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第20話 スライムと浮気

     1



 会社から帰ると、いつものごとく、ぽよ美がソファーでぐっちゃりしていた。


「うにゃうにゃ……。ダーリン、お帰り~」

「ああ、ただいま」


 ソファーの周囲にはもちろん、ビールの缶がいくつも床に転がっている。

 こんな風景が日常のひとコマとなっているのは、正直どうかと思わなくもないが。

 今さら文句を言ったところで、ぽよ美が変わることはないだろう。


 オレはオレで、酔っ払ってソファーにべちょっと横たわっているぽよ美の姿を眺めながら、レンジで温めた夕飯を味わう。

 相変わらず惣菜などを盛りつけただけのおかずがメインで、自ら刻んでくれたと思しき生野菜類には、微妙に緑色がかったゼリー状の物体が混入していたりする。

 それもぽよ美らしい部分と言えるわけだし、微笑ましく思いながら次々と口に運ぶ。


 そんな行動も、いつもどおりではあるのだが。

 今日のオレはいつにも増して上機嫌だった。


「おい、ぽよ美。起きてるか~?」

「うにゅ~? 起きてるよぉ~? むにゃむにゃ」


 ほんとに起きてるのだろうか?

 まぁ、いい。


「今度の日曜、天気もよさそうだし、せっかくだからどこか出かけるか」


 こうやって提案すると、どんなに酔っ払っていようとも、これ以上ないほどの勢いで反応してくれる。

 そして、まぶしすぎて直視できないくらいに、瞳をキラキラと輝かせてくれる。

 だからこそ、オレは上機嫌だったのだ。

 ぽよ美の笑顔が見られるはずだから。


 しかし――。


「あ……えっと、ごめんね、ダーリン。今度の日曜はダメなの~。出かける予定があって~」


 まさか断られるとは思っていなかった。


「そ……そうか」


 一瞬にしてトーンダウン。気分は深遠の淵へとまっ逆さま。

 とはいえ、そういうこともあるか。


「冷華さんとでも約束してるのか?」

「え? ううん、そうじゃないけど……。」


 む?


「だったら、みみみちゃんと一緒とか?」

「そういうわけでもないけど~。え~っと……ちょっと、知り合いとね~」


 なんだろう。

 このとても歯切れの悪い感じは。


「オレの知らない相手なのか?」

「うん、まぁ……」


 頬(スライム形態だから、頬だと考えられる辺り)を赤らめているのは、まだ酔いが残っているからだと思うが。

 なぜ、はっきりと答えないんだ……?


「なるほど。気をつけて行ってくるんだぞ?」

「うん」


 本当は問い質したかった。

 だが、余裕のないところなんて、見せたくなかった。


 寝室で布団に入ってからも、オレは気になって眠れなかった。

 隣の布団では、ぽよ美が安らかな寝息を立てている。


 ぽよ美の受け答えは、明らかにおかしかった。


 まさか……ぽよ美が浮気とか?

 いやいや、そんなのありえるわけないじゃないか!

 なにせぽよ美は、オレにベタ惚れだからな!

 オレのほうだってそうだが!


 気にすることはない。

 寝よう寝よう。


 頭から布団をかぶる。

 それでも、一向に眠りに就ける気配はない。


 むぅ……やはり気になる。


 日曜は休みで暇だ。

 ぽよ美がいないなら、ゆっくりまったり過ごすしかないだろう。


 家でひとり寂しく、ぽよ美の帰りを待つ。

 そんな状況に、オレは耐えられるのか?

 否! 耐えられるわけがない!


 よし、ぽよ美を尾行しよう!


 オレはそう決断した。



     2



 日曜日。

 微妙にオシャレしているように見えるぽよ美を送り出したあと、オレも素早く着替えてアパートを出た。


 こうやって隠れて追いかけていると、以前ぽよ美がしていた尾行を思い出す。

 垢澤さんと会っていたオレを怪しんで、ずっと隠れて見ていたぽよ美だが、その行動は激しくバレバレだった。

 あのときの姿を思い浮かべると、自然と笑みがこぼれる。


 ま、オレはバレないけどな。

 しっかり隠れつつ、様子をうかがわせてもらおう。


 といっても、べつに心配なんてしていない。

 ぽよ美のことだから、昨日言っていたとおり、本当に知り合いと会うだけに決まっている。

 しどろもどろな口調だったような気もするが、あれはきっとアルコールのせいだ。

 やましい気持ちがあったわけじゃない。


 自分に言い聞かせながら、ぽよ美を視界の先に捉えて歩く。

 ぽよ美はなんとなく、ウキウキ気分で歩いているようにも見える。

 いや、不器用なスキップまで飛び出しているのだから、確実にそんな気分なのかもしれない。


 あっ、そうか。

 女友達と久しぶりに会うとか、そういうのならどうだろう?

 普通の友達でも充分にありえるが、親友だったりすれば、あんなに嬉しそうにしていることにも説明がつく!


 といったオレの考えは、残念ながらハズレだったとすぐに判明する。

 ぽよ美が駅前に到着し、とある人に声をかけたからだ。


 その相手はスーツに身を包んで、見るからに仕事ができそうな男性だった。

 背はオレより高く、顔もなかなかのイケメン。

 安易に比較などできないとは思うが、オレが勝てる要素はなにひとつとして見当たらない。


 道を聞いているだけとか、そんな感じではなかった。

 ここで待ち合わせをしていたのは間違いない。

 しかもぽよ美は、きらめく笑顔をその男性に向け、楽しそうに喋っている。


 な……っ!?

 ほんとに、浮気なのか!?


 待て待て。

 落ち着け。

 まだそうと決まったわけじゃない。


 深呼吸。

 すーすーはー。

 すーすーはー。


 ……いかん、これでは深呼吸じゃない。

 オレは思いのほか混乱しているようだ。


 とにかく、ここは尾行を続け、様子を見るしかない。

 網膜という記録媒体に一挙手一投足すべてを記憶するかのごとく、ひたすら鋭い視線をふたりに向け、オレはミッションコンプリートを目指す。

 この場合、コンプリートしたらどうなってしまうのか、不安で胸が張り裂けそうではあったが。


 ぽよ美たちはまず、喫茶店に入った。

 オレも入ってはみたが、近くに座ったらすぐにバレてしまう。

 会話が聞こえないのはもどかしいが、離れた位置に席を取り、密かに動向をうかがう。


 名前も知らない男性に、ぽよ美は何度も笑顔を見せていた。

 ぽよ美の笑顔はオレだけのものだ、とまで言うつもりはないが。

 それにしたって、他の男性に屈託のない笑顔を向けている場面を見てしまっては、平常心のままでいられるはずもない。

 コーヒーカップをつかむオレの指は完全に震えていた。


 喫茶店を出たあとは、商店街を歩いていった。

 腕を組んだりはしなかったが、ぽよ美の隣に並んでいるのが自分以外の男だというのは、堪えがたい現実だった。


 クレープ店の前を通りかかると、ぽよ美がおねだりでもしたのか、男性はひとつ購入、それを手渡した。

 ぽよ美は笑顔で受け取り、美味しそうにクレープを食べる。

 そんな仕草を見つめる男性のほうも、なんとも柔らかな温かい表情をしていた。


 ほんとに……浮気デート……なのかも……?

 い、いやいや、そんなはずは……!


 嫌な思考を振り払い、尾行を続ける。


 次にふたりが立ち寄ったのは、アクセサリーショップだった。

 今度はプレゼント作戦か。

 だとしても、アクセサリー類ではかなり高価になってしまう。

 この店はとくに高級だったはずだ。オレは入ったことすらないが……。


 これでなにか購入しているようなら、決定的か。

 決定的……とは、どういうことだ?

 認めたくないオレは、考えることを放棄する。


 ふたりは店から出てきた。

 男の手には、リボンがかけられた箱が握られていた。



     3



 ぽよ美と男性が、公園のベンチに腰を落ち着ける。

 そこから少し離れた木陰に、オレは身を潜めている。


 まだ三時くらいだろうか。

 夕焼け色に染まる公園、というシチュエーションではない。

 だから、ロマンチックな雰囲気に包まれるなんてことはないと思うが。


 たとえそうであっても、噴水の音が響く公園の片隅で、ふたり静かにベンチに座っている状況は、いい雰囲気としか言いようがなかった。

 ……って、そんなことはない! ないはずだ!


 そもそも、ぽよ美はスライムなんだ!

 普通の人間とつり合うわけがない!


 そこにアドバンテージを見い出そうとするオレ。

 自分が普通ではないと認めているようなものだが、この際仕方がない。


 ぽよ美はスライムで、粘液べちゃべちゃで、ついでに呑んべぇで。

 人間形態ならともかく、正体を明かせば普通の人なら絶対に引く。

 正体まで明かさなくとも、スライムっぽい片鱗さえ見せれば、相手は逃げ帰っていくに違いない。


 ふっふっふ。どこの誰だか知らないが、お前の爽やかな笑顔が崩れるのも時間の問題だな!


 悪役染みた思考でオレの脳内はどす黒い色に染まりきっていた。

 そして、時は来た。


 今朝方はかなり肌寒かったため、ぽよ美はかなりの厚着をしていた。

 ただ、日差しもあったおかげで、今の時間帯は結構暖かくなっている。

 そう。ぽよ美が大量の汗をかく、その瞬間が訪れたのだ!


 人間形態になっているぽよ美の粘液は、夏場は普通の汗にしか見えないが、冬だと緑色っぽいドロっとした液体となる。

 透明ではないのが明らかなのだ。

 そのため、服装を自由に形成できるぽよ美だが、冬場の外出の際は通常、吸水性の高い肌着を着てもらっている。

 しかし、今日は寒かったから汗はかかないと踏んだのか、そういった肌着を着用していない。それはすでに確認済みだ!


 ……もちろん、着替えをのぞいていたわけじゃない。

 着替え終わったあとに、肌着の枚数を確認しただけだ。

 いや、それだって充分、おかしな行為かもしれないが……。

 そんなこと、今は関係ない!


 さあ、ぽよ美をたぶらかしている悪い男、お前に天罰の下る瞬間はもう間近だ!


 オレが期待を込めた視線を向ける先で、ぽよ美がだらだらと汗をかき始める。

 男はそっとハンカチを取り出し、優しく汗を拭う。

 そこで異変に気づいたようだ。


 ぽよ美の汗を拭ったばかりのハンカチを、男はじっと見つめている。

 ほら、よく見てみろ! それは緑色がかった粘液だ!

 ぽよ美はスライムなんだ! 嫌がれ! 気味悪がれ!


 だが、男はぽよ美に、にこっと微笑むだけだった。

 対するぽよ美のほうも、ほのかに頬を染めている。


 な……なんだこれは!?

 ぽよ美がスライムだと、あいつは知っているのか!?

 知った上で、つき合っているとでも言うのか!?


 信じられなかった。

 信じられなかったが、ぽよ美がスライムだと知った上で結婚した前例が、まさにここに存在している。

 オレ以外にぽよ美を受け入れるような男がいても、不思議ではないのか……。


 一瞬、納得しかけてしまったが、そういう問題ではない!

 ぽよ美はオレの妻なんだ!

 相手の男が受け入れていようとも、ぽよ美はオレだけの伴侶なんだ!


 怒りが脳天から突き上げそうになるオレの視界に、それは無情にも映り込んできた。

 男の顔が、ぽよ美の顔に、近づいていく。

 ゆっくりと、静かに、スローモーション再生のように。


 次の瞬間、オレは木陰から飛び出していた。



     4



 結論から言えば。

 ふたりはキスしようとしていたわけではなかった。

 無論、浮気をしていた、ということもなく。


 突然飛び出してきたオレにキョトンとした目を向けていたぽよ美だったが、


「あれ? ダーリン、どうしてここに?」


 といった言葉をぶつけたあと、改めて相手の男性を紹介してくれた。


「この人は、ぽよ太郎。あたしのいとこだよ~」


 いとこ、だから絶対に安心、とまでは言えない気もするが。

 名前からも察することはできる。ぽよ太郎とやらが、スライムだということを。

 それで、ぽよ美の粘液にも、まったく動じなかったのか。


 話を聞いてみると、ぽよ太郎から相談を持ちかけられ、今日一日つき合っていたとのこと。

 ちなみに、ぽよ太郎はぽよ美より3つほど年下で、昔からよく相談に乗っていたのだとか。


 で、ぽよ太郎からの相談内容は、こうだった。


 つき合っている人がいるんだけど、正体がスライムだとは伝えていない。

 どうしたらいいだろうか?


 ぽよ美は喫茶店で話を聞き、プレゼント作戦を提唱、アクセサリーを購入するに至った。


 なお、お互いに顔を近づけ合ったのは、ぽよ美の汗の量を見て心配したからだった。

 スライムというのは、瞳の奥を見れば健康状態がはっきりとわかるらしい。

 結果は健康そのもの。異常なし、むしろ絶好調、といった状態だった。


 それだけじゃなく、粘液の色から精神状態までわかるようで、ハンカチで汗を拭ったときも、


「いい色だね。旦那さんをほんとに愛してるんだ」

「なに言ってるのよ、もう……」


 と言いながらも、ぽよ美は照れて真っ赤になっていた、というのが真相だったのだという。

 よもや、そんな恥ずかしい会話が展開されていようとは。


 さらには、木陰から飛び出してきた際のオレの発言もまた、恥ずかしいものだった。

 よくは覚えていないが、「オレのぽよ美になにしてる! 離れろ!」とか、そんなことを口走っていた気がする。

 つまり、ぽよ美と同じ勘違いをして、あまつさえ、ぽよ美ですらしなかった怒鳴り込みを敢行してしまったのだ。


 恥ずかしくて消えたい気分だった。

 顔が熱い。完全に真っ赤になっていることだろう。さっきのぽよ美以上に。


「ダーリン、可愛い♪ それに、心配してくれて嬉しい♪」


 ぽよ美は好意的に捉えてくれたが。


「ひゅーひゅー! 熱いね、おふたりさん!」


 ぽよ太郎からは冷やかしの言葉が飛んでくる結果となった。

 こいつは……。

 ぽよ美に相談に乗ってもらった立場だというのを、すっかり忘れてるだろ……。


 改めて、ぽよ太郎からも話を聞く。


 相手の女性は、物静かな感じの美人で、クールビューティーという表現がお似合いの女性らしい。

 ぽよ美と同い年とのことだから、ぽよ太郎にとっては年上の女性になる。


 ぽよ太郎は本気でその女性を愛しているようで、結婚を前提につき合っているつもりなのだが、ふたりの仲はなかなか進展しない。

 そこで、人間と結婚したスライムの先輩からアドバイスを受けたいと思い、ぽよ美のもとへ久しぶりに連絡を入れた。


 相談役がぽよ美というのは、オレとしては不安しか感じないところだが。

 ぽよ太郎は、相談してよかった。ありがとう。と、素直な言葉を送っていた。


「まぁ……頑張れよ」


 相手のこともよく知らないし、オレにはこれくらいしか言えない。

 ぽよ太郎がスライムだという現実は、大きな障害となりえてしまうだろう。


 だが、ぽよ美は随分と楽観的だった。


「きっと大丈夫だよ~♪」


 この笑顔を見ていると、本当に大丈夫だと思えてくるから不思議なものだ。


 うちとは立場が逆になるし、どうなるかは正直わからない。

 それでも、上手く行ってほしい。

 ダメだったなんて結末を聞かされたら、ぽよ美も悲しむだろうしな。




 ところで。


 帰宅後、オレはふと疑問に思ったことを、ぽよ美に尋ねてみた。


「いとこの恋愛相談なら、最初からちゃんと話してくれればよかったんじゃないか? そうすれば、余計な疑いも持たずに済んだと思うんだが」

「う……」


 オレからの質問に、ぽよ美は言葉を詰まらせる。

 やがて、


「……実はその……ぽよ太郎って、あたしが昔好きだった相手だから……」


 ぽっ。

 頬を染めながら、そんな答えを返してきた。


「なっ!? もしかして、今でも……とか?」

「…………うん」


 なななななな、なんだって!?

 相手がいとこってことで安心しきっていたが、まさか本当にライバルだったとは!

 考えてみたら、いとこなら結婚だってできてしまう。

 人間の法律がスライムにそのまま適用されるのかは謎だが。


 混乱するオレを見て、ぽよ美が最高の笑顔を咲かせる。


「なーんて、嘘♪ あたしはダーリンひと筋だもん♪」


 そして臆面もなくそう言ったかと思うと、べちょっと抱きついてきた。

 相変わらず、オレをからかって成功したときの笑顔は格別だ。

 微妙に複雑な気分ではあるが。ま、いいか。


「オレも、ぽよ美ひと筋だぞ!」


 ぎゅっと、愛する妻を抱きしめ返す。

 緑色がかった粘液まみれの、スライム形態のぽよ美を。


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