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第29話 初恋相手の旦那は水浸し

     1



 休日の昼間。オレは自宅でゆっくりと過ごしていた。

 と、隣の部屋から物音が響いてくる。


 低橋夫妻の部屋から物音が響いてきたのならば、なにも不思議はないのだが。

 さっきの音は、逆側の部屋――すなわち空き部屋となっている207号室のほうから聞こえてきたように思えた。


「空き部屋といっても、玄関のカギは閉められているはずだよな?」

「そうよね~。うん、確認してみよう!」


 オレとぽよ美が玄関から出てみると、すぐにその音の正体がわかった。

 青いつなぎのような服装の男性が数人。

 彼らは引っ越し業者だった。


「隣、誰か引っ越してくるんだね~!」

「みたいだな」


 すでにドアには表札も取りつけられている。

 中泉という人なのか。

 ……って、おや?


 中泉と聞いてすぐに思い浮かんだのは、先週偶然再会した中学校時代のクラスメイトだ。

 結婚すると言っていたし、まさか……。

 いや、だがあいつは女性だ。結婚するなら、別の名字になるはずだよな。


 結論として、別人だろう、と判断したのだが。


「あっ、佐々藤! やっほ~、一週間ぶり!」

「中泉!」


 唐突にオレの目の前に現れたのは、やっぱり中泉本人だった。


 オレが中泉の住むアパートに連れ込まれてから、まだ一週間しか経っていないが。

 中泉はすでに旦那との婚姻届を提出、今日、こうして引っ越してきたのだという。


 このアパートの部屋は、先週の再会の前から契約済みだったらしい。

 ただ、大家さんとは面識がなかった。

 先週オレと会ったのは完全な偶然というわけではなく、新居の下見に来た帰りだったのだとか。

 もっとも、そのときはまだカギも受け取っておらず、外観を眺めただけだったため、オレがこのアパートに住んでいることは知らなかったようだが。


「いやぁ~、隣の部屋に佐々藤が住んでるなんて、あっし、ほんとびっくりだよ!」


 中泉は心底嬉しそうに微笑む。

 そんなふうに言われれば、オレのほうとしても嬉しい。

 しかし――、


「これからも、仲よくしようね!」

「あ……ああ」


 こんな会話を、しかも腕を絡めながらしてこられると、さすがに困惑する。

 そもそも、今はすぐそばにぽよ美がいるわけだし……。


 ぽよ美はなんだか、複雑な表情をしている。

 というか、明らかに睨んでる?

 だが、それも一瞬だけだった。


「ぽよ美さん、またあっしと一緒に飲みましょうね! ビールでも日本酒でも、好きなのを用意するから!」


 中泉の言葉で、ぽよ美はとびきりの笑顔に早変わり。


「えっ、ほんと~~~!? わ~~い、やったぁ~~~! 中泉さん、大好き~~~♪」


 どうやらぽよ美は、あっさりと懐柔されてしまったようだ。

 うん、なんというか、実にぽよ美らしいな。



     2



 中泉との会話は続く。


「それにしても、どうしてこのアパートにしたんだ?」


 住人であるオレが言うのもなんだが、ここはおかしな住人ばかりが住んでいる、物の怪アパートと呼んでもいいような場所だ。

 大家さんからして閻魔様だし。兼業ではあるが……。

 指摘してみると、中泉は澄まし顔でこう答えた。


「うん、知ってるよ! スライムにレイスにウサギに織姫に彦星だっけ?」

「そのとおりだが……。織姫さんと彦星さんは本名だから、会ったときにはさんづけするんだぞ?」

「あ、そっか。わかったよ!」


 どうでもいいが、それを知った上でこのアパートにするとは。

 中泉は随分と変わったやつなんだな。人のことをとやかく言う資格など、オレにはまったくないと思うが。

 おっと、変わっているといえば、あの人も忘れちゃいけない。


「あと、うちの隣に住んでる低橋さんもちょっと変わってるんだ。レイスである冷華さんの旦那だがな」

「ほほう。どう変わってるっていうんだい? 佐々藤のアニキ!」

「どういうノリだよ……。低橋さんは自称ミュージシャンのフリーターで、アーティスト気取りのダメ人間だ」

「うわ~、ほんとに変人の巣窟って感じなんだね、ここ!」

「そのとおりだ!」


 だからオレは困ってるんだよ、といった意味合いを込めて肯定したのだが。


「で、佐々藤も変人仲間、ってことなのね」

「オレを一緒にするな! オレはまともだ!」


 即座に反論する。

 するとぽよ美が、その反論に反論を重ねてきた。


「え~? ダーリンも充分おかしいよ~」

「ぽよ美、お前にだけは言われたくない!」

「うう……ひどい! がるるるるっ!」


 と、危なく夫婦喧嘩に発展しそうになったところで、どうにか話の軌道を修正する。


「と……とにかく、このアパートにしたのは、どうしてなんだ? おかしな住人に会いたかったから、ってわけじゃないんだろ?」

「あ~、うん、そうね。ここを選んだのは、水浸しになっても大丈夫だって聞いたからだよ」


 水浸し?


「中泉の旦那って……やっぱりスライムなんじゃないのか?」

「違うよ! こないだも言ったでしょ?」

「じゃあ、泥田坊とか?」

「え? なにそれ?」

「妖怪なんだがな。知り合いの彼女が泥田坊ハーフで……」


 海端の彼女、羽似さんのことだ。


「佐々藤って、おかしな知り合い多すぎじゃない?」

「うっ……、うるさい!」

「類は友を呼ぶってやつ?」

「断じて違う! ……と思う。自信はなくなってきているが……」


 最近、おかしな知り合いばかり増えている気がする。

 ぽよ美たちは人間の世界にひっそりと紛れ込んでいる存在だと思うのだが、なぜこんなにも(ちまた)に溢れているんだか。


「ふふっ。佐々藤、結構苦労してるみたいだね」

「そうそう、そうなんだよ。いや~、この苦労をわかってくれる普通の人間が引っ越してきてくれて、オレとしては本当によかった」


 そこで新たな人物が会話に加わることになる。


「あっ、来た来た! こっちだよ~!」


 中泉が手招きしたあの人が、彼女の旦那なのだろう。

 初恋相手の旦那。

 微妙な気持ちを抱えながら、オレはその人に目を向けていた。



     3



「この人は、水好(みずき)って名前なの。言うまでもないと思うけど、あっしの旦那よ!」

「どうも」


 ぺこりと頭を下げる。

 水好さんは中泉とは違って、随分と落ち着いた雰囲気の男性だった。

 年齢はオレや中泉と変わらない程度だろうか、カジュアルなファッションに身を包み、帽子をかぶっている。


 ぱっと見では、これといった特徴はなさそうに思える。

 それでも、ひとつだけとても気になる部分があった。

 やけに大量の汗をかいている、ということだ。


 まるでぽよ美を見ているような、流れ落ちるほどの汗の滝。

 やっぱりこの人、スライムなんじゃないか?

 そうは思ったが、否定していたのにしつこく尋ねるのも悪いし、とりあえずはスルーしておくことにする。


「ところで、表札は中泉だけど、お前のほうの姓を名乗るのか? 水好さんが婿入りする感じで……」


 オレはもうひとつ気になっていたことを質問してみた。


「あ~、うん、そうなのよ。ちょっと問題があってね~」

「問題?」


 さらに深く訊いていくつもりでいたのだが、この会話は一旦ここで中断せざるを得なくなる。


「過去、随分と仲がよさそうだけど、その人は誰なんだ?」


 水好さんが会話に割り込んでくる。

 一応補足しておくと、過去というのは中泉の下の名前だ。

 未来さんという姉と、現在さんという兄がいるんだったか。

 と、それはいいとして……。


 そうか。

 水好さんとは完全に初対面だし、いきなり引っ越し先で親しげに話している状況が理解できていないんだな。


「えっと、佐々藤泉夢(いずむ)って人で、あっしの中学校時代の同級生なの」


 中泉の紹介に合わせて、オレも頭を下げる。


「隣の部屋に住んでるんだって! こんな偶然、あるものなのね~!」


 嬉々として旦那に伝える中泉。

 それを聞いて水好さんは見るからに不機嫌そうな表情をさらす。


「本当に元同級生ってだけなのか?」

「え? ほんとだよ?」

「浮気相手じゃないのか?」

「え~? そんなわけないって! 水好ってば、なに言ってるのよ、もう~!」


 中泉はケラケラと笑いながら答える。

 そこまでならよかったのだが。


「うんうん、そんなわけないよ~! ただちょっと、先日お泊りしちゃったってだけで!」


 ぽよ美が余計なことを言いやがった。

 しかも中泉まで、


「あちゃ~~~。ぽよ美さん、バラしちゃうし」


 などと口走ってしまう。

 確かにオレが中泉の部屋に泊まったのは事実だが、酔い潰れてやむを得ずという感じだった。

 全然記憶にも残っていないくらいだし。


 とはいえ、そんなことは関係ないだろう。

 自分の結婚相手が他の男と同じ部屋で一夜をともにしたなんて。

 それも、結婚間近の状態だった、つい先週の話だなんて。

 咎められる理由としては充分すぎる。


「なんだとぉ~~~~!?」


 水好さんは、ゴオオオオオオオオ、という効果音が聞こえるくらいに怒りを爆発させる。

 いや、それだけではなかった。


 水好さんが帽子を脱いだ。

 と思った瞬間、頭頂部に丸いなにかが見える。

 そしてそこから、大量の水が噴出してくる。


 ゴオオオオオオオ、という音の正体は、水の流れる音でもあったのか。

 などと考えている余裕なんてない。


 周囲は海のように水だらけ。

 アパート二階の外廊下部分だというのに、どんどんと水が溜まっていく。

 この場所で、よもや溺れかける事態に陥るとは。


 なんらかの特殊な力が働いているのか、水は外部へと流れ出ることなく、この廊下一帯にだけ溜まっている。

 いや、正しく言うなら、ターゲットとなっているオレを中心に、物理法則を完全に無視して渦巻いている状態のようだ。

 顔を出して呼吸をしようと必死にもがいてはみたものの、水好さんの頭から噴出してくる水の勢いは留まるところを知らず、まともに動くことさえかなわない。


 ヤバい! このままでは本当にどざえもんになってしまう!


 そのとき、愛する妻が行動を起こす。

 スライム形態なったぽよ美が飛び込んできてくれたのだ。

 オレの全身が、ぽよ美のぶにょぶにょの体によって包み込まれる。


 一瞬、水に溺れる状態から粘液に溺れる状態に変わっただけ、とも思ったのだが。

 ぽよ美は粘液の中に大量の空気を取り込んでいたらしい。

 オレはぽよ美の粘液の中で、なんの問題もなく呼吸することができた。


 ぽよ美にそんな機転が利くとは思ってもいなかったが。

 とにかく、助かった。


 もちろん、中泉も旦那を必死で止めていた。


「あっしが愛してるのは、水好だけだから! 神に誓って……大家さんに誓っても、嘘はないから! あっしを信じて!」


 耳までぽよ美に包まれているため若干くぐもってはいたが、微かにそんな言葉が聞こえてくる。

 大家さんを神より上に据えているあたり、よくわかってるじゃないか、中泉。


 それから数瞬ののち。

 水好さんがようやく落ち着いてくれたときには、アパートの廊下は水浸しな上、ぽよ美の粘液も混ざってべちょべちょな状態になっていた。



     4



「実はこの人、カッパなの」


 水浸し騒動のあと、中泉は水好さんの正体を明かした。


「すみません、取り乱してしまいました……」


 ぺこり。

 頭を下げる水好さんの頭には、丸い物体が乗っかっていた。

 あれが俗に言う、カッパのお皿というやつなのだろう。


 水が渇いたら死ぬとか、そういう話は聞いたことがあったが、まさか大量の水を噴出させる能力まであるとは。

 ……干ばつで苦しんでいる地域に派遣したら、とっても便利そうだ。


 それはともかく、さっきの一件で、オレもぽよ美も水好さんも中泉も、全身水浸しになってしまっていた。

 中泉の服が微妙に透けていて、思わず視線を向けていたら、ぽよ美にどつき倒された……なんて出来事もあったが、その程度はよくあることなので端折るとして。


 中泉はこのアパートに決めた理由について、改めて語り始めた。


「水好って、このとおりカッパだから、基本的に水に濡れていないとダメな人なのよね。ふとした拍子に水を噴出させたりもするし。このアパートなら大丈夫って聞いたから、ここにしたの」


 ここに決めた、というよりも、他に選択肢はなかった、と言えそうだ。

 こんな状態になっていても、中泉はあっけらかんとしている。

 ま、そういう性格の子だったな。中学生の当時から。


「でも、ほら見て! 水好のこの姿! まさに、水もしたたるいい男、って感じよね~!」


 そのセリフには、力強くツッコミを入れさせてもらった。


「したたりすぎだ!」


 オレの隣では、ぽよ美も「うんうん」と頷いていた。

 ぽよ美だって粘液がしたたりすぎなわけだが……。


 ちなみに。

 羽似さんや垢澤さん、みみみちゃんなんかのように、妖怪やら物の怪やらモンスターやらの類が人間の世界に紛れる際、しっかり名字と名前を名乗っている場合が多い。

 水好さんもそうだったらしいのだが、その名字が河童と書いて「かわらし」と読むものだった。


 いくらなんでも、この名字ではバレバレすぎる。

 そう考えた中泉は、自分の姓を名乗ることを提案。水好さんも了承してくれたのだという。


「というわけで、夫婦ともども、これからよろしくね!」


 にこっと笑顔を見せる中泉と並んで、水好さんも再び頭を下げる。

 お辞儀をした拍子に水がこぼれる、といったことはなさそうだ。


 ま、なんにしても、お隣さんになったんだ。

 いろいろと世話になることだってあるだろう。


「うん、よろしく~!」

「ああ、よろしくな」


 オレはぽよ美と声を合わせて、素直に返事をしておいた。


 初恋相手の旦那がカッパというのは、とても複雑な心境ではあったが。

 中泉のほうだって、元クラスメイトの奥さんがスライム、という微妙な状況を目の当たりにしているのだから、お相子と言うしかない。

 こうして、オレたちのアパートに新たな住人が増えたのだった。


 ……それにしても、このアパートの住人だけじゃなく、どうしてオレの周りには普通じゃない人ばかりが集まってくるのだろうか。

 いや、まぁ、そのほとんどが人ではないわけだが。


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