表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/49

第27話 スライムとバレンタイン

     1



 会社から帰ったオレがリビングに入ると、鼻歌まじりで上機嫌のぽよ美がキッチンでなにかしている姿が目に映った。

 う~む、珍しいこともあるものだ。


 いや、主婦がキッチンにいること自体は、ごくごく普通の光景だと思うのだが。

 ぽよ美はここ最近、オレが帰ってくる時間には大好きなビールで完全に出来上がっていて、ソファーにべちょっと寝っ転がっているのが常だった。


 リビングのテーブルの上には、すでにオレの夕食が準備してある。

 それなのに、ぽよ美はいったいなにをしているのか。

 今日がなんの日なのか考えれば、おのずと答えは決まってくる。


 バレンタインデー。

 言うまでもなく、オレに手作りチョコを用意しようとしてくれているのだ。


 去年はまだ結婚前だったが、バレンタインを知らなかったのか、ぽよ美からチョコを貰えずがっかりしたんだったな。

 もし貰えていたら、きっと驚いたはずだ。

 ぽよ美が手作りなんかしたら、チョコであっても粘液だらけ、緑色でゼリー状の物体まで混入するのが確実と言えるからだ。


 今作っているチョコだって、粘液がべちゃべちゃ付着した物体となるのは目に見えている。

 料理が全然ダメなのはぽよ美だって自覚しているのだから、既製品のチョコを買って渡せばいいんじゃないかとも思うのだが。

 愛情を込めて手作りしたい!

 そんなふうに考えてくれているんだろうな。


「ふんふんふ~ん♪」


 ぽよ美の鼻歌が聞こえてくる。

 本当に上機嫌だ。


 オレはキッチンに視線を向ける。

 可愛らしいエプロンをつけてキッチンに立つ妻の姿。とてもいい。

 ぽよ美の場合、スライム形態なのが少々難点ではあるが……。


 もっとも、手作りするとはいっても、買ってきたチョコを刻んで溶かして型に流し入れて冷やして固めるだけ、といった感じだろう。

 もしかしたら、いろいろとデコレーションしよう、などと考えてくれてはいるかもしれないが。

 しっかり温度を調節しないと、筋ができたり斑点ができたりするにしても、まぁ、食べられないものができるはずがない。


 ……普通であれば……。


 ここではっきり言っておこう。

 ぽよ美は普通ではない。

 ぽよ美は普通ではない。

 大事なことは2回言う、という基本法則に乗っ取ってみた。


 粘液やらゼリー状の塊やらが付着する程度ならまだしも、チョコとは呼べない謎の物体が出来上がったりする可能性だって充分にある。

 しかも、チョコのはずなのに、うねうね動いていたりして……?

 ぽよ美が作るなら、それくらいの覚悟が必要だ。


 そもそも、普通ならばオレが帰ってくる前に用意しておくべきなのに、なぜ今頃作っているのか。

 おそらく昼間は、冷華さんと一緒に飲みまくっていて時間がなかったに違いない。

 実に、ぽよ美らしい。


 はてさて、どんなものが出来上がるやら。

 ワクワク1割、ハラハラ9割で待つことにしよう。


「ふんふんふ~ん♪ ダーリンへのチョ~コ、愛情を込めたチョ~コ、怨念を込めたチョ~コ♪」


 楽しそうなぽよ美の声を聞きながら、やはり粘液がたっぷりと混ざった夕飯(買ってきた惣菜類がメイン)に箸を伸ばすオレだった。

 ……って、怨念は込めるなよ、ぽよ美……。



     2



「ダーリン、お待たせ~♪」


 笑顔のぽよ美が、リビングにいるオレのもとへ、出来上がったチョコを持ってやってくる。

 やけに早いな、とも思ったが、きっと仕上げのデコレーションをしていただけだったのだろう。

 というオレの考えは、完全に的外れだったと言える。


 ぽよ美が持ってきたのは、深緑色の物体だった。

 なんだこりゃ。

 いきなりそんなことを言うのは、いくらなんでも失礼なので控えておく。


 もとより、覚悟はしていた。

 これくらい、予想の範疇。

 うねうねと動いていないだけ、まだマシだ。


 とりあえず、チョコの色ではない、というのが正直な感想だった。

 普通は茶色のミルクチョコや黒に近いくらいのビターチョコ、あとは白というかクリーム色っぽいホワイトチョコくらいだろう。

 苺を混ぜ込んだ薄いピンク色のチョコなんかもあるか。


 深緑色……。

 うん、抹茶チョコという存在もあるわけだから、絶対に無しとまでは言えない。

 食欲減衰効果も、青系と比べたらずっと低いと思える。


 色については、まぁ、いいとしよう。

 だが……。


 ぐにょん。


 なぜにゼリー状なのか。

 生チョコのレベルは遥かに超えている。


 チョコ成分はどこへやら、ほとんどぽよ美の粘液でできている、という気がする。

 緑色のゼリー状物体が付着する、というよりも、全体が緑色のゼリー状物体と言っても過言ではない。


 よく見れば、ちぎれた指先っぽい部分なんかまで混入しているのがわかる。

 無論、スライムの指先だから、それだって緑色のゼリー状物体なのだが。


 チョコを刻む段階で入り込んだにしても、その後の工程で気づきそうなものだ。

 だが、気づかない。

 それがぽよ美なのだ。

 スライムであるぽよ美の場合、「私を食べて!」を文字どおりの意味で実践できる、とも表現できるか。


 愛する妻が一生懸命作ってくれたチョコ(とはお世辞にも呼べない謎の物体)。

 素直に受け取って食べるしかない。

 ただ、思わず口走っていた。


「しかし、なんというか……。これ……チョコの成分、少なすぎやしないか?」


 それに対し、ぽよ美はこんな答えを返してくる。


「えっと、実は0%だったりして~」

「お前の粘液オンリーかよ!」


 さすがにツッコミを入れる。


 話を聞いてみると、実は溶かしたチョコは、美味しそうだから自分で飲んでしまったのだとか。

 随分と早くできたとは思っていたが、そういうことだったとは。

 しかも、あとでおやつとして飲むために、液体となったチョコはまだ残してあるという。


「おいおい……。だったら、それをオレに飲ませてくれればいいんじゃないか?」


 そうすれば、一応バレンタインチョコを貰ったことにできる。

 妻からであっても、欲しいものは欲しい。

 ……という理由もあるが、それよりも別の理由のほうが強い。


 明日会社に行ったら、海端から「僕は羽似からチョコを貰ったぞ! お前はぽよ美さんから貰わなかったのか?」とか言われそうだからだ。

 あいつは性格的に随分と子供だからな。絶対にそういう話をしてくる。


 思えば去年も、そんな話をしていたっけ。

 その頃、海端には恋人がいなかったが、オレにはぽよ美という恋人がいた。しかもすでに、婚約までしていた。

 にもかかわらずチョコが貰えなかったせいで、散々言われまくったんだったな。

 お前たちの仲は冷め切ってる! これはもう、無理だな! 婚約解消だな! と。

 当時の海端の気持ちを察するに、同僚のオレが婚約し、ひがんでいたのだろう。


 それはともかく、オレからの提案に、ぽよ美は渋い顔をする。


「え~? でも、あたしのチョコなのに……」

「もともとオレのためのバレンタインチョコだろうが」

「ありゃ。そういえば、そうだったね~! てへっ♪」

「てへっ、じゃないっての」


 文句を言いながらも、オレは妻の笑顔に頬を緩ませる。

 と、そこで、ぽよ美がこんなことを言い出した。


「あっ! いいこと思いついちゃった♪」


 心底嬉しそうなぽよ美とは対照的に、オレの胸には不安が渦巻く。

 なんとなく、怖い。

 ぽよ美の「いいこと」が本当によかった試しがあっただろうか?

 いや、ない。


 そうは思っていても、上機嫌のぽよ美に否定の意を唱えることなど、できるはずがなかった。



     3



 ぽよ美が一旦キッチンに戻り、大きなボールに入ったチョコを持ってくる。

 正確に言えば、室温で放置していて固まりかけたチョコを再び温め直し、ドロドロの状態にしてから持ってきた。

 飲むつもりだから、それは正しい処置と言えるだろう。


 せっかくだから、適当に形を整えて冷蔵庫で冷やしてくれればいいのに、と思わなくもないが。

 ぽよ美は今、一度決めたことに向けて突っ走っている状態だ。方向転換などするわけがない。


 で、ぽよ美が思いついた「いいこと」がなんだったのかというと。


「このドロドロのチョコをね~、あたしが口移しで飲ませてあげる~♪」

「またかよ!」


 反射的にツッコミを入れる。

 節分のときもしていたし、ぽよ美は口移しが好きなのか?


 そりゃまぁ、相手は愛する妻だし、オレのほうとしてもべつに嫌ではない。

 とはいえ、ひとつだけ問題があった。節分のときとはまた違った問題が。

 それは、スライム形態のぽよ美が口いっぱいに流し込んだチョコを飲まされたら、オレは窒息しかねない、ということだ。


 ……恵方巻きのときと同じ問題だと思われそうだが、実際にはそうではない。

 なぜなら、スライム形態のぽよ美の口の容量は、ほぼ無限大となるからだ。

 大量の液体が際限なく流し込まれる場合の危険性は、固形物である恵方巻きの比ではない。

 ボールの中に入っているチョコの量から考えても、それは明白だった。


「ぽ……ぽよ美! せめて、人間の姿になってくれ!」


 そうすれば、口のサイズも小さくなる。

 オレのお願いに首をかしべながらも、


「ふにゅ? うん、いいけど」


 と、ぽよ美は素直に頷いてくれた。

 その場でくるりと一回転。ぽよ美が人間の姿に変身する。

 なお、べつに回転する必要なんてないのだが、なぜか最近いつもそうしている。

 なんだろうな、いったい。アニメとかの影響なのだろうか?


 まぁ、それはいいのだが……。

 オレはぽよ美の姿を見て焦りまくる。


「お……おい、ぽよ美! お前、なんて格好してんだよ!」

「ふえ?」


 きょとんと見つめ返してくる我が妻ぽよ美。

 身につけているのは、エプロン一枚だけだった。

 いわゆる裸エプロンというやつだ。


 また冷華さんの入れ知恵か? あのエロ幽霊め……。

 一瞬頭をよぎったのは、そんな考えだったのだが。

 オレはすぐにそれを振り払う。


 ぽよ美はスライムだ。

 スライム形態では、服なんて着ていない。

 いわば家の中では全裸状態だと言える。


 人間の姿に変身するときは服を着るようにしろ、と言ってはあるが。

 オレの頼みだからと聞き入れてくれたものの、本人はよくわからないといった様子だった。

 服を着る動物なんて、人間以外にはいない。

 ぽよ美はスライムだから、裸では恥ずかしい、といった思考回路すら持ち合わせていないのだろう。


「でもほら、ちゃんと言われたとおり、エプロンは着てるよ? これだって服だよね?」

「服とは言えない! それに、大事な部分まで見えそうだし、後ろを向いたらお尻だって……」

「後ろ~?」

「うわぁ~! わざわざ見せなくていいから!」


 もちろん、見えたら嫌なわけではない、というかむしろ嬉しいくらいだが、なんだかこっちのほうが恥ずかしい。


「いいから、まともな服に着替えろ!」

「ん~? よくわからないけど、わかった」


 渋々ながらも、ぽよ美は服を着た人間の姿に変身し直す。

 うんうん。やはりこうでなくては。

 露出部分が少なくても、ぽよ美は比類なく可愛らしい。


 年齢よりずっと若く見えるのは、目が大きいからだろうな。

 胸が大きいのも、べつにそこがいいと思っているわけではないにしても、男としては大歓迎だし。


 頭の後ろで大きな赤いリボンを使って留められた、長くてふわふわの髪の毛からは、ほのかに甘い香りも漂ってくる。

 言うまでもないが、チョコの匂いではない。

 それにしても、基本的に粘液だらけなのに、どうして髪の毛はサラサラなのか。

 謎ではあるが……ぽよ美の存在自体が謎だらけだから、今さら気にすることでもあるまい。


 そんなぽよ美が、そっと顔を近づけてくる。

 なんか、久しぶりにドキドキしてきた。


 人間の姿のぽよ美とキスするのって、どれくらいぶりだっただろうか。

 思えば新婚の頃は、毎朝のように玄関から一緒に出てきて、いってらっしゃいのチューもしてくれていたのに。

 今では寒いから外まで出てきてくれないどころか、オレが出勤する時間はまだ寝ていることだって多い。


 口移しでチョコを飲むのをキスとしてカウントしてもいいのか、少々疑問ではあるが……。

 ぽよ美は今でも、オレのことを愛してくれている。

 そう考えれば、とても嬉しく、とても幸せに感じられる。


 口の端っこからヨダレのようにチョコをしたたらせたぽよ美の顔は、もうすぐ目の前にまで迫っていた。


「んじゃあ、じゅる……、行くよ?」

「ああ、来い!」


 なんだかんだ言っても、オレたち夫婦は今日も今日とてラブラブなのだった。




 ……と、ほのぼのした状態で終わるわけがない。


 オレにチョコを飲ませている途中で、ぽよ美が突然、スライム形態に戻ったのだ。

 そして、あらかじめスライム側の口の奥(というのがどんな部分だかは、オレにもよくわからないが)に溜めてあったチョコを大量に流し込んできやがった。


 すべてのチョコを流し込み終えたあとには、


「えへへへ、サプライズ~♪」


 と言って楽しそうに笑うぽよ美の姿があったりしたのだが。

 窒息死寸前の状態にまで陥っていたオレには、そんな妻の笑顔を堪能できる余裕などあるはずもない。


 ぽよ美の悪質なサプライズの破壊力は、今日も抜群に凄まじかった。

 オレ……そのうち殺されるんじゃないだろうか……。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ