本当に泥で出来ていたりとか……?


 そもそも、海端たちがメリーさんの刺客だとしたら、もっと危険なシロモノだという可能性だって充分にありえる。

 こうやって手料理をご馳走するのも作戦のうちだと考えれば、毒を盛られていてもおかしくはない。


 いやいやいや。

 さすがにそこまではしない……と思いたい。

 海端は会社の同僚で、今は違う部署になってはいるが、それでも帰り際に一緒になってよく喋ったりもしている間柄。

 いくらなんでも、オレを殺そうとは考えまい。


 羽似さんだってそうだ。

 ぽよ美も含めた合計4人でダブルデートまでした仲で、オレたちはいわば、キューピッド的な役割をこなしたとも言える。

 感謝されこそすれ、恨まれるようなことなど絶対にないはずだ。


 このアパートに住まわせる代わりに、オレとぽよ美を亡き者にしてほしい。

 たとえメリーさんからそんな交換条件を突きつけられたとしても、素直に従うわけがない。

 というか、そう信じたい。


「あれ? 佐々藤さん、どうしたんですか? 冷めないうちに、どうぞ?」

「あ……ああ。いただくよ」


 羽似さんに促され、オレは恐る恐るハンバーグにナイフを入れてみた。

 ほとんど抵抗もなく、ナイフは滑るように吸い込まれていく。

 ひと口サイズに分離されたハンバーグをフォークで刺し、オレはゆっくりと口の中へ。


 こ……これは……!


 舌の上でとろけるほどの柔らかさ! 『絶品』以外の言葉が浮かばない!

 それでいて、溢れ出てくる肉汁はジューシーそのもの!

 さらに濃厚なソースの味わいは、口の中に広がるばかりか全身へと余すことなくと伝わり、まるで天使に手を引かれて天国へと導かれているかのような幸福感を生み出す!


 もちろん、毒を盛られていて本当に天国へと旅立った、という意味ではない。

 それくらい美味い料理だったのだ。

 やるな、羽似さん!


 あまりの美味しさにほっぺたが落ちるどころか、からだ全体が溶け出しそうなほど。

 ぽよ美なんて、本当にとろけている。

 ああ、もう。他人の家でスライム化するなんて、失礼極まりないだろうに。


 しかし、そんなことも気にならなくなるくらい、羽似さんの料理は格別だった。

 ぽよ美のことだけではなく。

 刺客がどうのこうの、といったことまで、オレの思考からは抜け落ちていく。


 オレたちは羽似さんの料理に舌鼓を打ち、酒まで振舞われ、上機嫌で楽しく団らんの時間を過ごしていた。

 そこへ、突然の乱入者がやってくる。


「な……なんですの、これは!? どうして和んでおりますの!?」


 それは、このアパートの大家、メリーさんだった。

 う~む。

 デジャヴ……。

 つい先日にも、まったく同じセリフを、まったく同じ人から聞いたような……。


 メリーさんは怒りをあらわにしながらも、詳しく語ってくれた。

 第一の刺客であるわら子ちゃん、そして第二の刺客である乙姫さん。

 立て続けに作戦が失敗に終わったメリーさんは、素早く次の手を打った。

 ちょうど新居を探していた海端と羽似さんに、話を持ちかけたのだ。


 海端は不動産屋を巡る際、羽似さんが泥田坊だとは言わなかったものの、泥遊びが趣味、みたいな言い方はしていて、それでもOKな物件を探していたらしい。

 当然ながら、断られ続けていた。


「あの……わたくしが大家をしているアパートなら、泥遊びでも泥田坊との同居でも全然問題ありませんよ? もしよかったら、入居しませんか?」


 肩を落として不動産屋から出てきた海端に、メリーさんはそう言って声をかけた。

 海端はふたつ返事で乗っかった。

 正体を明かしていないのに話の中に泥田坊が出てきた、という不自然さを気にすることもなく。


 海端と羽似さんがオレやぽよ美と知り合いだというのは、メリーさんも知っていた。

 これは利用価値がある。

 そう踏んで、ふたりを自らのアパートに引き込んだのだろう。


「それなのに、どうして一緒に料理を食べて和んでますの!?」

「え……? だって、僕たちは佐々藤の友達だし、ぽよ美さんとも面識があるし……」


 海端は首をかしげていた。


 よくよく話を聞いてみると。

 今朝、メリーさんがこの部屋を訪れ、大家として海端たちに指示を出してきたらしいのだが。

 オレとぽよ美を家に招くように、としか言わなかった。

 刺客としてオレたちを亡き者にするとか仲たがいさせるとか、そういった内容は一切含まれていなかったのだ。


「だからオレと羽似は、お祝いしてくれたお礼として、今度はうちに遊びに来てもらおう、って考えたんだ」

「人を家に招くとしたら、普通はそんな感じですよね?」


 メリーさんの頭の中では、様々な計画を練られていたのかもしれない。

 だが、それを刺客である海端たちにしっかりと伝えることができていなかった。

 そんなすれ違いがあったせいで、このような状況になってしまったのだろう。


「キーーーーッ! なぜ上手く行きませんのっ!?」


 メリーさんは悔しそうに言い捨てると、部屋から飛び出していってしまった。

 まったく、なにをやっているんだろうな、あの人は。



     4



 その後、酒も入ったことで食事の席は大いに盛り上がった。

 思う存分食べて飲んで、会話も弾んで満足した末に、オレとぽよ美は帰宅の途へと就いた。

 時刻は夕方。夕陽の赤さが心地よく全身を包み込んでいる。


 羽似さんは海端と同棲することで、結婚相手として相応しいか見極めようとしている、と言っていた。

 言葉どおりに捉えると、すごく大変そうかもしれない。

 しかしおそらく、あのふたりは近いうちに籍を入れる。

 オレは確信していた。


 相手を本当に好きでなかったら、同棲しようなんて思わない。

 海端を監視するというのは、単なる口実でしかないはずだ。

 一緒に暮らし始め、お互いにいつでもそばにいるのが当たり前になった頃、きっとこんな会話がなされるだろう。


「これだと結婚してるのと変わらないね」


 そして、ふたりはあっさりと夫婦になる。

 すでに同棲はしているのだから、婚姻届を提出したあとも、なにも変わらず幸せに暮らしていける。

 羽似さんとしては、そこまで含めて覚悟を決めているに違いない。


 海端は子供っぽい部分があって頼りないやつではあるが、とても素直な人間だ。

 羽似さんが泥田坊でも、まったく気にせず接していることからも、それはよくわかる。


 メリーさんが大家をしている女神ハイツに住む、というのが不安要素ではあるが。

 輝かしい未来に向かって、海端の性格と同様、まっすぐに突き進んでいってほしいところだな。


 そんなふうに同僚の幸せを願いつつ、オレが帰り道を歩いていると。

 視界の片隅に、見慣れた中年女性の姿が映り込んできた。


「おや? こんなところで会うなんて、奇遇だね」

「大家さん。どうしたんですか?」

「どうしたもなにも、私だって近所に住んでるんだから、偶然顔を合わせたって不思議じゃないだろ?」


 それもそうか。

 大家さんがどこに住んでいるのか、オレは知らないが。


「今日は買い物に出かけた帰りってだけだよ。……行ったのは地獄のデパートだったけどね」


 後半は聞かなかったことにしておこう。


「そんなことより、大家さん。あのメリーさんって人、どうにかなりませんか?」

「ん? あのクソ女神が、どうかしたのかい?」


 オレは今回の海端の件と先日の乙姫さんの件を、大家さんに語って聞かせた。


「刺客を放ってくるとか、さすがにやりすぎだと思うのですが」

「あんなやつ、放っておけばいいさね」


 訴えかけてみるも、至って無責任な答えしか返ってこない。


「私と一緒に通っていたスペシウム学園でも、確かに成績はよかったんだけどね」

「優秀だったってことですよね? なら、大家さんを目の敵にしている現状は危険なんじゃ……」

「いやいや、大丈夫だと思うよ?」


 大家さんは全然気にしていない様子。

 その理由を、大家さんはさらりと口にする。


「なにせあのクソ女神、優秀ではあっても、とんでもなく間が抜けてるからね」


 なるほど。

 なんだか妙に納得できる答えだった。



 ちなみに。

 さっきからずっと、ぽよ美がひと言も喋らず静かにしていることにもまた、理由がある。

 海端の家で酔っ払った挙句、その場で眠ってしまい、今はオレの背中で寝息を立てている、というのがその理由だ。


 今日は外出中だったせいか、スライム化することなく、人間の姿のままなのは助かったが。

 二日続けて昼間から酒を飲み、夕方には眠りこけているなんて……。

 それでこそ、ぽよ美だな。うん。


 オレは愛する妻のネチョッとした温もりを背中全体に感じながら、真っ赤に染まった住宅地をゆっくりと歩いていった。


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