第23話 スライムと正月
1
大晦日の夜。
新年の訪れまで、あと一時間程度。
ぽよ美はこれ以上ないほど上機嫌だった。
頻繁に鼻歌が飛び出すくらい。
「もう~い~くつ寝ると~、クリスマス~♪」
「ほぼ1年後だ、バカ!」
そりゃあ、鋭いツッコミだって入れたくもなる。
こんなふうにバカ呼ばわりされたら、普段のぽよ美なら異常なくらい怒り出しそうなものだが。
「にゅふふふふ♪」
今はなにを言っても耳を素通り。
とろけきった笑顔が崩れることはなかった。
もっとも、体のほうは完全にとろけまくっていたりする。
スライム形態になっているのであれば、それも当たり前と言える。
だが今日のぽよ美は、人間の姿を保っていた。
まぁ、とろけまくっている現状を考慮すれば、かろうじて、という修飾詞をつけたほうがいいのかもしれないが。
ぽよ美がここまで上機嫌なのは、鼻歌にクリスマスのフレーズが出ていたことからもわかるとおり、プレゼントが心底嬉しかったからに他ならない。
オレとしても、プレゼントした甲斐があるというものだ。
とはいえ……。
「にゃふふふふ♪ ダーリン~♪ ほんとにありがとね~♪」
何度も何度も何度も何度も同じことを繰り返し、べっちょりべたべたと抱きついてこられると、さすがにウザい。
愛する妻に抱きつかれてウザいだなんて、ひどい感想だとは思うが。
クリスマスイブの夜から大晦日までずっとこうだと言えば、鬱陶しくなる気持ちもわかってもらえるだろう。
さて、そんなぽよ美だが。
なにやらいつもと違った雰囲気を漂わせている。
とろけまくっているから、というのは残念ながらハズレだ。
そんなのはいつものことだし、そもそもスライム形態であれば、今以上にべちょべちょドロドロぐちょぐちょしている。
普段と違っているのは、ぽよ美の衣装。
正月ということで、着物を身にまとっているのだ。
どうやら冷華さんに、「日本人なら正月は着物でしょ!」と言われたらしい。
スライムやらレイスやらでも、日本人のくくりに入れていいのかは、はなはだ疑問ではあるが。
ともかく、ぽよ美もその気になり、大晦日である現在、着物姿で過ごしている。
そもそも着物は高価なものが多いだろうし、若い女性がそうそう所持しているはずもない。
それに加えて、仮に持っていたとしても、着付けだって大変だと思う。
ただ、ぽよ美の場合はまったく問題とならない。
なぜならぽよ美は、人間の姿に変身する際、衣装も意のままに形成することが可能だからだ。
それなのにネックレスをあれほど大喜びしてくれたのは、少々不可解に思わなくもない。
おそらく、オレからのプレゼントだということで、あんなにも喜んでくれたのだと考えられる。
いや、衣類は好きなように形成できても、アクセサリー類は無理、といった可能性もあるのか。
ぽよ美はあまり飾り気がないため、普段アクセサリーなんて身につけていないから、真相はよくわからないのだが。
「新年になるんだから、しっかり楽しまないとね~♪ 年越しソバも用意してあるよ~♪」
ぽよ美がそう言いながら、オレの目の前にソバを置く。
ちなみに、カップ麺だからお湯を注いだだけだ。
それにしても、新年を楽しまないと、などと、よくも言えたものだな。
さっきまでクリスマスのことしか頭になかったくせに。
「それと~、お餅もあるよ~! 噛み切れなくて、うにょ~~~んってなるのは、絶対にやっておかないとダメだよね!」
絶対とまで言わなくてもいいとは思うが。
それは確かに、基本かもしれない。
「あとねあとね、おせちもあるのよ~♪」
ほう。
ぽよ美がおせち料理にまで頭が回るとは思っていなかった。
と感心していたのだが。
「冷華さんが用意してくれたの~♪」
納得。
しかし、ぽよ美がテーブルに並べたおせち料理を見て、オレの口から真っ先にこぼれ落ちた言葉は、これだった。
「なんだこりゃ!?」
「なにって、おせちだよ~! 冷やし中華巻きに、錦冷やし中華、冷やし中華きんとんに、黒豆風冷やし中華でしょ、あと冷やし中華の紅白かまぼこ、それから~……」
「いやいや、細かく説明しなくていいから!」
全部が全部、冷やし中華だった。
ツッコミどころ満載というより、ツッコミどころしかない。
なんだよ、黒豆風冷やし中華って。
ここまで冷やし中華にこだわれる冷華さんに脱帽だ。
「すごいでしょ~? 美味しそうだよね~♪」
美味しそうかどうかは、ノーコメントとしておこう。
「ま、年越しソバまで冷やし中華じゃなかっただけマシか」
「あっ、年越し冷やし中華ももらってあるよ~? 出そうか~?」
「いらない!」
やっぱりあったとは。
というか、それを今出さないというのは、ぽよ美はどういうつもりだ?
「明日の朝ごはんにでもしようかと思って~」
「伸びるだろ!?」
「ええ~? 伸びても美味しいよ~?」
ぽよ美の感覚では、むしろ伸びた麺のほうが美味しいのだという。
スライムの味覚は人間とはまるっきり違うようだ。
それはいいとして。
除夜の鐘が鳴り始める。
テレビを見ながらの、ゆったりとした時間。
やがて、0時となった。
その瞬間、
「あけましておめでとう! 今年もよろしくな、ぽよ美!」
「うん! あけましておめでとう~! こちらこそ、よろしく~♪」
オレたちは新年の挨拶を交わす。
「今年もクリスマスプレゼント、楽しみにしてるよ~♪」
……正月気分が台無しだった。
2
元日の昼間、オレとぽよ美は近所の神社へと初詣に出かけた。
なお、二年参りに行くだとか、初日の出を拝みに行くだとか、そういった展開はありえなかった。
「だってあたし、凍っちゃうし!」
「そんなわけない!」
「む~。でも、寒いし~」
いくら人間よりも水分が多い……というか、ほとんど水分みたいなスライムであっても、凍ったりまではしない。
それは以前、本人も冗談だと認めていた。
マイナス40度の世界とかだったりしたら、話は別なのだろうが。
ま、オレだって寒い中、わざわざ外出などしたくない。
日中であっても、こんな真冬では寒いことに変わりはないのだが、日差しがある分、まだマシというものだ。
神社に着くと、聞き慣れた声が響く。
「あっ、佐々藤じゃないか! それに、ぽよ美さんも! あけましておめでとう!」
明るく軽めの口調で話しかけてきたのは、同じ会社の社員でもある、海端だった。
その隣には、恋人の羽似さんも控えめに並び、オレたちに向かって会釈している。
「ああ、海端か。あけましておめでとう。そっちも初詣か?」
「そうだよ。こういうのは、しっかりやっておかないとね!」
海端とは仕事納めのつい二日前に会ったばかりではあるが、羽似さんと会うのは少々久しぶりな気がする。
このふたりの仲も、少しは進展したと見ていいのかな?
「というか、つき合ってるんだから、一緒に初詣に行くのが常識だ、行ってくれないと泣く、なんて駄々をこねられたんですけどね」
「うわっ、バラすなよ、羽似!」
「はぁ……。まったく、さとるんってば、子供なんだから。そんなだから、頼りがいがないって思っちゃうのよ?」
「うるさいな! 羽似だって、僕に会いたいって思ってただろ?」
「え? べつに」
「真顔で返された!」
「ふふっ、冗談よ」
うん。
どうやら相変わらずのようだ。
とはいえ、仲がいいのは間違いない。
どうでもいいが、いきなり知り合いに会うとは思っていなかった。
ここはそれなりの敷地面積はあるものの、普段は閑散とした寂しい神社ではある。
それでも正月ともなれば、かなりの人手になる。
もしはぐれたら探すのも大変なくらい、大勢の人で賑わっているというのに、よくオレたちを見つけられたものだ。
そう言ってみたところ、
「ま、ぽよ美さんは目立つからね!」
「それにこの辺りだと、神社はここくらいしかないですから。近場で済まそうと考えたら、選択肢はこの神社以外にないですよ」
との答えが返ってきた。
「なるほど、それもそうか」
人間の姿になったぽよ美は、夫であるオレのひいき目を抜きにしても、アイドルかと思えるくらい可愛いし。
もしかしたら来てるかも? と考えていれば、なにげなくすれ違っただけでも気づかれてしまうだろう。
「それにしても、ぽよ美さん、ほんとに綺麗だね~。着物姿、すごく似合ってるよ!」
「あら、海端さん、ありがとう~!」
「羽似さんは着物じゃないんだな」
「私は着物を持っていないので……。さとるんは、私の着物姿、見たかった?」
「当たり前じゃん!」
「だったら、来年は買ってね」
「うっ……! ま、まぁ、そうだね! 約束するよ!」
なんだかんだ言っても、このふたりは結婚に向けて着実に前進しているみたいだ。
と思った矢先、
「来年まで関係が続いていたら、だけど」
「ちょ、ちょっと、羽似!?」
「せいぜい私に愛想を尽かされないよう、頑張りなさいよ?」
「はいっ!」
なんというか、羽似さん、かなり性格が変わったような……。
一緒にボウリングをしたとき、腕力が凄まじく強いというのは見ていたが、性格的にも随分と強気になっているように思える。
海端が頼りないせいで、自然とそうなっていったのかもしれないな。
そうは言っても、海端は羽似さんにベタ惚れだし、羽似さんも随分と幸せそうだ。
これなら近いうちに……といった展開あるのではないだろうか。
「でも、ふたりで初詣に来るなんて、いい感じじゃないか。今年こそは、結婚するのか?」
後押しするつもりで、直球の言葉をぶつけてみた。
それに反応したのは、海端ではなく、羽似さんのほうだった。
「まだまだですよ~! なに言ってるんですか! さとるんじゃ、百万年早いって感じです!」
「羽似、百万年も生きるの!?」
「そっちに突っ込まないでよ! そういうところが、人間的にまだまだだっていうの!」
なんというか、前途多難なようだ。
ハーフとはいえ泥田坊である羽似さんから人間的にダメ出しされる海端のほうにも、問題がありそうな気はするが。
3
海端たちと別れたあと、神社の境内を歩いていると、
「あけましておめでとうございます、佐々藤さん」
またもや耳慣れた声が聞こえてきた。
それは、会社で同じプロジェクトに加わっている女子社員、垢澤さんだった。
「ああ、あけましておめでとう」
海端と同様、垢澤さんとも二日前に会社で会ったばかりではあるが、新年の挨拶は必須だろう。
垢澤さんに目を向けてみると、綺麗な着物姿だった。
彼女の真面目な性格が出ているのか、全体的にとてもきっちりした感じに見える。
着付けに関する知識なんてオレにはないが、比較してみると、ぽよ美のほうは着こなしがちょっとおかしいようにも思えてくる。
まぁ、そんなことはこの際、気にしていてもしかたがない。
ぽよ美はぽよ美だし、今のままでも充分可愛いし。
とにかく、今年初めての対面だ。礼を欠くのはよくない。
続いてオレは、隣にいるぽよ美にも挨拶するように促したのだが……。
「あけましておめでとう、ダーリンのほっぺたを舐めてた変態さん!」
毒気をたっぷり含んだ声が飛び出す。
そうか。垢澤さんに頼まれて、父親へのプレゼント選びにつき合ったときのことを、ぽよ美はデートだと勘違いして激しく怒っていたんだっけ。
……って、その誤解はしっかり解いたはずだろ!?
戸惑うオレ。
それ以上に戸惑う垢澤さん。
「あれは、その、単なる私の趣味だから、佐々藤さんは悪くありません!」
「いやいやいや、事実ではあっても、とりあえずそこは否定しておこうよ!」
「ちょっとダーリン! あたしに隠し事をするつもりなの!? やっぱり怪しい!」
「やっぱりってなんだよ!?」
大勢の人が行き交う中、壮絶な修羅場が形成される。
正月早々、こんな言い争いをする羽目になるなんて。
ぽよ美のかんしゃくにも困ったものだ……などと考えていたのだが。
「にゅふふっ!」
「ふふっ」
女性陣ふたりが、突然顔を見合わせて笑い始める。
「なんちゃって~! ダーリン、びっくりした~?」
「もう、ぽよ美さん、人が悪いんだから~」
一瞬でこの変わりよう。
いったい、なんなんだ!?
「それはもちろん、サプライズ~!」
「またかよ!」
詳しく聞いてみると、以前、垢澤さんから家に電話がかかってきたことがあり、ぽよ美が応対に出たらしい。
垢澤さんはオレのケータイ番号も知っているはずだが、電源を切っていたため家に電話をかけたのだとか。
その際、ぽよ美と垢澤さんは長話をし、お互いのケータイ番号も交換。以後、たまに連絡し合っていたのだという。
「ごめんなさい、佐々藤さん」
「いや、どうせ首謀者はぽよ美だろ?」
「どうせって、なによ~!? ま、そうだけど~!」
「ほらみろ!」
正月早々、騒がしくなってしまう。
ぽよ美がいる限り、それもある意味、当然の流れと言えるのかもしれない。
オレたちはさらに、別の知人とも顔を合わせた。
「泉夢さん! ぽよ美!」
笑顔で駆け寄ってきたのは、ぽよ美のいとこ、ぽよ太郎だった。
ぽよ太郎はひとりで初詣に来ていた。
恋人がいる身のはずだが、相手は現在帰省中でいないそうだ。
「故郷は雪国だとか言ってたな~!」
ぽよ太郎は、そのうち一緒に里帰りできるといいな、と前向きに話す。
こちらはどうやら、進展なしのようだな。
頑張れ、ぽよ太郎! スライムの未来のために!
……大げさすぎか。
しばらく会話したのち、ぽよ太郎とも別れ、お参りも済ませたオレたちは、アパートへと帰ることにした。
近場で済ませるなら、この神社くらいしかない。
だったら、同じアパートの面々にも会いそうなものだが。
一旦はそう考えたものの、それはありえないか、との結論に達する。
なにせあのアパートの住人たちは、なぜか引きこもりが多いからな……。
4
アパートに帰ると、とある行事が待っていた。
言うまでもないだろうが……とある行事とは、毎度恒例、宴会だった。
名目としては新年会となる。
会場となる低橋さんの部屋に、いつものメンバー――すなわち、オレとぽよ美、低橋夫妻、みみみちゃん、織姫さんと彦星さんが集まっていた。
アパートの2階に暮らす住人がフルメンバーで集合、といった様相だ。
それに加えて、今日は大家さんまでいる。
ここまで来たら、アパートの1階の住人も呼べばいいのでは、と思えてくる。
すでに若干アルコールが入っていて、気が大きくなっていたせいか、オレはその提案を素直に口にしていた。
しかし、大家さんから返ってきたのは否定的な言葉だった。
「いや、1階の住人たちはみんな、正月はとくに忙しいからね。全員留守だと思うよ?」
2階には2つほど空き部屋があるが、1階は確か、104号室以外の全部の部屋が埋まっていたはずだ。
104号室は大家さんの仕事部屋だと聞いたこともあるが……。
大家さんの本業が閻魔様だとすると、その仕事部屋ってことは……いや、考えるのはやめておこう。
その部屋を除いたとしても、1階には107号室まであるわけだから、他に6部屋ある計算となる。
それなのに、全員が全員いないのだろうか?
詳しく聞いてみようとしたところ、
「ま、細かいことはいいじゃないか! 新年一発目の宴会、思う存分楽しみな!」
大家さんからビールを大量に注がれ、凄まじい勢いで飲むことになったオレは、すぐになにも考えられない状態に陥ってしまった。
そんなわけで、あまりよく覚えていない、というのもあるのだが。
宴会の内容に関しては、わざわざ言及するまでもないだろう。
『いつもどおりだった』
このひと言で、おおよその状況は理解してもらえるに違いないのだから。
宴会後、ようやくまともな思考回路を取り戻したオレは、ひとつだけ確信した。
今年も昨年と変わらず、宴会だらけの一年になりそうだ、と。




