第32話 アパート1階の住人たち
1
オレたちが住んでいるアパート、コーポ錠針。
2階の住人同士は頻繁に交流を持っているが、1階の住人はなにかと忙しいらしく、これまで姿を見かけたことすらなかった。
もちろん、誰も住んでいないわけではない。表札こそないものの、夜に通りかかれば電気が点いていることもある。
用事もないのに訪問するのは気が引けるし、冷華さん主催の宴会に誘おうかと思ったときには不在だったりして、ここまで機会もなかったのだが。
「中泉夫妻も引っ越してきたし、改めて顔合わせでもしようかね」
という大家さんの提案で、アパートの住人全員参加の宴会を開催する運びとなった。
なお、昼間から夜中までという長丁場だ。
「宴会♪ 宴会♪」
ぽよ美は数日前から上機嫌だった。
どうでもいいが、飲みすぎて迷惑をかけたりしないでほしいところだ。
それはともかく。
オレたちは今、アパートの1階の廊下にいる。
かなりの人数が集まっているため、随分と騒々しい。
「そんなわけで、こっちにいるのが1階に住んでる面々だよ」
大家さんの紹介で頭を下げる1階の住人たち。
全部で7人。
かなり年上……というか、お爺さんまで含まれている。
全員が全員、輝かしいまでの笑顔を咲かせていて、見ているだけで温かな気分に包まれる。
なんだか、やけに神々しい格好をしているような気も……。
といったオレの感想は正しかったと言える。
「こいつらは七福神なんだ」
本当に神だった!
正月の宴会のときにいなかったのは、日本全国を飛び回っていたからだったのだという。
そうか、七福神ならとくに正月が忙しかったのも頷ける。
七福神の方々は、それぞれ自己紹介してくれた。
大黒天様、弁財天様、毘沙門天様、布袋様、恵比寿様、寿老人様、福禄寿様。
同じアパートに住んでいるとはいえ、相手は神様なのだから、様づけで呼ぶことにする。
「1階は107号室まであるから、ちょうどピッタリ7人なんですね」
オレの指摘に、大家さんは首を横に振る。
「いや、使っている部屋は6部屋だよ。大黒天と弁財天は同居してるからね。夫婦なんだよ、ふたりは」
大家さんの言葉で、大黒天様と弁才天様は照れ笑いを浮かべる。
詳しく聞いてみると、101号室に大黒天様と弁才天様が住んでいて、102号室に毘沙門天様、103号室に布袋様、105号室に恵比寿様、106号室に寿老人様、107号室に福禄寿様、という配置になっているらしい。
「ふぉっふぉっふぉ。こうしてワシらが全員揃うのも、久しぶりかもしれないのぉ~」
真っ白いアゴヒゲが特徴的な寿老人様が、愛嬌のある笑い声を響かせる。
七福神はいつでも一緒に行動しているのかと思っていたが、実際にはそうでもないらしい。
それはいいとして、この笑い方……。
「寿老人様、もしかして先日、ぽよ美がいなくなったときに……」
「お~、そうじゃそうじゃ。あのときは、ワシはちょうど休みで家にいての。老体に鞭打って捜索を手伝ったんじゃったな」
「やっぱり! その節は、どうもありがとうございました!」
ぽよ美が町外れの森にいると予想できたのは、寿老人様の言葉があったからこそだった。
オレは素直に頭を下げる。
「おい、ぽよ美! お前もちゃんとお礼を言わないと!」
「はう! ダーリン、無理矢理頭を押さないでよ! 自分でできるから~!」
続いて、ぽよ美にも頭を下げさせると、寿老人様はさらに笑顔の輝き具合を高める。
「ふぉっふぉっふぉ。よいよい。無事に見つかって、本当によかったのじゃ!」
「寿老人は、人間の様子を眺めるのが好きじゃからのぉ~」
「うむ、そうだな。ストーカー老人だ」
「ふぉっふぉっふぉ、そんな言い方はされたくないのぉ~」
「あら、人間だけじゃなくて、あたしのことも結構眺めてるわよね~?」
「なに!? それは聞き捨てならん! オレの妻をねっとりと眺めるなんて! のぞきだ! 完全に犯罪だ!」
「まぁまぁ、大黒天。弁財天ちゃんは可愛いしスタイルもいいから、ついつい目が行ってしまっても仕方がないというものだよ!」
「恵比寿! お前もオレの妻をねっとりじっくり眺めているクチなのか!?」
「こらこら、私たち七福神が仲間割れしてちゃ、人間たちに幸せを運んでやれないじゃないか」
「うむ、布袋の言うとおりだ」
「だが毘沙門天、弁財天はオレの妻なのだから……」
「いいじゃないですか。女性は見られて美しくなるもの。それは神であっても同じです。大黒天も、弁財天が綺麗になるのは嬉しいでしょう?」
「それはそうだが……」
「ふぉっふぉっふぉ、福禄寿は女好きじゃからのぉ~」
「な……なにを言うかな、このじーさんは!」
「ふぉっふぉっふぉ、お主だって、ワシと同じくらいのじーさんじゃないか。ハゲておるし」
「ハゲ言うでない!」
なんというか。
神様なのに妙に人間っぽくて親近感が湧いてくる。
七福神が古くから人々に親しまれているもの、こういった雰囲気だからこそなのかもしれないな。
……ストーカーだの、のぞきだの、女好きだの。
神様の一面としては聞きたくなかった話も混ざっていたような気はするが。
2
さて。
今日の宴会の舞台は、104号室だった。
アパートの一室のはずなのに、中に入るとなぜかすごく広い。
以前、聞いたことがある。
104号室は、大家さんの仕事部屋だ、といった話を。
大家さんはこのアパートの大家ではあるが、それは兼業で、本職は閻魔様なのだとか。
閻魔様の仕事場……。というと、つまり……。
「ああ、そうだね。死んだ人間が来て、生前の行いを浄玻璃の鏡に映し、天国行きか地獄行きか決める。そういう場所になるね」
大家さんはあっさりと認めた。
そんな場所で、宴会をするというのか?
不安を感じ取ってくれたのだろう、大家さんはさらに解説を添えてくれた。
「なに、今日は休みだから大丈夫だよ。私だって毎日仕事漬けではないのさ。週休二日。昨今は私たちの世界でも、労働基準法にうるさくてね」
「え~っと……」
どこをどうツッコんでいいやら。
「あ、休みでも死者をほったらかしにしてるわけではないからね? 残りの日は代理に任せてある。別の場所にも浄玻璃の鏡があってね、今は代理がそっちで仕事をこなしてるはずだよ」
閻魔様の代理……。
まぁ、細かく追求するのはやめておく。
せっかくの宴会の席だ。余計なことばかり言って、場をしらけさせるわけにもいくまい。
オレたちはお酒を飲みつつ、様々な会話を繰り広げ、交流を深めていく。
メンバーの中には神様まで含まれている状態ではあるが、基本的には無礼講。
気負ったりせず、素直に宴会を楽しむべきだろう。
「大黒天様。ビール、注ぎますよ」
「おお、ありがとう、泉夢くん!」
オレにグラスを委ね、お酌を受ける大黒天様。
神様相手にお酌をすることになるなんて、思ってもいなかったな。
と、その大黒天様が、こんなことを言ってくる。
「だが、その呼び方は他人行儀すぎてちょっとな。同じアパートの住人なんだし、もっとくだけた呼び方で構わないぞ?」
「はぁ……」
そう言われても……。
「たとえば、そうだな……。オレなら、だいちゃんとか」
「あっ、あたしも、ベンちゃんとかでいいわよ~! ベン子でも可!」
頬を赤く染めたほろ酔い気味の弁財天様までもが、話に加わって提案してきたが。
「いやいや、それはさすがに、くだけすぎですから!」
いくらなんでも、神様に対する呼び方ではない。
オレは今までどおり、様づけで呼ぶ形を貫き通すことにする。
宴会が続いていくと、場は凄まじい状況となっていく。
それはまぁ、いつもどおりではあるのだが。
冷華さんが吹雪を吐き出す。
低橋さんがギターを抱えて歌い出す。
ぽよ美が粘液をまき散らす。
みみみちゃんまで暴れ出す。
それに加えて、水好さんが水芸を披露するとか言って、周囲を水浸しにする。
中泉は中泉で、多種多様なお酒を浴びるように飲んでいる。
織姫さんと彦星さんは、ふたりの世界に浸っていて静かだったのだが。
黙々と飲んでいるのを見咎められ、毘沙門天様と布袋様にビールを注がれ、一気飲みを強要されていた。
……ノリが体育会系だな、あの神様たち……。
そんなこんなで、時間はあっという間に過ぎていった。
3
随分と長いこと、宴会を楽しんでいたような気がする。
104号室には窓らしきものは見当たらず、外の様子はわからなかったのだが。
そろそろ夕方くらいになっているのではないだろうか。
ここでぽよ美が、ある物に目をつける。
「あれ? これって、浄玻璃の鏡だよね~?」
「ん? あ~、そうだね。そういえば、置きっぱなしにしてあったっけ。すっかり忘れてたよ」
大切なもののはずなのに、随分とぞんざいな扱いだな。
というか、浄玻璃の鏡というのは、持ち運びもできるくらいの鏡だったのか。
「ちょっと使ってみるかい?」
大家さんが実に軽いノリでそんな提案をしてくる。
無論、ぽよ美が乗っからないはずがない。
「使う使う! あたしが、使ってみる~! ダーリンに対して!」
「オレにかよ!」
文句を言うオレの意思は完全に無視され、浄玻璃の鏡を使って審問を受ける羽目になってしまった。
「ダーリン、あなたは妻であるあたし、ぽよ美を、心から愛していますか?」
「はい」
ぽよ美からの質問に、迷いなく答える。
そんなの、わざわざ問うまでもないことだ。
浄玻璃の鏡にも反応はない。
「ふむ。嘘はないようだね」
大家さんの言葉に、ぽよ美がホッと息をつく。
「さっすが、佐々藤! ぽよ美さんへの愛は本物ってわけね! ひゅーひゅー!」
中泉が茶化してくる。
「やめろっての! まったくお前は、昔っから変わってないな」
そんなオレたちの様子を見たぽよ美は、一転して不機嫌な顔を見せる。
さらには、こんな質問を追加でぶつけてきた。
「ダーリン、あなたは妻のぽよ美ひと筋ですか? 過去さんと浮気をしてませんか?」
「なにを訊いてくるんだ、お前は。ぽよ美ひと筋だよ。決まってるだろ? まったく、どうして中泉が出てくるんだか……」
前から気にしている様子ではあったが、まだオレのことを信用していないのか。
確かにオレは中泉のことが好きだった。
といっても、それは中学時代のことだ。もうずっと昔の話なのだ。
今はぽよ美ひと筋。その言葉に嘘はない。
だいたい中泉だって今は結婚して旦那がいるわけだし、浮気なんてするはずがない。
オレは自信満々に答えた……のだが。
突然、鏡が光り始める。
「むっ、言葉に嘘があると鏡が光るんだよ。そして、それを裏づける場面が映し出される」
大家さんの解説どおり、鏡の中にどこかの風景が浮かび上がってきた。
そこには、オレが移っていた。隣には中泉もいる。
場所はどうやら、中泉の家のようだ。
『ふたりきりで会うなんて、ぽよ美さんに悪いわ』
『いいじゃないか、バレなきゃ』
鏡の中のオレと中泉の会話が響いてくる。
そのまま鏡の中のオレは、中泉にそっと顔を寄せ、キスを……。
「うぎゃ~~~~! ダーリン、やっぱり浮気してたんだ~! 殺す! ダーリンを殺してあたしも死ぬ!」
ぽよ美が怒り狂う。ぽかぽかとオレを殴りつけてくる。
あんな映像を見せられたら、それも当然だろう。
しかし、なんだあれは!? あんなことをした記憶なんて、オレにはないぞ!?
「ちょっと待てって! オレにはこんな記憶は……」
焦りまくる。
「泉夢さん、許せません! 俺の妻とあんなことを……!」
中泉の旦那である水好さんも、怒り心頭。
まるで暗殺者のような鋭い目つきで、オレを睨みつけてくる。
というか、今にも飛びかかってきそうな勢いだった。
「やめなよ、水好!」
中泉が止めに入ったものの、
「過去! お前だって同罪だぞ!?」
火に油を注ぐ結果にしかならない。
いったい、どうなってるんだ!?
オレはあんなこと、絶対にしていないのに!
映像を見る限り、酒を飲んで記憶を失くしている、といった顔でもなかった。
とすると……。
オレはひとつの結論に達した。
「これは悪質なイタズラですね? 大家さん、そうでしょう?」
ずずいっと大家さんに詰め寄る。
鬼気迫る表情で。
「おや、あっさり見破られてしまったね~。そうだよ、今の映像は私が見せた幻さ。平穏な日常にちょっとしたスパイスを効かせてやろうかと思ってね」
大家さんは実にあっさりと、自分が犯人だったと白状した。
悪びれる様子など、ひとカケラたりとも見せることなく。
「スパイス効きすぎです! あと、オレたちの生活は、どう考えたって平穏な日常ではありませんから!」
オレの叫び声に、周囲のみんなは苦笑をこぼしていた。
「そう言われればそうだったね。ま、鏡の機能は正常に戻しておくよ」
大家さんは鏡に仕掛けをしていたらしく、パチンと指を鳴らしてそれを解いたようだ。
そののち、ぽよ美がもう一度さっきと同じ質問をし、オレのほうも同じように答えると、今度は鏡は無反応だった。
「ダーリン、あたし、信じてたよ~!」
ぽよ美が嬉しそうに抱きついてくる。
「嘘つきがここにいる!」
問いかけたことではなかったため、浄玻璃の鏡が光ったりはしなかったが。
ともかく、ぽよ美の機嫌が直ってくれてよかった。
ひたすらラブラブ状態を見せつけるオレとぽよ美。
その様子を、アパートの住人たちは陰りのない笑顔で眺めている。
「ふぉっふぉっふぉ、よきかなよきかな!」
寿老人様の声が、ほろ酔い気分のオレたちの脳みそに心地よく響き渡った。
ちなみに。
せっかくだから他の人も浄玻璃の鏡を試してみよう、という流れになった。
冷華さんの質問に対して嘘をついていた低橋さんが、猛烈な吹雪を食らって散々な目に遭う、といった場面もあったりはしたが。
それはある意味普段どおりなので割愛するとして……。
鏡を試してみた中には、七福神の方々も含まれていた。
夫婦である大黒天様と弁財天様は、お互いに相手ひと筋かを浄玻璃の鏡に問う。
大黒天様が答えたところまでは、鏡は無反応だったのだが。
弁財天様が「あたしも大黒天ひと筋だよ!」と言った瞬間、鏡が光り始める。
そこに映し出されたのは、福禄寿様の部屋に弁財天様が一緒にいる様子だった。
「なに、ただの盆栽仲間じゃ。この趣味は大黒天には理解してもらえんようでの。たまにワシの部屋でお互いに盆栽を持ち寄って、お茶を飲みながら盆栽の話で盛り上がっているだけなのじゃよ」
福禄寿様が穏やかな笑顔を伴って説明したため、みんな納得していたのだが。
そもそも鏡が光った時点で、弁財天様が大黒天様ひと筋という部分に嘘がある、ってことになるのではないだろうか……?
…………。
まぁ、相手は神様だ。
鏡が正常に機能していなかった可能性もあるし、ここは気づかなかったことにしておこう。




