第16話 スライムとウサギ
1
昨日は休日出勤だったが、今日こそは1日休みだ。
ということで、ぽよ美にせがまれてドライブに行ってきた。
ぽよ美は助手席から窓の外を眺めるのが好きらしい。
たまに「美味しそう~♪」という言葉が聞こえてきていたが、聞かなかったことにしておく。
きっと、レストランとか寿司屋とかの看板を見てそう言っていたんだ。
散歩中のペットやら野生と思われる動物やら飛んでいる鳥やらを見て言っていたわけではないはずだ。
と、まぁ、それはともかく。
高速道路にも乗り、パーキングエリアで適当に食事をし、オレたちは夕方近くに帰ってきた。
パーキングエリア以外、ずっと運転しっぱなしだったため、オレとしてはかなり疲れたのだが。
ぽよ美はとても上機嫌。極上の笑顔を振りまいている。
そんな様子を見ているだけで、疲れなんて完全に吹き飛んでしまう。
アパートの脇にある階段を上り、各部屋のドアが並ぶ廊下を歩いていく。
そしてオレたちの部屋の前まで差し掛かったとき、それは視界の隅に入り込んできた。
視界の隅、というか、視界の下側、と言ったほうがいいだろうか。
「あっ、可愛い~♪」
ぽよ美が真っ先に駆け寄る。
薄茶色でふさふさの毛が生えた、小型の動物。
それはウサギだった。
なぜこんなところにウサギが?
一瞬疑問に思ったが、ペットとしてウサギを飼う人もさほど少なくはないだろう。
普通はケージの中に入れて飼っていると思うが、おそらく、ふとした隙に逃げ出してしまったに違いない。
体のサイズからしても、アパート脇の階段を上ってくるとは考えにくいため、このアパートの住人、それも2階に住んでいる誰かのペットという可能性が高い。
そう考えて視線を向けてみると、203号室のドアが開け放たれているのが確認できた。
なるほど、あの部屋の住人のペットか。
「こら待て~、ウサちゃん~♪」
ぽよ美は一心不乱にウサギを追いかけている。
なんというか、微笑ましい光景だ。
随分と高い気温の中で走っているせいで、いつも以上に汗びっしょりになっているのを見ると、若干暑苦しくも思えてしまうのだが。
ほのぼのとした気持ちで追いかけっこを眺めていると、ぽよ美は楽しそうに本音をこぼす。
「あ~ん、もう! すっごく美味しそう~♪ じゅる♪」
「食う気かよ!」
思わずツッコミが飛び出したのも、当然の反応だったと言えるだろう。
というか、もしペットとして飼われているなら、食ってしまったら大変なことになる。
……ペットじゃなくても充分に問題ありだとは思うが。
ウサギは必死に逃げている。
それはそうだろう。ぽよ美をよくよく見てみれば、目が血走っていて、本気で食う気満々といった表情だったのだから。
ぽよ美のやつ、冗談ではなく、本当に本気なのか!?
命の危険をひしひしと感じたからだろうか。
ウサギはぴょんぴょんと飛び跳ね、ドアが開いたままの203号室へと飛び込んでいった。
それを躊躇なく追いかけていくぽよ美。
……って、それはマズいだろ!
「待て待て、ぽよ美!」
すかさずオレも、1人と1匹を追いかけて203号室の前まで急ぐ。
ウサギとぽよ美は、玄関から廊下を通り、その先のリビングのほうにまで入っていってしまった。
う~む、これは完全に不法侵入になりそうだが……。
だからといって、ぽよ美を放っておくわけにもいかない。
「お邪魔しま~す……」
一応そう言ってから、203号室の中へと足を踏み入れる。
同じアパートの住人だし、話せばわかってくれるだろう。きっと。
そういえば、もちろんオレは靴を脱いで入ったが、ぽよ美のやつは土足のまま上がっていったよな……。
と考えて、ぽよ美は人間の姿になる際、服装を自由に形成できるのと同様、靴もイメージどおりにできることを思い出す。
自分の家に入るときだって、脱いだ靴は無いのに、いつの間にか靴下だけの状態になっている。玄関を通過すると自動的に切り替わるのだろうか。
実際には、自分の家に帰ったらすぐ、スライム形態になることがほとんどなのだが。
どちらにしても、ぽよ美がウサギを捕獲して本当に食っていたら、弁解のしようもなくなってしまう。
天に祈る気持ちでリビングへまで進んでいく。
幸い、懸念していたような状況にはなっていなかった。
リビングに入った直後、ぽよ美の後ろ姿がオレの視界に映り込んできた。
そのすぐ前には、1匹の怯えたウサギ。
部屋の隅っこまで追いつめたところのようだ。
と、ここで驚きの光景が展開されることになる。
突然、ウサギの体が歪んだ……と思った次の瞬間、うにょ~んと伸び上がる、というか立ち上がると表現したほうがよさそうな感じで巨大化していった。
いや、それは巨大化ではなかった。
ふと気づけば、ぽよ美の目の前には小学校低学年くらいの女の子が立っていた。
「あほ~っ! なにする気じゃ、ボケ~!」
その女の子が怒鳴り声をぶつけてくる。
「うわわわっ、人間になった! ウサギが人間に変身するなんて!」
驚きの声を上げるぽよ美だったのだが、
「お前のほうこそ、スライムが人間に変身してるじゃんか!」
「あっ、それもそうね」
女の子の反論に、あっさりと納得していた。
2
「ウチは宇佐見みみみ。ここ、203号室に住んでるんだ! 佐々藤さん、ぽよ美さん、よろしくね!」
「ああ、こちらこそよろしく、みみみちゃん」
まだ幼いのに、意外としっかりとした子のようだ。
それに、オレとぽよ美のことを知っているんだな。オレはこの子のことを知らなかったというのに。
いや、うちの表札にはふたり分の名前を記載してあるのだから、同じ階の住人なら知っていても不思議ではないか。
……ぽよ美がスライムだということまで知っていたのは謎な気もするが。
「それで、みみみちゃん。ご両親は出かけてるのかな?」
とりあえずオレは、そう質問してみた。
ぽよ美がスライムだと知っているなら、親御さんにも話を聞いておきたいと思ったからだ。
だが……。
「え? いないよ?」
予想もしていなかった答えが返ってきた。
両親がいない。
今は出かけていて不在、といったニュアンスではなかった。
とすると、小学生がひとりでここに住んでいるのか?
……おっと、ウサギだったことをすっかり忘れていたが。それでも状況としてはほとんど変わらないだろう。
すなわち、幼い子供のウサギが、この部屋でたった1匹で生活している、ということだ。
「そう……か。大変なんだね……」
「ん~、大変ではあるけど、それほどでもないよ? 気ままに生活できるし!」
随分と前向きな子供なんだな。
オレはそう考えていたのだが。
「みみみちゃんって、何歳なの~? あっ、人間年齢に換算してね」
「んっと……これくらい!」
みみみちゃんは両手を前に出す。
右手の指を2本、左手の指は5本全部立てている。ということは……。
「7歳か」
「ううん、25歳だよ!」
『えっ!?』
この答えには、ぽよ美もオレと一緒に目を丸くする。
「だから、25歳だってば!」
「あたしと同い年だ!」
ぽよ美はすぐに喜びの表情に変わっていたが。
オレとしては納得がいかない。どう考えても、小学生くらいにしか見えなかったからだ。
とはいえ、変身している姿なのだから、ある程度は見た目も自由になるのかもしれない。
「ん~と、変身は精神を反映してるから、自由にはならないよ!」
「わっ! それもあたしと同じだ! 仲間!」
「うん、仲間!」
手を握り合い、きゃいきゃいとはしゃいだ声を響かせるぽよ美とみみみちゃん。
その様子を見る限り、どちらも子供みたいに思えるのだが。
ともあれ、25歳ならもう充分に大人だ。独り暮らししていても、なんらおかしくはない。
この際、年齢の話は置いておくとして。
さっきの会話について、ひとつ不審な点があった。
みみみちゃん、オレの思考を読んだかのように……いや、完全に思考を読んで答えたよな……。
「なんとなく、わかっちゃうんだな、これが!」
「きゃうん! それもあたしと一緒!」
再び頭の中で考えただけなのに、みみみちゃんから回答が示される。
どうやら、オレの思考は完全に筒抜けのようだ。
ぽよ美がスライムだと知っていたのも、オレの思考が読まれていたからなのか。
そういった能力はぽよ美にもある。みみみちゃんもまた、類似した能力を持っているということなのだろう。
しかし……ぽよ美はオレの妻だからまだいいが、同じアパートの住人というだけのみみみちゃんにも思考を読まれてしまうのは、少々問題ありな気がする。
よもや、冷華さんにまで筒抜けだったりしないだろうな……?
「それは大丈夫だと思うよ! ウチは性格的にちょっとした変化とかでも敏感に感じ取っちゃうだけだから!」
「あたしの場合は、ダーリンと強い絆で結ばれてるからだもんね~。そういう意味では、少し違う感じなんだね~」
理由は違えど、オレの頭の中が筒抜けなのは変わりない。
今後はある程度、思考を読まれないようにガードする必要がありそうだ。
……どうすればガードできるかなんて、オレにはまったくわからないが。
と、それはいいとして。(いや、あまりよくはないのだが)
そこから、ぽよ美は話題を切り替えていく。
「みみみちゃん、ここにひとりで住んでるんだよね~? 寂しくないの~?」
「え? べつに寂しくなんてないけど」
即答だった。
「でも、ウサギは寂しがり屋だって言うよな?」
「うんうん、寂しいと死んじゃうんでしょ~?」
「あははは! そんなの迷信だよ! 寂しいからって死んだりはしないって!」
「そうなのか」
「うん。それどころか、ウチはひとりの時間をこよなく愛してるくらいなの!」
ウサギからそんな言葉を聞くことになるとは、思ってもいなかった。
そもそもウサギが喋っていることからして、異常事態だと言えるわけだが。
人間の姿に変身しているせいか、ついつい違和感が薄れてしまう。
それだけオレは、人間以外の存在と話したりする生活に慣れてしまっているということか。
実際のところ、スライムやレイスや泥田坊や閻魔様や垢舐めなんかと関わっている日常に比べたら、ウサギが人間に変身して喋るくらいは大したことではないように思えるし。
……うむ、そうだな。これくらい、ごくごく普通の出来事だ。
「でもさ、ウチはひっそりと暮らしたいのに、ひっどい歌声と演奏が聞こえてくるんだよね!」
「あ~……」
低橋さんの歌か……。
そういえば昨日、大家さんが言っていたな。203号室の住人から苦情があったと。
203号室。まさに今いる、この部屋じゃないか。
「小さな音ですら耳に飛び込んできちゃうってのに、あんな大声で、しかも微妙な音程で歌ったりとか、かなり外れた音で演奏したりとか、騒音公害以外のなにものでもないってのよ!」
みみみちゃんは調子づいたのか、次から次へと文句の言葉を繰り出し始める。
低橋さんの歌は確かにひどいが、壁と隣の空き部屋を隔てているのだから、そこまで気になるレベルではないはずだ。
実際に隣の部屋に住んでいるオレが言うのだから間違いない。
……オレもぽよ美も、かなり鈍感な部類に入るのかもしれないが、そこは気にしないでいただけるとありがたい。
ここは大家さんが言っていたように、みみみちゃんはちょっと神経質すぎるのだと結論づけておこう。
「近所迷惑になるからって怒ってくれるのはいいんだけど、奥さんの声もまた大きくて! あのヒステリックな声は、歌声よりよっぽど響いてくるのよ!」
みみみちゃんの文句は続き、今度は冷華さんまでをも標的にする。
オレやぽよ美が口を挟む隙を与えないほどの凄まじい勢い。
なんというか、みみみちゃんは熱くなると喋りまくる傾向にあるみたいだな。
3
みみみちゃんが文句の言葉をひたすら吐き出しまくっている、まさにそのとき。
「この俺を呼んだかい!?」
いきなりひとりの男性が会話に割り込んできた。
それは話題となっていた当人――低橋さんだった。しかも、しっかりとギターを構えている。
「私もいるわよ!」
続いて、冷華さんも現れる。
人のことは言えないが、ここは他人の家、ということになるのだが……。
「なっ……!? なに勝手に上がってきてるんじゃ、ボケ~!」
新たな侵入者ふたりに向けて、みみみちゃんは威嚇のポーズを取る。
それも当然の反応というものだろう。同じように不法侵入してきたオレが言うのもなんだが。
「まぁまぁ、落ち着いて。同じアパートの住人なんだ、仲よくしようじゃないか!」
ジャラーン!
なぜかギターをかき鳴らしながら言う低橋さん。
「そ……それもうるさいんじゃ! ギターを鳴らすな、ボケ~!」
まったく怒りを静める気配のないみみみちゃんだったのだが。
「そっちの怒鳴り声だって、充分にうるさいわよ? あなたのほうこそ、静かになさいな。私のことをヒステリックとか言っていたことは、不問にしておいてあげるから」
ニコッ。
冷華さんの笑顔は絶対零度。これを向けられて平気な人など、低橋さん以外にいるはずもない。
みみみちゃんは人ではなくてウサギだが、それでも効果は絶大なようだ。
「ひうっ!? は……はい……」(がくがくぶるぶる)
こうして、みみみちゃんは一瞬にしておとなしくなった。
……で、その後どうなったかというと……。
「ささ、どうぞどうぞ。一気にぐいっと!」
「あっ、これはどうも。ごきゅごきゅごきゅ……ぷふぁ~っ!」
「わぁ~! みみみちゃん、いい呑みっぷり~!」
どういうわけか、宴会へとなだれ込んでいた。
いやまぁ、ぽよ美がいて冷華さんがいるのだから、当たり前の展開とも言えるのだが。
「おつまみの冷やし中華もたっぷりあるから、どんどん食べてね」
「はいっ! ずるずるずるずる。んま~~~~っ!」
「きゃははは! みみみちゃん、いい食べっぷり~!」
冷やし中華はビールのつまみとして普通なのだろうか。
ま、オレも一緒になってビールを飲み、冷やし中華を食べているわけだが。
「ららららぁ~~~♪ ウサギはどうして跳ねるのか~♪ 月までジャンプするために跳ねるのさ~♪」
低橋さんは低橋さんで、陶酔しきった表情でギターを演奏し、微妙な歌を歌いまくっている。
ただ、あれだけうるさいと文句を言っていたみみみちゃんは、まったく気にしていない様子。
すでに泥酔していて、それどころではないからだ。
部屋に入ってきた(というか侵入してきた)低橋さんと冷華さんは、ご近所同士、親睦を深めようという理由で宴会を開始したのだが。
みみみちゃんのためというよりも、自分たちが飲んで騒ぎたいからなのは明白だ。
それに、宴会と聞いてぽよ美が止めるはずもない。むしろ自分も協力するよ、とばかりに進んで話に加わっていく。
といったわけで、203号室は今、酔っ払いの巣窟と化していた。
とはいえ、みみみちゃんも楽しんでいるみたいだし、これはこれで悪くはないだろう。
そんなふうに考え、オレもちまちまとビールを飲んでいたのだが……。
「佐々藤さぁ~ん!」
目がとろぉ~んとなっているみみみちゃんが、オレの目の前に迫ってくる。
「な……なんだい?」
あまりに近すぎて戸惑い気味ではあったが、どうにか笑顔で答えた……その途端。
なんの前触れもなく、みみみちゃんとの距離がゼロになった。
……と書くと、キスでもされたように思われてしまうかもしれないが、そうではなく。
「がじがじがじがじがじがじがじがじ!」
「痛たたたたたたたたっ!?」
みみみちゃんが突然、オレの鼻に噛みつき始めたのだ。
小学校低学年くらいの女の子っぽい容姿をしてはいるが、その正体はウサギだ。牙だって生えている。
鋭く尖った歯で噛まれ、オレの酔いは一瞬にして醒めてしまった。
「あぁ~~~~~っ! みみみちゃん、ずる~~~い! あたしもぉ~~~~!」
さらには対抗心を燃やしたのか、ぽよ美までもがオレに噛みついてくる。
さすがにひとつしかない鼻に噛みつくのは無理だったが、代わりにほっぺたが標的となった。
スライムであるぽよ美には牙なんて生えていないが、安心はできない。なにせ、大きな口に頬張った物体を溶かしてしまう強力な酸があるのだから。
スライム形態ではなく人間の姿になっているし、今までに溶かされた経験なんてないから、大丈夫だと思いたいところだが……。
完璧に酔っ払っている現状では、極めて危険だと言わざるを得ない。
「うああああああああっ!? ぽよ美、やめろおおおおおおっ! 死ぬ~~~~~~~!」
というオレの拒絶を、
「ダーリン、あたしの口が汚くて死ぬほど嫌だって思ってるんだ~~~! ひっどぉ~~~い!」
と、ぽよ美は思いっきり勘違いし、余計に暴れ始める始末。
「お~っほっほっほっほ! なんとも楽しい余興だわ!」
「ららららぁ~~~♪ スライムはどうして溶かすのか~♪ お前を愛しているから溶かすのさ~♪」
当然ながら、同様に酔っ払っている冷華さんや自分の歌に酔っている低橋さんが、オレに襲いかかる惨状を止めてくれるはずもなく。
親睦会とは名ばかりのぐだぐだ宴会は、そのまま深夜遅くまで続くことになるのだった。
……みみみちゃん、ひっそり暮らしたいというキミの願いは、この環境では絶対に叶わないと断言しておくよ。
もっとも、一緒になって泥酔して騒ぎまくっている姿を見るに、同じ穴のムジナという気はするが。