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第33話 大家さんと宿命のライバル

     1



 春。桜の季節だ。

 オレたちの住んでいる辺りでは、すでに満開の時期を過ぎ、かなり散ってきてはいるのだが。

 先週末にはアパートのメンバーでお花見もした。

 ま、いつもどおりの宴会だったため、とくに細かく語る必要もあるまい。


 さて。

 今日のオレは、ぽよ美と散歩中だ。

 ぽかぽか陽気につられて、外へと繰り出してみた。


 春の柔らかな日差しを受け、春の爽やかな空気を吸い、春の温かな風を全身で感じる。

 ただ歩くだけではあるが、なんとも心地よい気分が楽しめる。

 最愛の妻と一緒に、というのも、気持ちを高める上で重要な役割を果たしていると言えるだろう。


「桜、綺麗だね~!」

「そうだな」


 川原の桜並木を通過するオレたち。

 その頭上からは、桜の花びらが雨や雪のように降り注いでいる。


「桜の季節も、もう終わりだね~」

「ああ、すごい桜吹雪だ」


 視界が淡いピンク一色に染まっている。

 それほどの花びらたち。

 と、その花びらの中に、真っ白い物体が混ざり始める。


 花びらの中にも、ほとんど真っ白なものはある。

 だが、明らかに花びらとは違う、白くて小さな丸い塊が、風に乗って舞っている。

 しかもそれは、徐々に数を増していく。


「きゃっ、冷たっ!」

「って、これは……雪か!?」


 花吹雪が本当の吹雪に変わってしまった。

 こんな穏やかな陽気なのに、雪が降ってくるなんて。


 そもそも、今日は晴れている。だからこそ、こうして散歩に出てきたのだ。

 見上げてみれば、清々しいほどの青空だって視界に映り込んでくる。

 だとすると……この雪の原因は容易に推測できる。


「あっ、冷華さんだ~!」


 ぽよ美の言うとおり、そこにいたのは冷華さんだった。

 ただ、ひとりだけではない。

 別の人と向かい合う形で立ち、なにやら言い争いをしているようだ。


「なにやってんだか……」


 冷華さんの正面に立って声を荒げているのは、雪女である雪子さんだ。

 いつもながら、真っ赤でど派手な服に身を包み、真っ赤でど派手な髪の毛を逆立てているという、雪女らしからぬ見た目ではあるが。


 レイスである冷華さんが吹雪をまき散らし、張り合うように雪子さんも吹雪を放出。

 周囲に舞っている分量は、すでに桜の花びらよりも雪のほうが圧倒的に多くなっている。


 川原に作られた並木道は、この界隈では桜が綺麗な場所として有名で、今の時期だとそれなりに人通りもある。

 そんな中で猛烈な吹雪が発生していたら、騒然となるのも自明の理だろう。

 冷華さんと雪子さんを取り囲むように、大勢の人が集まり始めていた。


 ふたりが人間ではないというのは、べつに秘密事項になっているわけではない。

 だとしても、ぽよ美を含めた人ならざる者たちは、基本的にひっそりと人間社会に紛れ込んで生活している。

 大ごとになって騒ぎ立てられると、なにかと面倒な事態になりかねない。


「冷華さん! それに雪子さんも! やめてくださいよ、こんな場所で!」


 オレは果敢にも飛び出し、言い争いを止めに入った。

 振り向いたふたりから、激しい吹雪を浴びせかけられる結果になってしまったが。



     2



「なにやってんですか、ふたりとも」


 呆れを多分に含んだ声を、冷華さんと雪子さんにぶつける。

 なお、集まっていた人たちには、「自主制作映画の撮影中でした。お騒がせしてすみません」と頭を下げ、帰ってもらったあとだ。


「ゆっきーがアパートに遊びに来るっていうから、出迎えに来たのよ。それなのにゆっきーったら、待ち合わせ場所から勝手に移動していて……」

「少しでもレイレイのアパートに近づこうという配慮だったのよ」

「余計なことはしないでって、いつも言ってるでしょ?」

「余計なことなんて言わないでよ!」

「まぁまぁ、落ち着いて」


 再びケンカが勃発しそうになるのを、オレはどうにかなだめる。


「まったく……。そんなことで異常気象を引き起こさないでくださいよ」

『そんなこととか言わないで!』


 オレが思わずぼやくと、冷華さんと雪子さんが声をピッタリ合わせて反撃してきた。

 完全に息が合っているとしか言いようがない。

 ふたりは似た者同士だ。喋り方だって似たような感じだし。

 もちろん、口にしたら絶対に猛反発が来るので言わないでおいたが。


「とにかく、アパートまで行くんですよね? オレたちも帰るところですから、一緒に行きましょう」


 そう提案すると、ふたりは素直に応じてくれた。

 よかったよかった。このまま放置していたら、また吹雪戦争を引き起こさないとも限らないからな。


「雪子さん、主婦になったんですから、少しは落ち着いてくださいよ」


 それを言ったら、長年主婦をやっている冷華さんだって全然落ち着いていないわけだが。


「そうだ、雪子さん! ぽよ太郎との新婚生活はどうなの~?」

「ふふっ、ぽよ美さん! 聞いてくれる!? ぽよ太郎ったらね~……」


 ぽよ美が話を振ると、雪子さんは饒舌に語り始めた。

 どうでもいいことまで含め、ぽよ太郎との生活を事細かに。

 地雷を踏んでしまった、といった状況かもしれないが。

 まぁ、これはこれで微笑ましいし、構わないだろう。


 結婚したあと、雪子さんはもともと住んでいたアパートのほうで、ぽよ太郎と一緒に暮らしている。

 それはぽよ太郎からもメールで聞いていた。


「結婚して変わったことといったら、名字かしら! 私、滑川(ぬめりかわ)雪子になったのよ! なんか、すごく嬉しいのよね~!」

「へぇ~、ぽよ太郎の名字を使うことにしたんだね~!」


 ぽよ太郎、そんな名字だったのか。知らなかった。

 それにしても、ぬめりかわ、とは。実にスライムらしい。

 なめかわ、や、なめりかわ、と読む名字があるのは確かだし、字面を見ると普通なんだがな。


「それでね、ぽよ太郎ったら昨日、仕事から帰ってきてすぐに寝ちゃったのよ? リビングのソファーで、べちゃ~っと! 粘液だらけになるから気をつけてって、いつも言ってるのに!」

「え~? スライムなんだから、粘液は仕方がないよ~! あたしもソファーでとろけるの、大好きだよ~?」

「でも、ソファーが汚れちゃうじゃない?」

「粘液は汚れじゃないもん!」


 と、そんな会話を続けながら歩いていたのだが。

 アパートの近所まで来ると、なにやら人だかりができていることに気づく。

 というか、あの場所はアパートのすぐ前では……。


「まさか、あそこでも冷華さんと雪子さんがケンカしてるのか!?」

「ちょっと泉夢さん! 私はここにいるわよ!」

「私だって!」

「いや、まぁ、冗談ですから」


 ともかく、オレたち4人は急いでその場まで向かってみた。



     3



 近寄ってみると、ふたりの女性が言い争っているのが確認できた。

 当然ながら、それは冷華さんと雪子さんではない。


 片方は、オレたちの住むアパート、コーポ錠針(じょうはり)の大家さんだった。

 もう一方は、見たことのない若い女性のようだ。

 二十代くらいだろうか。髪の毛の量がやけに多く、もこもこふわふわしている印象を受ける。


 見た目上、四十代後半か五十代か、という大家さんが、若い女性を相手に本気で怒鳴り声を上げている。

 なんとも異様な光景に思えた。

 マナーのなっていない女性を叱っているとか、そんな場面なのだろうか?


「ちょっと、大家さん。どうしたんですか?」


 オレが話しかけると、雪子さんもそれに続く。


「そうですよ、大家さん。どうしてこんな場所で……」


 おや?

 ちょっとした違和感。

 その正体はすぐにわかった。


 雪子さんはコーポ錠針の住人ではない。

 ここから少し離れた場所にある、女神ハイツに住んでいるはずだ。

 だから、うちのアパートの大家さんをそう呼ぶわけがない。


 しかも、話しかけた雪子さんの顔は、大家さんと言い争っていた相手の女性のほうを向いていた。

 すなわち――。


「この人、私の住む女神ハイツの大家さんなのよ」


 雪子さんが紹介してくれた。

 そう。その若い女性もまた、アパートの大家だったのだ。




 周囲にいた人たちに「お騒がせしました」と言って、帰ってもらったあと。

 女神ハイツの大家さんが改めて自己紹介する。


「わたくし、先ほど雪子さんから紹介していただいたとおり、女神ハイツの大家をしております。どうぞよろしくお願い致します」(ぺこり)


 もこもこふわふわの髪の毛を揺らして頭を下げる女性。

 ここで少し気になることがあった。

 自己紹介しているというのに、女神ハイツの大家だとしか名乗っていない。

 女神ハイツの大家さんと呼ぶのもおかしいし、と思い、オレは尋ねてみた。


「えっと……お名前は?」

「ありません」


 即答。

 一瞬、理解できなかったが。


「あいにく、名前というものを持ち合わせておりませんの」


 丁寧に言い直してくれたものの、理解の域を超えていることに変わりはなかった。

 女性に詳しい説明を求めたところ……。


 この人、実は女神なのだという。

 大家はやっぱり兼業で、様々な女神のバイトをしている。

 複数の女神を兼任していて、臨機応変に姿を変えて対応しているのだとか。


 守秘義務があるため、普段は女神としての名前を名乗ってはいけない決まりになっている。

 だからこそ、名前はない、と答えるしかなかったとのこと。


「女神といってもバイトですので、わたくしのことは、女神(仮)(かっこかり)とお呼びくださいませ」


 閻魔様がいて七福神もいるわけだし、女神がいたって不思議ではないと思うが。

 女神のバイトって……。

 ツッコミを入れる気力も出ず、呆然と話を聞くことしかできなかった。


「私たちはいわば神の領域に属しているからね。人間と違って固有の名前はないんだよ」


 大家さんが補足を加える。


「このクソ女神はね、私の宿命のライバルなんだ。特殊な大家を育成するスペシウム学園の同級生だったのさ」

「同級生!? 年齢が全然違いそうなのに」

「そこに食いつくとは、随分と失礼な人だね~。ま、見た目なんてどうとでもなるんだよ」

「なるほど……女神(仮)さんは若作りってことですね」

「ふふふ、本当に失礼な人ですわね~」


 ついつい余計なことを口走ってしまった。

 女神(仮)さんのこめかみがピクついている。


「ねぇねぇ、あたし思ったんだけど~。女神(仮)さんじゃ、呼びにくいよ~」


 ぽよ美が不意にそんな意見を述べる。

 まぁ、確かにそうかもしれない。


「そうですか? でしたら、どう呼んでくださるというのでしょう?」

「う~ん、そうね~。髪の毛がもこもこで、羊みたいだから~……メリーさん、ってのはどぉ~?」

「あら、可愛くていいんじゃないかしら」


 ぽよ美の提案により、女神(仮)さんのあだ名はメリーさんに決定した。

 一応、めがみかっこかり、略してメリー、という意味でもあるらしい。

 略し方が若干おかしいとは思うが、本人も気に入っているみたいだし、なにも問題はないだろう。


「せっかくだし、大家さんにもあだ名を……」

「私はいらないよ」


 オレの言葉は、大家さん本人によってピシャリと退けられた。


「え~? あたしが可愛いあだ名、つけてあげるよ~? え~っとねぇ~……」


 ぽよ美はあだ名をつける気満々になっていたのだが、


「余計なあだ名なんてつけたら、地獄行きだよ?」


 と言われて、口をつぐむ。

 相手は閻魔様だから、冗談では済まない可能性が充分にある、と判断を下したに違いない。


 ま、大家さんは大家さんのままでいいか。

 こんなことで地獄に落とされたくなんてないしな。



     4



 その後、オレたちは冷華さんの部屋まで移動した。

 もう少しだけ、ゆっくりお喋りでもしていこうか、という話になったからだ。

 ちなみに、低橋さんはいない。今日もバイトに勤しんでいる。


「さ、たくさん食べてね」


 冷華さんが冷やし中華でおもてなし。


「レイレイは相変わらず、バカのひとつ覚えね」

「うるさいわね! だいたいゆっきーだって、人のことは言えないでしょ?」


 冷華さんからそう指摘された雪子さんは、カキ氷を食べて頭をキーンとさせている。


 メンバーがいつもとは違うが……。

 飲めや歌えの大騒ぎ。結局は宴会となる。

 ま、冷華さんの部屋に集まったら、そうなるのも当然というものだ。


 酔いが回った大家さんとメリーさんは、激しい口ゲンカを展開させる。


「このクソ女神とは、学生時代からなにかと張り合ってたんだよ」

「そうなんですよね~。このクソ閻魔、定期テストでも私と同点首位になりやがりますの。まったく忌々しいったらありゃしなかったですわ!」

「なに言ってんだい。あんたこそ、どうして成績を落とさないんだか、私は不思議で仕方がなかったよ。お弁当に痺れ薬まで盛ってたっていうのに!」

「なんですって!? あれはクソ閻魔の仕業でしたの!? 手が痺れてきたのを、気合いで乗り切りましたのに! この卑怯者!」

「ギャーギャーとうるさいねぇ、クソ女神が。そっちこそ、私のペンケースを隠すとか、ねちっこいことをしてたじゃないか」

「き……記憶にありませんわ!」


 ふたりの様子を見ていて思ったのは、ケンカするほど仲がいい、ということだ。

 冷華さんと雪子さんもそうだが、本気で言い合える相手がいるのは幸せなことなのかもしれない。

 オレもぽよ美とケンカになることが多いが、それも仲がいい証拠だと断言できる。


 ビールを飲みながら、微笑ましい気持ちで見つめていたのだが。

 そのうちに、そうも言っていられなくなる。


「大家になってからも、変な住人たちを集めて対抗してくるなんて、思ってもみませんでしたわ!」

「そっちだって、変な住人ばかりのアパートになってるじゃないか! この地域に2軒もそんなアパートはいらないんだよ!」

「でしたら、このアパートを時空のはざまへと飛ばして、わたくのアパート1軒だけにしてしまおうかしら!」

「はっ! やれるもんならやってみるがいいさ! ここを守っている私の力を甘く見ると、痛い目に遭うと思うけどね!」


 雲行きが怪しい。

 そして――、


 部屋の中だというのに、大家さんの周囲で凄まじい雷が発生する。

 アパートの床が割れ、そこからマグマが吹き出す。

 空気も重苦しく渦巻き、さながら地獄にでも来たような光景が広がり始めた。


 対するメリーさんも負けてはいない。

 神々しい光が全身から放たれ、目も開けていられない状態になる。

 まぶたを通してでも、まぶしさで眼球の奥が痛むくらいの閃光。

 それに加え、とんでもない熱量を伴い、すべてを焼き尽くさんばかり。


 今ここに、閻魔様と女神様(バイトらしいが)の壮絶なる戦いが勃発してしまった。

 このままでは、本当にアパートごと消滅する結果になりそうだ。

 それどころか、日本ごと、場合によっては地球ごと、吹き飛んでしまわないとも限らない。


 とはいえ、オレたちなんかに手出しできるわけがない。

 ……と思っていたのだが。


「やめなさい! 私の部屋で、なにをやっているんですか!」

「そうですわ! ふざけるのも大概にしてください!」


 冷華さんと雪子さんが怒鳴りつける。

 鬼のような形相で。

 口から吹雪を吐き出しながら。


『そこに座りなさい!』


 声を揃えて、それぞれ自分の住むアパートの大家を正座させる。

 すかさず説教タイムに突入。

 大家さんとメリーさんは肩を丸め、小さくなってただただ頭を下げていた。


 オレとしてはこれまで、一番強いのは大家さん、という認識を持っていたのだが。

 本当に最強なのは、冷華さんと雪子さんの2人だったようだ。


 閻魔様と女神様が正座をさせられ、説教されている姿を眺めながら、オレとぽよ美はビールを飲み続ける。

 その説教は、それから数時間もの長きにわたって繰り広げられた。


 う~む……。


 冷華さんが低橋さんを怒っている場面はよく見かけていたが。

 雪子さんは本当に、冷華さんと似た者同士のようだ。

 こんな雪子さんと一緒に暮らしているぽよ太郎の結婚生活は、とても大変なのではなかろうか。


 オレはポケットからケータイを取り出し、ぽよ太郎に『頑張れよ』とだけ書いた謎メールを送った。


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