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第12話 スライムとラブソング

     1



「いらっしゃいませ~♪」

「ふふっ、お邪魔するわね」


 ぽよ美が部屋に迎え入れたのは、隣人である冷華さんだった。

 人間ではなく、レイスが訪問してくるというのも、妙な気分ではあるが。


 ちなみに、ぽよ美は珍しく人間の姿になっている。

 隣人でお互いに正体を知っている同士でも、ある程度の礼儀は必要と考えているのだろう。

 ……ビールを飲みまくってべろんべろんになるくせに礼儀なんて……といったツッコミは控えておくとして。


 冷華さんの背後から、もうひとりの人が続いてくる。

 旦那である低橋さんだ。

 ……夫婦なのだから、冷華さんだって低橋さんではあるのだが。

 普段からこう呼んでいるため、今さら呼び方を変えるというのもなんだか気恥ずかしいので、ご了承願いたい。


 今日は休日。低橋さんのバイトも休みのようで、オレの家に集まろうという話になった。

 正確には、ビールでも飲んで楽しく騒ごう、ということなのだが。


 玄関から遠慮なく入ってきた低橋さんだが、今日はなにやら大きめの荷物を抱えていた。

 お土産を持参、というわけではない。

 低橋さんが抱えているのは、愛用のギターだった。


 やけに年季の入ったアコースティックギター。

 木目が美しく、抱えているだけでもなんだかカッコよく見える。たとえ低橋さんでも。

 オレは楽器の演奏なんてやったことがないから、細かいことはよくわからないが、きっとこだわりを持って使っているのだろう。


 ともかく、隣人ふたりを我が家のリビングへと迎え入れる。

 すぐにぽよ美がキッチンへと下がり、ビールやつまみの準備を始める。

 オレも手伝うべきだが、ぽよ美のやつはオレがキッチンへと入るのを嫌がる傾向にあるからな……。

 ここは低橋さん夫妻と他愛ない会話でもしておくか。


「それにしても、随分と暑いですよね」

「そうねぇ~。こういう日は、やっぱりコレに限るわよね!」


 冷華さんがおもむろに取り出し、テーブルの上に並べ始めたのは、想定内ではあるが、冷やし中華だった。

 365日ずっと冷やし中華だと語っていたのだから、食材などを持ち寄る、という状況で出てくるのは、ある意味当然と言える。

 むしろ、こうやって持参してくれただけでも、驚くべきことなのかもしれない。

 低橋さんのバイト代が出る前で金銭的に厳しいからこそ、こんな集まりをしようなんて提案してきたに違いないのだから。


「ははは、冷華さんは相変わらずですね」

「ふっ、冷華が変わるわけないだろ。なにせ、レイスなんだから」

「……低橋さんのほうは、少し変わったほうがいいと思いますが」

「はっはっは、俺は俺の道を往く!」

「はいはい、そうですね……」


 豪快な笑い声を上げる低橋さんに、オレと冷華さんは揃って呆れた視線を向ける。

 と、そこへ、ぽよ美がビールを乗せたトレイを持ってやってきた。


「ささ、よく冷えてるよ~。美味しくいただきましょ~! すぐにおつまみも用意するから~! 買い置きのお菓子類とかだけどね!」

「おお、ありがとう、ぽよ美さん!」


 お礼の言葉とともに、ギターをかき鳴らす低橋さん。

 こんな至近距離でギターを弾かれると、さすがに耳が痛い。

 そもそも、隣の部屋でギターを弾いて歌っている音がうるさいくらいなのだから、いくら昼間とはいえ、ギターは少々問題があるように思う。


「いきなり鳴らさないでくださいよ! それに、どうしてギターなんて持ってきたんですか?」

「そんなの、決まってるじゃないか! 今日の集まりを祝して、俺の歌をプレゼントするためだ!」

「いりませんから! おとなしく食べたり飲んだりしていてください!」


 アルコールが入るのにおとなしく食べたり飲んだり、なんて状況で済むはずがないのはわかりきっているが……。

 それでも、大声で騒いだり、歌い出したりするくらいならともかく、ギターの音は近所迷惑になるだろう。


 ただ、そこは身勝手な低橋さんのこと。

 オレの不安なんてまったくお構いなしで、気持ちよくギターを演奏し始めてしまった。


「おお~、愛しのぽよ美~♪」


 いや、演奏だけでなく、歌まで歌い始めた。

 自称ミュージシャンなだけあって、声量もかなりのものだ。

 もっとも、耳に心地いい歌声かといえば、それはまた別問題なのだが。


 騒音公害レベルの大音響、というのは迷惑以外のなにものでもない。

 ともあれ、そんなことよりも、歌詞の内容のほうについて言及すべきだろうか。


「ラブリー、ぽよ美~♪」


 低橋さんは、つまみをトレイに乗せて持ってきたぽよ美に熱い視線を向けながら、なにやら甘い感じの声で歌い続けている。

 対するぽよ美のほうも、驚いてはいるようだったが、次第に頬を赤く染め、ぽーっとした表情になっていく。


 な……なんなんだ、この状況は!?

 というか、どうして低橋さんが、ぽよ美のことを呼び捨てにして、熱い想いを込めたようなラブソングを歌ってるんだ!?


 だいたい、ぽよ美もぽよ美だ! なぜそんなにも、うっとりしながら聴いてるんだ!

 そりゃあ、オレにはギターを弾いてラブソングを歌うなんて芸当ができるはずもないが……!


 困惑と怒りと嫉妬と、いろいろな感情が入りまじった複雑な気持ちで胸がいっぱいになる。

 そしてそんなオレと同じ……否、それ以上に胸の奥を煮えたぎらせている人がもうひとりいて……。


 言うまでもなく、それは冷華さんだ。

 普段はどちらかといえば少々クールで落ち着いたイメージのある人が、顔を真っ赤にして怒りの念を沸騰させている。

 ……この人の場合、低橋さん関連で怒っているのはごく日常的な光景とも言えるのだが。


「ちょっと、ハク! どうして私の前で、ぽよ美さんへのラブソングなんて歌ってるの!? 妻を目の前にして、堂々と不倫宣言!?」

「ふ……不倫って……!」


 いくらなんでも、歌だけでそこまで……と思わなくもないが。

 低橋さんの歌っている歌詞は、紛れもなくぽよ美への想いを綴ったものだ。

 確かにこれは、不倫と言ってもいい状況か……!

 オレのほうも珍しく、はらわたが煮えくり返る思いを感じていた。


「痛たたたた、少し待て! そういうのじゃないから! 最後まで聴けばわかるから!」


 すでに手を出して殴りかかっていた冷華さんに、低橋さんは情けない姿勢で言い訳を返す。


「そう……なの……?」


 しぶしぶと低橋さんから離れる冷華さん。

 殴り足りない、といった気持ちがありありと顔に表れていたが、それは置いておくとして。


 低橋さんは改めてギターを構え直し、続きを歌い始めた。


「おお~、ぽよ美~♪ キミの瞳は輝くサファイア~、このオレだけの宝物~♪」


 やはり、どこをどう聴いても、ぽよ美への愛を語る歌にしか思えないのだが。

 最後まで聴けばわかるというのだから、ここは黙って従うことにしよう。

 冷華さんのほうも、怒りでぷるぷる震えながらも、どうやらオレと同様、歌い終わるまで我慢するつもりでいるようだ。


 やがて――。


「おお~、ぽよ美~、ぽよ美~♪ マイラブリーエンジェル、ぽよ美~♪ 愛してる~♪」


 低橋さんの歌は終わった。


「ご清聴、ありがとう!」


 満面の笑みで言ってのける低橋さんには、当然ながら冷華さんのパンチが襲いかかった。



     2



「ちょちょちょちょ、ちょっと、冷華!」

「ハク! なにが、最後まで聴けばわかる、よ!? まごうことなく、完全無欠にぽよ美さんへの愛の歌じゃないの!」


 うん。冷華さんが怒るのももっともだ。


「はふぅ……。低橋さん、お気持ちは嬉しいですけど、あたしはダーリンひと筋だから、あなたの想いを受け取るわけには……」


 ぽよ美はぽよ美で、両手を真っ赤な頬に当てながら、恥ずかしそうにそんな答えを返してるし。

 拒否してはいるものの、なんだかまんざらでもなさそうで、妙に腹が立つ。

 この怒りは、低橋さんにぶつけるしかあるまい。


 オレが冷華さんに加勢しようと一歩足を踏み出すのを見て、低橋さんはさらに弁解の言葉を並べ立て始めた。


「バカ! なにを勘違いしてるんだよ!? 俺が歌ったのは、ぽよ美さんへの気持ちを綴った歌だって!」

「そのまんまじゃないですか!」


 グーパンチを振り上げて構える。


「うわわわわ、言葉が足りなかった! 泉夢の(丶丶丶)ぽよ美さんへの気持ちを綴った歌なんだよ、さっきのは!」

「オレの、ぽよ美への気持ち……?」


 殴りかかろうとしていたオレを筆頭に、とっくに殴りかかっていた冷華さんや、ぽーっと頬を染めていたぽよ美も、きょとんとした表情に変わる。


「そうだよ!」

「あら、そうだったのね」


 ニコニコニコ。

 低橋さんから手を離し、冷華さんは納得顔。

 まぁ、この時点で低橋さんの顔は、ボコボコになっていたのだが……。


 ところで、一方のぽよ美はというと。


「なによ、ダーリン!」


 どういうわけだが、怒り心頭。


「低橋さんを頼って気持ちを代弁してもらうだなんて、ダーリンってやっぱり、全然ダメね!」

「お……おい、ぽよ美! なに言ってるんだよ!? だいたいこれは、低橋さんが勝手に……!」

「言い訳しないの! まったく、男らしくない! そんなんだから、ダーリンは出世できないのよ!」

「あのなぁ! 勝手に解釈しないで、オレの話も聞けよ!」

「あっ、なによ、命令口調!? ひどいよっ! 男のほうが立場が上だとでも言いたいのね!?」

「いやいや、そういうことじゃなくて!」


 図らずも、夫婦喧嘩へとなだれ込む。

 冷静になって止めるべきところだが、勢いがついてしまっている現状では、オレのほうも折れるわけにはいかない。

 と、そこでぽよ美が牽制球を投げかける。


「ちゃんとダーリンの口から言って!」

「えっ……?」

「あたしへの素直な想いを、低橋さんなんかに代弁させたりしないで、自分の口から!」


 オレの両肩をがっしりとつかみ、真面目な瞳で……大きくてこぼれ落ちそうなほど綺麗な、なんとなくうるうると水分をたたえたような瞳で、ぽよ美が見つめてくる。


「俺なんかにって……ぽよ美さん、ひどくないかい……?」


 低橋さんが文句をこぼしているようだったが、ここは放置しておこう。


 ぽよ美は真剣だ。

 愛してるだの可愛いだの、普段から腐るほど言っているはずなのだが。

 それでも……いくら言われても足りないのだろう。

 自分は人間ではなく、スライムだから……といった思いも、もしかしたら持っているのかもしれない。


「愛してるよ、ぽよ美」

「ダーリン! 嬉しい♪」


 こちらも至って真面目な顔で気持ちを伝えると、ぽよ美は何百カラットもの輝きを放つ笑顔で飛びついてきた。

 人間の姿に変身しているとはいえ、べちょっとしているのだが。

 そのままとろけて、スライム形態になってしまうのではないかと思うくらいだった。


「お~お~、お熱いねぇ!」

「ふふっ」


 低橋さんと冷華さんもニヤニヤ顔を見せている。

 ふたりきりじゃないときに、こんな素直な想いを口にしたのなんて初めてではないだろうか。

 こうやって見られているのを意識してしまうと、一気に恥ずかしくなってくる。

 そこへ、追い討ちをかけてくる低橋さん。


「それじゃあ、あとは俺の作ったラブソングを泉夢が覚えて、ぽよ美さんに歌ってあげれば終了だな!」

「そんなことはしない!」

「えええ~~~~~っ!? ダーリン、歌ってよ~! あたしのために~!」


 すかさず拒絶するオレだったのだが、ぽよ美は完全に乗り気になってしまったようだ。


「歌って歌って歌って~! 歌ってくれなきゃ、溶かしちゃう~!」

「溶かすな!」


 べつに心底嫌だとまで思っているわけではないし、ぽよ美に対する想いは本物なのだから、歌ってやってもいいのかもしれないが。

 低橋さんの歌っていた歌詞は、あまりにもストレート……というよりも、ストレートすぎる。

 ついさっき、ストレートに愛していると言ったオレではあっても、いくらなんでもあれは恥ずかしい。

 しかも、低橋さんのギターに合わせて歌うとなれば、近隣住民にまで聴かれてしまう可能性が高いわけだし……。


 ぽよ美には悪いが、ここは断固拒否させてもらう。

 そう決意していたオレの前に、新たな人物が立ち塞がった。


「なんだい、騒々しいね!」


 玄関のドアを問答無用で開け放ち、家の中にずかずかと侵入してきたのは、このアパートの大家さんだった。


「大家さん! どうしてここへ!?」

「他の住人から苦情の電話があったんだよ! 昼真っからギターをかき鳴らして騒いでいるやからがいるってね!」

「それはこの人です」


 オレは躊躇なく低橋さんを指差す。


「ちょ……っ!? 泉夢、お前、裏切る気か!?」

「裏切るもなにも、完全なる事実じゃないですか!」


 ともかく、大家さんが乱入してきたことで、オレが歌うという話はうやむやになる……と期待していたのだが。

 結論から言えば、それは甘い考えだった。


「なるほど、そういうことだったんだね。だったら……」


 大家さんは、キッとオレに鋭い視線を向けると、こう言い放った。


「佐々藤さん、しっかりぽよ美さんへの想いを歌うんだよ!」

「なっ!?」


 大家さんまで敵に回ってしまった!


「ああああ、あの、大家さん! 騒がしいからって苦情があって来たんですよね!? オレが歌うとなると、低橋さんがギターで伴奏することになるんですよ!?」

「ああ、そうなるね。なに、心配はいらないよ。この私がひと睨みすれば、誰も文句なんて言えなくなっちまうだろうさ!」


 それは職権乱用に当たるのでは……。

 アパートの大家であり、なおかつ閻魔様でもあるこの人に、逆らえるはずもないのだから。


 といっても、大家さんに逆らえないというのは、このアパートの住民である以上、オレだって同じなわけで。

 結局オレは、低橋さんから歌詞を書いた紙を渡してもらい、しばらく練習したあと、ぽよ美と他2名の聴衆がいる前で、恥ずかしいラブソングを歌う羽目になってしまった。



     3



『おお~、愛しのぽよ美~♪ ラブリー、ぽよ美~♪

 最高の妻、いつもありがとう~♪


 おお~、ぽよ美~♪ キミの瞳は輝くサファイア~、このオレだけの宝物~♪

 キミの瞳にオレが映ると、とても幸せな気分になるのさ~♪


 いつも笑顔でいておくれ~♪ オレの心を癒すよに~♪

 いつも元気でいておくれ~♪ オレの心を包むよに~♪


 おお~、ぽよ美~、ぽよ美~♪

 マイラブリーエンジェル、ぽよ美~♪ 愛してる~♪』


 オレは低橋さんのギター演奏に合わせて、ぽよ美へのラブソングを熱唱した。


 ……なんだって、こんな恥ずかしい歌を歌わなくちゃならないんだか。

 そりゃあ、ぽよ美のことを愛しているのは確かだし、ぽよ美にはいつでも元気に笑っていてほしいと思っているのも事実だが。

 意外と低橋さんはオレの心の中を理解してくれていると言えなくもないが、それにしたってこれは……。


 直接オレの歌を聴いていたのは、ぽよ美と冷華さんと大家さんだけだったが、ついさっきも苦情があったというのだから、今歌った歌だってアパートの住人の一部には聴こえていたはずだ。

 オレはいったい、どんな顔で他の住人と顔を合わせればいいのやら……。


 考えてみたら、低橋さん夫妻以外の住人と会ったことなんて、これまでなかったような気もするな。

 大家さんが閻魔様だということをかんがみるに、もしかするとこのアパート、この世ではなくあの世に存在するアパートだったりするのかも……?


 はっ! いかんいかん!

 恥ずかしさのあまり、思考がどこか遠くの世界へとトリップしてしまいそうだった!


 ふと見れば、ぽよ美が胸の前で両手を合わせ、目をキラキラと輝かせながらオレを見つめている。

 この反応を見る限り、心から嬉しいのだろう。

 あんな、微妙な歌だったというのに。


 ま、ぽよ美が喜んでくれたのだから、良しとしておこう。


「うん、なかなかよかったじゃないか。その調子で、これからもぽよ美さんを大切にするんだよ?」

「は、はぁ……」


 オレに念を押し、大家さんは上機嫌な様子で帰っていった。


 その途端、静かにしていた冷華さんが、ある行動を起こす。

 部屋の片隅に屈み込み、なにかを取り出したのだ。

 それは……ビデオカメラ……?


「ふふっ、面白い歌の動画が撮れたわね。さてと、早く帰ってネットにアップを……」

「するな~~~~っ!」


 隣人で年上の冷華さん相手ではあったが、オレはスパーンといい音と立てて容赦なく頭をはたいた。


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