第31話 スライムと家出
1
突然のことだった。
ぽよ美が、いなくなった。
祝日の今日、オレは半日だけではあるが、休日出勤のため会社へと出かけた。
仕事を終え、昼過ぎに帰宅。
そこで異変に気づいた。
普段ならゴロゴロ……というかべちょべちょと寝っ転がっているソファーに、ぽよ美の姿がない。
キッチンにもいないし、寝室にもいない。
トイレか? とも思ったが、やはりいなかった。
ふとテーブルを見てみると、なにやら紙が置いてある。
書き置きか。
買い物に行ってくる、とか、そんなところかな。
といった考えは、完全に裏切られてしまう。
『もう限界です。あたし、この家を出ていきます。探さないでください。ぽよ美』
…………。
いたずらか?
そうだよな?
いつもの悪質なサプライズだよな?
だが……待てよ。
このところ、不意に仕事が忙しくなったせいで、ぽよ美とまともに会話してなかったんじゃないか?
帰ったらすでにぽよ美は寝ていて、起きる前にオレは出勤。
ホワイトデー以降、ずっとそんな感じだった。
だからといって、ぽよ美が出ていくなんて。
オレとぽよ美の愛情は、マリアナ海溝よりも深いというのに。
そんなの、ありえない。
……というのは、オレの思い上がりだったというのか……?
落ち着け、オレ。
こういう場合、考えられるとしたら……。
冷華さんか!
オレはアパートの隣の部屋へと押しかける。
「冷華さん! ぽよ美、来ませんでしたか?」
玄関から顔を出した冷華さんに、噛みつくくらいの勢いで尋ねる。
「ぽよ美さん? 今日は来てないわよ?」
「本当ですか?」
「どうして私が嘘をつかなきゃならないのよ。本当に今日は会ってないから」
どうやら嘘をついている様子ではなさそうだ。
「ぽよ美さん、どうかしたの?」
「いえ、あの……これ……」
ぽよ美の置手紙を見せる。
「あら、家出? ケンカしたのね、珍しい」
「いや、ケンカはしてないはずですけど……」
「気づかないうちに傷つけていた、ってところかしら」
「うっ……」
言葉も出ない。
「とにかく、知り合いに連絡を取ってみたら?」
「そ……そうですね。ぽよ美が連絡できる知り合いなんて、そう多くはないですし」
このアパートの住人以外で思いつくのは、ぽよ太郎くらいか。
あとは、なぜか垢澤さんともケータイ番号を交換して、たまにお喋りしてるって話だったか。
オレはまず、垢澤さんに電話をかけてみた。
結果、なにも手がかりは得られなかった。
ぽよ美は一昨日の夜、垢澤さんと電話で話していたらしいのだが、そのときにはとくは変わった様子はなかったそうだ。
続いてぽよ太郎に電話をかけてみると、今日、ぽよ美から電話があったとのこと。
大きな手がかりゲットか!?
喜ぶオレだったのだが。
『大切なものを隠すとしたらどこがいいか、って聞かれたんだけど』
「ほうほう。で? お前はなんて答えたんだ? どこか具体的な場所を教えてやったのか?」
『いや、教えなかったよ。もし見つかって文句を言われても困るし』
「使えないやつめ!」
『ひどい言い草だなぁ~。とりあえず、見つかりたくないなら、似たようなものがある場所に隠すのがいい、みたいなことは言った気がするけどね』
「気がするって……なんだか曖昧な言い方だな」
『いや~、休日で雪子とべたべたしてる最中だったからね、電話は適当に応対してたんだ』
「おいおい……」
思わず呆れてしまったが。
ぽよ太郎と雪子さんはまだ新婚ホヤホヤの身分。それも当然といえば当然か。
オレはケータイを切り、がっくりと項垂れる。
そのとき、急に周囲が騒々しくなった。
「佐々藤、どしたん?」
「休日の昼間から、また宴会の相談ですか? 毎度毎度、過去が乗り気すぎて困るんですが……」
「なんか騒がしかったから、ウチも来てみたんだけど……」
「あまりうるさいと、チャットに集中できません。文句を言いに来ました」
「でも、こうして織姫と直接えて、僕は嬉しいです。先週の宴会以来ですから。チャットは毎日してますけどね」
玄関先で冷華さんと話している声を聞きつけ、同じ階の住人たちがこぞって集まってきた。
そこでオレは、ぽよ美の書き置きを見せ、みんなにも行方に心当たりがないか聞いてみたのだが……。
やはり、誰も知らないとのことだった。
しかし、それで終わらないのがこのメンバー。
「佐々藤、ぽよ美さんを探すんでしょ? だったら、あっしも当然、手伝うよ!」
「俺も手伝います。過去だけでは心配ですし」
「ウチも探すよ! ウサギって嗅覚が鋭いんだから!」
「僕は部屋に戻ってチャットの続きを……」
「こらこら、彦星。チャットはいつでもできるんだから、私たちも一緒に探しましょう!」
「ふぉっふぉっふぉ、わしも行くとするかの」
「ふふっ、みんな、いい人たちばかりね。もちろん、私だってご一緒するわよ」
「はっはっは! 今日は俺もいるぞ! バイトは休みだからな!」
全員が全員、ぽよ美探しに協力してくれるという。
持つべきものは仲のよいご近所さんだ。
素直に感謝しつつ、オレはアパートの住人たちとともに、ぽよ美の捜索を開始した。
2
オレたちは町の中のありとあらゆる場所を回ってみた。
途中からは、ぽよ太郎や垢澤さんまで駆けつけてくれて、一緒に探してくれたのだが。
それでも、ぽよ美の足取りすらつかめない。
「どこに行ったんだ、ぽよ美……」
肩を落とし、つぶやく。
こんなにみんなで探しているというのに、ぽよ美のやつ、どこでなにをしてるんだか。
自信満々だったみみみちゃんの嗅覚も、まったく役に立っていないし。
もしこのまま、ぽよ美がずっと見つからなかったら……。
そう思うと、恐ろしくてたまらない。
オレにとって、ぽよ美は人生の一部、いや、すべてと言っても過言ではないからだ。
どうすればいいのだろう。
あとはもう、神頼みくらいしかないだろうか。
「神様……どうかオレに、大切な妻の居場所を示してください!」
藁にもすがる思いで祈ってみる。
すると、どこからともなく声が聞こえてきた。
「ふぉっふぉっふぉ、木の葉を隠すなら森の中、じゃよ」
えっ?
オレは慌てて見回してみたが、すぐ近くには誰もいない。
首をかしげるオレの様子を察知したのか、中泉が歩み寄ってくる。
「どうしたの? なにか気づいた?」
その言葉に、オレは迷わず、
「ぽよ美は森にいる!」
と大声で答えていた。
それを聞いて、みんなが集まってくる。
「佐々藤、どうしてそう思ったの? あっ! 愛の絆ってやつ!?」
「いや、そうじゃなくて……」
やけに瞳を輝かせている中泉から、ぽよ太郎のほうへと視線を移す。
「ぽよ太郎、お前きっと、木の葉を隠すなら森の中、みたいなことをぽよ美に言ったんだろ?」
「あ~、そういえば、言ったかも」
思ったとおりだ。
ただ、オレ以外は納得できていないらしい。
「え……。でもさ、それって、そういう意味じゃなくない?」
無論、知ってはいる。
物を隠したいなら、同じようなものがたくさんある場所に隠すと見つかりにくい、といった比喩的な意味だ。
だが……。
「バカだな、相手はぽよ美だぞ? そんなふうに言われたら、『そっか~! 森の中に隠せばいいんだ~!』って思うに決まってるじゃないか!」
「決まってるんだ……」
呆れ顔の中泉。
とはいえ、つき合いの長いアパートの面々やぽよ太郎、垢澤さんなんかは、みんな大きく頷いていた。
「森といったら……町外れにある丘の辺りかしらね」
「そうですね! 行ってみましょう!」
こうしてオレたちは、一路、町外れの丘にある森まで足を伸ばすことになった。
森とひと口に言っても、結構な広さがある。
どこをどう探せばいいものやら……。
といったところで、中泉の旦那、水好さんが口を開く。
「疲れました……お皿の水が渇いてしまって、もうダメです……」
随分と暖かくなってきた気候のせいか、真っ先に音を上げてしまったようだ。
今にも倒れてしまいそうなほど、ふらふらとした足取りになっている。
「ああもう、水好ったら~。でも、そんな虚弱体質なところも、あっしは好きだけどね!」
中泉がいとおしそうに寄り添い、そっと肩を貸す。
仲むつまじい夫婦の微笑ましい光景だな。
「あっしがいないと生きていけないんじゃね~の? って優越感に浸れるのが最高!」
…………。
まぁ、中泉にはなにも言うまい。
ともかく、今は水好さんをどうにかしないと。
「確か丘のどこかに池があったよな? そこに行ってみるか」
ぽよ美のことが心配ではあるが、水好さんを放っておけるわけもない。
オレたちは全員揃って池まで向かった。
ぽよ美を探すという目的から考えれば、手分けをしたほうがいいのかもしれない。
ただ、ここは丘の周囲に形成された地図にも載っていないような森ではあるが、それなりに広大な面積を誇る。
暗くなったら遭難してしまう危険性だってゼロではないのだ。
何日も道に迷うことまではないにしても、念のため集団行動を心がけるべきだろう。
池に着くとすぐ、水好さんはバシャバシャと頭のお皿に水をかけ、
「ふ~、生き返りました。みなさん、ありがとうございます」
と言って満足そうな笑みを浮かべる。
なんというか、不便な生き物だな、カッパって。
と、ここで不意に、水好さんがこんなことをつぶやいた。
「池の淵が、随分とネバネバしているような……」
ネバネバ?
「藻とか、そんな感じ?」
「そういうのではなく、もっとねっとりとした感じの……」
ねっとり?
中泉夫婦の会話で、オレはピンと来た。
すかさず、確認してみる。
「やっぱり! これは、ぽよ美の粘液だ!」
「え? わかるの?」
「もちろんだ! この粘り気、このツヤ、それにこのニオイ……間違いない!」
中泉の質問に、オレはキッパリと答える。
若干、中泉が引いているような気がしなくもなかったが。
「この粘液、森のほうから続いてるよね? まっすぐ、池の淵にまで……」
中泉の指摘で、恐ろしい想像が浮かぶ。
「まさかぽよ美、池に落ちたのか!?」
肯定の声はない。
しかし誰も、否定できはしなかった。
「い……一応、確認してみます!」
水好さんが躊躇なく池に飛び込む。
止める間もなかった。
「池の中なんて、危険なんじゃ……」
「水好、カッパだから。大丈夫だよ」
なるほど、それもそうか。
数分後、水好さんは水中を漂っていたぽよ美を見つけ出し、池の中から引っ張り上げてくれた。
3
なお。
ぽよ美はスライムだから、溺れて死ぬなんてことはない。
普通に水の中でも呼吸できるのだという。
だとしても、だ。
「なにやってるんだ、ぽよ美! こんな場所まで来て!」
オレは頭ごなしに怒鳴りつけた。
ぽよ美はシュンとした表情で縮こまっている。
「まぁまぁ、無事に見つかったんだから……」
冷華さんが見るに見かねたのか、オレをなだめにかかる。
いや、どうやら、それだけではなかったようだ。
「そもそも今回の件は、私が提案したことだったし……」
どういうことなのか詳しく聞いてみると。
『心配させて愛情を確かめよう作戦』だったのだとか。
愛する妻が突然いなくなったら、その大切さに気づくはずだ、と。
「冷華さん、今日はぽよ美と会ってないって、言ってませんでしたっけ?」
「今日は会ってなかったわよ? その作戦を提案したのって、昨日だもの」
「……だから嘘はついていなかった、ってことですか……」
ともかく、その作戦でオレを心配させようと考えたぽよ美。
最初は冷華さんの家に隠れさせてもらうつもりだったらしい。
「でも私は、うちだとすぐに見つかっちゃうし、もっと見つかりにくい場所にするべきだ、って助言したの」
「まったく、冷華さんは余計なことを……」
冷華さんと話したあと、家に帰ったぽよ美は自分なりに考えてみた。
結局、なにも思いつかなかった。
そこで今日になってから、ぽよ太郎に電話した。
そして「木の葉を隠すなら森の中」という言葉を聞いて、この森の中に隠れることに決めた。
森に入ったぽよ美は、あっという間に迷子になった。
歩き回っているうちに、池にたどり着いた。
その際、足を滑らせて池に落ちてしまった。
呼吸はできるし、問題ないか。
それに、木の葉を隠すなら森の中、だったら、スライムを隠すなら水の中、ってのも有りじゃない?
我ながらナイスアイディア!
というわけで、そのまま池の中を漂いつつ、オレが探しに来るのを待っていたのだという。
「ぽよ美……。オレは池の中では呼吸できないんだぞ?」
「あははは、そうだよね~。すっかり忘れてたよ~!」
「ま、それでもオレは助けに行くと思うけどな。今回は水好さんがいたから任せたけど」
「ダーリン……」
ぽよ美は嬉しそうに微笑んでいる。
オレはそんなぽよ美に、ゲンコツを食らわせた。目に涙を浮かべながら。
「痛っ!」
「このバカが! 心配かけさせやがって!」
「ごめんなさ~い。でも、愛情は深まったよね~?」
この状況で臆面もなく言ってのけるとは。
もしこの場にいるのがオレだけだったら、素直に受け入れていただろう。
だが、ここは心を鬼にする。
「みんなにまで、こんなにも迷惑をかけて! 反省しろ!」
「うっ……はい……。みなさん、ごめんなさい……」
ぽよ美がぺこりと頭を下げる。
スライム形態だから、どろりと、という擬音をつけたい光景ではあったが。
捜索に加わってくれたメンバーは、誰も怒ってなどいないようだ。
微笑みを添えて、ぽよ美の謝罪に応じてくれていた。
最後は当然。
思いっきり強く、ぽよ美を抱きしめる。
発想や行動が突飛ではあっても、それはすべて、オレへの愛情があればこそなのだ。
その想いは、しっかりと受け止めてやらないと。
それに、ぽよ美がいなくなるなんて、今のオレには考えられない。
絶対にお前を離したりはしない。
改めてそんな意思を込め、ぎゅーっと腕の中に包み込む。
ぽよ美もオレを抱きしめ返してくれた。
池の水に濡れ、いつも以上にぬめぬめベチョベチョしたからだ全体で、精いっぱいの愛情を込めて。
それにしても。
すべてが終わった帰り道、
「それじゃあ、帰ったら宴会しよう~! 冷華さん、いいよね~?」
などと言えるぽよ美の神経は、やっぱりどこかズレていると言わざるを得ない。
「いいわね~! やりましょう~!」
「あっし、ビールとワインとウイスキー、用意していくね!」
そんなぽよ美と完全に同調しているアパートの住人たちもまた、どこかズレている人たちばかりだ。
……ま、べつにいいか。宴会なんて、いつものことだし。
「ふぉっふぉっふぉ、よきかなよきかな」
なぜか老人っぽい声が響く。
――これは……さっきの神様……?
周囲を見回してみても、いつもの面々以外には誰もいない。
「ダーリンも、たっぷり飲むのよ~?」
「え? でもオレは、明日仕事……」
「関係なっしん!」
「……ん、そうだな」
こんなオレもまた、やはりどこかズレているのだろう。
騒がしくも楽しいオレたちの様子を、雲の上にいる神様も微笑みながら見てくれているのかな。
オレは勝手にそう思うことにした。




