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第19話 スライムとプロポーズ

     1



 ぽよ美は、いつもどおりだった。

 たっぷり食べて飲んだあとらしく、ソファーにぐちょっと横になっている。

 オレが仕事から帰ってきたというのに、お帰りなさいの言葉も無しか。


 もちろん、オレの夕飯の準備はしてくれているわけだが。

 それにしたってこれは、かなりひどい気がする。

 ソファーの周囲にはビールの空き缶が転がっているし、テーブルの上には夕飯後に食べたであろうおつまみ類が散乱しているし。


「おい、ぽよ美~。寝るんなら寝室に行って寝ろよ~?」

「うにゅ~~~~……。あ~、ダーリン~、お帰りぃ~~。むにゃ……」


 空き缶を拾いながら声をかけてみると、意識のほとんどがまだ夢の世界に取り残されているような反応が返ってきた。

 それでも、どうにか身を起こすぽよ美。

 スライム形態だから、身を起こすという表現でいいのかは疑問だが。


 ぽよ美は、うにょっと伸ばされた手らしき部分で目をごしごしとこすり、かろうじて立ち上がってはいるものの、完全にふらふらしている状態だった。

 このまま寝室に向かわせたら、足をもつれさせて転ぶのが目に見えている。

 スライム形態だから、足をもつれさせるという表現でいいのかは疑問だが。


「まったく、こんなに食って飲んで……。お前は熊か」


 べつに怒っているわけではないが、オレは苦笑まじりに指摘する。

 と、ぽよ美はこんな切り返しを繰り出してきた。


「だって~、寒くなってきたから~! スライムって、冬眠するんだよ~?」

「な……なんだと!?」


 そうだったのか!

 結婚してから初めての冬。

 衝撃の事実が発覚した!

 ……と思ったら。


「にゅふふっ、冗談だってば~!」

「冗談かよ!」

「当たり前でしょ~? そんなわけないじゃない~!」


 ぽよ美は心底楽しそうに、けらけらけらと笑う。

 いやいや、ぽよ美の場合なにがあっても不思議ではないと、これまでの生活で骨身に染みている。

 どんな突拍子もないことでも、嘘や冗談とは言いきれない気がするのだが。


「でもさ~、寒くなると大変よね~」

「確かにそうだな。手がかじかんだりするし」


 オレは手袋が苦手なため、ポケットに手を突っ込む程度の対処しかできないが。

 ぽよ美は女性だから、極端な冷え性なのかもしれない。


 可愛らしい手袋をはめているぽよ美の姿をイメージしてみる。

 う~ん……。

 スライム形態では、手袋がびちゃびちゃになっている状態しか想像できないな……。


「スライムだと人間より大変なのよ~? 氷点下近くになると、全身が凍って動けなくなっちゃうんだから~!」

「な……なんだと!?」


 そうだったのか!

 結婚してから初めての冬。

 今度こそ衝撃の事実が発覚した!

 ……と思ったら。


「だから、冗談だってば~! ダーリン、素直すぎ~!」


 完全にからかわれていた。

 こいつ……酔っ払いのくせに。

 むしろ、酔っ払いだからこそ、なのか?


「こらこら、人を騙して遊ぶなよ!」

「なに言ってるの~? サプライズだよ~!」

「サプライズってのは、相手を驚かせて喜ばせるときに使うんだ!」


 なんというか、結婚して半年以上経っているが、ぽよ美には驚かされっぱなしだ。

 そもそも結婚する前から、ぽよ美はこんな感じだった。

 そういえば、意を決してプロポーズしたときも、大騒ぎしたんだっけな……。



     2



 オレたちがまだ恋人同士だった頃の話だ。


 ぽよ美を食事に誘ったオレは、とても緊張していた。

 食事に誘うこと自体は、週に何度かある日常的な行動になっていたのだが。

 この日はいつもと状況が違っていた。


 オレのポケットの中には、指輪の入ったケースが忍ばせてある。

 そう。

 一世一代のプロポーズ。

 オレは一大決心をして、その場に臨んでいた。


 給料もまだあまり高くないため、なかなか厳しいところではあったが、頑張ってダイヤの婚約指輪を購入した。

 それなりに貯蓄はしてあるし、会社での新たなプロジェクトも波に乗っている。

 ぽよ美とともに生活していけるだけの経済力は充分にあるはずだ。


 つき合い始めてから、もう2年くらいになる。

 お互いの気持ちだってつながっている……と思いたい。


 謎の多い女性なのは確かだが。

 この子とずっと一緒にいたい。

 オレはそう考え、プロポーズする決意を固めた。


 ぽよ美の心をぐっとつかむように、大きなサプライズでも用意すべき場面だったかもしれない。

 しかしこのときのオレには、そんな余裕があるはずもなかった。

 食事すらなかなか喉を通らず、ぽよ美に心配されてしまったくらいなのだから。


 店から出たあと、ぽよ美は普段どおりならそのまま帰ってしまう。

 身持ちの堅いぽよ美は、あまり遅い時間まで一緒にいることはなかった。

 今考えたら、ボロが出るのを防ぐ目的もあったのかもしれないが。


 それじゃあ、またね、といった挨拶の言葉が飛び出してくる前に、オレは声をかけた。


「ぽよ美さん、ちょっとだけ休んでいかない?」


 その提案に、ぽよ美も頷いてくれた。


 ちなみに、この当時はお互いのことを、ぽよ美さん、泉夢くん、と呼び合っていた。

 オレがぽよ美を呼び捨てにするようになったのは、結婚を決めたあとだった。

 一方ぽよ美は、婚約するなりオレのことを『ダーリン』と呼び始めて、恥ずかしくもむずがゆいような気持ちになったんだったな。


 それはともかく、オレたちは近くにある公園へと足を運んだ。

 公園の中は街灯が整備されていて、夜でも随分と明るい。

 ただ、帰宅する際などに通過する場所ではないため、人通りは自然と少なくなっていた。


 周囲に人がいないことを確かめ、そこで足を止める。

 突然止まったオレに気づき、振り向いたぽよ美と正面で向き合う。

 そして――。


「あの……これ!」


 もっと気の利いたことが言えればよかったのだが。

 たったそれだけ言うのがやっとだったオレは、震える手でポケットから四角いケースを取り出し、ぽよ美の目の前でそれをパカッと開けた。


 ケースの中にはダイヤの指輪。

 言葉にしなくても、意味は理解してもらえるだろう。

 ……相手が普通の女性であったのなら。


「わぁ~! あたし、これ大好き!」


 ん?


 なんか妙な反応だな、とは思った。

 眉間にシワを寄せながら見つめるオレの前で、ぽよ美は素早く指輪を手に取る。


 指輪を手に取ってくれたということは、OKってことだよな!?

 これは喜んでいい場面だ、と思ったオレは甘かった。


 ぺろぺろぺろ。


 指輪のリング部分をつかんでいたぽよ美が、ダイヤを自らの口に近づけ、舌を出して執拗に舐め始めたのだ。


「あれ~? 味がしないよ~?」

「って……いやいやいや! それは指輪型のキャンディーじゃないから!」

「ええ~~~?」


 唐突なプロポーズだったし、恥ずかしさを紛らわすために、とぼけているのか?

 と考えたりもしたが、ぽよ美は冗談まじりな表情も仕草もなく、ひたすらダイヤを舐め続けている。

 それどころか、舌を使って舐めるだけじゃなく、指輪全体を口に含んで味わおうとまでしている。


 う~む……。

 この子の頭、大丈夫なのか?

 ちょっと失礼な感想まで頭に浮かんできた。


「と……とにかく、指に……」


 手を伸ばし、指輪を取り上げようとしたところで、アクシデントは発生した。


「あっ……」


 ごっくん。


 ………………………………。


「うわぁ~! 飲み込んだ~~~~~っ!」


 オレが焦りまくったのも、当然の反応だったと言えるだろう。

 当のぽよ美自身は、なにが起こったのかよくわからず、目をパチクリさせていたが。



     3



「ほ……ほんとに飲み込んだのか!?」

「う、うん。そうみたい~」


 そうみたい、じゃないっての!


「吐けっ! 吐くんだぽよ美さん!」

「う~~~、無理~~~~!」


 聞いてみると、ぽよ美は吐き方がよくわからないらしい。

 とりあえず、舌の奥のほうに指を突っ込んだりすれば、吐けるものだと思うのだが。

 ぽよ美はどうにかして吐こうとしているものの、逆流してくる気配はない。


 さすがに、オレがぽよ美の口の中に指を突っ込んで……というわけにもいくまい。

 仕方がない。病院のお世話になるしかないか。

 そう考えて提言したのだが。


「病院はダメっ!」

「どうしてだよ!?」

「ダメったらダメなのっ!」


 ぽよ美は頑なに拒み続ける。

 なぜそこまで嫌がるのか、当時は知るよしもなかったが。

 ここまで拒絶している以上、無理矢理連れていくのは避けておくべきだと考え、別の解決法を模索する。


「飲み込んだものだし、そのうち自然と排出される……かな?」


 すなわち、大便として。


「はうぅ……。それはちょっと、嫌かもぉ~」


 オレだって嫌だよ。

 せっかくの婚約指輪だというのに。


「まぁ、本当に出てくるかもわからないしな」


 さてそうすると、やはり吐いてもらう以外に方法はなさそうだ。

 オレは自分の住んでいるアパートに、ぽよ美を連れていくことにした。


 当時のオレは、今よりももっと狭いアパートに住んでいた。

 ひとり暮らしだったのだから、当然ではあるのだが。

 そこに、ぽよ美を連れ込んだ。


 無論、やましい目的ではない。

 というか、そこまで考えている余裕もなかった。


 オレがアパートまで移動したのは、作戦を実行するためだった。

 大量にビールを飲ませて吐かせる作戦。

 ちょうどケースごと買ってあったのを思い出したのだ。


「あたし、お酒はあまり飲めないんだけど……」


 ぽよ美はそんなふうに言っていたが。

 思いっきり嘘をついていた?

 もしかしてこれが原因で、飲みまくるようになったとか?


 と、それはさておき。


 洗面台の穴をしっかりと塞ぎ、大量にビールを飲みまくったぽよ美に吐いてもらい、無事に指輪を取り戻すことができた。

 ……ぽよ美が吐いた液体の中には、緑色のゲル状の物質が大量にまざっていたのだが。


 そして、洗面所の掃除なんかも終わらせたあと。

 綺麗に水洗いした指輪を、オレは改めて手に取り、ぽよ美の白魚のような指に通していく。


「あれ? 合わない?」


 サイズを間違ったか?

 以前にさりげなくサイズを聞いたときから、もしかして少し太ったとか?

 オレの困惑に気づくと、


「あっ、ちょっと待ってね」


 ぽよ美はそう言って一旦後ろを向き、しばらくしてからまた前に向き直った。


「はい、どうぞ!」


 差し出された左手の薬指に、そっと指輪をはめる。

 今度はすんなりと通っていった。


 オレとぽよ美の未来をつなぐリングが。

 彼女の薬指で輝く。

 ついさっきまで、ゲロまみれだったシロモノではあるが……。


「ぽよ美さん、オレと結婚してください!」

「……はい、喜んで!」


 こうしてオレたちは、結婚の約束を交わした。

 現在も続く幸せな生活の第一歩を踏み出した瞬間だった。




 ところで、ひとつ気になることがあった。

 ぽよ美が後ろを向いたあのときのことだ。

 なにやらもごもごと音がしていたような気がする。


 よくよく考え直してみると……。

 ぽよ美のやつ、もしかして……自分の指の一部を食っていたのか……?

 人間の姿になる場合、顔や体型などは自由にできないらしいが、そういう反則的な方法は可能なのだろうか?


 まぁ、そんなの今さら関係ないな。

 いろいろと驚かされることの多い毎日ではあるが。

 オレは今、ぽよ美と一緒にいられて幸せなのだから。



     4



「ダーリン、どうしたの~?」


 過去の出来事に意識を飛ばしていたオレを、不思議そうに見つめるぽよ美。

 微かに首をかしげた仕草も実に可愛らしい。


「いや、結婚前のことを思い出してね。当時から、ぽよ美には驚かされっぱなしだったよな」


 オレは懐かしさに包まれ、ほのぼのとした気持ちになっていた。


「にゃふふっ! 今後もサプライズは続けるからね!」

「だから、サプライズってのは……」


 文句の言葉が飛び出しそうになるが。


 満面の笑み。

 ぽよ美も今、幸せを感じてくれているのだろう。


 ま、いいか。

 オレは口を閉じ、愛しい妻をぎゅっと抱きしめる。

 対するぽよ美も、控えめに抱きしめ返してくれた。


 ……と、そこで。

 足になにかがコツンと当たる感触。


 視線を向けてみれば、それはビールの空き缶で。

 さっき片付けたばかりだというのに、いくつもの缶が転がっていく。

 どうやら最初から転がっていた以外にも、大量の空き缶がソファーの陰に隠されていたらしい。


「おい、ぽよ美……。これは……」

「あははは……。さ……サプライズぅ~!」

「サプライズじゃない! いくらなんでも飲みすぎだ! あと、掃除くらいしろ!」


 オレの怒鳴り声が、アパートの部屋の中に響き渡るのだった。

 なお、そのあとぽよ美に掃除させたわけだが、オレも手伝ったのは言うまでもない。


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