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第14話 スライムと尾行

     1



「ただいま~」

「お帰り、ダーリン~♪」


 帰宅したオレを、愛するぽよ美が出迎えてくれた。

 珍しく玄関まで出てきてくれたぽよ美だが、いつもどおりその手にはビールの缶が握られている。

 スライム形態で器用に缶を持ち、頬の辺りと思われる部分を赤く染めている、ほろ酔い状態。


「ご飯はできてるから~、ひっく、温めて食べてね~ん、ひっく」


 いや、目も虚ろで、ふらふらぐねぐね。完全に酩酊状態のようだ。

 ま、機嫌もよさそうだし、これはこれでいいだろう。……そう思っておくことにする。


「ダーリン~、週末はゆっくり~?」

「ん? ああ、そうだな」


 今日は金曜日。仕事も落ち着いていて休日出勤の必要もないため、心置きなく休めそうだ。

 しかし、ぽよ美のほうからこんな話題を振ってきたとなると、どこかへ連れていってほしいという意思表示なのかもしれないな。

 ……と考えていたのだが。


「じゃあ、思う存分ビールを飲んで、一緒にゆったりぐったりべっちょりしよぉ~♪」


 ぽよ美はそんなことを言いながら、べちょんと抱きついてきた。

 もうこの時点でべっちょりしているわけだが、まぁ、それはいいとして。


「二日間も飲んだくれて、ぐうたら生活をするつもりか?」


 オレのいない平日の昼間だって、毎日のように飲んだくれているはずなのに。

 といった、ちょっとした非難も込めた皮肉をぶつけてみると、


「にゃふふっ♪ だって~、ダーリンと一緒に飲みたいんだもぉ~ん♪」


 と、上機嫌でべっちょりと絡みついてくる。

 愛する妻からそんなふうに言われれば、嫌なはずもない。


「わかったわかった。とにかく、夕飯にするから、離れてくれ」

「はぁ~い♪」


 酔っ払っているのに、今日は意外と素直だな。

 もっともオレから離れた途端、リビングのソファーにべちょ~んと寝っ転がり、本格的にビールタイムを再開し始めたのは、いつもどおりといった感じだったが。


 ともかくオレはキッチンへと向かい、準備されてある夕飯を確認する。

 米は炊いてあるし、一部の料理をレンジで温めればそのまま食べられる状態だ。

 手早く食べてしまうか。


 温めた料理とご飯を盛った茶碗を持ってテーブルに着いた、そのとき。

 ケータイにメールの着信があった。


「おや? 垢澤さん……?」


 差出人は、会社の女子社員、垢澤さんだった。

 同じプロジェクトに関わっている人は、お互いのケータイ番号とメールアドレスを知っている。


 帰宅後や休日だったとしても、緊急の要件があった場合には担当者と連絡がつかないと問題になる可能性がある。

 そのため、どうしても教えたくない人を除いて、プロジェクトメンバーのリストにはケータイ番号やメールアドレスを記載することになっているのだ。


 会社側の都合なのだから、仕事用のケータイを用意してくれてもいいような気はするのだが。

 なるべく経費は削減したいところなのだろう。


 そんなわけで、垢澤さんのケータイ番号やメールアドレスは登録済みだったが、こうやってメールが送られてきたのは初めてのことだった。

 いったい、どうしたのだろう?

 とりあえず、メールの中身を確認してみる。


『佐々藤さん、すみません。明日、もしお暇でしたら、ちょっとつき合ってもらえませんか?』


 ん? どういうことだ?

 詳しいことはなにも書かれていないが……。


 同じ会社で同じプロジェクトに関わる者同士、ムゲにするわけにもいかない。

 それに、とくに断る理由もないしな。


『わかった』


 とだけ、簡潔に返信をしておく。

 するとすぐに、


『ありがとうございます!』


 という感謝の言葉とともに、待ち合わせの時間と場所が書かれたメールが返ってきた。



     2



 翌日、寝室を出ると、リビングのソファーでぽよ美がとろけていた。


「こいつは……朝っぱらから……」


 テーブルの上にはビールの缶もある。朝から飲んでゴロゴロしているとは。


「つんつん」


 思わずスライム形態のぽよ美の頬をつつく。

 まだ午前中の早い時間なのに、とても暑い気温の中、ぽよ美の頬は実にひんやりとしていて気持ちいい。


「いやん♪ ダーリン、いきなりつつかないでよ~」

「あっ、起きてたか。悪い悪い」


 完全に眠りこけていると思っていたが、意識はあったようだ。


「って、あれ? ダーリン、なんで着替えてるの~?」


 オレの姿に気づいて、ぽよ美が問いかけてくる。

 休みの日だと、パジャマから着替えなかったり、着替えたとしてもラフな部屋着姿だったりするのが常なのだが、今のオレはしっかりと外行きの服装に着替えていた。

 といっても、べつに気合の入った感じではないのだが。


「ん、ちょっとな。買い物にでも行ってこようかと思って」

「だったら、あたしも行く~♪」


 オレが答えた途端、ぽよ美は元気いっぱいの声で、勢いよく飛びついてきた。

 ああ、もう。出かける前だというのに、粘液でべちゃべちゃになってしまったじゃないか。

 しかも、スライム形態のぽよ美の場合、緑色がかった粘液だし……。


 頬はひんやりしていたのに、全身は基本的に人間とさほど変わらない体温があるぽよ美。

 室内でも汗ばむほどの陽気の中では、思いっきり抱きつかれるとかなり暑苦しい。


「いや、今日はひとりで行ってくるよ」


 ぽよ美を引き剥がしながら、そう伝える。なるべく、平静を装いながら。

 しかし、なにか隠しているというのは、どうしても顔や態度に表れてしまうのだろう。


「どうして~?」


 ぽよ美はしつこく追求してくる。

 そんなぽよ美の表情を見る限り、疑いを持っているのは明らかだった。


「なんか、そういう気分なんだよ」

「……怪しいなぁ~」

「いやいや、べつになにも怪しいことなんてないから!」


 やましいことなどなにもない。ただ会社の後輩に呼び出されて、会いに行くだけだ。


 ともあれ、海端の言葉が思い出される。

 垢澤さんがオレに好意を持っているだの、不倫騒動に発展するだの……。

 くそっ。あいつがバカなことを言ったせいで、無駄に気になってしまうじゃないか。


 ここは、ぽよ美にはなにも言わないでおいたほうがいいな。

 余計な心配をかけさせる必要もあるまい。


「行ってきます!」


 オレはむくれた顔のぽよ美を玄関に残し、逃げるように家を飛び出した。



     3



 待ち合わせ場所の駅前に着くと、垢澤さんが待っていた。


「ごめん、遅くなったな」

「いえ、私もついさっき来たところですから」


 さて、まずは確かめておかないと。


「それで、今日はいったいなにを……?」

「あっ、言ってませんでしたね、すみません。えっと、買い物につき合ってほしいと思いまして……」


 詳しく聞いてみると、垢澤さんの父親が誕生日なので、なにか服でもプレゼントしようかと思ったらしい。

 ただ困ったことに、垢澤さんには男性の知り合いなんて全然いないのだという。

 母親に相談してみても、あなたが選んだなら、なんでも嬉しいはずよ、と言われるばかり。

 そこで、オレにお願いしてみた、ということだったらしい。


「男物の服って、私にはよくわからなくて……。年齢的には部長さんとかのほうがいいんでしょうけど、さすがに頼みづらいので、佐々藤さんにお願いしたんです」

「なるほど」


 願い事を頼める男性として、他に選択肢がないとは……と思わなくもなかったが、潔癖症の垢澤さんらしいとも言える。

 ショートカットでメガネをかけているせいで、ぱっと見にも地味な雰囲気だしな。

 といっても、決してブサイクなわけではない。それどころか、よく見ればなかなか可愛らしい顔立ちをしているとは思うのだが。


「ごめんなさい、迷惑ですよね、こんなの」

「いや、いいって。それより……」


 少々疑問があったため、垢澤さんの耳に顔を近づけ、小声で訊いてみることにした。


「お父さんも……垢舐めなのでは……?」


 耳打ちする形にしたのは、垢舐めだなんてことを、あまり周りに聞かれたくはないだろうと思ったからだ。

 実際のところ、ここは駅前で人や車の往来も多い場所だから、騒音にかき消されることを考えれば、普通に話しても問題はなかったのかもしれないが。


「あっ、はい。そうなんですけど、でも感覚的には、普通の人と全然変わらないんですよ」


 笑顔で答えてくれる垢澤さん。

 どうやら垢舐めには、ぽよ美みたいに服まで自由に形成できるような能力はないらしい。


 垢澤さんの父親ということは、年齢は随分と上になるはずだから、普段オレが足を運んでいる店で買って大丈夫なのか、不安は残るところだが。


「少しくらい若い感じのデザインのほうが、いつまでも元気でいてね、っていうメッセージにもなって、いいかもしれません」


 と言っているのだから、まぁ、構わないだろう。


「それじゃあ、行こうか」

「はい!」


 と、歩き出そうとしたところで、オレは気づいた。

 少し離れた物陰に隠れ、こちらにじっとりとした視線を向けている人物の存在に。


 それはもちろん、ぽよ美だった。

 オレが怪しい様子だったことを心配して……というか疑って、こそこそ隠れながらついてきていたようだ。


 人間の姿に変身してはいるが、麦わら帽子を深々とかぶり、サングラスをかけている様子は、あからさまに怪しい。

 それに加えて、今日は暑いからなのだとは思うが、ぽよ美はとても露出の激しい服装だった。

 真っ白なタンクトップの服は、胸もとも大きく開いて、豊満な胸の谷間がはっきりと見て取れる。

 夏らしい爽やかな服装とは言えるが、首から上の怪しさとのギャップがなんとも凄まじい。


 また、物陰に隠れているぽよ美は、かなり短いスカートをはいているというのに、少しでも小さくなろうという意図なのか、屈み込んでいる状態だった。

 あんな格好をしていたら、ちょっと視線を向けられたら見えてしまうのではなかろうか。


 本人はしっかり隠れているつもりなのだろうが、どう考えても逆に目立っている。

 ああっ、こら、そこの通行人! ぽよ美をじろじろ見るんじゃない!

 思わず怒鳴りつけたい衝動に駆られてしまう。


「あの、どうしました?」

「い……いや、なんでもない!」


 垢澤さんから声をかけられ、オレはどうにか我に返った。


 父親のための買い物とのことだし、ぽよ美を合流させてもよかったのだが。

 妻が心配して尾行していたなんてことを知られるのは、いくらなんでも恥ずかしい。

 ここは垢澤さんに気づかれないようにしつつ、この場を乗り切るしかないか。

 ぽよ美にはあとでじっくり事情を話せばいいだろう。


 オレはそう決意し、垢澤さんを伴って歩き出した。

 ぽよ美が勘違いして、怒りを煮えたぎらせていそうではあったが……。



     4



 ぽよ美はそのあとも、ずっとオレたちを尾行し続けた。

 オレとしては、もし文句を言いながら飛び込んできたら、その場で事情を説明するつもりだったのだが。

 そこまでするつもりはないのか、それとも単純にまだ判断しかねているだけなのか。

 ともかく、ぽよ美は見失わない程度の距離を保ち、物陰に隠れてこちらに視線を向けている。


 そんな様子をよくよく見てみれば、怒っているのは明らかだった。

 普段から人間の姿になっても粘液まみれで、大量の汗をかく傾向にはあるのだが。

 今日のぽよ美は、滝のような汗を流し続け、顔面も真っ赤になっている。

 暑さでそうなっているのではない。怒りのせいだというのは疑う余地もないだろう。


 地団駄を踏んだり、わけのわからない仕草で飛び跳ねたり、麦藁帽子のツバの部分をかじったり……。

 あまりにもわかりやすすぎる怒り方を見ると、なんだかちょっと微笑ましくも思えてしまうのだが。


 ぽよ美は今、本気で怒っているはずだから、罪悪感はある。

 それでも、そもそも垢澤さんと買い物していることに関しては、なんらやましいことはない。

 あとでちゃんと話せば、いくらぽよ美だってわかってくれるだろう。


 それにしても、ぽよ美の行動は、はたから見ていて面白いものがあるな……。

 あまり流行っていない店で客の数が少ないからよかったものの、そうでなかったら、確実に変人扱いされて騒ぎになっていそうだ。


「ふふっ」

「え? どうかしました?」


 無意識に笑みがこぼれてしまったらしい。

 垢澤さんが不思議そうに首をかしげていた。


「い……いや、なんでもない」


 必死に笑いを噛み殺しながら答える。

 どうでもいいが、ぽよ美の尾行はバレバレで、不審な行動までしている状態だというのに、垢澤さんは全然気づいていないようだ。

 かなりの鈍感。

 潔癖症だったら周囲の細かいことにも神経を研ぎ澄ましていそうなものだが、気にしていない部分には意識が向かない性格なのかもしれない。


 やがて買い物も終え、オレと垢澤さんは駅前まで戻ってきた。

 言うまでもなく、少し離れた場所には、ぽよ美も隠れている。


「今日はありがとうございました」


 垢澤さんがぺこりと頭を下げた。


「いやいや。お父さん、喜んでくれるといいな」

「はい! 暑い中、つき合ってもらっちゃって、すみませんでした」


 そこで、垢澤さんの視線に気づく。

 じっとオレを見つめる視線に。


「ん?」

「汗……」


 いや、オレを見つめていたわけじゃない。オレの頬の辺りを見つめていたのだ。

 正確には、オレの頬を流れる、ひと筋の汗を……。


 ぺろっ。

 不意に、垢澤さんがその汗を舐めた。


 先日と同じ。

 つまり、垢舐めとしての習性がついつい出てしまっただけのこと。

 ただそれだけなのだが。


「あっ、すすすすすみません! 私ったら、つい……! ごめんなさいごめんなさい!」


 垢澤さんは思いっきり焦った様子で、謝罪の言葉を繰り返す。

 どうやら、不測の事態にはめっぽう弱い、といった部分もあるようだな。


「ははっ、またかよ。ま、もう慣れたから、気にするな」

「は……はい、すみません……」


 そう答えながらも、垢澤さんはシュンと沈んだ表情を崩さなかった。

 微妙な沈黙が流れる。


「そ……それじゃあ、私はこれで!」

「……ああ、またな」


 こうして、垢澤さんはそそくさと駆け出し、駅のほうへと去っていった。



     5



「ダーリン~~~~~~!!!」


 すぐさま、ぽよ美が登場。当然ながら、怒り心頭の様子。


「あの子、誰!? 隠れてデート!? 浮気っ!?」

「いやいや、彼女は会社の後輩で、父親へのプレゼントを選んであげてただけだって」


 オレは素直に話したのだが。


「でも最後、キスしてたよね!? あたし、見てたんだから!」


 …………。

 そうか、ぽよ美が隠れていたのは、垢澤さんの背後にあたる方向だった。

 汗を舐められたあのとき、ぽよ美からは、垢澤さんがオレにキスしたように見えた、ということか。

 って、それはマズいだろ!


「あれは違う! 頬を舐められただけで……」

「なにそれ!? どんなプレイ!?」

「プ……プレイって……」

「なによ、言い訳なんて男らしくない!」


 ぽよ美は次から次へとまくし立ててくる。

 とはいえ、こんな公共の往来で、垢澤さんが垢舐めという妖怪だなどと話してしまうわけにもいかない。

 家に帰ってから詳しく話すと言ったのだが、怒りを爆発させているぽよ美は聞く耳を持たず。

 その後、オレは誤解を解くために、とんでもなく長い時間をかけることになるのだった。



 教訓。

 やましいことがないのなら、最初からすべて正直に話しておくべきだ。

 そうでないと、溶かされる恐れがある。……というのは、世界中でオレだけだろうが。


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