第35話 低橋家の危機
1
連休明けの仕事というのは、必要以上に疲れるものだ。
とくに、連休中ずっと外出していた身にはつらい。
ま、外出したといっても、わら子ちゃんの家を探して近所を歩き回っていただけなのだが。
それにしても、わら子ちゃんがメリーさんの放った刺客だったとは。
わら子ちゃん本人はよくわかっていなさそうな感じだったし、メリーさんがこのアパートの前まで無理矢理連れてきて、勝手に刺客として使ったのだと考えられる。
メリーさん……。女神をやっているはずなのに、なんともひどい人だ。
そんなことを考えているうちに、愛するぽよ美の待つ、我がアパートが見えてきた。
よし。仕事の疲れは、ぽよ美の笑顔で癒してもらおう。
おそらく……というか確実に、酔っ払って真っ赤な顔になっているだろうが。
「ただいま~」
玄関のドアを開けて部屋に入る。
普段どおりだったらぽよ美の声だけが聞こえてきて、リビングに入った段階でソファーにべちょっと寝っ転がるスライムの姿が目に飛び込んでくることになるのだが。
今日は実際にぽよ美自身が――しかも、人間の姿のぽよ美が飛び込んできた。
「ダーリン、大変っ!」
お帰りの挨拶ではなく、慌てた様子の言葉で出迎えられるなんて、思ってもいなかった。
ぽよ美が家の中で人間の姿をしていることからも、相当大変な状況なのがうかがえる。
ただ、
「おい、どうしたんだ!?」
「うん、あのね! 今、冷華さんが来てるんだけど……」
との発言で、なんだ、単に酔っ払っていただけだったか、と安堵する。
しかし、オレはその思考を一瞬で振り払った。
……いや、違うな。
ぽよ美はアルコールが入ると、すぐに真っ赤な顔になる。
全身緑色がかった半透明でゲル状のスライム形態であっても、それはまったく変わらないのだが。
人間の姿になっている今、顔に出ていないというのは、どう考えてもありえない。
「お前、冷華さんが来てるのに飲んでないのか!? 珍しいこともあったもんだな!」
「はう……、そこで驚かれちゃうんだ……」
不満顔のぽよ美。
そんな顔でも、超絶にプリティーだ。
……などとバカなことを言っている場合じゃないな。
「それで、なにが大変なんだ? まさか、冷華さんの身になにか……」
「冷華さんはビールをたくさん飲んで、リビングで酔っ払ってるよ~」
「ふむ。いつもどおりじゃないか。それのなにが大変なんだ?」
実際には、オレの帰宅時間まで飲んでいるのは珍しいことなのだが。
冷華さんが泥酔しているのは宴会の席でもよく見る光景だし、さほど不思議なことではない。
オレからの質問に、ぽよ美は答えなかった。
否。
答える必要はなくなった、と表現するのが正しい。
「うううう~~~、浮気なんて許せない! ハクを殺して私も死ぬ~~~!」
リビングのほうから、冷華さんの涙まじりの声が聞こえてきたのだ。
旦那を殺して自分も死ぬと叫ぶなんて。
ぽよ美か、あの人は。
あまり関わり合いになりたくない、という本音を飲み込み、オレは凄惨な状態になっているであろうリビングへと足を踏み入れた。
寒っ!
最初の感想は、それだった。
リビングは完全に凍りつき、南極にでも紛れ込んでしまったかと思うような様子へと変貌していた。
冷華さんはテーブルに突っ伏す格好でビールを飲んでいる。
転がっている缶は十本以上。今日はぽよ美とふたりで、ではなく、冷華さんだけでこれだけ飲んだことになる。
ぽよ美が一緒に飲まなかったのは、冷華さんを心配したからなのだろう。
それはいい判断だったと言わざるを得ない。
なにをしでかすかわからない酔っ払いがふたりになっていたら、手がつけられないところだった。
その場合、オレが帰ってくる前に本当に低橋さんが殺されていた可能性すらある。
とりあえず、ソファーの片隅(オレが座ってもいいと許されている、端っこの10分の1くらいのスペース)に腰を下ろした。
ふかふかのはずのソファーは、カチンコチンだった。付着しているぽよ美の粘液が凍っているからだ。
「冷華さん……ダーリンが来たよ? 事情を話してあげて」
ぽよ美が優しい口調で諭すと、冷華さんは泣き腫らした顔を上げ、詳細を語ってくれた。
2
今年のゴールデンウィークは、前半と後半に休みがバラける感じだったわけだが。
事件はそのゴールデンウィーク後半の休みが始まった日、すなわち、オレがわら子ちゃんを連れてきた日に起こっていた。
あの日、低橋さんの帰りが遅くなるということで、冷華さんは冷やし中華を持ってオレの家を訪れた。
うちに上がり込んだあと、家に戻ってからも低橋さんはなかなか帰ってこなかった。
帰ってきたのは深夜を通り越し、明け方近くになっていたのだとか。
そして翌日の朝から、オレたちとともにわら子ちゃんの家の捜索を開始したため、冷華さんは詳しく話を聞く機会を失ってしまったのだという。
実際、低橋さんはわら子ちゃんの家の捜索隊には加わらなかった。
捜索したのは3日間だったが、確かに最初の日は、低橋さんは帰りがかなり遅かったせいでまだ寝ている、と聞いた記憶がある。
低橋さんはその後、ゴールデンウィーク中だというのにバイトがあって、結局1日たりともオレたちの前に顔を見せなかった。
「もしかして、バイトってのは嘘で、ずっと浮気していたんですか?」
「いえ、ハクが浮気したのは帰りが遅かったあの日だけよ。でも、それだけで万死に値するわ!」
「ま……まぁ、そうですね」
オレが浮気しようものなら、ぽよ美に殺されるのは確実と言ってもいい。
ぽよ美が特別嫉妬深いというわけではない。
冷華さんだって同じなのだ。
「ところで、浮気だったってことは、どうやって知ったんですか?」
「今日、バイトから帰ってきたハクを問い詰めたのよ」
問題のあの日、ひとりで飲んで帰ると言っていたはずなのに、帰宅した低橋さんの上着をクローゼットに片づける際、冷華さんは香水のようなな匂いがついていることに気づいたらしい。
低橋さんはすでに眠ってしまっていて、冷華さん自身も眠かったため、無理矢理起こして聞き出すのは諦めることにした。
そのあとは、わら子ちゃんの件で忙しかったせいで、冷華さんもすっかり忘れてしまっていた。
で、今日になってふと思い出し、話を聞いてみたら、実は浮気していたと発覚した。
どうやら、そういうことだったようだ。
「それで……低橋さんは今、どうしてるんですか?」
恐る恐る尋ねてみる。
「部屋で氷漬け……」
なぜか照れながら答える冷華さん。
すでに、殺ってしまったあと……だと!?
といった考えは、さすがに間違っていた。
「ダーリン、大丈夫だよ~。ハクさん、慣れてるから~。死んだりはしないってば~」
なるほど、それもそうだな。納得。
これで納得できてしまうのは、低橋さんが人間離れしていることの証明でもあるわけだが。
ま、そうでなければ、レイスの旦那などやっていられないだろう。
「それにしても、あの低橋さんが浮気なんて……」
正直、信じられない。
冷華さんが恐ろしいから、そんなことをするとは思えない、というのもあるが、それよりも。
自称ミュージシャンでチャラチャラしている部分はあっても、心の底から冷華さんを愛しているのは間違いなさそうだったのに……。
人の心は移ろいやすいもの。
絶対に過ちがないとは言い切れないが……。
「あの日って、低橋さんの帰り、すごく遅かったんですよね? 相手の女性と朝まで一緒にいた、ってことなんですか?」
「ええ、そうよ。正確には、明け方近くまでかしら」
低橋さんは、とある女性の招待を受け、その女性の家で飲んでいたようだ。
もともと知り合いだったわけじゃない。
小さな女の子が迷子になって泣いているのを見つけ、家まで送ってあげたら、お礼がしたいと言われて酒を振舞われたのだとか。
「それって……浮気ってわけじゃないのでは……」
「本人もそう言ってたわ。だからこそ、少し遅くなると電話で連絡したんだって。電話があったのは確かに事実なんだけど、そこから朝方まで飲むなんて、私に対する裏切り以外のなにものでもないでしょう?」
「ま……まぁ、そう言えなくはないですが……」
「しかも、ひとりで飲んで帰るだけだ、なんて嘘までついてたのよ?」
「う~ん、それは冷華さんに余計な心配かけないように気を遣ったんだと思いますけど……」
正確には、余計な怒りを買わないように、だと思うが。
ともかく、酒を飲んで気分がよくなった低橋さんは、ついつい時間を忘れてしまった。
それが真相だったのだと考えられる。
なんというか、低橋さんに非があるのは間違いないものの、そこまで目くじらを立てて怒るほどでもないように思える。
とはいえ、冷華さんの気持ちもわからなくはない。
旦那が朝帰りしたら、たとえ浮気じゃなかったとしても、妻なら怒るのが当然だろう。
そういえば、オレたち夫婦にも似たようなことがあったな。
中泉の家に招かれて酔って寝てしまい、不覚にも朝になっていたときのぽよ美の形相は、一生忘れられない記憶としてオレの脳裏に焼きついている。
「とにかく! 私はこれから、相手の女性の家まで乗り込むつもりなのよ!」
「ええっ!?」
こんなに酔っ払ってる状態なのに!?
だいたい、相手の女性を氷漬けにするようなら、今度こそ確実に殺人犯になってしまう。
「冷華さん、もうちょっと冷静に……」
「私は冷静よ! レイスだもの! とっても冷たいの!」
いまいちよくわからない主張を、言葉とは裏腹に熱く激しく叫ぶ冷華さん。
オレが止めた程度で勢いが失われるはずもない。
さらには、ぽよ美までもが冷華さんに加勢してくる。
「それでね、ダーリンにも同行してもらいたの。あたしと冷華さんだけじゃ心細いから、ダーリンも一緒にって思って待ってたのよ。ね? お願い!」
「そ……そうだったのか……」
う~む。
愛する妻が頼ってくれているのだから、ここは黙ってついていくしかないか。
……せめて、ふたりが暴走するのを止める防波堤の役割として。
オレなんかじゃ、スライムとレイスを抑え切れるとも思えないが。
そんなわけで、いざ、女性の家へと向かったオレたち。
夜の住宅地を颯爽と闊歩する。
「見えてきたわ。あそこよ!」
冷華さん指差した先にあったのは、一軒のアパートだった。
といっても、初めて来る場所ではない。
そこは、ぽよ太郎と雪子さんも住んでいる、メリーさんが大家をしているアパート、女神ハイツだったのだ。
3
もしや、低橋さんの浮気相手は雪子さんなのか!?
冷華さんと顔を合わせるたびにケンカしている印象があったため、一瞬そう考えてしまったが。
子供を助けたお礼として家で酒を振舞われた、という話だったのだから、それはまずありえないだろう。
その推測を肯定するかのように、冷華さんが口を開く。
「調べはついてるわ! ハクをたぶらかしたのは、ここの105号室に住んでる女よ!」
べつに、たぶらかされたわけではないと思うのだが。
余計な反論はしないに限る。
低橋さんと違って、オレは凍らされることに対する免疫がほとんどないからな。
冷華さんとぽよ美は、105号室のドアを乱暴に開け放つと、ズカズカ中へと上がり込んでいった。
オレも慌てて追いかける。
「あら? どうなさいましたの?」
リビングに入ると、キョトンとした顔の女性に出迎えられる。
いきなり不法侵入してきたオレたちに対し、まったく驚いた様子もないというのは、すごく肝の据わった人物なのかもしれない。
女性は夕食中だったらしく、テーブルには料理の乗った皿がところ狭しと並べられていた。
唐揚げやらコロッケやら、揚げ物がメインのメニューとなっているようだ。
そしてその食卓には、ターゲットである女性の他に4人ほど、別の人の姿もあった。
ひとりは冷華さんの話に出てきた小さな女の子と見て間違いない。
それ以外に3人いることになるわけだが、その中に……。
「あれ? おじちゃん?」
ちょこん、と。
座敷童子のわら子ちゃんが座っていた。
正確には、座敷童子と貧乏神のハーフ、という話だったか。
残るふたりは、大人の男女だった。
「えっと……わら子の知り合いなんですか?」
小さい子を呼び捨てにしていることから、声をかけてきたのはわら子ちゃんの母親だと想像がつく。
もうひとりの男性は、わら子ちゃんを挟んで、母親と反対側に陣取っていた。
とすると、この人はわら子ちゃんの父親か。
雰囲気的に見て、母親が座敷童子で、父親が貧乏神なのだろう。
母親のほうは普通に大人の女性だから、座敷童子と呼ぶのは少々おかしな気もするが。
そんなことは、この際どうでもいい。
はてさて、これは困った。
浮気相手の家に乗り込んだら、無関係の家族までいるなんて。
……いや、逆によかったのか?
いくら冷華さんでも、この状態で怒りを爆発させたりはできないはずだし。
と思ったのだが。
「ちょっとあなた! うちの主人にちょっかいを出すなんて、どういう了見なの!?」
冷華さんは躊躇することなく、女性を怒鳴りつけていた。
関係ない人が混ざっているだけでなく、小さな子供にまで見られている状況だというのに……。
対する女性は、うろたえる素振りをまったく見せず、無謀にも言い返してくる。
「ふふっ。なんのことかしら。私はただ、迷子になったカメ子を連れてきてくれたお礼に、お酒をご馳走しただけよ?」
カメ子というのは、この女性の子供の名前に違いない。
そのカメ子ちゃんは、わら子ちゃんとともに、呆然とした表情で成り行きを見守っている。
「だとしても、朝まで帰さないなんて、悪意があったとしか考えられないわ!」
冷華さんが女性につかみかかろうとする。
と、そんなふたりのあいだに割り込んでくる影があった。
「いじめちゃダメ~!」
カメ子ちゃんだった。
冷華さんの体に抱きついて、母親を必死に庇ったのだ。
それに続き、わら子ちゃんまでもが一緒になって、冷華さんにすがりつく。
「そうだよ、おばちゃん! 乙姫さんをいじめないで!」
この女性、乙姫さんというのか。
……そういう名前ってだけじゃなく、まさか本当に……?
そんな考えを浮かべているオレの前で、小さな女の子ふたりは潤んだ瞳で冷華さんに訴えかける。
『お願いだから、やめてよ、おばちゃん!』(うるうるうる)
ふたりの幼い子に懇願されては、さすがの冷華さんでも突っぱねることなどできないようで。
「わ……わかったわよ……」
実にあっさりと怒りを静めていた。
それだけに留まらず。
「おばちゃんも、一緒にご飯食べていって!」
「うん、それがいいよ! おばちゃん、どうぞ! あと、そっちのおじちゃんとおばちゃんも! 乙姫さん、いいよね?」
「ええ、もちろんよ!」
冷華さんとともに、なぜかオレとぽよ美まで夕飯の席に招かれるという展開になってしまった。
4
別のテーブルを新たに準備してもらい、オレたちは一緒に食卓を囲むことになった。
「どう? おばちゃん、美味しい?」
「え……ええ、美味しいわよ」
笑顔でカメ子ちゃんに問われれば、冷華さんでも素直に答えることしかできない。
子供の前では、冷血なレイスも形無し、といったところか。
「泉夢さん、なに笑ってるの? ……凍らされたい?」
「い……いえ、結構です」
不意に、絶対零度の視線が飛んでくる。
オレに対しては、冷華さんの迫力は変わっていなかったようだ。
「あっ、このコロッケ、すっごく美味しい~! 唐揚げも美味しいし、最高かも~!」
ぽよ美は上機嫌で食事をパクついている。
「揚げ物ばかりだから、ちょっと油っこい気もするけどな」
「にゅふふ! 油でツヤツヤになっちゃうかも~!」
「もともと粘液やらなにやらで、ツヤツヤすぎるくらいにツヤツヤしてるくせに」
「もう、ダーリンったら! そんなに褒めないでよ~!」
褒めたつもりなど、まったくなかったのだが。
「ふふっ、たくさん食べてね。わら子ちゃん一家も呼ぶってことで、調子に乗って作りすぎちゃったの。あっ、お酒も用意するから、是非ゆっくりしていってね!」
乙姫さんはそう言って、たおやかに笑みをこぼす。
こんなふうにもてなしを受けたら、すぐに帰るなんて言い出しにくい。
低橋さんが遅くなってしまったのも頷けるな。
まぁ、朝方までというのは、いくらなんでも長居しすぎだったと思うが。
子供たちの無邪気さに加え、乙姫さんの雰囲気にも呑まれ、オレたちは素直に団らんのひとときを楽しんでいた。
そこへ、突然の乱入者がやってくる。
「な……なんですの、これは!? どうして和んでおりますの!?」
それは、このアパートの大家、メリーさんだった。
詳しく話を聞く。
メリーさんは昨日、第二第三の刺客が襲い掛かってくる、と言っていたが。
まさにその刺客が、この乙姫さんだった。
第一の刺客だったわら子ちゃんと同時に、すでに第二の刺客の手は、低橋さんに向かって伸びていたのだ。
乙姫さんは案の定、昔話に出てくる竜宮城の乙姫だった。
ただ、乙姫さんは元来のほほんとした性格で、あまり深く考えずに日々を過ごしていた。
ひたすら豪華絢爛な生活をし続けた乙姫さんは、結果として散財し、竜宮城は差し押さえられてしまった。
タイやヒラメもいなくなり、今ではカメだけが一緒にいる。
ちなみに、カメ子ちゃんは乙姫さんの娘というわけではないのだとか。
ともかく、そうやって家も失い、途方に暮れていたふたりを拾ったのが、このアパートの大家、メリーさんだった。
ここに住まわせてあげる代わりに、自らの作戦を担う駒になってもらう。
そんな交換条件に従い、乙姫さんとカメ子ちゃんはメリーさんに言われたとおり、低橋さんを家まで招き入れて朝帰りさせた。
「冷華さんが怒鳴り込んでくるのを察知しましたので、わたくしはワクワクしながら様子を見に来たのですが……。よもや一緒に楽しく夕飯を食べているなどとは、思ってもおりませんでしたわ!」
つまり、今回の件はすべて、メリーさんによって計画された罠だったのだ。
低橋さん夫妻をケンカさせて離婚するように仕向け、コーポ錠針の住人を減らそうと考えたのだろう。
「メリーさん、どうしてそんなに、うちのアパートの大家さんを目の敵にするんですか? 仲よくすればいいのに……」
「仲よくなんてできませんわ! あのクソ閻魔は、わたくしの永遠のライバルなんですから! 負けていられないんですの! 決戦の日も、そう遠くないはずですし!」
「え? 決戦の日……?」
それって、いったいどういうことだろうか?
問い質すような時間は、残念ながら与えられなかった。
「早急に次なる手を打たなくてはなりませんわね……!」
不穏なセリフを残し、メリーさんは止める間もなく姿を消していた。
オレたちはその後、乙姫さんの家で心行くまで食事と酒を堪能し、気づけば朝日が昇っていたのだが。
考えてみたら、今日も会社があるというのに、オレはいったいなにをしていたんだか。
仕事中に眠ってしまわないように、気合いを入れないといけないな。
なお、冷華さんが帰宅する朝方までずっと、低橋さんは自宅で凍ったままだったことを追記しておこう。
……う~む、よく生きていたものだ。
こうして、低橋家の危機は去った。
今回は、迷子になっていたカメ子ちゃんを低橋さんが助けたことによって、大変な事態を招く結果になってしまった。
子供だろうと大人だろうと、困っている人を放ってはおけない。
低橋さんはそう語る。
その主張自体は立派だと思うが、この人の場合、もう少し状況をよく考えて行動する必要がありそうな気もする。
そうでないと、また同じようなことが起こらないとも限らないし。
そんなオレの予感は、ズバリ的中することになる。
低橋さんは後日、助けた鶴によって散々な目に遭い、オレたちまで巻き添いを食ったりするのだが……それはまた別のお話だ。




